5.馬脚
静寂の戻った室内で、オーレリアは内心の怒りを押し殺して、悲しそうな顔を作り上げた。
「この縁談をお断わりすれば、私もカンビーレにやられるのでしょうか……」
兄が母の行く先として指定した地には、三代ほど前の王が気の触れた妾妃を幽閉していた離宮があるはずだ。
そこで母は療養という名目のもと軟禁されるのだろう。同じ場所に行くならオーレリアも――それは避けたい。
この城から出たいとは切実に思っている。
だが、それには条件がある。必要なものを手に入れる自由があること――いずれこの国と人々、何より今目の前にいる兄に復讐するために。
「わたくし、不勉強なものでお相手を存じません……。そのような方とのご縁は、ハイドランドにも先方にもご迷惑になるのではないかと」
申し訳なさと不安を混ぜてしおらしく呟けば、目論見通り室内にいる騎士や侍従の目が居心地悪そうに視線を揺らした。
(もう一押し……)
知っている、兄は騙されないと。だから、これまでしてきたように、こうして周りを利用して圧力をかけさせる――。
目を潤ませて、「本当に申し訳ございません……」と身を小さくすれば、身近にいた近衛騎士が顔を兄に向けて口を開いた。
「じゃ、お勉強しましょう」
その瞬間、フォースンが場違いとしか言いようのない明るい声を発し、「どうぞ、ヴォーバリアに関する資料です」と書類を差し出してきた。
(……この男、本気で性質が悪い)
含みのある顔でにやにや笑う彼を睨みそうになるもなんとか堪え、オーレリアは「難しくはないかしら」と戸惑ってみせた。
「ソフィーナが昔、書を読み、彼らを知る人々に話を聞き、実際に彼らと会って、一からまとめたものだよ。フォースンがそれに追記してくれている」
「……ソフィーナであれば、先方も喜ばれたでしょうに」
また差を見せつけられた、と顔を歪めそうになるのを抑えて辛そうに零せば、兄は真顔でそのオーレリアを見つめてきた。
「さっき母上が言ったように、ストゥルツ陛下は当初ソフィーナの名を出された。面識と思い入れがおありだったようでね。だが、それは彼の――」
あれほどの求婚があったのに、あてがわれた縁談は、あの子のお下がりだと繰り返す兄の底意地の悪さと、自らの滑稽さに堪え切れなくなって、オーレリアはついに笑い声を漏らした。
(ああ、もうどうでもいい……)
――この場でこの人を殺して、私も殺されることができれば、どれほど痛快だろう。
くすくすと笑い出したオーレリアに、先ほどまで同情気味だった騎士たちが引いたのがわかって、ますます愉快になった。
「であれば、ソフィーナをお呼び戻しになってはいかが? 本当にいい子で優秀なのに、見た目や質素な装いを悪く言う人が少なくなかったでしょう? 大国カザック、しかも華やかなフェルドリック殿下の横でやっていけるか、あの子自身心配しているようでしたから、あの子にとっても――」
「ご懸念には及びません。フェルドリック殿下は、ソフィーナ妃殿下のお心映えと優秀さに惚れ込んでおいでです。見た目も含めてかわいくて仕方がないご様子ですよ」
「どこまで本当なのかしら」
歪な笑いを見せるフォースンへと、同じ笑いを返した。
「真相はソフィーナが知っている――戻る力と資格があるにもかかわらず、彼女がカザックに居続けていることが証拠だ。だから彼女がハイドに戻ることもヴォーバリアに行くこともないし、君がカザックに行く必要もない」
「っ」
『もし望んでいただけるのでしたら、私もカザックに参りますわ。女性、妻として、フェルドリックさまにふさわしくあるためにどうすべきか、ソフィーナに身をもって示してあげられるでしょうから』
兄はオーレリアが作意を持ってカザック王太子にそう申し出たことを知っている。ならば、その本人に侮蔑を露わに断られたことも当然。
「……」
ソフィーナならまだしも、オーレリアと同類の、あの腐った人間もどきから受けた屈辱が蘇って、オーレリアは兄を真正面から睨んだ。
彼はそのオーレリアから視線を逸らし、「話を元に戻そう」と淡々と告げた。
「ヴォーバリア王とハイドランド王女の婚姻は決定事項だ。そしてその王女はオーレリア、君だ」
「カザック、いえ、ソフィーナの入れ知恵かしら」
彼女が愛するハイドランドから害虫の私を取り除こうという動機か、それとも復讐か、と鼻で笑えば、兄の横のフォースンがまた笑った。
「ソフィーナさまがそんな方でないのは、あなたこそが良くご存じでしょう」
「っ」
言い当てられて、頭にさらに血が上った。
その通りだ、頭も察しもいいくせに、ソフィーナはずっとオーレリアを疑っていなかった。
カザックの王太子との婚約披露の夜と、クーデターが治まった後の夜会。悪意を隠すのをやめたオーレリアに蒼褪めていた異母妹の顔を思い出して、オーレリアは大きく顔を歪める。
いつもいい子ぶっているあの子に、いつか特大のショックを与えてやろうと、それまで巧妙に猫を被っていた。いつかオーレリアの本性に気付いた時に、憎んで、罵ってくれば面白いと思っていた。そうしたら、あの子も所詮自分と変わらないと思うことができたはずだった。
(なのに、あの子は結局――)
奥歯を噛みしめれば、ぎりっと音が立つ。
「ソフィーナでなければ、あの腹黒な王太子殿下の陰謀かしら」
「仰る通り我が殿下は腹黒です。が、特段の利益もないのに、他国の内政に干渉するような愚を敢えて冒すことはございません。どうっしようもないめんどくさがりでもありますから」
「私のことをよくお思いではないようでしたわ」
「さて、あなたのことをよく思う方がこの世にいらっしゃるかどうか」
フォースンはへらへらと笑って、『どのみち敵だらけのオーレリアに、わざわざ手を下す価値などない』とほのめかす。癖の塊のような、あの王太子の側近をやれる人間だとまたも思い知らされる。
兄が静かに後を受けた。
「フォースンは正しい。先の内乱における君の行いを考えてみればいい――この国には君の味方も、君を必要とする者もいない」
「内乱など関係ない。真に私の味方をする者も必要とする者も、その前から一人としていなかった」
もっともらしく口にした兄を鼻で笑った。
一年前の内乱時、オーレリアは自分を傀儡の王にしようという反逆者たちの意図に、何も気づかないふりで乗ってやるつもりだった。
ただし、言いなりになるつもりはなかったし、そうできる自信もあった。欲に駆られた痴れ者を操ることなら、オーレリアの右に出る者はいない。
愚かな自分は、父以上に愚かな王となるだろう――傲慢な貴族たちも馬鹿な国民たちも全員道連れだ。
オーレリアは、父母はもちろん、兄もこの国の民も誰も彼も嫌いだ。
誰もが本当の意味でオーレリアのことなど見ていない。
皆オーレリアの望みや本当の姿からかけ離れた『理想のお姫さまの皮』を勝手に被せ、それだけを見てああだこうだ好き勝手に言い、「美しいが頭は軽い」だの、「あれだけ綺麗なら傲慢でも仕方がない」だの、「浪費家に違いない」だの、「下々の生活には興味がない」だの、性格や内心まで決めつけて尾ひれをつけて噂した。
オーレリアが努力してもしなくても誰も気にしない。
失敗も成功も何もかも外見に結び付けられて適当に評され、誰もその内容を見てくれない。
――そんな連中をどう愛せというのか。
「なぜ私が責められなければならないの。無関心に無関心を返してやっただけ、勝手に踊って、自滅していくのを見ていただけだというのに」
歪んだ顔で半笑いを零せば、兄は一瞬だけ悲しそうな顔をした。
血を分けていながら、他の誰よりオーレリアに無関心だったくせに、どこまでも白々しい。
「オーレリア、思いやりのない者に、人は思いやりを返してはくれない」
「お兄さまがそれを仰るの? メリーベルさまの側にいるために、自分だけいい子のふりをしてそっち側にいた――お兄さまだって本質的には私となんら変わらないわ」
鼻に皺を寄せ、吐き捨てる。
「おかげで私だけ父と母の、皆のお人形にされた」
幼い頃は異母妹のソフィーナのように勉強したいと、少し大きくなってからは自分にも何か役目、仕事が欲しいと言った。だが、返ってくるのは、「お前は無理にそんな賢しらな真似をする必要はない」「ただ笑っていれば、みなそれだけで満足する」「その神々しい美貌が既に上に立つ者としての威厳なのだ」。
外に出て人と話し、色々な物を見ようとすれば、「美しいお前には危険だ」。
失敗してもうまくいかなくても、「お前はそのままで良いのだから気にすることはない」。
父や母だけじゃない、誰もオーレリアには『美しいお姫さま』以外の役割を期待しない。ただそこにいて微笑んでいればよく、話すことすら期待されない。
そんな注目は欠片も望んでいないのに、珍奇な物を愛でるように遠巻きに見られ、それだけで勝手に満足される――皆ソフィーナとは熱心に話し、時には悩み事を打ち明け、最後には一緒に笑い合っていることすら珍しくないのに。
「お兄さまだけじゃない。みんなよ、みんな私のことを人間扱いしてこなかった。だから、私も何もしなかったのよ。内乱? 知った話じゃないわ。そんな扱いをしてきたお兄さまや民のために、私が何かする義理があって?」
「……君がこだわっていたドレスに宝飾品、化粧品、調度品、茶会や夜会などの遊興から食事にいたるまで、その民が私たちを信頼して納めてくれたものでできている。君にはその分の義務が、」
「頼んでないわ」
はっと嘲笑を吐き出して、オーレリアは続けた。
「全部嫌がらせだもの。何がなくたって私が美しいことは変わらない。私自身は何一つ必要としていないのに、みんな馬鹿みたいに私にはあれが似合うこれが似合うとか言う。それを放っておいただけ。嫌なら止めればよかったのよ――しなかったでしょう? 『美しいお姫さまだからそんなものだ、仕方がない』って勝手に納得して、内心で私を見下げて満足していたくせに。だから民もお兄さまもソフィーナも困ればいいと思った、それだけ」
表情を消した兄に吐き捨てる。
「感謝してくださる? 我がままな妹に苦労する兄として同情されたことで、ずっと実力以上に評価されてきたでしょう」
くつくつと歪んだ笑いを見せるオーレリアに、セルシウスが静かに長く息を吐き出した。
「ならばなおのこと、ヴォーバリアに行きなさい」
「厄介払いということ――上等だわ」
「オーレリア、支度は、」
「お優しいこと。本音は、内乱で何もしなかった嫌われ王女であっても、ハイドランドの体面のために何もなしで嫁がせるわけにはいかないというところでしょうけれど」
オーレリアはくすくすと笑い続ける。
「なら、なおのこといらないわ。先方にはちゃんと説明します――あなたたちはハイドランドから疫病神を押し付けられたのって」
顎を上げ、愉悦と憎悪を混ぜて兄を睨む。
「これが雪の妖精の本性かあ。さすがソフィーナ妃殿下の姉というだけありますねえ」
「っ」
硬い顔で押し黙った兄の横で、フォースンがのんびりした声を出した。
「……どういう意味かしら」
ぎろりと睨みつければ、彼は「いやあ、美人の睥睨は怖い」と、言葉とは裏腹に微笑んだ。
「ソフィーナ妃殿下は、あなたに悪意があると気づいておられなかったのです」
「……」
『せっかく上手にできたから、お姉さまに被っていただきたいです』
幼い頃、同じ年の異母妹がオーレリアに自作の花冠を被せて笑った顔が蘇って、オーレリアは咄嗟に言葉を詰まらせた。
動揺を悟られたくなくて必死に冷静を装うと、「性善説で生きてきた子だからでしょう。馬鹿な子」となんとか口にする。
「それだけではないかと。あなたも妃殿下同様とても聡明でいらっしゃる。だからこそあの妃殿下がずっと騙されてきたのでしょう。その頭の良さを使う方向性を間違えたあたりは別の意味でどうしようもない馬鹿だなあ、とも思いますが」
「……主君のフェルドリック・シルニア・カザックだけじゃなくて、その配下も性悪ということ」
悪態を吐いてみたが、実のところ怒る気にはなれなかった。自分が一番知っているのだ、どうしようもない馬鹿だということは。
フォースンは「い、や、あの殿下と一緒にされるのはちょっと……。人間終わりじゃないですか……」と情けない顔をした後、真顔を取り戻した。
「まあ、言いたいのはそこではなく。そんなあなたであれば、ご自身で確かめることもできるでしょう、ヴォーバリアとその王にとって、あなたが疫病神かどうか」
「?」
眉根を寄せたオーレリアを、兄セルシウスが同じ青色の瞳でじっと見つめる。
「今回の縁談が出たのは、ソフィーナとフェルドリック殿下の縁談が出るより前だ。私がストゥルツ、当時はまだシャールゴール氏族の若長という立場だったが、彼と直接話し、それで彼は君が――」
「なるほど、ソフィーナではなく私にすべきと説得なさったのね? 見た目だけはいい私を飾り立てて妃としておけば、蛮族が国としての体裁を整えるための小道具になるとでも言って唆したのかしら」
皮肉に笑ってオーレリアは立ち上がる。
「このお話、お受けいたします」
ふてぶてしく笑って、踵を返した。
身に潜ませた憎悪を隠すべく、美しくか弱い王女さまを装うのはもうやめだ。小股で弱々しく歩く必要も、笑いたくもないのに笑う必要もない。




