4.近親憎悪
「まあ、ガードネル。久しぶりね」
「……ご無沙汰しております」
国王執務室の前で、中から出てきた、兄セルシウスの古い友人に声をかけた。
公爵家の嫡男だが、今の服装は私服ではなく、ハイドランド王国騎士団の制服――つまり仕事で兄を訪れたようだ。
先の内乱で殺されかかった兄を庇って負傷した彼は、その功績で軍での階級が上がったと聞いた。いずれ現在のジェラマイア・ゴード・ギャザレンのように公爵兼騎士団長となるのではないかと専ら噂で、一躍ハイドランド社交界の中心人物となっている。それまでは、公爵家の跡継ぎでありながら、真面目が過ぎて陰気などと陰口を叩かれていたというのに。
「怪我の具合はいかが」
「完全に元通りに。お気遣いありがとうございます」
穏やかに微笑むオーレリアに対し、彼はいつも無表情で口数も最低限。
昔からだ。礼を失することはないが、オーレリアがごく幼い頃から彼はオーレリアを警戒し、ある時点からは明らかに嫌っていた。
だが、オーレリアのほうに彼を厭う気持ちはない。彼はハイドランド貴族の中で数少ない、オーレリアの上面に騙されない人だったから。
「そういえば、お兄さまの戴冠式が近いのですって。ソフィーナも帰国するそうよ、カザックのフェルドリック王太子殿下と」
「そのようですね」
(人を見る目は確かだけれど、どうしようもなく要領が悪い……)
ガードネルが静かに目線を伏せたのを見て、オーレリアは微笑を保ちつつ、白けを加速させる。
ソフィーナとカザックの王太子との縁談が調う前の話だ。想い人であるソフィーナとの縁談を持ち掛けられた彼は、そのチャンスを自ら棒に振った。
とある夜会でのことだった。兄がガードネルとソフィーナの縁談を画策していると事前に聞いていたオーレリアは、兄が彼を呼び、テラスに出ていくのを見て、ソフィーナを庭園の兄たちから死角となる場所に誘った。
ガードネルがその縁談をのみ、ソフィーナが喜ぶようなら、つぶしてやろうと思ってのことだったが、オーレリアが介入する必要はなかった。
『その、ソフィーナ殿下は、聡明で素晴らしい方だと思っている。けど、なんと言うか、婚約とかそういう対象にはできない、というか……』
素直で鈍感なソフィーナが、それを苦笑しながら聞いているとも知らず。
オーレリアは気まずそうな顔を作って、彼女に『残念だったわね』と言っただけ、ガードネルの本当の気持ちを知りながら、そのフォローをしなかっただけ。
ガードネルは地位にも能力にも不足はなく、ソフィーナ同様善良で真面目、愛情深くてまっすぐだ。もし、彼と結ばれれば、ソフィーナが平和で幸せな日々をつかむのは目に見えていたから。
結果、ソフィーナはカザック王国に嫁ぐことになった。
かの国の王太子を利用してこの国を出る、父や兄を含めたこの国の人間に復讐するというオーレリアの目論見が、そのせいで潰れたのは誤算だったけれど、まあいい。大国カザックの、しかもあの王太子が相手。あの子が苦労するのは目に見えている。
彼はソフィーナを大事にしているかのようにふるまっていたが、あれもどうせ演技だ。
あの男はオーレリアと同類、腐った中身を整った外面で覆い隠して生きてきたタイプだ。自分を含めたすべてを内心で憎んでいる――そんな人間が誰かを愛せるわけがない。
(そう、あの子も幸せになれない、私と同じように……)
『ふふ、妖精の女王さまみたい』
北の荒れた海を背景に、青い花でできた冠を勝手に頭に乗せてきて、そう言って笑った幼いソフィーナの姿が思い浮かんできて、また消えていった。
「失礼いたします」
「……引き留めてしまってごめんなさい。良い一日を」
ガードネルの無機質な声に、隙を作っていたと気付いて、オーレリアは妖精のようと形容される顔を作る。そして、ガードネルに別れを告げた。
案内をしてきたフォースンは、頭を下げて彼を見送った後、オーレリアに向けて「いやあ、清々しいほど性格が悪い」とにこやかに毒を吐き出した。
取り繕うのも面倒になって、オーレリアは仮面を外す。
「どうせ彼と“彼女”にまつわる事情もすべて知っているのでしょう? その上で私と彼のやりとりを黙って見ていたあなたには負けます」
「ご謙遜を。私は自分の性格の悪さを隠すことはありません」
オーレリアよりさらに性質の悪いセリフを歌うように吐き、フォースンは兄の部屋の扉を開いた。
ハイドランド国王の広い執務室の、広い机の上。父が王であった頃にはなかった書類の山の向こうに兄はいた。
彼はオーレリアを見るなり、ペンをおいて立ち上がる。作法通りの歓迎を口にして、作法通りにオーレリアの手を取り、傍らのソファへ誘った。
応じて、室内にいた近衛騎士が警戒するかのように立ち位置を変えた。
(私が兄を害すとでも言いたげね……)
――当たっているけれど。
(でも今じゃない)
オーレリアは内にある毒を隠して、困惑と悲しみの混ざった顔で騎士たちを見つめた。諦めたように弱々しく微笑し、ソファに腰かける。
騙された彼らの顔に罪悪感が乗ったのを、哀しげに見えるように伏せた視界の端に入れる。
侍従がやってきて茶と菓子を並べ終わったところで兄の口から出てきたのは、オーレリアの縁談だった。
「婚姻の申し込み、ヴォーバリア? ……の、国王陛下ですか……」
国内外から面倒なほど届いていたオーレリアへの求婚は、悪評が広がったからか、先の内乱を境にほとんど消えた。偶に来ても年齢や身分違い、後妻、側妃など、明らかに条件の悪いものばかり。
そこに舞い込んだ、一度も耳にしたことのない国からの求婚に、オーレリアは小首を傾げる。毒にも薬にもならない王女を装うためにしょっちゅうする仕草だったが、今回ばかりは内心も疑問でいっぱいだった。
「ヴォーバリア王国のストゥルツ・シャールゴール陛下だ。……我が国が大陸の北端にあることは知っているかな?」
オーレリアの顔を見て、ヴォーバリアもその王のことも知らないと判断したのだろう。兄は失望の籠った息を吐き出し、ヴォーバリアについて説明を始めた、まるで幼児に話すように。
殊勝に「ええ、その程度は」と頷きながら、オーレリアは兄への憎しみを募らせる。
馬鹿にされるのは、事実として仕方がないと思う。帝王教育を受けていないオーレリアの知識は、兄やソフィーナにどうしようもなく劣る。
父や母、そして周囲がオーレリアを『かわいいお人形』にしておくため、メリーベルやソフィーナのような『賢しらな女』にしないために、殊更に勉学から遠ざけた結果だ。
普通の令嬢レベルの勉強もやめさせられそうになるのを、「この子のためにならない」とその都度戦って諫めてくれたのは、そのメリーベルさまだ。
兄は傍観していただけ。そのくせ彼はこうしてオーレリアを蔑みと憐れみを含んだ目で見る。
ちなみに、他の者たちも兄と同じだ。オーレリアを美しいだけの愚かな王女だと決めつけて、何も知らない、できないと思っている。
(……事実その通りだけれど)
恨みと自嘲を吐き出しそうになるのを抑えて、柔和な表情を保つ。
「ヴォーバリアは我が国のさらに北、北海に浮かぶ島に暮らす海洋民族だ。長らく氏族ごとに分かれて諍ってきたが、この度シャールゴール氏族の長ストゥルツのもと、王国を称するようになっ――」
「セルシウスっ、オーレリアの縁談ですって!? 北の蛮族って一体どういうことなのっ」
兄の説明は、扉が叩き開かれる音とヒステリックながなり声で遮られた。
「あの手の女性がノックも案内もなく、怒鳴って人の部屋に入ってくるのは、世界共通なんですかねえ」というフォースンの間延びした声を背に、兄とオーレリアの生みの母であるフラージェスが駆け込んできた。
父が生きていた頃と違って、自慢の銀の髪はバサバサ。やせ衰えて頬がこけ、目だけが飛び出している。まるでお伽話に出てくる、子供を攫ってあの世に連れていく幽婆のようだ。
オーレリアは彼女から目を背ける。
美しさと、それを支える若さしか誇るものがなく、それゆえそれらに執着してきた人間が年を取ったらどうなるか――自分の行く末をまざまざと見せつけられる。
「今まさにその話をしているところです」
「なんってことを……。ああ、私のかわいいオーレリア、大丈夫よ、あなたを野蛮人の元になど絶対にやらせませんからね」
兄は野蛮という言葉に反応して、目を眇めた。
「日陰の身とはいえ先の王の側に侍っていたのです。軽々しい物言いは控えるべきといい加減覚えてはいかがか」
「……なんですって」
「ああ、日陰の身であることすら認識できていなかった方には、過ぎる期待でしたね」
血走った眼を限界まで見開いた生みの母に、兄はメリーベルやソフィーナの前では絶対にしなかった冷たい侮辱を向ける。
ソフィーナがカザックに嫁いで以降、彼は時々母、そして父への侮りを零すようになっていた。
それで悟った。彼が父母に従順にふるまっていたのは、父母の恨みが彼女とその母メリーベルに向かうことを恐れていただけのことだった、と。
あの内乱がなくても近々父は廃位されるか殺されるかしていたはずだ、息子の彼の手によって。
「母になんという口の利き方を……っ。大体野蛮人を野蛮と言って何が悪いのっ。一国の王からの求婚と聞いていたのに、バーヴォリヤなんて聞いたことがありませんっ」
「ヴォーバリアです」
「名前などどうでもいいっ」
母は金切り声を上げた。
「聞けば、海獣の毛皮を着て、魚を取り、海草を食べて、通りかかる船を襲って暮らす海賊どもだとっ。土の中に住んで、しかも季節ごとに移り替わっていくとかっ、城どころか館ですらないというじゃないのっ」
(獣の皮? の服? かいぞく……って賊? 一国の王が? 土の中で暮らす? 人が……?)
新たにもたらされた、信じられない情報の数々に、オーレリアは目を見開く。
オーレリアは、以前カザックの王太子に人前で二度にわたってソフィーナと比較されて貶められた。その上、内乱をきっかけに、美しさを笠に着て奢侈に耽る悪女との悪評が定着した。今更普通の結婚話が来るわけはないとは思っていたけれど、と愕然とする。
「それが何か」
兄が平静に返したことで、かっと顔に血が上った。この人はそこまで私が嫌いなのだ、と思い知る。
だが、続く母の言葉で、すぐに血の気は引いた。
「っ、悔しくはないのっ、元々はソフィーナに来た話だったと! あの冴えないメリーベルの娘であれば、似合いの縁だったのに、なぜよりによってそのお下がりを私のオーレリアに――」
「母上」
先方は元々ソフィーナを望んでいた――兄がオーレリアをちらっと見た後、母を黙らせようとしたことで、それが本当のことだと知った。
母は顔を強張らせたオーレリアにも、声と目を鋭くする兄にもまったく気を払わない。
「メリーベルの娘ごときが、あの冴えないソフィーナが、カザックに行って王太子妃を名乗って大きな顔をしているのよっ。私の娘にはカザックより大きな国の王を探してきなさいっ」
「カザックより力ある国は、この大陸はおろか西大陸にもない」
(……ああ、この人はいつもこうだ。『オーレリアには』ではなく『私の娘には』――気にかけているのは私ではなくて、自分がメリーベルさまに負けたくない、それだけ)
兄だけではない、母も本質的には私に興味などない、と乾いた笑いを零せば、期せずして兄の横にいるフォースンと揃った。
「そ、そうだとしても蛮族はあり得ないでしょう! 確かどこぞの国の王からも申し込みがあったはず、この際それで……」
兄は「小国の中年が身の程もわきまえず、などと罵っていたのに、お忘れになったのか」と冷笑を重ねた。
「どうやら母上はお疲れのようだ」
宥めることを諦めたのか、嫌気を露わに兄はかぶりを振った。近衛騎士たちが母を取り囲んだ。
「何をするっ、無礼なっ」
「父上が亡くなってからのご心痛、いかばかりかと。カンビーレで休養、いや、療養かな、なさるといい」
兄は『療養』という言葉を意味深に強調し、とどめのように「ごゆっくり」と冷めた目でつけ足す。近衛騎士たちが暴れる母を無言で連れ出していった。




