3.毒と棘と花
自分の部屋の扉を自分で開く――半年前に初めて日常になった動作を経て、オーレリアはしみじみと息を吐き出した。
扉が開くなり、「お疲れでしょう」だの「湯浴みになさいますか」だの「お茶はいかがですか」だの、鬱陶しく話しかけてきていた侍女たちはもういない。
(荒れ放題ね)
室内をぐるりと見回せば、適当に脱ぎ捨てられたドレスに、散乱する宝飾品と化粧道具、枯れてカラカラになった花瓶の花。かつて毎日のように勝手に持ち込まれた少女趣味丸出しの小物類や香水瓶は、あちこちで倒れ、埃まみれになっている。
(侍女もほとんどいなかったのに、ソフィーナの部屋はすっきりしていて、整然と綺麗だったっけ。何に使う何がどこにあるかはっきりわかって……)
幼い頃こっそり遊びに行った時、自室とのあまりの違いに感動したことを思い出す。
それをわかってほしくて両親に話したのに、あの二人は彼女を嘲笑った。何をどう置くか、自分で選び、その後も自分で管理しているのだ、使用人にさせるべきことなのに、と。
(そうしておけば、人に頼らず自分で物事を処理できるからだったのだわ。あの二人が笑っている時点で、ソフィーナが正しいのだろうとは思っていたけれど)
自分の部屋なのに何がどこにあるかさっぱりわからず、それどころか何に使うかすらわからない物共に囲まれて、オーレリアは笑いを零した。
ソファにあったドレスを床に放り捨て、そこに座る。
塵溜めのように乱雑な部屋は、だが、不思議と居心地がいい。
(父がこの惨状を見たら、侍女たちにヒステリックに怒鳴り散らしていたでしょうね。で、私をかわいそうな子呼ばわりして悦に入る。兄は見て見ぬふり。ソフィーナなら……目をまん丸にするかも)
穏やかに笑うか優雅に笑うか媚びたように笑うか困ったように笑うか、微妙な違いはあれど、笑顔の仮面しか持たないオーレリアと違って、ソフィーナは喜怒哀楽はもちろん、威厳から慈悲に到るまで多彩な表情を持っていた。そのどれをも完璧に操れるくせに、あの子は時々妙な隙を見せる。
(その後は呆れる? ……違うか、むしろ心配してくる。頭がいいくせに、変なところで馬鹿だから)
最後の最後までこんな自分を信じていた異母妹の顔を思い浮かべて、オーレリアは視線を伏せた。
「……ほんとムカつく」
鬱屈を紛らわすように呟けば、直後にノックの音が響いた。続いて侍女長であるジェミデの声がした。
「オーレリアさま、本日を持ちまして、エリザ・ノクターがお側を辞去いたしますので、ご挨拶に連れてまいりました」
ジェミデは入室してくるなり、室内を見回して微かに目を眇めた。が、何も言わず、淡々と要件を口にした。
「その、大変お世話になりました。至らぬ点も多かった、と思います。けど、オーレリアさまにおかれましては、寛容に接していただき……」
同じ部屋を見て気まずそうにしていた侍女が、侍女長の咳払いを受けて、辞去の挨拶を口にする。
落ち目の男爵家の次女、野心と虚栄心だけは強く、最後の最後まで『第一王女の側仕え』という地位にこだわっていた彼女もついに辞めるらしい。
『私、オーレリアさまのお側に上がれて本当に幸せです。ソフィーナさまはどうかと言われたんですが、絶対にオーレリアさまがいいと言い張った甲斐がありました』
『本当にこの世のものとは思えないぐらいお美しくて……お姿を拝見できて、毎日夢見心地です。お部屋もドレスも宝飾品もオーレリアさまに相応しく、まるでお伽話の世界のようです。ソフィーナさまにお仕えするアンナなんて、本当にかわいそう』
一年前まであからさまにオーレリアにへつらってきていたというのに、と失笑を零しそうになる。
どこに行くにもついてきて、何をするにもべったりとつきまとってきた彼女が、仲間の侍女たちと陰で、
『オーレリアさまのお側にいれば、上の貴族の皆さまの目に留まる機会が増える』
『物持ちでいらっしゃるから、飽きたら下賜してくださる。そう思ったらご機嫌を取るのだって、大して苦じゃない』
などと話していたことも知っているから、なおさら滑稽だった。
「……そう。この後はどうするの?」
「え、あ、その……」
優しく話しかければ、きょろきょろと視線を揺らし、しどろもどろになった。
(やはり結婚の予定があって辞めるというわけじゃない)
王宮の侍女は、下位の貴族や地方領主、商家の娘たち垂涎の職だと聞いた。
辞す者は、病などでなければ大抵結婚が決まってのことだ――ここ半年のオーレリアの周囲だけは例外だが。
一年ほど前、この国で隣国シャダと通じた元侯爵ルードヴィによる内乱が起きた。
兄セルシウスとオーレリア、異母妹のソフィーナの父である前国王ウリム二世が殺され、同時に太子の兄は反逆者に捕らえられる。
兄には子がない。彼を殺せば、ウリム二世の第二子であるオーレリアが王となる。
美しいだけで帝王教育を受けていないオーレリアであれば、たやすく傀儡にできる――反逆者のそんな筋書きは、けれど思いもよらぬ形で覆された。
ウリム二世には秘された遺言があった。即ち、彼と兄が同時に死去もしくは不測の事態に陥った場合、王位に就くのは第三子のソフィーナである、と。
彼女はそのさらに半年ほど前に、南の大国カザックの太子のもとに輿入れしていた。
兄を殺せば、王はカザック王太子妃でもあるソフィーナ。つまりハイドランドは実質カザック王国のものとなる。
兄を殺せなくなった内乱方は、病気療養と称して彼をどこぞの塔に監禁するとともに、当時ハイド城にいたオーレリアの名を使って、権力をふるい始める。
同時に、カザックのソフィーナに対し、あの手この手で暗殺を試みたらしい。
その間オーレリアに為す術はなかった。城に軟禁され、入ってくる情報はすべて内乱方経由、彼らがどこで何をしているかも何を企んでいるのかもまったくわからない。
そういう時にどうすればいいかも、オーレリアにはわからなかった。誰にどう頼ればいいか、想像もつかない。兄やソフィーナと違って、オーレリアは為政者たる教育を受けていない。
何よりオーレリアにはその状況を打開する気がまったくなかった――壊れるなら壊れればいい、国も、父と兄も、民の暮らしも、そして自分自身も。
自室に引き籠り、オーレリアはヒステリックに騒ぐ母や右往左往する侍女たちを冷めた目で、いやむしろ面白がって眺めていた。
父ウリム二世の正后であったメリーベルが生きていたら、そうでなくてもソフィーナがいればこんなことにはおそらくなっていなかった。
あの二人を蔑ろにして、持ち上げるべきではないオーレリアのような人間を持ち上げ、結果父は死んだ。
父に追従し、やりたい放題してきた母たちも、それを放置してきたオーレリア自身も瀬戸際にいる。
父母やオーレリアと同じように腐った人間のくせに、必死にメリーベルの側の人間のふりをしてきた兄は兄で、明日をも知れぬ身だという。
――これが笑えることでないなら、他に何で笑えると言うのだろう。
偶にご機嫌伺いにやってくる内乱の首謀者たちに何もわからないふりで応じながら、オーレリアは彼らが兄と国全体を巻き添えに破滅に向かうよう、それとなく誘導した。
彼らの言葉の端々から西の隣国シャダの関与を感じ取ってからは、ますます愉快になった。
民を虐げ、搾取し続けてきた、あのどうしようもない国に、この国ハイドランドは滅ぼされる。人を人形扱いし、あることないこと好き勝手に言ってきた国民も巻き添え――痛快そのものだった。
『レリア、いい? 今からする話はあなたが幸せになるために、大事なことだからよく覚えておいて』
一瞬だけ我が身を犠牲にしてオーレリアを含めた全国民の幸せを願ったメリーベルの悲しそうな顔が思い浮かんだが、それもすぐに掻き消えた。
あの人はもういない、もう死んだのだ。
だが、数か月後、異母妹ソフィーナがカザック王国から戻ってきたことで、オーレリアが眺めていた悲喜劇は終わりを迎える。
護衛二人だけを伴って密かに戻ってきた彼女は、市民たちの助力を得て首謀者を抑え、城と国軍を奪還した。そして、兄を取り戻し、侵攻してきたシャダ王国に応戦、最後にはカザック王国の支援を受けて、彼女の母メリーベルが生涯かけて慈しんできたものを守り切った。
以来、ハイド城におけるオーレリアとソフィーナの評判は逆転した。
父にあからさまに疎まれ、冴えない容姿で社交も満足にこなせない残念な王女、彼女にとっての異母兄であるセルシウスを手伝うしか能がないと陰で笑われていたソフィーナは、カザックの王太子妃でありながら、今や救国の英雄だ。
対照的に、『雪の妖精』『ハイドランドの至宝』などともて囃されてきたオーレリアは、内乱に際して何もしなかったと白い目で見られるようになった。
オーレリアを猫かわいがりしていた父が死に、異母兄妹ながらソフィーナとごく親しい兄が代わって王位に就いたことも関係しているのだろう。
放っておいてほしいのにしつこくつきまとっていた貴族の子息も令嬢も、数十人もいてオーレリアの世話をするために非公式の序列まで作っていた侍女たちも、潮が引くようにオーレリアの周囲から消えた。
そして、今、最後の一人もいなくなろうとしている。
(上昇志向が強い割に、のし上がるための伝手がない。この子が最後の最後までここに残っていたのもそれが理由のはず。それなら……)
オーレリアは優しく、慈悲深く見えるよう、目の前の侍女に微笑みかける。
「これまで本当にありがとう。たくさん苦労をかけてしまったわ。そのお詫びというわけではないのだけれど、もし先が決まっていないのであれば、カザック王国でソフィーナの身の回りの世話をしてみない?」
「えっ、ほ、本当ですか」
「――オーレリアさま」
咎めの声を発したジェミデを、オーレリアは笑顔のまま無視する。
「ソフィーナは故郷を恋しがっているという話だし、ハイドランドの出の者が周囲に増えたら、きっと喜ぶと思うの。あなたにとってもそう悪い話ではないと思うわ。彼女についていったソフィーナの乳妹、そうね、アンナと言ったかしら、彼女もどこぞの貴族に見初められたと……」
「……うそ、爵位もない家の出なのに……」
「カザックはハイドランドより身分にうるさくないようよ」
身分的には彼女より低いのに、ごく優秀で美人だと評判のアンナ・ミーベルト。
自分の侍女たちが、有能かつ美しいアンナを煙たく思っていたことを知るオーレリアは、彼女の名を利用して、目の前の侍女の欲を煽る。
ソフィーナへの嫌がらせとしても悪くはないが、何よりカザック王太子だ。
(あの手の人間はこういうタイプの人間を一番嫌うはず――)
笑い出しそうになるのを堪えて善意を装い、オーレリアは「ね、そうなさい」と白磁のようと湛えられた白い手で、そっと侍女の手を握った。
「オーレリアさま、勝手に話を進められては困ります」
「困っている民に手を差し伸べているのです。国民思いのソフィーナも私の気持ちをわかってくれるはずだわ」
瞳を潤ませ、訴えかけるようにジェミデを見つめる。
わかっている、メリーベルの腹心の一人だったこの人をオーレリアは騙せない。だが、周りは違う――。
案の定、騙された侍女がジェミデを非難の目で見つめた。
「侍女長さま、私、オーレリアさまのお気持ちに応え――」
「やめておきなさい」
諫めを口にしたのは、渋い顔で口を開いたジェミデではなかった。
(――……フォースン・ゼ・ルバルゼ)
視線を侍女から声のほうに移せば、戸口に立つ、ひょろりとした風貌の男がオーレリアに向かって飄々と笑いかけてきた。
「カザックがハイドランドほど身分にうるさくないのも、うちの妃殿下が民を思いやる方なのも確かですが、勝手に妃殿下の侍女を選ぶ理由にはなりませんねえ」
のんびりと言いながら歩み寄ってくる彼は、内乱の余波で人員の足りなくなったハイドランドに、カザックがソフィーナの代わりによこしてきた、かの国の王太子の懐刀だ。
顔は笑っているのに、彼の銀縁眼鏡の奥の瞳が欠片も緩んでいないことに気付いて、オーレリアは舌打ちしたい気分になった。
国王の側近に、同盟関係にあるとはいえ他国からの出向者、しかもかの国の太子の懐刀を充てる――当然生じたハイドランド側の反発を、彼は救国の英雄ソフィーナの推薦を掲げてかわし、その後は彼女の名に恥じぬ言動と仕事ぶりで抑え込んでいった。
優秀さと癖の強さ――彼は間違いなくあの忌まわしいカザック王太子の側近だ。
「フォースンさま、先日も申し上げましたが、ノックぐらいなさってください」
「そうでした」
ジェミデに呆れ交じりに怒られて素直に謝った後、彼は「うちの王太子殿下はソフィーナ妃殿下の身の回りにおく人間にすさまじいこだわりがあるんだ。君はやめておきなさい。半日ともたず瘴気にのまれて死ぬ羽目になるよ」と侍女に笑いかける。
そして、「まあ、それが目的なのでしょうが」と言いながら、底の見えない黒い瞳でオーレリアを見た。
「意味をわかりかねます……」
ひたすら戸惑っている感じの表情を作って悲しそうに返せば、彼は彼で胡散臭い微笑みを顔に浮かべた。
「さて、こちらにお伺いしたのはそんな話ではなく。セルシウス陛下がお呼びですよ、オーレリア殿下」




