2.化けの皮
オーレリアの輿入れに先立つこと一月のハイド王城――。
「ご覧になって、オーレリアさまよ。またおひとり」
「……」
城の回廊を自室に向かって歩いていたオーレリアは、揶揄と嘲笑を含んだ声に静かに顔を上げた。
重々しい石柱の陰に貴族の子女が屯っている。
「変われば変わるものですね。以前は曲芸団の宣伝行列もかくやというほどたくさんの人を引き連れていらしたのに」
「ねえ、あのドレス、この間もお召しになっていませんでした? 同じ物に二度袖を通すことはないというお話はどうなったのかしら」
「雪の妖精と謳われた美しさにはお変わりがないのに、寂しい話ですねえ」
(さびしい……寂しい?)
オーレリアは響いてきた言葉を頭の中で復唱して、深い海の色の目を瞬かせた。
彼女たちが自分を嘲笑おうとしているのはわかるのだけれど、と小首を傾げる。皮肉の内容である行列にドレス、美しさ――すべてオーレリアが望んだものでも、努力して得たものでもないからだ。
人に囲まれたいとオーレリアが望んだことは一度としてない。むしろ放っておいてほしいと願ってきた。
ドレスもオーレリアの趣味を無視して、誰か彼かが押しつけてきただけ。丸っきり着せ替え人形扱いだと何度思ったかわからない。二度袖は通さないなどというこだわりが、実のところドレスなんてどうでもいいと思っている人間にあるわけもない。
加えて美しい? ――一体オーレリアの何を見ているのだろう。
(馬鹿そのもの)
もう何万回目かわからない言葉を胸に、桃色の深海珊瑚のごとく輝く唇に微笑を乗せる。
頼んでもいないのに勝手に注目し、好き勝手にあれこれ言う。しかも、どれもこれも見当違いのことばかり。
(噂する彼女たち自身が、人に傅かれて輪の中心にいたい、豪華なドレスを日替わりにしたい、美しいと評されたいと思っていなければ、出てこない発想……まあ、噂している本人たちは絶対にわかってないのでしょうけれど)
オーレリアは顔を人だかりの中央にいる娘に向け、敢えて目を合わせる。そして、柔らかく微笑みかけた。
彼女の周辺の男性たちが目を見開き、呆けたようにオーレリアの顔に魅入り、頬を染めていく。
珍しくもなんともないことだが、中心の彼女は予想通り気に入らなかったらしい。大きく顔を歪めた。
(なるほど、私に代わって『ハイド社交界の華』とやらになりたがっているということ。確か辺境伯家の……名はなんだったかしら)
彼女が誇る家柄はもちろん、心血を注いで整えていると評判の美貌も、オーレリアの足元にも及ばない。
彼女がそれでオーレリアを妬んでいたことも、彼女がその鬱屈を、王の愛娘で社交界の中心にいたオーレリアに向けるに向けられず、オーレリアの異母妹のソフィーナに向けていたことも知っている。
オーレリアを引き合いにして、同じ王女、しかも同年齢なのに華がなくてかわいそうだの、いても居なくてもわからないだの、姉妹でこうも違うなんてだの、散々ソフィーナを嘲笑していたから。
他者を攻撃するなら、引き合いに出すのはせめて自分であるべきだと考えるオーレリアは、彼女のような人間が一番嫌いだ。
(悪には悪なりの道義ってものがいるでしょうに)
悪意を他者に向ければ、それはいずれ自分に何倍にもなって返ってくる。それを受ける覚悟がないなら口を噤む――それができない馬鹿さ加減といい、矜持のなさといい、反吐が出る。
「……ごきげんよう、オーレリアさま」
「ごきげんよう?」
覚えていない名は呼べない。思い出す気もない。そして、それを隠してやる気もない。
かわいらしさに加えて戸惑いと気まずさが見えるよう微笑んだオーレリアに、プライドが高い様子の辺境伯令嬢は、案の定気分を害したらしい。さらに顔を歪めた。
ソフィーナであれば、そもそも名を忘れないし、同じ状況でも相手の気分を害さずに乗り切るのだろう、と冷めた気分でその顔を眺める。
「本日もおひとりなのですね」
「他に誰かいるように見えて? 物が見えなくなるお年ではさすがにありませんでしょうから、疲れておいでなのかしら。心配だわ」
当て擦りであることを承知の上で、手にした扇で口元を隠し、おっとりとした口調で気遣ってみせれば、令嬢は恐ろしい形相となった。そろそろ行き遅れを気にする歳だろうと推測した上での攻撃は、過たず弱点を突いたらしい。
(せめて扇で顔を隠すなりすればいいのに)
いくら美しくとも、いや美しいからこそそんな表情を見せてはいけない。周りの数人が引いたことに気付かないのだろうか、と不思議になる。
「人、もですが、最近は随分と貧相……あら、失礼いたしました、慎ましやかにお過ごしと評判になっております。わたくし、オーレリアさまの装いをずっと楽しみにしておりますのに」
「妖精王をも魅了すると湛えられるオーレリアですもの、国内どころか外国からも引きも切らず宝石やら宝飾品が届いていらっしゃるはず。また煌びやかなお姿を拝見したいものですわ」
引きつった顔で嫌みを口にした令嬢に追従して、彼女の周りからくすくすと笑い声が上がった。そうでない者もそっと視線を伏せる。
つまりのこの場にいる全員が、今のオーレリアには付き従う者も贈り物をする者もいないことをわかっている。
すべて承知の上で、オーレリアは邪気のない笑顔を顔に貼り付けた。
「……っ」
一瞬そのオーレリアに魅入った令嬢は、我に返るなり歯軋りでもしそうな顔を見せた。
「ご理解いただけると思うのだけれど……本当のところ、わたくしにはドレスも宝飾品も必要ないの」
「っ」
そっと胸に手を当てて微笑を深めたオーレリアに、全員が息を止めた。
目の前の彼女の顔が真っ赤に染まっていく。
「なぜお怒りになるの。文字通りの意味なのだけれど……」
――わからないでしょうね、あなたたちには。
本音と見下しを隠して、困惑を交ぜつつ不思議そうに呟けば、彼女はついに全身をプルプルと震わせ始めた。
彼女はオーレリアの言葉を、『美しいオーレリアには、どんなドレスも宝飾品も必要ない』という意味に解釈しているはずだ。
彼女自身がドレスや宝飾品に価値を見出す人間だから、そうじゃない人間が目の前にいるなんて夢にも思わない。
(私の中身も知らない、知ろうともしない人たちが、私に貢いで破滅していくのは面白かったけれど)
その筆頭であった父を思い出してオーレリアは、唇の両端を上げた。邪悪な笑顔だという自覚はあるが、自分の価値観、それゆえの思い込みを疑うことなく生きてきた目の前の彼女たちは、おそらくそれを見抜けない。
「……カザックの王太子殿下には通じなかったようですけれど?」
ぎりりという歯噛みの後、辺境伯令嬢が零した言葉に、オーレリアは笑いを止める。
勝ち筋が見えたと思ったのだろう、彼女は気を取り直して、顔に嘲りを乗せる。
「お側に侍りたいとご本人にお伝えになったのに、けんもほろろに断られたと」
「……」
フェルドリック・シルニア・カザック――オーレリアと同じぐらい美しい、南の大国カザックの王太子を思い浮かべて、オーレリアは目以外の部分で微笑む。
彼とオーレリアの出会いは、外国の王族の結婚式の場だった。
彼を一目見た瞬間、オーレリアは運命を感じた。オーレリアほど彼に相応しい人間はいない、そう思った。
だからこそ細心の注意を払い、彼の気を惹いた。会話を弾ませ、彼から笑顔を引き出す。会場の誰もがため息をついて自分たちを見つめる。彼の反応も周囲の反応も、彼の伴侶となるべきは自分だとオーレリアに確信させた。
だが、その後カザックの彼からハイドランドに届いた婚約の申し込みは、オーレリアではなく、異母妹のソフィーナ宛て――。
この上なく屈辱的なことだった。
彼からはどうしようもなく淀んだ内面を、歪なほど美しい外面で覆い隠した人間特有の臭いがしていた。自分と同類のあの男であれば騙し、地獄に堕としてもかまわない。
幸い彼には権力がある。この国からの脱出を手始めに、とことん利用してやるつもりだったのに――。
(お兄さま以外の誰をも、父はもちろんあのソフィーナさえも騙してきたのに)
内心の憎悪に気をとられて口を噤んだオーレリアに、勝ち誇るように令嬢は鼻を鳴らした。
「……」
微笑を顔に浮かべたまま、オーレリアは手にしていた扇を静かにたたんだ。
「結局のところオーレリアさまは敗北なさったのですわ、あれほど冴えないソフィーナ殿下なんかに……っ、きゃっ」
「な、何をなさるのです……」
「――あの子を“なんか”呼ばわりしていいのは、この世に私だけです」
扇を横面に打ち付けられて、呆然と震え声を上げた令嬢に、仮面を脱ぎ捨てる。「痴れ者が」と冷たく吐き捨て、オーレリアは場を後にした。
(ソフィーナ――あの子こそがこの世でもっとも忌々しい)
遠く離れた異国の地にいる異母妹を思って眦を吊り上げるオーレリアの背後から、「あ、あれがあの方の本性なんだわ」と今更気づいて騒ぐ声が追いかけてきた。




