33.土の中の隠れ家
「うー……」
気持ちよく寝ていたのに、顔に日が当たった。呻き声を上げる。
ちゃんとカーテンを閉めることもできない、気が利かない侍女は誰だろう。目敏くて、働き者のミーナじゃないことだけは確かだが……。
(……ミーナ? ……そうだった!)
ここはハイドじゃなかったと思い出して跳ね起き、目を瞬かせる。天井の低い、狭い空間だ。まったく覚えがない。
「ようやく起きたか」
「っ」
真横から声が響いてびくっと体を震わせる。
慌てて目をやれば、ぼさぼさの白金の髪の向こうで、片肘をついた体勢で寝転がるストゥルツがあくびを漏らした。頭が真っ白になる。
「……え、ええと、なんで、いえ、ここは? ……の前に、いつ、から……」
「ここにいるのかって? ずっとだ」
つまり夜の間中、寝床を共にしていた――重ねての衝撃に思考が停止するも、ふと、自分の格好が昨日のままであることに気づく。
続いて、ストゥルツの目が面白いものを見る目であることにも。
控えめに部屋に差し込んでくる朝日で、彼の髪は朱金色に光っている。我ながら不思議だが、それを見たら少し落ち着いた。
深呼吸して、着たきりの服の袖をクンクンと嗅げば、昨日の晩餐? とにかく大勢が集まってにぎやかに食事した時の匂いが移っている。
「犬みたいだな」と言って吹き出す失礼なストゥルツは、この際無視でいい。
「つまり……私、お酒を飲んで、着替えもせず寝てしまった?」
愕然とする。元々酌婦をしていた母親の血だろう、オーレリアはこれまで酒に酔ったと感じたことはない。いくら飲もうと水も同然、そうたかを括っていたのに。
「ひょっとして、眠り込む前の記憶もないのか? 普通に受け答えして、あれだけ動き回ってたのに?」
「……」
驚きを露わに言い当てられて、オーレリアは息を止めた。
失態をさらしただけならいい。知らずに人を傷つけるようなことをまたしたかも……――旅の途中の村で、人々がオーレリアに見せた失望の顔が蘇った。
続いて、物心ついた時から浴びせられてきた、『お姿を拝見できただけで十分です』『ソフィーナ王女とはまったく違っていらっしゃる』という賞賛に見せかけた嘲笑や哀れみが、耳の奥で鳴り響く。
「そんな顔しなくても、別に変なことはしていなかったぞ」
「え」
昨日『ちょっと鈍いのかも』と疑ったストゥルツに動揺を看破されて、素で反応してしまった。
(……ああ、もう、何やってるんだろ。気を抜きすぎてる……)
感情の揺らぎを見せてはいけない、即付け込まれると、これまでの人生で骨身に沁み込んでいるはずなのに。
あり得ない失態を重ねてしまって唇を引き結ぶも、ストゥルツはオーレリアの常識をあっさり裏切った。オーレリアが見せた隙を悪用することも笑うこともなく、「安心していい」と不安をなだめる言葉を口にする。
びっくりして青みがかった緑の瞳を見つめれば、その端が弧を描いた。
「あれはなんだ、これはどう食べる、それはどうやって作っている、これはなんに使う、その髭は本物か、赤ん坊に触ってみてもいいか……宴会に出ていた奴らを質問攻めにしていただけだ」
「……十分変なことをしてるじゃない」
「みんな喜びこそすれ、怒りも傷つきもしていなかった。あまりにしつこくて呆れてる奴はいたが」
「そう、なの……?」
柔らかい笑顔を前にして、記憶を辿る余裕が生まれる。
昨日、海岸でシリンを追い返してからの話だ。
オーレリアはストゥルツたちと一緒に、島の内側に向けて斜面を上がっていった。
北に行くほど冬の夜は長くなると聞いていたが、その通り、早々に黄色味を増した太陽が枯れ草の草原を照らす。
その中央に据えられた大きな船のような奇妙な建物の中に、ストゥルツの育ての親ノイに背を押されて入った。
そこは内部に仕切りも何もない、広大な細長い空間だった。
真ん中一直線に、石で囲われた直線状の炉があり、そこでたくさんの火が燃やされている。その上では何かの肉が丸ごと焼かれており、香ばしい匂いが漂ってくる。天井から吊るされたたくさんの鍋も火にくべられていて、それぞれ美味しそうな匂いの湯気を立てていた。
炉の両脇に脚の低いテーブルが並べられており、めいめいが勝手に席に座る。
「ほら、オーレリアとストゥルツはこっちだよ」
ノイにいきなり名を、しかも呼び捨てられた。だが、無礼だとは感じない。
優しげに動く彼女の目元や頬のしわに、『やっぱりメリーベルさまに似ている』と思う間に、空間の一番奥のテーブルに座ることになった。
(……祭壇? じゃあ、これは彼らの神さまか何か……)
最奥の壁際には棚があった。そこに石を粗く削って作られた像と、何か文字のようなものが彫られた石板が置いてある。先ほどノイが海の神に祈っていたが、また別の神なのだろうか。
ストゥルツが人差し指と中指、そして親指を立てて額に当て、胸の位置まですっと下げる。
アイスグリーンの瞳が横目でちらりとオーレリアをとらえた。慌てて真似れば、目の端が綻んだ。
正解ではあったらしいが、なんとなく面白くなかった。
それから、モジャモジャの白い髪と髭の老人が立ち上がり、訛りが強すぎるせいか、それともそもそも違う言語なのか、とにかくオーレリアにはわからない言葉で、高らかに何かを語る。その終了と同時に、人々が立ち上がって一斉に歌を歌い始めた。
船で聞いたものと似た旋律で、歌詞は理解できなかったけれど、雄々しさや荒々しさの中に、温かい感じが交ざっている。
「意味、わかるか」
「まったく。でも……海みたい」
オーレリアの答えこそ意味が分からないだろうに、ストゥルツはなぜか嬉しそうな顔をした。
「オーレリアを歓迎する歌だ。ヴォーバリア独自の古い言葉で、俺も正確な意味は分からない」
「かんげい……」
(私を? 歓迎?)
されるような人間でもなければ、されるようなことをした覚えもない。
見た目を珍重されているのだろうか? だとすればうんざりだが、みんな楽しそうに肩なんかを組んで歌っていて、ハイドランドなどでそうだったように、オーレリアのほうを希少生物でも見るかのように凝視する者はいなかった。
(……と、いうより、無視されてない?)
歌い終わった後、皆思い思いに木製のジョッキに入った麦酒を口に運び、直線状の炉に並ぶ出来立ての料理をそれぞれ自由に皿に盛って、食べ始めた。
広間はあっという間に雑多な喧騒と、酒気に満ちる。
「……さて、何なら食べられそうだ? 取ってくる」
「え、ええと……」
迂闊なことに、『王さまが? 自ら? ここでも?』と思ったのが顔に出てしまったらしい。
「この国には侍女や侍従、いわゆる召使い的な存在はいない。基本自分のことは自分でやるんだ。困っている奴にはもちろん手を貸すが」
「自分で、自分のことを、やる……。っ、なら、自分で選んで、自分で運びたい!」
ただただ微笑んでいればいい、何もする必要はない、と言われ続けた日々とのギャップに目を丸くした後、そわそわと立ち上がった。
「……あ」
「じゃあ、一緒に回ろう」
笑われるか、呆れられるかすると思ったのに、ストゥルツは笑った。
そして、食事を囲む人々の輪にオーレリアを引き込んでいってくれた。
(……ええと、それでお肉をまずたっぷりもらって、ジョッキいっぱいに麦酒を注いでもらって、なんだかよくわからない煮込み料理を渡されて、作法も何もないって言われて、おなかが空いていたからペロッと平らげちゃって、次の料理を探して、ついでにもう一杯麦酒をもらって……見慣れない物だらけだったから、いちいち聞いたけど、確かにストゥルツもノイも誰も怒らなかったっけ。それでガラファや戦士の誰か彼かがなんだかんだ言いながら色々持ってきてくれて、ミーナがお酒を飲んで、ガラファに止められてて……)
その辺から記憶があやふやだ。
「それで、ええと、あそこで寝込んだ私を運んでくれたのはあなた?」
「他にいないだろう」
頼んだ覚えはないけれど、そういう場合でもお礼を言うべきなのだろうか、と眉根を寄せたオーレリアをどう勘違いしたのか、ストゥルツが「断っておくが、何もしていない」と肩をすくめた。
「『何も』? ……って、ああ、夫婦の営みとか、子作りとかいう行為のこと」
素で確認したオーレリアに、ストゥルツは面食らったような顔をした。こういう時、彼が自分とほぼ同じ歳だと思い出す。
仕返しとばかりに、オーレリアも「その点は気にしていない」と面白いものを見る目を返した。
「酔っぱらって前後不詳になって湯浴みもしてない人間を、あなたが対象にするとは思わないもの」
「……信頼されていると喜ぶべきなのか、それ」
複雑な顔をしたストゥルツに、オーレリアはにっこり笑う。
「そもそもあなた、私に異性に対する関心、ないでしょう」
「……」
絶句したストゥルツにくすりと笑いを零すと、オーレリアは寝台から足を下した。
「そういうわけじゃないんだが……」
ぼやきめいた声を背に伸びをして、改めて室内を見回す。
その部屋はとても狭かった。オーレリアたちが寝ていた大きな寝台と、暖炉の上のマントルピース以外何もない。
天井と壁は同じ暗い色調の板で覆われていて、複数の扉がある。
壁の上部のほうには横長の窓があって、分厚いガラスが入っていた。まだ若い朝の光はそこから差し込んでいる。歪んではっきり見えないが、窓の下のほうには枯れ草が風に踊っているようだ。
「ひょっとして半分土の中にあるの?」
「ご名答。この島では、夏は地表の農園や放牧地、海の脇にある小屋で暮らす。冬は斜面に掘った穴を利用した、こういう家屋に住む」
「温かいから?」
「ああ、それに熱も逃げていかない。暖炉からの煙は後ろにある縦穴を通って、地表に抜けていく」
確かに、素足で外套を着ていないにもかかわらず、冷えを感じない。
視線を巡らせれば、暖炉では熾火が熱を発し、先ほどまで寝ていた寝台の上には凝った模様の毛布が掛かっていて、ヘッドレストには小さなドライフラワーの束が芳香を放っている。
ハイド城の自室などとは比べ物にならないぐらい小さいが、とても居心地がいい。
「素敵な家……」
「気に入ったなら、よかった」
思わず漏らした独り言に、思わぬ返事が返ってきた。
「気に入ってよかったって……ここ、私の住まい?」
頷くストゥルツを、目を丸くして凝視した。じわじわと喜びが湧き上がってくる。
嬉しさが全身に行き渡った。弾かれるように寝台から降り、勢い込んで壁の一角の扉を開ける。
ここよりさらに狭く薄暗いその部屋は、物置とでも言ったらいいのだろうか、色々な物が雑多に置かれている。
(売るか捨てるかできないなら、持参品は全部ここに押し込む……)
そう決めた。せっかく居心地のいい部屋なのだ。趣味の合わないもので占拠されるのはもうたくさんだ。
次に開いた扉向こうの部屋は、今の部屋よりこぢんまりとした居住空間だった。毛足の長いラグの上に、小さな暖炉と猫足のテーブルとソファが据えられていて、温かそうなクッションが置かれている。
昔、オーレリアが憧れていた『誰にも見つからない、誰も入ってこない小部屋』だ。うっとりと息を吐き出す。
「お伽話に出てくる妖精の隠れ家みたい……」
「妖精はいないが、魔物ならいる」
「え」
ぎょっとするオーレリアに、ストゥルツは穏やかに笑った。
「見た目はモグラ……ってわかるか? にそっくりな奴だ。ただし、血は緑色で、小さな角がある。年のいった個体は人の言葉がある程度わかるようになるらしい」
「それ、大丈夫なの……」
さすがに不安になって彼を見上げれば、いたずらっ子のような顔で、その部屋の壁を指さした。四方が大人の前腕ぐらいの長さの小さな扉がある。
近づいてそっと開けてみれば、土がむき出しの空間があって、おままごとに使うような小さなテーブルがあった。奥には、手のひらぐらいの穴が開いていて、先は見えない。
背後からやってきたストゥルツが、手に持っていた赤いドライフルーツを小さなテーブルに置く。
「意地悪をしない限りは無害。逆に奴らに気に入られると、家が崩れないように土側のほうの手入れをしてくれるんだ。ノイんとこの奴なんか、子守りまでしてくれるぞ」
「……本当に妖精みたい」
昔ソフィーナが、お伽話に出てくる妖精の正体は、実は力の弱い魔物ということも多いのではないか、と言っていたことをまた思い出した。
「誰かにとって常に都合のいい存在じゃないって意味では、言い伝えの妖精も魔物も、それから人間も一緒かもな。善良なのもいればそうでないのもいるし、いいと思ってた奴がいつも善良とは限らないし、悪いと思う奴がいつも悪いわけでもない」
(みんなそれぞれ事情があって、私に都合よくは動かない……)
ふと、兄の顔が思い浮かんだ。
兄はオーレリアにとって『悪』だったが、メリーベルやソフィーナ、ハイドランド国民には『善』だった。
オーレリアを父母に差し出しておけば、彼はメリーベルやソフィーナ、そして多数のハイドランド国民を守ることができた――その彼を『悪』の一言で片づけられるだろうか?
『レリア、この国から出ていきなさい』
かつてメリーベルがそう言い、兄はその通りに計らった。二人の意図ははっきりわからないけれど、今のオーレリアがハイドランドにいる頃よりはるかに自由を感じているのも確かだ。
「どうした」
「……なんでもない」
――そして、自由にやらせてくれているのがこの人だ。
ひょいっと顔をのぞき込まれた瞬間、そう気づいて、なんだか落ち着かなくなる。
「ええと、さっき、ここは私の家って……その、閉じ込めたり、する?」
「しない」
ジト目を向けられた。
「昨日も言ったが、この国では自分のことは自分でやる。当然食い扶持を稼ぐのも自分で、だ。大陸と違って、働かない奴を置いておく余裕はない」
「食い扶持……」
「畑で作物を作る、家畜を飼って毛やミルクを得る、魚や貝をとる、交易をする、海賊に出る、機を織る、鍛冶屋になる、金細工を作る、最近じゃガラスビーズ職人なんてのも出てきたな」
「……私、も、やっていいの……」
「やりたければ。まあ、オーレリアの場合は、この国の王の妻としての役割もこなしてもらうことになるが」
「羊飼いだったり、海賊だったりする王后……」
オーレリアの中で『王后』と聞けば、絶対的にメリーベルだ。彼女が羊を追いかけたり、船の上で剣を振り回したりしている姿を想像して、目を白黒させる。
「……嫌か」
ストゥルツが「まあ、悪条件なんてもんじゃない結婚と言われれば返す言葉がないんだが」と困った顔をした。
人の好さが垣間見える表情に、つい気が緩んだ。
「嫌じゃない」
「そうか」
ほっと息を吐き出した彼の顔はあどけない。
ハイドランドの北岸の青い花畑で出会った少年が、彼にそっくり重なった。




