32.美に溺れる者
「……」
フードの下で視線を尖らせながら、オーレリアはゆっくりと振り返る。
斜面の上から、金糸と宝石で彩られた毛皮のマントと絹のドレスをまとった女性が歩いてくる。背後には大陸ふうの装いの従者を引きつれていた。
すぐ傍らにいるストゥルツが息を吐き出し、ノイが苦笑を零す。
「……あいつだよ、アスト王国のシリンだ」
ガラファが寄ってきて、警戒を含んだ声で囁いた。やっぱりお人よし、と思いつつ、小さく頷く。
「陛下、無事お戻りになられましたこと、心から嬉しく存じます。陛下がご不在の間、わたくし、心細くて……」
胸の前で白くたおやかな手を組み、潤んだ目で、「寂しゅうございました」とストゥルツを見上げる様は、儚げで庇護欲を掻き立てられる……と、例えばオーレリアの父のような人なら言うだろうというものだった。
散々利用してきたオーレリアが言うのもなんだが、これに引っかかるのは、自分の幻想を他人に押し付けたい馬鹿だけだと思う。
「……」
ちらりと横目でストゥルツを見れば、うんざりしたような顔をしていて、ほっとした。
(って、なんで安堵してるの)
顔をしかめる。
「ひょっとして……そちらが噂のオーレリア・リニレ・ハイドランド殿下ですか。まさか本当にお越しになるとは」
おっとりとした物言いで、その女性はオーレリアの天辺から足のつま先までを検分した。困惑を演じているのは、その不躾さを隠すためだろう。
「大陸一華やかな方と耳にしておりましたが、そのご様子……」
戸惑ったように、暗にオーレリアの格好が粗末だとほのめかす。
「……挨拶が途中になってしまってごめんなさい」
オーレリアは彼女に向けていた顔を、ストゥルツたちが『母』と慕う女性に向け直した。
「気遣ってくれてありがとう、ノイ。でも、この外套のおかげで、海風も冬の波飛沫もまったく苦にならなかったの」
素でいる時は「ありがとう」一つ口にするのに、ものすごく緊張するというのに、猫を被ると決めた瞬間に平気になる。
私ってつくづく歪んでる、と思いつつ、視界の端にいるシリンに意識を向ければ、明らかに気分を害したという表情をしていた。『美しさゆえに持て囃されてきて、それを当然だと思っている王女さま』であれば、粗略な扱いにも我慢にも慣れていないはず、という見込みは当たったようだ。
「無視なさるおつもり……?」
「それから、皆さんも寒い中迎えに出てきてくださって……本当に嬉しいです」
険のある声を出した彼女をその言葉通りに無視して、オーレリアは村人たちを見まわした。
村人を優先する――ガラファの話によれば、シリンはヴォーバリアとその民を見下している。
オーレリアのこの態度は耐え難いはずだという予想も的中した。
「本当に失礼な方。教育のなっていない、どうしようもない高慢姫という噂のほうは確かなようね」
苛立ちのせいだろう、シリンの声が微妙に大きくなった。
「ああ、本当に失礼だわ――ごめんなさい」
村人たちを見たまま、オーレリアは「フードを被ったままでした」と頭の覆いに手をかけた。
そっと外せば、島の中央の山から海に向かって吹き下ろす風が、長い白金の髪を舞い上がらせた。計算通り、その一本一本が陽光にきらきらと光る。
そして、ぱっくり口を開いたノイと村人たちに、微笑みかけた。
その顔のまま、シリン一行に向き直る。
彼女たちがオーレリアの顔を凝視し、言葉を詰まらせるのを見て、微笑を深める。
彼女は確かに美しい。濃い金の豊かな巻き髪に、小さな卵形の顔、赤みを帯びた茶色の大粒の瞳、形のいい唇には女性らしい艶と厚みがある。個人的な好みはあるだろうが、生まれつきの美貌でいうなら、オーレリアとさほど変わらない。
だが、オーレリアのほうが十近く若い。
(お母さまと同じタイプ……)
自らの美に溺れる彼女たちのような人間は、それしか誇るものがないがゆえに、美とそれを支える若さに執着する。
だが、老いるにつれ、頼みの美はどれだけ努力しようと必ず翳っていく。
(結果、若さを持つ者に強烈な劣等感を抱く、と)
オーレリアの顔を見つめ続けていたシリンの顔が、案の定歪んだ。オーレリアに『負けた』とでも思っているのだろう。
心底くだらないが、付け入る隙を自ら見せてくれるのだ、感謝してあげなくもない。
「ところで……こちらの彼らにならともかく、あなたに失礼呼ばわりされる謂れはありません」
「なんですって?」
「名乗りもせず、言葉も交わさぬまま、不躾に人を批評なさる方に相応しい扱いをしただけのこと」
目以外の部分で笑いかけ、事実を指摘する。
「ア、アストの王女たる私にそんな口を――」
「大陸での常識を持ち出すのであれば、わたくしはハイドランド王女であり、ストゥルツ・シャールゴール、ヴォーバリア国王陛下の妻です。確認します――この場合、無礼を働いているのはどなた?」
「っ」
小首を傾げて問えば、シリンの形のいい眉の尻が吊り上がった。見る間に、白い肌が真っ赤に染まっていく。
戸惑っているのか、引いているのか、ヴォーバリア人もアスト人も視線をシリンとオーレリアに行き来させるだけで、誰も口を開かない。
波音と海鳥の鳴き声が、耳をつく。
どうやらシリンはオーレリアの母より理性的なようだ。オーレリアを睨んだまま、呼吸を数度繰り返した後、困ったような笑顔を作り上げた。
「これはこれは、申し訳ないことをいたしました。あなたがこちらにいらしたことがあまりに意外で。わたくしはシリン・アスト・シャールゴール、ハイドランドの東の隣国、アストの出でございます。ヴォーバリアとアスト、両国の繁栄と友好のため、シャールゴールに嫁してまいりました」
ストゥルツの兄個人の名ではなく、『シャールゴールに』嫁いだ、という言い方はおそらくわざとだろう。兄が死に、弟がその後を継いでシャールゴールの長となった今、弟のストゥルツこそが自分の配偶者である、そう言いたいわけだ。
アストの名を出したのも、オーレリアがここに来たことを殊更に意外がって見せているのも同じ理由――ここにハイドランド王女であるオーレリアの居場所はないと暗に伝えてきている。
そのほのめかしに気付く人間は誰か知るために、さっと周囲に目をやる。
警戒を見せている様子があるのは、ストゥルツと彼の側近の傷の男。
他はただただ不快そうなだけで、彼女の発言が、『シャールゴール氏族長の妻』という立場を既成事実化しようとするものだと気づいている様子はなさそうだ。
オーレリアの後ろで「うわ、露骨……」と引いているミーナに、ガラファも「露骨? 何が……?」と戸惑っている。
(まっすぐなのか、駆け引きに慣れていないのか)
そんなことを考えつつ、オーレリアは哀れみを混ぜた、含みのある微笑をシリンに向けた。
「存じております。アストの王女殿下が北の国に嫁いでいかれた際の美しい花嫁姿の噂は、物心つくかつかないかのわたくしにとっても憧れでしたもの」
もちろん大嘘だ。
まず、オーレリアは彼女の存在を曖昧にしか知らなかったし、興味もなかった。当然ヴォーバリアに嫁いだことを知るはずもないし、そんな噂があったかどうかも知らない。
噓をついてまで賞賛しているのは、彼女に媚びるためではない。シリンが結婚するような年にオーレリアは幼児だった、と告げることで、オーレリアの若さを強調しているのだ。
オーレリア個人は若さなどどうでもいい。若さは生物の美しさを最大限保証するものではあるが、誰でも一度は持ち、死なない限りは失っていくものでもある。失う若さの代わりに何を得るのかが問題だと、母を見ていて痛感しているからだ。
でも、若さに固執する人間が現に目の前にいて、「私のほうが若い」と誇示することで、思い通りに躍ってくれるのだ。利用しない手はない。
目論見通りシリンの顔が歪んだ。
気付かないふりして、のんびりとした口調で、傍らのストゥルツに「陛下はシリンさまのお輿入れをご覧に?」と話を振れば、「見たかもしれないが、オーレリアと同じ年だぞ、俺も覚えていない」と素で返してきた。
(私的には満点の答えだけど……)
口元を引くつかせるシリンに、さすがに同情を覚えた。
狙っているストゥルツその人との年齢差を突き付けられた挙げ句、記憶に残るほどじゃなかったと暗に言われているも同然。
(わざと? それとも素で無神経……)
疑念の目を向ければ、ストゥルツは眉を跳ね上げた。どうやら後者らしい。
「わ、たくし、のほうこそ、ハイドランドの妖精姫のお噂はかねがね。とはいえ、噂以上にお美しくていらっしゃいますのね」
だが、彼女は屈辱と怒りをなんとか隠した。笑いながら、世辞を口にする。
もっともこの称賛は好意の現れではなく、後に続く攻撃の布石もしくは事前の言い訳に過ぎない。
「ですが、せっかくのご美貌もそのような身なりでは翳りましょう。はるばるおいでになっても、満足に用意も整えられぬ国の出の姫君となれば、ストゥルツさま、ひいてはヴォーバリアの不利益となります。取り急ぎわたくしの外套とドレスを恵ん……差し上げましょうか?」
どうやら、粗末な身なりで母国にまともに支度もしてもらえないオーレリアは、ヴォーバリア王后にふさわしくないという方向に持っていく気なようだ――それこそがオーレリアの狙いだとも気付かずに。
オーレリアは「お気遣いありがとうございます」と無邪気に笑ってみせる。
「ですが、ご懸念には及びません。この外套は北の海の寒さに凍えるわたくしのために、ストゥルツ陛下自ら選び、贈ってくださったものなのです。ヴォーバリアで伝統的に使われているものだと」
ストゥルツとの仲を強調し、ついでに「温かくて、軽くて、お気に入りなのです。ヴォーバリアの先人たちの知恵のすばらしさときたら」と外套の襟を寄せて幸せそうに微笑み、ヴォーバリア文化に理解があることを強調する。
嘘ではないが、誇張はしている。
この外套は、オーレリアの趣味も何も聞かずストゥルツが『一番温かいもの』を勝手に買って、ぽいっと投げてよこしたものだ。「ただでさえひょろっこいんだ、そんな格好で海に出たら、あっという間に冷凍肉だ」とか言って。現実はロマンも何もあったものではないが、それを知らぬシリンは狙い通り言葉を詰まらせた。
「嬉しいこと言ってくれるねえ」
代わりにノイが、陽気に笑いながらオーレリアの背を叩いた。
思わず目を丸くする。されたことがない仕草だし、勝手に触れるなんて失礼と思わないわけではないが、不思議と不快ではない。
続いてノイは、シリンへと「ほら、もう帰んな。そんな格好で外をうろついてたら、そのうちカチンコチンに凍っちまうよ」と肩をすくめた。
「あなたごとき者に指図される謂われはありません」
あからさまに蔑ろにされてなお気遣いを見せるノイへの言いように、カチンときた。
(大人しく帰るなら、このまま見逃してあげようと思っていたけれど……)
眉間に皺を寄せて踵を返したシリンに、オーレリアは「お待ちになって」と声をかけると、憂い顔を作り上げて、外套を脱いだ。
「どうぞお召しになって――わたくしはまたストゥルツ陛下にお願いできますから」
神殿に飾られる女神像のような顔で、外套を差し出したオーレリアに、シリンはすさまじい顔を見せた。
目を剥きださんばかりにオーレリアを睨んで、「っ、結構よっ」と言い放つなり、元来た道を引き返していった。
山から吹き下ろす風と、海からの風が入り乱れ、髪が逆巻く。
鬱陶しいそれを邪険に払いつつ、内心で舌を出して、彼女一行を見送っていたオーレリアは、ノイが身を震わせていることに気づいた。
(まさか、怯えさせた? やり過ぎた……?)
焦るオーレリアを裏切って、ノイは吹き出すと、大口を開けて笑い始める。
「ぶはっ、あははは、あんた、やるねえ」
「……はい?」
「まどろっこしい話しようだったし、あんま意味わかんなかったけど、あれだろ、あんた、あの子に勝ったんだろ?」
「え、ええと……」
「あのしつこいのが今日に限ってさっさと帰ってったのがその証拠さ。隙あらばストゥルツにべったりしようとするのに」
呆気にとられるオーレリアを差し置いて、後ろからミーナが顔を出し、得意げに胸を張った。
「当然です。性格の悪いやり取りをさせたら、オーレリアさまに適う人間はこの世にいません」
「シリンほど傲慢で嫌な奴はいないって思ってたけど、こいつはそれ以上に傲慢で嫌な奴になれるからね……」
ガラファがため息をつきつつ、同意する。
(意気投合してる……)
自分でもそう思う。だが、そうとばれないよう殊勝なふりをして相手を追い込んだのが無駄になった。
顔を引きつらせるオーレリアを見て、ノイは涙を滲ませ、ますます笑う。
「いいねえ、私ゃ、たくましい女が大好きなんだ。どうしてどうして、吹けば飛びそうなか弱いお姫さんかと思ったら……ストゥルツ、あんた、面白い子を嫁にしたねえ」
(たくましい? お、おもしろい……?)
言われ慣れない言葉に、ついに唖然として口を開いた。
「だろ?」
ストゥルツは当たり前という顔で、しかも気のせいでなければ、微妙に誇らしそうに笑う。その横顔を見るうちに、顔に血が上ってきた。
「か弱く見えるのに、中身はすげえもんなあ。ナイフを振り上げた盗賊の首領に、平手打ちを食らわせて、ビシキの横暴役人を睨んだだけで黙らせて」
「人相最悪のメィムシュにもビビんねえどころか、顎でこき使うし」
「……使われてねえ」
ハイドランドまでストゥルツに同行した戦士たちが、笑いの輪に加わっていく。言及された傷の男だけは渋い顔をしているが。
(なんで笑われなきゃならないの……)
オーレリアの周りで、皆が好き勝手に笑っている。
だが、その笑顔はハイドの城にいた時とは違って、嫌な感じがしない。そのせいだろうか、そわそわして、なんだか落ち着かない。




