34.協力関係?
「あと、この家なんだが、正確にはオーレリアのものであると同時に、俺のものでもある」
「つまり……一緒に過ごす?」
「あー、ヴォーバリアでは家の数も部屋の数も限られるから、ここで暮らす以上は」
目をみはったオーレリアに、ストゥルツは気まずそうに前髪をかき上げた。
「大陸じゃ夫婦の寝室は基本別だろう? そもそも『家』なんてものじゃなくて、城で育ったんだろうし……」
ストゥルツは立ち上がると、壁にかけてあった外套を手に取り、羽織った。
横に並んでいたはるかに小さいものを手にして、オーレリアの身にそっとかける。
素直に袖を通し、ふと、疑問を覚えた。彼のこの行為は、馴れ馴れしい、嫌悪を覚えるもののはずだ。だが、まったくそう感じなかった。
(……そうか、自分にできることをすると言っていた通りの行動なんだ。だから、自分が寒くて服を着るなら、他の人の分も、ってなる……)
一緒にいるのがオーレリアじゃなくても、彼はきっとそうする。彼にとって親切は、誰かの好意や歓心を買うためのものではなく、ただただ当たり前のものなのだろう。
その証拠に、嬉しいような、面白くないような奇妙な気分で唇を尖らせるオーレリアを一切気にすることなく、ストゥルツは部屋の扉を開いた。
人が四人立てる程度の小空間の向こうにある、さらに奥の扉を開く。
「っ」
寒風が一気に吹き込んできた。
一気に増した光量に目を細めつつ、扉の外に顔をのぞかせれば、そこは丘の中腹だった。
左方には、急斜面に囲まれた狭く青い入り江、右方には枯れ草の草原が広がっていて、羊が残りわずかとなった青い草を探しては食んでいる。そのずっと向こうには雪に覆われた山がそびえる。
眼下の正面にあるのが、昨日の船のような形の建物。
そのはるか先に、また別の、ただしこちらのものよりずっと広い入り江があった。山から伸びる川が流れ込んでいる。
湾の手前、河の両岸には焦げ茶色の家々が並ぶ街があり、入り江の斜面には大きくはないものの城と言って差し支えない建物があった。
ストゥルツが「ミースト村だ」とその街を指さした。
「あそこに行けば、城がある。大陸ふうに暮らすこともできる」
「……あなたの兄が築いたというお城……」
「大陸のカザック王国で生まれた様式を用いたものらしい。内装もすべて大陸から取り寄せた物と、連れてきた職人の手によるものだ」
城を見つめたまま、「本場にはさすがに劣るが、ヴォーバリア人がこれまで見たことも想像したこともない程度には煌びやかだ」と抑揚なく説明する。
「一部のヴォーバリア人はあれに魅せられた。だが、残りはそうじゃなかった。兄は昨日のあの女、アストの王女に言いなりになってヴォーバリアの伝統と誇りを捨てたと言われて、同胞の信頼を失った――俺が彼に勝った理由だ」
勝ったと話しながら、ストゥルツはまったく嬉しそうじゃない。
「ただ、兄の行動はあの女のご機嫌取りだけが理由ではなかったはずだ」
「これから大陸との付き合いが増えるのであれば、他国に侮られないために権威付けの城が必要になる……」
「……」
「意外そうな顔、しないでくれる? いくら物知らず・世間知らず・馬鹿と三拍子そろった私でも、それぐらいはわかる」
「馬鹿とはまったく思わない」
「なぐさめどうも」
唇を横に開いて歯を出せば、ストゥルツは「子供か」と呆れ顔を見せた。自分こそオーレリアより微妙に年下の癖に生意気だ。
「話を戻すと……だから、ここの暮らしが嫌になったら、あの城で暮らすこともできる」
「嫌」
「……即断だな」
「だって、こっちのほうが絶対に面白いし、自由でいられるもの。知っている? 城って敵が入ってこられないようにするためのものだけれど、中にいる人間も出られないようになっているの。閉じ込められるのはもうたくさん」
「なら、ここにいてくれ」
そう頷き、彼はなぜか安堵したような顔をした。
「あ、でもあなたがあそこに住みたいなら、あの女性、ええと、なんという名だったかしら? とにかくあの人を追い出す手伝いはしてあげる」
「……頼もしいね。それはともかく、ナチュラルに失礼だな。あれだけ突っかかってきた相手の名前ぐらい覚えてやれ」
ため息をついた後、ストゥルツは「あの女に関係なく、俺もあそこには住みたくない」と首を横に振った。
「ここが好きなんだ」
「……あっちのほうが日当たりがよくて、土地が広い。海も集落の様子を比べても、あっちのほうが豊かに見える。それなのに?」
相当失礼なことを言っていると思うのに、彼は「オーレリアだってそこまでわかっていながら、こっちがいいと言ったじゃないか」と笑った。
山から風が吹いてきて、ストゥルツの短くなった赤髪とオーレリアの長い髪を揺らした。
二人を撫でた風は丘を下り、放牧地に残る枯れ草を宙に舞い上がらせ、海へと運んでいく。
「ここは行き場のない人間が寄せ集った村なんだ。病人や年寄り、体のどこかが不自由な奴、見た目の違う奴がいっぱいいたの、気付いたか」
「……あんまり」
物珍しさでそれどころじゃなかった。気まずくて顔をしかめれば、ストゥルツは苦笑を零した。
「俺の母親は、いわゆる『どこの馬の骨ともわからない』人間だ。親父がどこぞの商船を襲った際に、赤毛と顔立ちに惹かれて連れ帰って愛人にした。けど、正妻が怖くて、ノイんとこに預けたってわけだ」
「……お母さまは?」
「死んだ。三つの時だ。優しかったような気はするが、ほとんど覚えてない。それからはノイが俺の母親代わりだ」
昨日迎えに出てきた彼女がストゥルツに向けていた目を思い出す。あのまなざしはソフィーナに対するメリーベルのものと同種――親が子に向ける目とは本来ああいうものなのかもしれない。
「ノイは俺から見た祖父が晩年に娶った後妻だ。子供ができないらしくて、妻というより看取り役という形で嫁いだそうだ。私は子を産めないから家族になってくれる奴を探してるんだって言いながら、訳ありの奴を受け入れてるうちに、いつのまにか村になってたってさ。俺だけじゃなくて、メィムシュやガラファ、この村の戦士たちにも彼女の世話になった奴は多い。俺の家族だ」
昨日オーレリアを見て、見た目や生まれに言及することなく、ただ「よく来たねえ」と笑った彼女を思えば、すとんと納得できた。
「なぜ王さまになんかなったの」
納得できないのはこっちだ。平和でのどかなこの村の人々から野心はあまり感じられない。ここが好きならなぜ、わざわざ外に出て争いに入り、兄と殺し合うような真似をしたのだろう。
「降りかかってくる火の粉を払っていたら、結果としてそうなった。他に理由があるとするなら、貧しいからだ」
「ますますわからない。貧しい国の王さまになっていいことってある?」
「……そういや、ハイドランドが嫌いだと言っていたな」
目を瞬かせた後、ストゥルツは大きな手で赤い髪をわしゃわしゃとかき回した。
彼が貧しい国の王になりたがったこととオーレリアの母国を嫌いがどう関係するのか、さっぱりわからない。
頭の悪さを指摘されたように感じて、むっとする。眉間に皺でも寄ったのかもしれない。ストゥルツに人差し指で額をはじかれた。
「じゃあ、ヴォーバリア人は? 嫌いか?」
「人間は嫌い」
反射でそう答えた後、「……と、思っていたけれど、私、嫌いと言えるほど、人間のことを知らないってこの間気付いた」と眉尻を下げた。
(そういえば、たくさんの人と話し、学べと言ってた……)
頭の中で、メリーベルの妹の言葉が蘇る。
実際に人と話して、つまり接して、自分はどう感じた……?
「私……少なくとも今、あなたやガラファたち、ノイとか、昨日出迎えてくれた人たちに悪感情はない」
困惑しつつ告白すれば、ストゥルツは「やっぱりかわいいな」と破顔した。
逆に、オーレリアは目を眇めた。
「馬鹿にしているの」
「本当にそう思っている。オーレリアは自分の中の感情を素直に認めて、その上でどうすべきか考える。そこに嘘も言い訳もない。かわいいという形容はそういう人に使うものだ」
「……」
美しいとか綺麗とかさんざん言われてきた。でも、かわいいと言われたことはない。しかも内面のことだ。真顔で言われて、徐々に頬が熱くなるのがわかった。
「い、いいからさっさと説明しなさい。なぜ王になろうと思ったのか」
恥ずかしさを隠そうと睨んだのに、彼に懲りた様子はない。「美人の睥睨は怖い」というのはやはり嘘か、そうでなければストゥルツにとってオーレリアは美人ではないということだろう。
「そうだな……ガラファやノイも含めて、大勢が飢えて死ぬ可能性があるから、と言えば理解できるか」
「うえて……って、おなかが空いて? そんなに貧しいの? だって昨日だって……」
「まあ、真っ先に死ぬのはノイたちより子供や年寄り、体の弱い奴になるだろう。ここのところ冷夏が続いていて、まともに麦が育たない上に、家畜も減っていっている。昨日の宴会のごちそうはオーレリアを歓迎するために、かき集めたんだと思う」
「……」
絶句する。
「この村は特に厳しい。場所が悪いし、居場所がなくて流れてきたような奴が多いから、他からの助けもないし、争いになった時の扱いも悪い」
「じゃあ、彼らを守るために……」
「俺も母も守ってもらったから恩返しだ」
人を守るために王になった、苦労するとわかっていながら……――。
王后であったメリーベルや太子の兄はともかく、いずれ外国に嫁ぐか臣下に降嫁して権力から離れるソフィーナが努力していたのも、そういえば同じ理由だった。
その話を聞いた時、馬鹿だと思ったけれど、ストゥルツに対しても同じ感想を持つ。本当に奇特な人たちだ。
でも、オーレリアには想像すらできなかった、そんな動機を持つ彼らが羨ましい。
彼らには愛する人がいる。でもオーレリアには人を愛するということ自体、よくわからない。
「……」
ストゥルツの背後、丘の向こうに太陽が顔を出した。眩しくて見ていられなくなって、オーレリアは視線を彼から外す。
「王と名乗ることになったが、前も言ったように、ヴォーバリアの王は大陸諸国の王とはまったく違う。オーレリアが望んで俺のところに来たわけじゃないのはわかっているが、その代わりに地位と金銭だけは保証する――なんて約束もできないんだ、悪い」
虚飾も何もなく、自分の置かれている立場を冷静に認めて、それをオーレリアに率直に語り、まっすぐ謝ることのできる彼は、オーレリアにはやはり眩しい。
「謝る必要なんてない。地位も金銭も別に欲しくない。私こそ名ばかりの王女だと知っているでしょう。兄の思惑でここにやられただけで、国はもちろん民のために尽くす気なんて欠片もない人間なの」
「言い切ったな」
「ハイドランドが嫌いなのは確かだもの。全員滅べと思っているし、思うだけじゃなくていずれ自分でやる予定」
「真顔で言うなよ……」
顔を引きつらせるストゥルツこそ、変なところで素直だ。
「あなたこそそんな人間を后にしていいの? ここを守りたいなら、昨日の彼女を迎えてアスト王国と手を結ぶのも合理的な選択だと思うけれど」
「あの女がここに留まり続けているのは、アストがあの女を足掛かりにヴォーバリアを吸収する気だからだ。その点、ハイドランドのセルシウスは今自国の安定を最優先にしていて、他国に対する野心はない」
「でも、カザック王国が後ろ盾となった今、この先調子づいて、野心を持つ可能性もある。その場合、兄は確実に私を捨て駒にする」
言い切ったオーレリアに、ストゥルツは微妙に眉根を寄せた。
自分だって兄と殺し合ったくせに、と思いつつ、「私と兄は血こそ繋がっているけれど、お互い憎しみしかないの」と笑う。
「死ぬか、殺されるか――いずれの場合であっても、私が死んで、それをヴォーバリアのせいにすれば、ハイドランドはヴォーバリアに攻め込む口実を得る。私はここにいるだけであなたたちにとってのリスクになる」
「逆に言えば、オーレリアが生きている限り、ハイドランドはヴォーバリアを侵略する口実を得られない。大陸の人間は建前にこだわる」
「それはそうだけど……」
戸惑うオーレリアに、「きっかけは政略だが、それでもオーレリアが来てくれるなら、何が起きようが守る――そのつもりで迎えている」とストゥルツはアイスグリーンの目をまっすぐ向けてきた。
自国の貴族の子弟や騎士たちはもちろん、会ったことすらない他国の元首や太子に歯の浮くような言葉と共に「お守りいたします」と散々言われてきた。だが、彼の言葉はそのどれとも違って響いた。
「一方で、ヴォーバリア人は大陸の人間と違って建前はどうでもいい。合理的だと判断すれば、この先ハイドランドに攻め込むこともあり得る。その場合、王后がハイドランド出身というのは普通ならリスクだが、オーレリアはその実祖国に愛着も忠誠心もないときてる。政略結婚という意味でも、俺にとってオーレリアは理想的なんだ」
「……なるほど」
オーレリアは目を丸くした。愛国心のなさを褒められることがあるとは思っていなかった。
それから、思考を巡らせる。
ここでの暮らしはオーレリアにとって悪くなさそうだ。
ストゥルツがオーレリアと結婚した目的はヴォーバリア、もっと言えばこの村の安全だ。ハイドランドに思い入れがあってのことじゃない。
それならオーレリアがハイドランドへの復讐を実行する際も障害にはなりにくいし、それどころか助力を得られる可能性がある――。
「……わかった、あなたに協力する」
無知なオーレリアがうまくこなせるとは思えない。だが、惜しむ命でもない。やりたいことをやりたいようにやって、ダメなら死ぬ、それでいい。
一人納得して悦に入るオーレリアに、ストゥルツは奇妙な顔をした。
「なあ、その『協力』に、俺と一緒に暮らすことも含まれるのか」
「アストをけん制するにしても、ハイドランドと今揉めるのを避けるにしても夫婦の体面を保っておくべきでしょう? その必要がなくなったら、この家を出て愛人を作るなり、自由にしていいわよ」
「……しない」
ストゥルツは短くなった髪をかき上げ、ガシガシと乱す。
「そう? ……ねえ、あれ、ミーナじゃない? あの子、いないと思ったら、もう馴染んでる……」
昨晩はどこにいたのだろう。右下の放牧地で跳ねまわる羊を追いかけていた少女が、こちらに気づいた。元気よく腕を振る。横にはノイとガラファもいて、こっちを見た。
ノイが大口を開けて何かを叫んだ。
が、風と距離に加えて、横から響く「髪の意味、やっぱり知らないんだな」とかいうぼやきも手伝って、うまく聞き取れない。
「ノイ、聞こえないっ、もっと大きな声で言ってっ」
大きく息を吸ったせいか、冷たい空気に気管を刺激されて、むせた。
せき込みながら、新鮮な感覚に大笑いする。
ストゥルツが引いているのを見て、完全に変な人だ、私、とますます笑えば、涙が出てきた。
「私、こんな大声を出したことってないかも」
「……そうか。ここは人も少ない。好きなだけやればいい」
悠然と笑う彼の本性は、さっき「望んで王さまになったわけじゃない」と話していた通りなのだろう。
「行こう。冬の間、風が弱くなることは滅多にないんだ。降りて直接話すほうが早い」
「……」
ストゥルツに誘われて、一歩足を踏み出す。
足元は中々の斜面な上、岩肌と土で歪だ。風は凍えるように冷たいし、周りに生えているのも不愛想な枯れ草ばかり。
加えて知らない人々、どうやらまったく安定していないらしい立場。
でも……――行きたいと思うところに、自分の足で行ける。
「っ、待て、走るな。オーレリアの脚力じゃ転ぶ」
「じゃあ、その時は助けなさい」
「……それも『協力』の一環?」
「そう。となると、『助けなさい』は間違いね。正しくは……『助けて』?」
にっと笑って『お願い』すれば、呆れ顔をしていたストゥルツが眉を跳ね上げた後、「了解」と明るい笑い声を漏らした。
雲間から差し込んだ日の光を受け、彼の髪がまた炎のようにきらめいた。




