30.兄殺し
(さて、あとは何を着るか……)
気を取り直し、船室に運び込まれた持参品の小型ワードローブの前に立つ。
何も言わなくても勝手にドレスが用意されていた日々は、もう終わった。そのせいだろうか、以前ほどには着替えるのも苦痛ではない。それとも『敵がいる』せいだろうか。
そう考えると、あの文官が「見た目が武器」と言ったのは、『敵』を念頭に動くオーレリアの性質を見抜いてのことかもしれない。
(将来的にカザックの王太子を殺す。そのためには事前にあの文官を排除する必要がある……けど、ああいうタイプって面倒なのよね。へらへら笑って弱いふりをして、逆に弱点を晒さない……)
不穏な考えに浸りそうになったところで、オーレリアは自分の頬を叩いた。
カザックの前にハイドランドだ。そのためにまずはヴォーバリアを制さなくては。
ワードローブの扉を開け、そこにみっしり詰められた衣装を一着一着睨むように確認していく。
そのうちの、乳白色の生地に金剛石と金のレースがあしらわれたドレスを目にした瞬間、不快な記憶が呼び起こされた。これは母が『大国の王太子に嫁ぐオーレリアに相応しいもの』と言って作らせたものだ。
(馬鹿みたいに高価なはず……――道化そのもの)
このドレスも、その大国が望んだのは異母妹のソフィーナであってオーレリアではなかったという点も、オーレリア自身も。
皮肉に笑えば、背後からガラファがのぞき込んできた。オーレリアが手にしているものを見て、「それがあんたの好み? 思ったより地味なんだ」と呟く。
「私の好みは肌着一枚。なんなら着なくてもいい。地味か派手かも、価格も希少性も、作り手も贈り主も知った話じゃない」
肩をすくめ、「気にするのは目的だけ」と言いながら、ドレスを検分する。
「目的……」
「そう、例えば――最も相手の神経を逆撫でることができるものはどれか」
小鳥のようと称えられた声と共に微笑めば、絶句した後「だから兄貴の嫁について知りたがったのか」とガラファは呻いた。
笑いを深めた後、オーレリアは口元に軽く曲げた左の人差し指を当てる。考え込む時の癖だ。
隣国の元王女とは面識はないが、噂を聞いたことはある気がする。その人であれば、オーレリアより十近く年上のはずだ。
『幼くしてこのお美しさ。オーレリアさまの前では美姫と名高き隣国アストのシリン王女でさえ霞みましょう』
『いやですわ、シリンさまごとき、オーレリアさまに敵うはずございません。オーレリアさまの十分の一、いや百分の一でも美しければ、北海の蛮族にやられることなどないはず』
彼女だけじゃない。似た年頃の、西隣シャダのなんとか姫と比べられたことは数知れず、時には歴史上、時には空想上の誰それとずっと比べられてきたことを思い出して、オーレリアは鼻を鳴らす。
(会ったこともない相手と外見だけ比べられて、それで褒められたからって喜ぶはずないのに……というふうに考えるタイプじゃなさそうね、ストゥルツの兄嫁は)
オーレリアは手元のドレスを睨む。
ヴォーバリアの戦士とガラファから聞き出した情報によれば、彼女は大陸の生活様式を至上としている。ならば、このドレスであれば、おそらく彼女のコンプレックスを刺激し、挑発することができる。
「……」
オーレリアは今身に着けている、海獣の毛皮でできた外套に目を移した。最後の街でストゥルツが買ってよこしたものだ。所々に黒っぽい斑点のある、煤けた銀色をしていて、なんの装飾もない。
油分を含んでいて水をはじく性質で、冷たい北の海の波飛沫や湿った風を防ぐために、北海の船乗りたちが好んで身に着けるものだそうだ。
ストゥルツ曰く、オーレリアの白金の髪と合わせると、「こう言っちゃなんだが、積もった後、煤や跳ねた泥で汚れた雪山みたいだな……」というふうに見えるらしい。
失礼な、と思いながら鏡を見て、ぷっと吹き出した。ムカつくがあたっている。
(そういえば……文化が違うのよね)
作法などもだが、今朝方ヴォーバリアの若者が堂々かつあっけらかんと「長の座を狙うのはヴォーバリア人なら当然」と口にしたように、何を大事にするか、つまり価値観が大陸の人間とヴォーバリアの人間で異なっているのかもしれない。
昔、世界には自分たち、自分とはただ『違う』人がいる、そこに良いも悪いもない、と言った教師をまた思い出す。
メリーベルがオーレリアにつけてくれた彼女の発言を、一つ一つ思い返していく。
「……やっぱりこのままでいい」
「は? 本気? それ、うちらを含めた、この辺の奴らが普段着てるもんだよ?」
ドレスを戻し、ワードローブの扉を閉じたオーレリアに、なぜかガラファは慌てた。
「言っただろ、そいつは大陸から物も人も何もかも取り寄せて、御大層なお城を立ててもらって、母国と同じ暮らしを続けてるんだ。その箱の中にあるようなドレスもじゃらじゃらした飾りも山ほど持ってる。うちらを見るたびに、全身を眺めて顔をしかめて、まともに話しもしない。対抗するなら、あんたも……」
「ひょっとして、心配してくれているの?」
「っ、んなわけないだろっっ。あ、あっちのほうが気に入らないだけだ、ヴォーバリアを見下してるから」
目を丸くすれば、ガラファは顔を真っ赤にして「そ、それに、せっかくあの女のこと、教えてやったのに」とぶつぶつ呟く。
ちょっとかわいいかも、と思った瞬間、なぜか口元が緩んだ。
「それはちゃんと役に立っているから大丈夫。あなたの話を全部踏まえた上で決めたことだから」
「……私の話、信じるのか」
「嘘をついているならわかる。特にあなたみたいなタイプの場合」
「それ、微妙に貶してないか……?」
「褒めてる。うまく嘘がつけることは便利だけど、正しいことじゃない」
ガラファは眉間に皺を寄せ、「やっぱ変な奴」と言って、甲板に上がっていってしまった。
彼女に続いて梯子を上り、オーレリアは跳ね上げ扉を押し上げた。
途端に強い海風に晒され、まず髪が空へと舞い上がる。目で追えば、きらきら光る銀の髪の向こうに水かきをもった白い鳥、モーケと呼ばれる鳥が舞っているのが見えた。
そのさらに上空にいるのは、なんだろう、蝙蝠のような翼を持っている。そのうちの一匹が翼をたたみ、モーケに向けて急降下する。が、モーケのほうはけたたましい鳴き声と共にそれをひらりとよけ、船の進行方向へと加速していった。
彼らの姿を目で追いながら甲板の上に出れば、水平線に黒い島影が浮かんでいた。
(あれがストゥルツたちの故郷……)
もっとよく見ようと、邪魔をする髪をざっと後ろにやり、外套のフードを被った。
船尾のほうに目を向ければ、ストゥルツが先に甲板に上がったガラファと話していた。一緒にいるミーナが気づいてオーレリアを指さすなり、迷いなくこちらに向かって歩いてくる。
「大丈夫か」
「大丈夫じゃないかもという心当たりがあるの」
オーレリアに敵意を持っている可能性の高い人間の存在について黙っていた――冷たい目を向けたが、彼はどこ吹く風だ。
「船酔いはしないし、知らないところに行くのが怖いというタイプでもない。なら、体調をでも崩したのかと」
再度「何かあったのか」と顔をのぞき込まれて、思わず目を細める。
(嫌みに反応しないタイプ……には、逆にストレートに言ってその反応を見る)
演技で嫌みを無視しているのか、素でわからないのか、それでわかる。ハイドの城でも日常的に使っていたやり方だ。
(ソフィーナは素でわかっていないことが多かった。騎士団長のギャザレンなんかも。逆に兄やガードネルは演技でわからないふりしていた)
苦いような、懐かしいような複雑な感情が沸き上がった。
「あなたの兄嫁……」
そう口にした瞬間、ストゥルツの眉間が狭まった。
演技ではなさそうだが、さて、彼の不機嫌の原因はどこにあるのだろう。単純に兄嫁が嫌いなのか、隠していたことをオーレリアが知ってしまったからか、それとも……?
「彼女は私に敵意があると予想する?」
「……する」
あっさり肯定した後、ストゥルツは短く息を吐き出し、「先に話しておくべきだったが、どう言い出せばいいのか、わからなかった」とこれまた驚くぐらいストレートに認めた。
「あなたに執着していると聞いた」
「あれが何を考えているのか、実のところ俺にはよくわからない。この国に不満があるようだったから、兄貴が死ん……俺に殺されて母国に帰るかと思いきや、まったくだ。兄にそれほどの思入れがあるなら、復讐に出てくるかと警戒していたんだが、それもない」
ストゥルツは微妙に目を眇め、「あれの夫だった兄貴を含めて、ヴォーバリアの誰にも理解できない気がする」と口にした。
そのまま表情を消して、海の彼方へと視線をやる。
「……」
その横顔を無言で見つめた。ヴォーバリアの若い戦士が、彼の兄が海の藻屑と消えたと言っていたことを思い出す。
ストゥルツが兄を殺したというのが事実なら、仲が良かったという話もおそらく事実――不自然なまでに平坦な表情にそう悟った。そして、彼はそれが復讐されてもおかしくないような行為だと思っている。
(どんな気持ちで、『死んだ』ではなく、『俺に殺された』と言い直したんだろう)
想像しようと試みたが、オーレリアにはやはりわからない。
ただ、ぼんやりとだが、彼は兄嫁のことを話さなかったのではなく、話せなかったのではないかと感じた。
雲が頭上に差し掛かった。ストゥルツがその影に入る。それがオーレリアの上にも伸びてきて、途端に寒さが増した。
「……彼女に付きまとわれているというのは事実?」
「あー、まあ、そうだ」
オーレリアは「それさえわかれば、十分」と敢えて淡々と告げ、肩をすくめた。
改めて思考をまだ見ぬ女性へと移す。
自己の利益を重視して、他者を蔑ろにする者は、その傲慢さゆえにつけ入る隙ができる。ヴォーバリアを掌握し、ハイドランドを追い詰めるために、彼女は多分利用できる。
獲物を見つけた気分で、オーレリアは口元に人差し指の背を当てた。
「何かあれば、言ってくれれば、必ず力にな――」
「あら、助けてくださるの? 理解不能な人相手から?」
「……」
揶揄を交えて返せば、ストゥルツは情けない顔を見せた。
さっきまでの無表情が消えたことに、ほっとした自分に驚く。眉尻を下げた間抜けな顔を知らず凝視するうちに、吐息と笑いが零れた。
「からかったの。そういう相手とやり合うのは得意だから平気」
くすくすと笑う声が、船が波を割って進む音に紛れていく。
「とはいえ、力づくでこられたら、どうにもならないでしょうから、その時は手を貸し、て……」
(って、これ、『お願い』だわ)
気負いも躊躇もなく彼を頼ることができた自分に、さらに動揺する。
ストゥルツがそんなオーレリアを見て意外そうな顔をしたことにも気づいてしまって、オーレリアは慌ててすまし顔を作り直した。
ストゥルツと言い、ガラファと言い、ヴォーバリア人はなんだかやりにくい。




