26.桟橋
「……ぼさぼさ髪の獅子の魔物」
「は?」
「花冠の作り方を教えてくれた……あなただったの」
海に突き出た桟橋の上でまじまじとストゥルツを見つめれば、
「ようやく思い出した……って言っていいのか、これ。しかもぼさぼさって、魔物って、相変わらず散々な言いようだ」
とジト目を向けてくる。
それから、破顔し、からからと笑い声を立てた。それが寒風に乗り、晴れた空を移す海へと散っていく。
(ああ、本当にあの子だ……)
こうやって遠慮なくオーレリアに半眼を向けてきていた。媚びもへつらいも何もなく、ただ面白いから笑ったとわかる笑い方をしていた。
(ああ、そうか、あの時メリーベルさまと交渉していたのは北海の異民族。ヴォーバリアだったんだ。ストゥルツはそこの息子……)
知ってしまえば、何も不思議なことはなかった。目から鱗が落ちる。
潮風にストゥルツの赤い髪が靡いて、キラキラと輝く。
「でも髪の色が違う。あの時は金色というか、茶色というか……染めてた?」
「羊の毛じゃあるまいし、人の髪が染まるか。赤茶けた金色の髪が、成長するにつれて、赤くなるか茶色くなるかする――俺の母方の血筋じゃ珍しい話じゃないらしい」
ソフィーナについていたカザック人の護衛が髪を茶色く染めていたという話を思い出して訊けば、彼は肩をすくめた。
「なぜ言わなかったの」
「そっちは完全に忘れているようだったし、こっちだけ覚えてるってのも、格好がつかない。それ以前に、名前、嘘吐かれてたし」
睨むオーレリアにも彼は動じず、それどころかやり返してきた。美人の睥睨は怖いと、カザックの王太子補佐官が言っていたのは、やはり噓だったようだ。
ストゥルツは桟橋から海に投げ出していた足を引き上げ、ヴォーバリア人が床で座る際の作法そのままに足を組んだ。
今は短くなった赤髪が海を渡ってきた風にまた揺れる。癖毛は変わっていないが、櫛で整えるようにはなったのかもしれない。
「ずっとおかしいとは思っていたんだ。ハイドランドでの預けられ先がメリーベルの実家だったから、娘の『ソフィーナ殿下』の噂も当然色々聞こえてきた。優秀でお優しい、非の打ち所のない王女だってふうに」
唇の右側を釣り上げて、からかいと意地悪半々に、「離宮で出会った子とまったく印象が被らない。あれから心を入れ替えたのかと思っていたが、そもそも別人だったと知ったら、合点がいった。そういえば、花冠をくれたのは妹、しかも、その子は優秀で性格がいいとか言ってたっけって」と当て擦られて、オーレリアは顔をしかめた。
「悪かったわね、ソフィーナじゃなくて」
彼が最初はソフィーナとの婚約を望んでいたという話を思い出して吐き捨てたが、ぶすくれるオーレリアを彼は無視した。
「まあ、確かにあっちの王女殿下なら、こんな綱渡りみたいな結婚も危なげなくこなしていただろうな」
「……」
オーレリアもそう思う。だが、それはそれでムカつく。
「実際、面倒事の巣窟みたいなカザックでもうまくやっているようだったし」
「っ、カザックに行ったのっ?」
「ああ、つい半年ほど前に……知らなかったのか?」
「……不思議? 兄を始めとして、ハイドランドの人間は私を内乱の親玉だと信じているの。彼らの愛するソフィーナの情報を漏らすわけないわ」
鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
ストゥルツは微妙に目をみはったものの、それだけだった。他の人はこういう時、オーレリアの機嫌を取ろうと、あれこれ話し始めるのに。
二人の間に広がる沈黙に、海鳥の鳴き声が入り込んでくる。
「……ソ……カザックのこと、話さないの?」
「聞きたいなら話すが、聞きたいのか」
「……」
ストレートに問われて、言葉に詰まった。
正直に言えば、ソフィーナだ。彼女がどうしているのか、聞きたい。が、訊くのは気にしていると認めるみたいで嫌だ。
嫌だけど、これまた正直に認めれば、オーレリアはソフィーナを気にしている。だが、気にしている理由はよくわからない。
オーレリアはソフィーナが嫌いだ。彼女はオーレリアが欲しいと思うものをすべて持っていた。眩しくて、一緒にいると自分の馬鹿さ加減や空っぽさを思い知らされる。
オーレリアと同じか、それ以上に胡散臭いカザックの王太子と一緒になって、彼女が幸せになれるはずはないし、ざまあみろと思っている。
でも、幸せじゃないと聞くのもなんだかムカつく。あんなオーレリアそっくりなあくどい男に、ソフィーナみたいな善人はもったいない。
「……」
左の口角を上げつつ、左の眉尻を下げて、顔の片側だけを複雑に歪めたオーレリアに、ストゥルツはふっと笑った。
「なるほど、妹大好きなことには変わりないわけだ」
「はあ? そんなわけないでしょう、私は今も昔もあの子のことが大っ嫌いで……」
そこまで言って、オーレリアは口を噤んだ。
ストゥルツのせいで思い出してしまった。ソフィーナと疎遠になったきっかけは、この彼と出会って離宮に戻った直後に起きた出来事だ。
あの日、オーレリアの不在を聞いたソフィーナは、オーレリアは昨日一緒に行った花畑にいるかもしれないと言い、探しに行こうとしていたらしい。
それを聞きつけた父は、ソフィーナがオーレリアを唆したに違いないと決めつけて激昂し、彼女を手ひどく殴ったという。オーレリアを妬むあまりに罠に陥れたのだろうと、根拠もなく罵倒していたそうだ。
当時王后メリーベルと兄は、ヴォーバリアの氏族長と話していて不在。父を止められる者は誰もおらず、ソフィーナは頭を強く打って気を失い、目覚めた時には数日間の記憶が曖昧になっていた。
花冠を持ってこっそりお見舞いに行ったけれど、ソフィーナはオーレリアと花畑で一緒に遊んだことも、花冠のやりとりも何も覚えておらず、それどころかオーレリアを見て怯えた。それを目の当たりにした彼女の乳妹にすさまじい顔で睨まれ、慇懃に部屋から追い出された。
それからだ、あの子がそれまでのようにオーレリアと話してくれなくなったのは。
当然だった。オーレリアのせいで散々な目に遭わされた上に、冴えない容姿のソフィーナは美しいオーレリアを羨んで害そうとしていると、父や母がこぞって言い広めたから。
もちろん良識と心ある人たちは、そんな根も葉もない流言を信じなかった。そして、彼らもまた父たち、そしてオーレリアから離れていく。
オーレリアの周囲に残ったのは、父や母同様、オーレリアを見栄えがいいだけの、何もできない人形のように扱う人間だけ。
だから、厳しくも優しい人たちに囲まれて、苦労しつつも成長していくソフィーナを憎んだ。置いていかないでほしくて、足を引っ張り、コンプレックスを刺激して自信を奪った。
なのに、そうすればするほど、彼女はオーレリアから遠ざかっていき、オーレリアはますます自分が嫌いになった。
「……あの子は嫌い。あの子も私が嫌い」
確かめるように呟く。
さっきまで晴れていた空に、沖から流れてきた黒い雲が進出してきた。上空の真っ白な雲との対比がなぜか悲しい。
「泣きそうな顔で言うセリフじゃない」
「あの子がいいって言う人たち、あなたも嫌い」
「? 言っていないが」
「言った。あの子ならこの結婚もうまくやれるって」
「それは言った。だが、彼女がいいとは言っていない」
それのどこがどう違うと言うのか。イラっとして、眉を逆立てる。
「兄から聞かされています、あなたも最初はソフィーナに結婚を申し込んだって」
「……は?」
唖然とするストゥルツに、とぼける気か、と思ったら、ますます腹が立った。そのオーレリアにストゥルツがため息をつく。
「お前、人の話、最後まで聞かないタイプだろう……」
「聞く価値があることなんてほとんどないもの」
「賛同しない」
じろりとオーレリアを一瞥した後、ストゥルツは「俺はあの日出会った『ソフィーナ』、つまりオーレリアに申し込んだんだ。その後セルシウスに勘違いを指摘されて、ちゃんと申し込み直したぞ」とジト目を向けてきた。
「……は?」
今度はオーレリアが呆気にとられる番だった。
(私、の素を知ってるのに、私を選んだ……? 私、確かあの時、好き勝手に振る舞っていたと思うんだけど……何も知らない、できないのも見ていたはずだし、失礼なことを考えなしに言ったし、挨拶もできないとか言われたし)
呆然と横に並ぶストゥルツを見つめれば、まっすぐ見返される。
体の奥底で得体の知れない何かが首をもたげた。それはじわじわと広がっていき、最後に顔に届いた。頬が熱くなっていく。
「なんで私」
悪趣味にもほどがある、正気の沙汰じゃない――居心地が悪くて、思いっきり眉をしかめた。
「結婚の話が出た時に真っ先に思い浮かんだのがあの子だった。そうしたら、彼女――オーレリア以外考えられなくなった。こうして再会して正解だったと思った」
青みがかった緑色の目に射抜かれて、息が止まった。見つめ合ううちに、心臓の音が騒がしくなり、さっきまで聞こえてきていた潮騒が遠のいていく。
「完璧な王女さまより、自分を馬鹿と言いながら、だからこそ努力する気概がある。何かやられたら、考えるより落ち込むより先にとりあえずやり返してくる跳ねっ返り――この先一緒にいるならそういう人がいい」
(……ん? キガイ? とハネッカエリ……)
真面目そのもののストゥルツを前に、頭が真っ白になった。
歯が浮くようなセリフをうんざりするほど浴びせられてきたせいだろう、何を言われたか、咄嗟に理解できない。
じわじわと彼の言葉の意味が脳に浸透してきて、オーレリアは顔を引きつらせた。
「……そう、ね。私が馬鹿なのは、どうしようもなく確かみたい……」
別の意味で赤くなりつつ、ストゥルツを睨む。
眉を跳ね上げた彼へと腕を伸ばし、怒りのまま彼の赤髪をぐしゃぐしゃにかき乱す。
「……怒るところ、あったか」
「怒ってません!」
「いや、どう見ても怒って――」
「ない!!」
彼は気に入らない。だから、彼も彼の国もいずれ滅ぼす、その予定に変わりはない。
でも、彼はオーレリアがこんな人間と知っていながら、わざわざ選ぶような馬鹿だ。なら、手を下すまでもなく、勝手にいずれ自滅する――それまで放っておくことにする。




