25.できないことがあるなら
すぐ後ろから、くくっという笑い声が響いた。
「あ」
男の子の存在を思い出して、慌ててすまし顔を作り、横目で彼の様子をうかがう。
その瞬間、モジャモジャの髪の間にのぞく瞳に陽光が当たった。青とも緑ともつかない、澄んだ色に魅入られる。
「ほらな、俺の言った通りにしたらうまくいっただろ?」
「……輪っかにするところは教わってないもの。私が自分で考えて、自分で工夫したの」
「うまくできて喜んでたくせに、とことんかわいくねえ」
「は?」
(か、わいくない、って、わ、私……?)
唇を微妙に尖らせ、ふんっと鼻を鳴らした彼に、呆気に取られた。
「そういう時は礼を言うんだ。お前、さっきも謝れなかったし、さては挨拶できない奴だろう」
「わ、私にはそんなの必要ないもの」
「……なんで」
「な、なんでって、私には必要ないってお父さまが……」
「なんで」
「なんでって、なんでって…………なんでだろ」
なんとか虚勢を張っていたオーレリアだったが、ついに眉尻と口角を下げた。
そういえば、ソフィーナは誰にでも「ありがとう」を言う。行きの馬車で御者にお礼を言っているのも見た。「必要ないのに」と言ったら、あの子も不思議そうな顔をしていた……。
「ひょっとして必要なのかしら……」
「必要だろ。相手が誰だろうと、どんな状況だろうと、ありがとうとごめんなさいが言える人間でいなさいって、お前、教わらなかったのかよ」
「あ、挨拶は大事と言われたことはあるけど……」
「えらい奴にしかしない?」
「そういうつもりじゃ……」
(でも、確かに人も場面も選んでしまっていたかも)
オーレリアは唇を噛みしめる。
まただ、またできないことが見つかった……――。
そのまま俯けば、男の子が息を吐き出した。まるで兄がするかのように「本当にどうしようもない」とでも言いたげに。ぎゅっと身を縮める。
「まあ、よかったじゃん。今俺に教えてもらえて」
「……え?」
「できないことがあるなら、できるようになっていけばいいだけだろ」
「……」
瞬きを繰り返してひたすらその子を見つめれば、彼は先ほど作った花の縄を、同じように輪っかにした。
そして、にぱっと笑い、オーレリアの首にかけた。
「やる。似合う」
「え、ええ、と……」
「礼は?」
「あ……」
(私、昨日もだ。ソフィーナにも冠のお礼を言ってない)
不意にそう気付いた。昨日だけじゃない。同じ馬車に乗せてもらったり、色々教えてくれたり、外に連れ出してくれたりしたのに、一度も。
嫌われるかもしれない、と思いついて蒼褪めた。実際ソフィーナの乳妹はオーレリアを睨んでいた……。
「ねえ、お礼って、遅れても大丈夫なもの……? 昨日、妹にこの花でできた冠をもらったの。でもお礼も言ってないし、私のと交換したいって言われたのに、私の作ったのはあんまりにも下手で、カッコ悪くて断っちゃった。すごく感じ悪かったと思う……」
「お礼もごめんなさいも、遅れたってしないよりはましだ。許してくれるかどうかは、相手次第だけどな。嫌な奴ならダメかもしれな――」
「嫌な奴なんかじゃないっ。中々遊べないけど、優しいし、私と違ってめちゃくちゃ頭がいいし、色んなことを知っていて、できて、なのに私のこと馬鹿にしないし、すっごくかわいいんだからっ」
ムキになったオーレリアを目を丸くして見ていた男の子は、ぷっと吹き出し、「面白い奴だなあ」とからからと笑った。
(お、面白い? 私が?)
冗談を言った覚えも道化師のような振る舞いをした覚えもない。かといって、彼に馬鹿にしている感じはなく、むしろ好意的な感じがした。綺麗な瞳を包む目元は、柔らかく緩んでいる。
「なら、なおのこと妹とうまく仲直りしろよ」
「……うん」
その彼に諭されて一応頷いたものの、不安は消えない。
「この冠をお返しにしようと思っていたのだけれど、これじゃ許してもらえないかも……」
「なんでだよ。お前も妹から冠もらって嬉しかったんだろ」
「そうだけど……。どこかのなんとかという人が作ったとか、ものすごく珍しいとか、そういう高価? な物のほうがよくないかしら。あの子、私の部屋に来た時、『きらきらしてる』って興味津々だったし……」
「高価って……あのなあ、金って難しいもんなんだぞ」
男の子は呆れたように片眉を下げた。
「まったくなきゃ幸せになれないけど、あったからって幸せを保証してくれるもんでもない。なきゃないで争いになるけど、あったらあったでもっと欲しくなって、そのために争う……ってノイがいつも言ってる」
「……意味がわからない」
私が馬鹿なせいだろうかと泣きたくなったけれど、男の子も「俺もよくわかんねえ」と真顔で頷いたせいで、涙が引っ込んだ。
「でも、金より大事なものがあるってことなのかなって。お前、それ、一生懸命作ってたじゃん。妹、いい奴なんだろ? わかってくれるさ」
「……うん」
ぼさぼさの髪の間から見える薄い青緑色の目が、すごく優しいことに気づいて、オーレリアはドレスのスカートをぎゅっと握りしめる。
相手は今日初めて出会った、変な髪のちょっと無礼な子だ。この妙な子相手にちゃんとお礼が言えたら、ソフィーナにもお礼と、それからごめんなさいが言える気がする。
「あのっ、冠の作り方も、挨拶のことも、教えてくれて……その、あ、ありが――」
「オーレリア殿下、オーレリア殿下でいらっしゃいますかっ」
「っ」
遠くから名を呼ばれて、オーレリアはびくりと体を震わせた。
顔を強張らせつつ振り返れば、この離宮の使用人と思しき者たちがこっちへと駆けてくる。
「……殿下?」
背後から男の子の呟きが聞こえて、顔から血の気を失った。自分の正体を知ったら、この子はさっきまでのようには話してくれなくなる。
無礼なところが気に入った訳じゃないけれど、この子はオーレリアの機嫌をうかがわず、自分の思うことをそのまま話してくれた。そう、ソフィーナのように。
「急いでお戻りください。オーレリアさまがいらっしゃらないとお気づきになって、陛下が……」
「……」
オーレリアは顔を大きく歪めた。
まただ、あの人は自分が気に入らないことや対処できないことが起きると、ぎゃあぎゃあ騒ぎ、物や人に当たる――。
嫌気を露わにして動こうとしないオーレリアに、使用人の一人が怪訝な顔をした。先頭にいる女性に近づき、耳打ちする声が漏れ聞こえる。
「おい、人違いじゃないか。オーレリア殿下って、気位の高い贅沢姫って噂だろ? 綺麗で妖精のようだって。顔立ちはともかく、この子が着ているのは普通の物だし、髪だってボロボロだし……」
「――じゃ、違うんじゃね? こいつの顔も手も泥と草の汁だらけじゃん」
オーレリア同様、彼らのヒソヒソ話を聞いていたらしい。ぼさぼさ髪の男の子が肩をすくめた。
「そう言うお前は誰だ」
「こいつの友達。今ここでなった」
「え」
目をまん丸くして振り返れば、男の子は「汚れるのも気にしないで、へったくそな草遊びに夢中になるお姫さまってどんなんだよ。さっきは地面に寝転がってたぞ」とけらけらと笑っている。
「でも、この離宮にこれぐらいの年の女の子は他に……」
戸惑う女性の袖を、別の女性が引いた。
「ほら、ソフィーナ姫じゃないかしら。粗末な格好であちこちに出歩いて、木にも登って、誰とでも話している、およそ姫らしくないって聞いたわ」
(こそこそ話すなら、聞こえないようにやればいいのに)
散々なことを言った挙げ句、ソフィーナの悪口まで――内心のまま眉を吊り上げ、頬を膨らませたオーレリアに、「ほら、妖精姫はあんな不細工な顔をしないでしょ」とまたひそひそ話している。
(不細工で悪かったわね。そうよ、本当の私は救いようがないくらい醜いの。いつも笑っているのは、それがばれないようにするため――悪い?)
「お前、ソフィーナって言うのか。ハイドランド王の娘?」
「っ」
男の子に訊ねられて、オーレリアは息を止めた。咄嗟に頷いてしまう。
オーレリアだとばれれば、連れ戻される。何より自分が気位の高いだけの馬鹿なオーレリア姫だと、彼にはばれたくなかった。
「大変な失礼をいたしました」
「ソフィーナさまにおかれましても、どうかお早いお戻りを」
使用人たちは好き勝手に言って、勝手に納得したらしい。勘違いをしたまま、オーレリアの前から去っていった。
「君もさっさと帰ったほうがいい」
「ここにいたら、いらぬ不興を買ってしまうかもしれないわよ」
男の子に心配の視線を残して。
(……戻らなきゃ)
そうだ、ここにいて誰かに見つかれば、この子にも迷惑がかかる。そう思って、オーレリアは彼を振り返った。
「あ、ありがとう、さっきのもだけど、今のも……」
だが、その時に彼は既に消えていた。
(王女だと知って引いた? でもソフィーナって名乗ったし、多分大丈夫……)
そもそもそんなの気にしそうな子に見えなかった、
(となると、あの子こそ妖精だったのかも。でも、髪がモジャモジャで顔が半分見えない妖精っていたかしら。となると……魔物?)
「魔物とも友達になれる……」
早足で離宮に戻りながら、オーレリアのことを「友達」と言った彼を思い出し、くすっと笑った。
手には昨日と違って綺麗な花冠がある。昨日ソフィ-ナがくれたものと同じくらいちゃんとしている。
後でソフィーナにあげに行こう、それで昨日言いそびれたお礼をちゃんと言おうと決めていたのに、結局、それは叶わなかった。




