24.ぼさぼさ頭の獅子の魔物
翌日、オーレリアは人払いするなり、侍女のドレスを勝手に拝借した。昨日に引き続いて窓から部屋を抜け出す。
ほつれまくっているけれど、長い髪は自分で結べたし、手の届いていないボタンもあるけど、ドレスも一応自分一人で着られた。
危うく足を滑らせるところだったけれど、助けがなくても木を伝い、地面に降りることもできた。
だが、やれば私だってできると悦に入っていられたのは、そこまでだった。
(……全然うまくいかない)
昨日教えてもらった青い花畑に蹲って、花冠を作っていたオーレリアは、昨日より少しマシなだけのそれを眺めて、深々とため息をついた。
「昨日夢の中ではうまくいったのに。今日こそちゃんと作れると思ったのに……」
吐息と一緒に愚痴が零れる。
上手にできたら、ソフィーナに見せて、あなただけじゃない、私だってちゃんとできると言うつもりだった。それで、ソフィーナがまた欲しがってくれるようなら、あげよう、と……。
そうしたら、あの子はまたあんなふうに笑ってくれるかもしれない、兄だけじゃなくて、オーレリアだって、もっと彼女やメリーベルさまと一緒に色んなことができるようになるかもれない、そう思っていたのに。
「あんな不細工な冠を欲しがるなんて、あの子、頭いいのに変わってる……自分で作ったもののほうがよっぽど綺麗だったのに」
昨日ソフィーナがくれた花冠は、乳母に見つかって、「こんなみすぼらしいものでなくても、本物のティアラがいくらでもおありでしょう」と捨てられそうになった。
怒って取り返して、誰にも見つからないように、寝室の天蓋に吊り下げて乾燥させている。
冬の時期、メリーベルさまのお部屋には、そうして作ったドライフラワーが飾られていたから、真似をしてみたのだ。
母は「枯れた女にお似合い」と嘲笑っていたけれど、母や自分に届けられる派手派手しい花束と違って優しい色と香りがして、こっそり憧れていた。何かを大事にする感覚も素敵だと思った。
(ちゃんとドライフラワーになるかしら……)
ソフィーナからもらった冠で失敗するのは、絶対に、絶対に嫌だ。なんせ替えがないのだ。
「私のほうの冠作りは何度でもできるけど……」
自棄になって、傷んだ花の輪を腕にかけてくるくると回せば、青臭い匂いを残して、空に飛んでいった。
「ちょっと休憩」
思いついて、オーレリアは地面に寝転がることにした。
もちろんやったことはないし、誰かがいたら叫んで止めにかかってくるだろう。そう気づいたら、どきどきしてくる。
恐る恐る、青い絨毯の中に身を横たえた。
視界を縁取るのは青い花と緑の葉と茎、真ん中に広がるのは、今日になって初めてのぞいた青空だ。ハイドの城から見る空と違ってどこまでも広く、所々に浮かぶ雲も自由を喜んでいるように見える。
「……」
目を閉じれば、草いきれと花の香りが強まった。土の匂いもする。背に触れる大地はこんなにも温かい。
ここに来てからずっと聞こえている海の波音。最初は慣れなくてイライラしていたのに、今は懐かしいものに聞こえる。
閉じた瞼越しに感じる日の光は温かく、少し離れた場所でミツバチの翅音がしている。
なんて、なんて特別な時間なのだろう……? なぜか涙腺が緩んできた。
「……」
かさっと草を踏み分ける音がした。こっちに近づいてくる。
せっかくの一人、せっかくの自由、二度と経験できないだろう大事な、大事な時間――邪魔する者の気配に、頭に血が上った。閉じた瞼の裏が赤く染まる。
足音がすぐそばで止まった。その瞬間、かっと目を見開いた。
「驚いた、妖精が行き倒れているのかと思った」
――青。いえ、緑? あと、金……。
開いた眼に映ったのは青みがかった緑色の瞳だった。茶色とも金色ともつかない髪が先ほどまで見えていた青空を覆いつくし、上から陽光を受けてきらきらと輝いている。
知らない子だ、と息を止めつつ、オーレリアはむくりと身を起こした。
ぶつからないよう、頭を引っ込めたその人をまじまじと見つめれば、向こうも同じように見つめてくる。
同じぐらいの年だろうか。日に焼けた肌をしている。彼の目にも態度にも、オーレリアへの妙な崇拝や蔑み、媚びはない。ようやく息を吐き出した。
「そう言うあなたは獅子の魔物かしら」
「は? シシ? の魔物?」
「獅子は、顔の周りにぼさぼさの毛が生えている四つ足の猛獣で、実際に南の国にいるらしいわ。地獄の門番をしている魔物は、それにそっくりな顔をしているのですって」
「魔物はともかく、ぼさぼさの髪って……ひでぇ、気にしてるのに」
頭に手をやって、情けなさそうに眉尻を下げる。魔物呼ばわりよりぼさぼさ髪がほうが問題なのかという点も気になるけれど、一番は言葉だった。
「何を言っているかわかりにくいのだけれど」
「俺からするとお前のがわかりにくい」
「……私は間違ってない」
「俺も間違ってねえ」
「では、あな……お前は下民?」
物や道理がわからない人間として、父母や周囲の貴族たちが言う言葉をそのまま口にした。そうだ、『オマエ』とは確か城の下働きの者たちがよく使う二人称だ、推測は正しいに違いない、と確信する。
「ゲミン?」
「そんなことも知らないの。下民は取るに足らない者、愚かな者という意味よ。言葉が通じないのはその最たるものでしょう」
「なんだよ、それ。お前こそ馬鹿だろ。俺は北――あの海に住んでるんだ。住む場所が違えば言葉も違う。そんなことも知らないのか」
教えてやるつもりでいたオーレリアを、男の子は北の方角を指さして軽くあしらった。しかも馬鹿呼ばわり。
「ぶ、無礼にもほどが――」
「お前もまったく同じこと言ったじゃないか」
「っ」
確かにそうだ。顔を赤らめる。
同時に気づいた――下民はいい言葉じゃない。人を蔑む言葉だ。自分たちは“上”、そうでない者は“下”で、どうでもいい存在と言っているのだ。
(ううん、それだけじゃない、「私を見れば、『下民』どもは良からぬ妄想を抱く」とか言って、悪いことをしないはずがないと決めつけていた……)
兄が父母にどうしようもないものを見る目を向ける理由が、今わかった気がした。仕事をしないからとか、メリーベルさまやソフィーナを悪く言うからとか、そんな理由だけじゃない。
そして、考えも疑いもせず父や母が発するそんな言葉を使い、人を下に見た自分こそ、この子の言うとおり大馬鹿だ――。
「……」
泣きそうになって、オーレリアは男の子から顔を背け、歩き出した。
「どこ行くんだよ」
「どこでもいいでしょう」
男の子がついてくる気配がして走り出すが、地面のちょっとした凹凸に足を取られて、すぐに転んだ。格好悪いったらない。
頭から花畑に突っ伏したせいで、体の下敷きになった花から立ち上る香りが一段と濃くなる。
「なんかふらふらしてないか? もし具合が悪いなら、」
「走り慣れてないだけ! 散歩も自由にさせてもらえないから! いいからちょっと黙ってて!」
腹這いのまま八つ当たり気味に叫ぶと、目の前の青い花に手を伸ばした。
乱暴に摘み取って身を起こし、撚り合わせていく。
沈黙が戻った。
遠い潮騒と頭上の木立を飛び交う小鳥のさえずりの合間に、オーレリアが花を摘むプツッ、プツッという音が響く。
恥ずかしさと怒りの高揚は、静かな環境で花をいじるうちに急速に鎮まっていった。
それはそれで落ち着かなくなってしまって、オーレリアは男の子の様子を横目でうかがう。
(さっきまで頼んでもいないのにあれこれ話しかけてきたくせに。……黙れと言ったせい……?)
無言でいるのに、男の子にオーレリアの機嫌を取るようなそぶりはない。
ムカつくと同時に、それほど失礼で非常識なことをしたのだと突きつけられて、余計嫌になる。
(嫌ならとっとと立ち去ってくれたらいいのに……こういう時、ソフィーナならきっとうまくやるのに……)
イライラしているからか、さっきよりうまくできない。
「へったくそだなあ」
「っ、だから無礼よっ」
「あー、確かに今のは俺が悪いや。ごめん」
あっさり謝られてびっくりした。
(そう、か、謝ればいいんだわ……)
今まで謝られることはあっても謝ったことはなかった、とそれで気づく。
呆然とするオーレリアの目の前で、茶金のモジャモジャ頭の男の子はひょいっと手を伸ばして青い花を摘み、茎をそろえ、花びらを丁寧に避けて、するすると束ねていく。
「……やったこと、あるの? すごく上手」
「ない。やり方はお前がやるのを見て覚えた。網を繕うよりは簡単だな」
「あみ……」
「魚を捕る網……ええと、麻縄を編んで、ハンノキの樹皮で染めたやつだ。見たことないのか」
「ば、馬鹿にしないでくれる? 見たことぐらいあるわよ。その……え、絵本で、だけど」
「えほん? なんだ、それ」
「見たことないの? 絵がたくさん描かれたお話の本よ」
「ないなあ。そもそも本自体、滅多に見ねえもん」
オーレリアと違って、知らないことを知らないとあっさり言い、その子は「お前、いいとこの子なんだな」と屈託なく笑う。
それから、ふと悲しそうな顔をし、「俺も網を繕ったり漁をしたりする以上のことができるようになりたいんだけど」と呟いた。
(網を繕う、漁……以上のこと? 絵本? を読むこと??)
その間も彼は手を止めない。見る間に青い花の縄は伸びていって、あっという間に腰の長さを越した。
どこか遠いところを見るようだった彼の青緑の目が、目を白黒させるオーレリアに向いた。
そして、にかっと笑い、花の縄を掲げて胸を張る。
「……嫌な感じ」
「……なんでだよ」
ぶすくれるオーレリアに、彼も同じ顔をする。オーレリアがそんな顔をすることはあっても、人がするのを見たことはない。なんて生意気な子だろう。
だが、生意気はそれだけではなかった。
「ほら、これ、茎の端から花の下に差し込むようにするんだよ。そしたら花弁がつぶれないだろ」
「だから嫌な感じ!」
初めてのくせにオーレリアよりうまく作れるのも、したり顔で教えてくるのも腹が立った。
だが、不承不承真似てみたら、花は先ほどまでが嘘のように綺麗に縄になっていく。
「……できた!」
初めて自分の力で、自分が納得できるものを作ることができた。オーレリアは顔を輝かせた。
これならソフィーナに見せられる。昨日のお返しもできる。




