22.面従腹背
十年ほど前、オーレリアは生まれて初めてハイド城の外に出る機会を得た。
どこかの国の人との会談で、北の海に面したなんとかという離宮に行くことになりそうだと父が言い出したのが、その二月ほど前。ハイドランドの国王である父とその妾妃である母、兄のセルシウスとともに晩餐を囲んでいる時のことだった。
「まったく、蛮族風情のためになぜこの私があんな田舎に出向かねばならんのか」
「本当に。陛下を煩わせないことだけが、メリーベルさまの存在意義でしょうに」
倦怠と嫌悪を顔に乗せてぼやいた父に、母がいつものようにメリーベルさま――父のお后さまへの嘲笑を露わに応じた。
オーレリアはこの二人がメリーベルを悪く言うのを聞くのが、本当に嫌いだった。
「……」
目の前に座る兄に目を向ければ、オーレリアの予想通り、大分年上の彼は苦々しい顔をしていた。
兄のことも好きではないけれど、この感覚だけは同じなようでほっとする。
「父上、ヴォーバリア人はこれまで同族間の抗争に明け暮れ、互いにつぶし合ってきましたが、シャールゴール氏族の長ヘルギの登場で変化しつつあります。海事にも戦闘にも長けた彼らは、早晩得意としている海賊行為の範疇を越えて、他国への侵略に乗り出すでしょう。メリーベル陛下はそうなる前に手を打とうと、」
「差し出がましいぞ、セルシウス」
父がこめかみに青筋を立てたのを見て、オーレリアは身をすくめる。
「陛下、どうかお許しくださいな。メリーベルさまに色々吹き込まれているだけのこと。セルシウス、口の利き方には気をつけなさい。賢しらなあの女に影響されてもいいことなど何もな――」
「メリーベル王后陛下とお呼びすべきです」
兄は表情一つ変えずにそう言い、フォークに挿した肉を優雅に口に運んだ。
(……お兄さまもお上手だわ)
彼の仕草と目の前の皿、それから自分の皿を見て、オーレリアは顔を曇らせる。
一昨日昼食を共にした異母妹のソフィーナも、美しい作法で食事をこなしていた。音も立てず、皿も汚さず……。
それでも彼女はメリーベルさまから何度か指摘を受けていた。
もっとひどいオーレリアにも当然のようにメリーベルさまは声をかけてくださったけれど、父が「オーレリアは存在自体が美しいのだ。お前たちのように神経質になる必要はない」と鼻であしらい、結局教えていただくことができなかった。
「まあ、母に向かってそのような口を利くなんて……」
「セルシウス、メリーベルなんぞに傾倒しているわけではあるまいな? あの外見を見ればわかろう。あれは王族を名乗っていい者ではない。我らのような者のために働かせる以外の価値がない存在なのだ」
「……」
兄の手が一瞬止まった。父たちのセリフが聞こえなかったかのように、兄は背後に控える給仕に目配せを送り、飲み物の追加を受ける。
「私、海を見てみたいです」
オーレリアは無邪気な笑顔で、明るく朗らかに父に話しかけた。
兄に向けて渋面を作っていた父は、そのオーレリアへと向き直り、相好を崩した。――いつ見ても気持ち悪い。
「おお、そうか。だが、私も行くと決めたわけではない。オーレリアが行くなら、北ではなく南、アルマナックかオーセリンにでも……」
「父上、」
「私、このお城から出たことがないのよ? いつになるかわからない南の海より、すぐに行ける方がいいわ。ねえ、お父さま、お願い」
面倒そうな父と、静かに怒りを募らせる兄に気付かないふりをして、オーレリアは上目遣いに父を見上げた。
「だが、お前のように美しい姫は、下賤の民には目の毒だ。良からぬ心を刺激することになる。周到に準備せねば」
「そうよ、オーレリア、お話にもあったでしょう。妖精の女王がその姿を見られたがために、死の国に攫われてしまうって」
まただ、そう言ってこの人たちは、オーレリアを一切外に出してくれない。
(お兄さまやソフィーナはメリーベルさまと一緒に色々な所に行っているのに……)
将来国を背負うと皆に期待されている二人への羨望が、また湧き上がってきた。
「だってお兄さまはお行きになるのでしょう?」
「……遊びに行くわけじゃない」
拗ねたように呟きながら兄を見れば、目を逸らされた。
悲しそうな顔をしてみせるが、心の奥底からどす黒い気持ちが沁み出してくる。
兄もだ。今、彼もオーレリアが行くなら遊びでしかないと決めつけた――。
「ねえ、お願い、お父さま」
結局意地になって、オーレリアは父を操り、父とその后メリーベル、兄、異母妹のソフィーナと共に国の北端の海岸にある離宮に来たのだが……。
(まったく楽しくない)
オーレリアは北の海岸に臨む城の一室から外を眺め、ぶすくれる。
「……」
窓から見える北の海は、絵画に描かれるような海と違って、暗く沈んでいて、空も雲がち。海岸の砂は黒っぽく陰鬱で、木もあまり生えていない。
(ソフィーナが寒いところに行くと、お日さまが少ないのと冬の寒さのせいで木が育ちにくくなると言っていたわね。風が強く吹くことで海岸は一層厳しいって)
何を聞いても「民草のことなどお前が気にする必要はない」と笑う父と「難しい話だからね」としか言わない兄に耐えかねて、オーレリアは我がままを言って、道中一度だけ異母妹のソフィーナと同じ馬車に乗った。
その時の彼女の話を思い返しながら、オーレリアは窓枠に顎を載せた。同じ年だと言うのに、あの子は本当に色々なことを知っている。
(そういえば、魔物がいるとも言っていたわ。街から離れると、出てくることがあるって……)
ドラゴンのような強い魔物ばかりではなく、力は弱いけれどずる賢く、人を騙すようなものも多いと言い、お伽話などで妖精とされているもののうち、かなりの割合が魔物なのではないか、と真面目な顔で話していた。
(私みたい)
オーレリアは顔を曇らせる。
見た目だけ、格好だけをとらえて、妖精のようだと散々持て囃されているけれど、中身はどうしようもない。だから外見を利用して、人を騙して生きている。
「? あれが……なんとか族という人たちかしら。何をしているのかしら」
ふと、海に向かって木の棒を投げ込んでいる人々を海岸に見つけて、オーレリアは目を瞬かせた。
ハイドランドの北部には、ハイドランド人とは違う文化を持つ人たちが暮らしているとソフィーナが言っていた。一体何をしているのだろう。
「まあ、よくご存じで。さすがオーレリアさまだわ、お美しいだけでなく、知識まで豊富でいらっしゃるなんて」
「……」
にこにこと笑う、生母お気に入りの侍女にオーレリアはむくれた。
なんとか族としか言えず、彼らが何をしているかもわからない自分を褒めるなんて、逆に馬鹿にしているとしか思えない。
(ソフィーナがいれば、きっとちゃんと教えてくれるのに)
あの子とメリーベルさまだけだ。オーレリアをちゃんと扱ってくれるのは。
「あっ」
ため息をつきつつも、もう一度海岸に目を向けたのに、近づいてきた別の侍女に目の前でカーテンを引かれてしまった。オーレリアは眉根を寄せる。
「オーレリアさま、いつも申し上げております通り、あまり窓辺にお近づきになりませんよう。オーレリアさまほどのお美しさです。お姿が下々の目に触れれば、良からぬことを考える者も出てまいりましょう」
「……ハイドと違って、ここには人なんかほとんどいないじゃない」
「それでもゼロではありません。田舎者のほうが粗野で乱暴ですから、なおさらです」
――ああ、心の底からうんざりだ。
退屈を訴えに訴えて、機嫌を損ねたように見せて、オーレリアはなんとか部屋の外に出た。だが、籠の鳥であることには変わりがなかった。
「本当に何もないのですね。波の音や海鳥の鳴き声だけはうるさいぐらいあるのに」
「さぞかし退屈でいらっしゃいましょう?」
「いいえ、ここはここで素敵よ」
――あなたたちがいなければ、なおのこと。
最後の言葉を隠してにっこり微笑めば、ここまでわざわざ追いかけてきた、オーレリアの友人を自称する侯爵令嬢と、護衛とは名ばかりの侯爵令息が「オーレリア殿下は本当にお優しい」とへらへらと笑った。
オーレリアは彼らが大嫌いだ。何が嫌いかと言って、オーレリアが笑顔の下で彼らを嫌っていることに気付かないところが一番。
「あれは……」
行く先の右手に大男の集団が見えた。
何かの皮でできたマントを羽織り、大きな金のブローチで肩のところで止めている。その下には毛糸でできたチュニックとダボっとしたズボン。見たことのない服装だ。
「あれが噂の蛮族ですかね」
「いやだわ、臭そう」
(では、あれがお兄さまが言っていた北の国の人? たしかシャーなんとか族……)
先頭にいる一際大きな男性は、金と白の混ざった長い髪を後頭部で高く束ねている。その人と共にいるのは、ハイドランド王后のメリーベルだった。
「まあ、レリアではないの。ちょうどいいわ、こちらにいらっしゃい」
メリーベルの優しい茶色の目がオーレリアを捕らえて、柔らかく緩んだ。
「……」
見慣れない様相の男たちに内心怯えていたが、彼女の顔を見たらなんとなく大丈夫なのだ、と感じる。
何より今は父も母も兄もいない。彼女と話しても、誰も文句は言わない。
「オ、オーレリアさま?」
「お待ちください、その、あぶな……」
彼女が『挨拶は大事よ、レリア。ちゃんとできるようになりましょう』と仰っていたことを思い出して決意すると、取り巻きを後に残しておずおずと近づき、男性に向けて跪礼をとった。
正しくできただろうか? この世のすべての人間はオーレリアの美を前にひれ伏すから必要ないと父が言うから、これまでやったことはない。それではいずれ困る時が来るかもしれない、とメリーベルさまがこっそり教えてくださったものだ。
「ヘルギさま、我が国の第一王女のオーレリアでございます。お見知りおきを」
「ほお、これは愛らしい」
男性とその背後の一団から感嘆のような声が上がったが、どうでもよかった。それよりメリーベルが「よくできました」とでも言うように目尻の皺を深めてくださっていることが嬉しい。
「――何をしているっ」
「っ」
遠くから父の怒声が響き、オーレリアは身を硬くした。
「メリーベルっ、一体どういうことだ、なぜオーレリアがそんな蛮ぞ――」
「お越しをお待ちしておりました、陛下」
メリーベルは目を一瞬鋭く細めた後、穏やかに父を遮った。彼の横にいる兄も怖い顔をしている。父が何かまずいことを言おうとしていたのはオーレリアにも分かった。
「話を逸らすなっ」
「お父さま、お聞きになって。私、うまくご挨拶ができましたの。お客さまもお褒めくださったわ」
無邪気にかわいく、彼が期待する通り、彼より頭が悪く、美しいだけの王女を演じながら、オーレリアは父に走り寄り、にこにこと彼の手を取った。吐き気がする。
「……そうか。だがお前に外交はまだ早い。部屋に戻っておいで」
苦々しい顔をしつつ、父はオーレリアを自分の陰に入れて異国の一団からの視線を遮る。そしてメリーベルを刺すように見た後、自分の従者にオーレリアを預け、異民族の長へと歩み寄っていった。




