21.誤認
ヴォーバリア人を警戒して周囲で船の監視するハイドランド人役人と、その彼らを警戒するヴォーバリア人双方に見られながら、オーレリアは船の見学していった。
人が五十人乗れるこの船には帆だけでなく、櫂もついていて、船底には船室もあった。
以前南に行った時に乗った船と違って、構造上、悠々と寛げるという感じではなさそうだが、それがまた気に入った。不快を理由に甲板に出ていても誰も咎めまい。
(ヴォーバリアのストゥルツたちの拠点まで二日から三日程度という話だったかしら)
行き着く先でどうなるか、まったく見通しは立たない。ストゥルツは少なくとも今は好意的なように思うが、それも保証されているわけでなし、しかも先ほど聞いた限り、彼の立場は安定していなさそうだ。
(つまり、監禁されないように気をつけさえすれば、遠からず死ぬにしても、それまでは退屈しないで済む……)
そう結論付けて、オーレリアは甲板から伸びる船梯子を危なっかしい足取りで下って桟橋に戻った。地に足がついても、ふわふわ揺れる感覚が頭に残っていて面白い。
「さて、お姫さま、せっかくですので、ハイドランド最北の街で何かお買い物などいかがでしょう。ご要望がありましたらなんなりと……って、おい」
芝居がかった口調で話しかけてきたストゥルツを無視して、オーレリアは桟橋を勝手に歩いていき、海に突き出た先端で足を膝を抱えて座り込んだ。
波が桟橋の脚を洗い、その振動が体に伝わってくる。
「……」
少し重たい感じのする海風が正面から吹き付けてきて、髪を乱す。顔にかかったそれを邪険に払い、いっそ切ってしまおうか、と考えた。
水かきのある白い鳥が空を舞いつつ、甲高い声を響かせた。水面には別の鳥がいて、オーレリアの視線を感じたのか、水の中に潜ってしまった。
潮騒を耳にしながら、オーレリアはじっと沖を見つめる。
ハイド城にいた頃は騒がしいのが嫌いだった。でも、オーレリアの存在を完全に無視したこういう騒がしさは悪くない。
ストゥルツが無言で横に座った。
(付き合わなくていいのに)
横目でその彼をちらりと見る。彼は変なところで義理堅いらしい。
「……晴れているけど、あっちは暗い。風はわからないけれど、これも嵐の予兆?」
しばらく二人で並んで沖を見ていて、おもむろに空を指させば、「それも正解だ」と静かに返ってきた。
一際強い波が押し寄せてきて、冷たい飛沫が顔にかかった。独特の匂いがする。
「王さまがこんなところに座っていていいの」
「王女さまがこんなところに座っているからな」
変なの、と思って口にすれば、当たり前の反論が返ってきた。
こんなふうに軽口を叩き合える相手なんていなかった――そう気づいたら、つい笑いが漏れた。そのオーレリアをストゥルツはじっと見つめてくる。
「落ち込んでいるだろう」
やっぱりこの人は変だと思う。
オーレリアは落ち込まない。落ち込んでいるところを見せれば、それを喜んだり、悪意を持ってつけ込んできたりする人間が山といると知っているからだ。
だから彼の指摘は的外れだ。でも、その外れ方はなぜか心地よかった。
「そうだと信じていたことが実はそうじゃなかったと思って、でもそれこそがそうじゃなかったのかもと思って混乱はしてる」
「なんだそれ」
わかったふりをすることもなければ、困惑するそぶりもなく、意味がわからないとあっさり口にする。そのさっぱりした反応にまた笑う。
それから、オーレリアは自らの顎を抱えた膝の上に乗せた。
「私、この世のすべてが憎いの。両親も含めて、誰も彼も嫌い。例外がメリーベルさまだった。あの方だけが、私が私のままいようとすることを認めてくださった。私に必要なことを真剣に考えてくださった……」
オーレリアは城の中が嫌いだった。外に出たかった。
お人形遊びもおままごとも退屈だ。追いかけっこやかくれんぼがいい。
綺麗なドレスも宝飾品も嫌だ。重くて邪魔で動きにくい。
かわいらしい小物もいらない。ごちゃごちゃして生活しにくいだけ。
花にも絵画にも興味はなかった。庭園で虫を捕まえて眺めているほうがいい。
音楽は好きだが、好きでもない『高尚』な曲とやらを、誰かの都合に合わせて歌うのは嫌だ。
詩歌も刺繍もやる意味がわからない。そんな時間があるなら勉強したい。
王であった父も母も、彼らの周囲の人間も、皆「お姫さまにはふさわしくない」と言って、オーレリアのそんな好みを否定し、時に怒りもしたけれど、メリーベルさまだけは違っていた。
父たちの目を掻い潜れるよう、花の図鑑に見せかけた虫の図鑑をくださった。
城で顔を合わせるたびに、城の階段を駆け上がる勝負に人目を忍んで付き合ってくださった。
オーレリアが適当に口ずさむ歌を聞いて、『素敵』と笑ってくださった。
勉強するオーレリアをたくさん褒めてくださった。
『勉強なさい、レリア。知識はあなたを助けてくれる。たくさんのことを学び、たくさんのことを自ら経験し、考えなさい。誰もあなたの頭の中にあるものを奪えない。今持っている財産や地位をなくしても、それだけはなくならない。たとえ国が滅んだとしても、あなたはそれをもとに生き延びることができる』
父も母も優しくて、甘やかし放題だった。怒られることもなかった。でも、時々怒られることも含めて、オーレリアを本当に思ってくださっているのは、多分メリーベルさまだと、幼いオーレリアは感じていた。
「でも、その彼女から死の間際に、ハイドランドから出ていくように、という手紙をもらったの。彼女さえも私をいらないと判断したのだと思って、それからはこの世のすべてが憎くなった」
ストゥルツにメリーベルとの思い出について話した後、オーレリアは眉尻を下げた。
メリーベルが死んでからなのだ。元々嫌いだった兄への嫌悪に拍車がかかったのも、元々嫌いじゃなかったソフィーナを憎悪するようになったのも。
「昨日リディラ、ここの領主から何か聞いたのか」
「メリーベルさまが、私には自由がないと心配していらしたって。それが真実だとしたら、不要と判断されたというのは、私の勘違いだったのかもしれない」
言いながら泣きそうになった。
「実際、手紙と一緒に、耳飾りを形見の品としてくださったの。血も繋がってないのに……。なのに、それも嫌みにしか思えなくて、机の引き出しの奥底に突っ込んだまま……」
オーレリアは「私、かっとなりやすいの。後先考えずに行動しちゃうし……」とうなだれた。
本当に勘違いだったか確かめようにも、メリーベルさまは亡くなってしまった。もらった手紙はびりびりに破いてしまっていて、その上ハイドの城に置いてきてしまった。当てつけのように、彼女がくれた耳飾りも。
「さっき馬鹿だと思うのをやめていいと言ってくれたけれど、事実、私はいつも考えが足りない」
嘆かわしくてつい漏らしてしまった声は、我ながら情けない響きをしていた。
「この世の多くの者は、そうやって自分を疑いながら生きている。自分を疑わない奴こそ、救いようのない愚か者だ」
「でも私ほど失敗をする人を知らない」
「失敗もみんなする。俺だって失敗だらけだ。それを怖がっていたら、何もできない。大事なのはその後だ」
威風堂々以外の形容がないストゥルツの口から意外な言葉が出てきて、オーレリアは彼をまじまじと見つめた。
(そういえば、ソフィーナも似たようなことを言っていた、失敗から学べばいいって……ガードネルも失敗したらそのフォローをしろって……)
「この世のすべてが憎い、みんな嫌いと言うが……会ったばかりの奴や会ってない奴もそこに含まれるのか?」
「どうせ好きにはなれない。私の顔だけ見て、勝手に期待して、勝手に失望して、あれこれ言う。中身なんか、興味ないどころかそもそもあるとすら思ってない」
「そういう奴ばかりでもないと思うが……。大体お前の姉、じゃないな、妹はどうした。仲良かっただろう。あまり遊べないけど、めちゃくちゃ頭がいいとか、たくさん物を知っているのに人を馬鹿にしたりしないとか、散々自慢していたじゃないか」
「……」
呆気に取られてストゥルツを見る。
(仲が良かった? いや、ソフィーナは確かにそんな子だけど、なんで知って……って聞いた? 私、から……?)
疑問が一気に湧き上がって、言葉にならない。口をパクパクさせれば、彼は顔を曇らせた。「そこも覚えてないのか」と。
直後、雲間から陽光が差し込み、彼の背後から照らした。潮風に浮いた短い赤髪が日に透け、淡くなる。その合間からのぞくアイスグリーン色の瞳が、記憶の蓋を開いた。
(あの子、だ……)
北の離宮で過ごした際に一時だけ一緒に過ごした男の子。訛りが強くて、話を通じさせるのに苦労して、無礼で、素のオーレリアを「かわいくない」とか言って、遠慮なく笑っていたあの子だ。
「あなた、あの時の……」
喘ぐように漏らしたオーレリアに、ストゥルツは昔そっくりの顔で、いたずらっ子のように笑った。
「ようやく思い出したか、『ソフィーナ』」




