20.迷い子
翌日は晴天だった。てっきり船に乗って、ヴォーバリアに行くのだと思ったのに、オーレリアを訪ねて部屋にやってきたストゥルツが、今日は出港しないと言い出した。
「船に連れていきなさい」
「……人の話、聞いていたか? 今日はこの街で待機だ、海が荒れる」
「こんなに晴れているのに? いずれにせよ問題はそこではないわ。私が港に船を見に行きたいと言っているの」
昨夜リディラと話したせいか、昨日も嫌な夢を見て、何度も起きた。
メリーベルが悲しそうな顔で、「何も理解してくれていない」と責めてくる夢はリアルで、オーレリアを居たたまれなくする。
ここでのんびりしていたらいつの間にか眠ってしまって、またあんな夢を見る。
「は、我がままなお姫さまそのものだ」
「事実お姫さまで、事実我がままなの。理解してくれているようだから、ガラファ、あなたでもいいわ、私を船に案内なさい」
「……開き直るな」
皮肉を飛ばしてきた女戦士に素で命令すれば、彼女は唖然とした後、顔をしかめた。ストゥルツが笑い声を上げる。
「わかった、行こう。ちょうどメィムシュたちが嵐に備えて準備しているし、退屈もしないだろう」
そう言って立ち上がると、彼はごく自然に「ミーナはどうする?」とオーレリアの背後に控えていた彼女に声をかけた。
「え? ええと、私は、ここの館の人にお話を聞きたいです。明日出発なら、せっかくですし、ヴォーバリアに持っていったらいいかもという物を揃えたいので。オーレリアさまは何か欲しい物、ありますか? あ、シャルギとお砂糖はたっぷり買う予定です!」
「シャルギ……あの甘ったるい、胃にもたれる菓子か?」
「うるさく言う人がいなくなってから、オーレリアさまってば、お菓子も食事も食べたい放題なんです。で、最近ドレスがちょっときつくなってきたって」
「っ、余計なことを言わない! いいのよ、これまでが病的に細かったんだから! ちゃんと食べないと力が出ないってソフィーナも言っていたもの!」
真っ赤になってむきになるオーレリアと、「しまった」という顔で肩をすくめるミーナを見比べて、ストゥルツはまた笑った。
ガラファにまで変な物を見る顔をされる。屈辱としか言いようがない。
リディラに断りを入れて館を出る。門の所で彼がフードを被り、オーレリアも倣った。
徒歩で通りを歩いていく。
(変われば変わるものだわ……)
一年前は城の中ですら、自由に歩けなかった。誰か彼かが後をついて来て、あれこれ話しかけ、指図してくる。
見上げた空は、昨日までとは打って変わって青く晴れ渡り、白い雲が早足で南へ流れていく。
日差しに照らされた家々の壁は、赤や黄、青、緑、オレンジ、様々な色をしている。開け放たれた窓には、ガラスはなく、内部の人々の生活が見えた。窓辺で日光浴している人がいれば、子供のいたずらを叱る男性、猫に話しかけて笑う老女、様々な人がいる。
正面から風が吹いてきた。通りを行き交う人々の髪や衣服が揺れ、屋根や軒先に掲げられた旗が翻る。
同じ風がオーレリアのもとに届き、フードに入りきられなかった横髪を舞い上がらせた。冷気と潮の香りを残して吹き抜けていく。
「……忘れてた。ガラファ、適当に見繕って、色ガラスを買ってきてくれ。ヤッケナたちに頼まれていたんだ」
「ガラスビーズを装飾品にって話かい? ……戦士がやることじゃないだろ」
「揉め事も減ってきたし、そろそろ落ち着きたいんだと。お前も戦士やめて、手に職をつけてもいいんだぞ」
「余計なお世話だ」
鼻を鳴らしたガラファが、ストゥルツが親指で弾いた金色の丸い何か、おそらく金貨を受け取る。そして、オーレリアに「逃げようとか、妙なこと考えるんじゃないよ」と釘を刺して、街へと消えていった。
(私を邪魔に思っているのに逃げるな、ねえ……昨日も散々笑ってあげたのに、学習しないのかしら)
「行くか」
ストゥルツが手を差し出してきた。
顔をしかめるも、旅と浅い睡眠のせいで疲れを感じている身ではいちいち反抗するのも億劫だ。
その手を無言で取る。意外そうな顔をした後、ストゥルツは表情を微かに緩めた。
(やっぱり大陸仕様の作法が身に着いてる……)
オーレリアをエスコートするストゥルツの仕草には、兄などと比べても違和感がない。蛮族の王という噂からは想像もできない。
「あなたたちの作法は、本当ならハイドランドのものと大分違うのでは」
「ヴォーバリアに馴染めるか不安か」
「あなたがハイドランドの作法を知っていることが不思議なだけ」
なぜか嬉しそうな顔を見せたストゥルツに半眼を向ければ、彼は「そっちか」と言いながら、不満そうに口を尖らせた。また幼く見える。その様子を見るに、親兄弟を殺し、その血を飲んだという噂も疑わしい。
噂に重きを置くな、というアーソニアの家訓を思い返す。それから、自分の目も疑え、という言葉も。
オーレリアは様々な噂をされて、嫌な思いをした。では、オーレリアは? 目の前のこの人や、他の人を思い込みや願望なしに、まっすぐ見ているだろうか、見てきただろうか、と自問する。
「四年間、メリーベルの弟のアーソニア侯爵のところに預けられていたんだ。実質人質だな。名目は交流のためだったが」
「……」
目を見開いたオーレリアに、ストゥルツは「先王の嫌がらせだ」と唇の左端を釣り上げた。
「相互不可侵――メリーベルとうちの親父がかわした取り決めだ。ところが、直接顔を合わせてそれを正式な文書にしようという段になって、先王が横槍を入れてきた、『蛮族の約束など信用できない』ってな。で、兄弟ん中で一番ひ弱で使えない、後ろ盾もない俺が人質に選ばれた」
「ひ弱? つかえ……使えない??」
(上背も筋肉もあるこの人が? 先日の盗賊との戦闘でも圧倒的に強かったのに?)
目を丸くするオーレリアの額を人差し指で軽くつつき、「隙だらけだ、かわいらしい顔もできるんじゃないか」などと笑い出した。
どうやらアーソニア侯爵家では、彼に大陸様式の作法は教えても、礼儀までは教えなかったらしい。
前からすごい勢いで荷馬車がやってくる。驚いて固まるオーレリアの手を引いて進路から外しつつ、ストゥルツは自身の体で馬車からオーレリアを庇うようにする。通り過ぎるなり距離を取り直し、何もなかったかのように歩き始めた。
恩着せがましくされるのも嫌だが、当たり前のことをしているだけという顔も、それはそれで気に入らない。
「人質としてハイドランドにやられて、大陸式の教育を受けたということ……それであなた、ヴォーバリア人の中でも微妙に浮いているのね」
「気づいていたか」
音を立てて乾いた道を歩きながら、意趣返しを吐けば、ストゥルツは打って変わって苦笑を漏らした。
(……あっさり認めていいの? 歪曲されて悪用されるとか思わないの?)
その上「結構困ってるんだ」とぼやくのを見て、呆気にとられた。
「先王が人質を要求したのは、政治的な思惑ではなく、メリーベルへの嫌がらせだったんだろう。彼女の死後あっさり解放されて故郷に戻ったんだが、異民族の女の血を引く半端者、元々期待されていない上、ふとした拍子に大陸ふうの振る舞いや考え方が出る。となると、親兄弟とも同胞たちともなんとなくしっくりこない。他部族と抗争にあけくれるようになってから、少しましにはなったが……」
(異民族の女……ってお母さまかしら、やっぱり)
赤毛は彼女由来なのだろうか、とぼんやり思うが、口にはしない。外見も生まれも自分では選べない。
「それでも族長の息子だったわけでしょう。今は王さまでもあるのに」
「ヴォーバリア人は血統をさほど重視しない。最後まで生き残った、つまり運を含めて一番強いのが俺とされて、王を名乗ることになったというだけの話だ。俺たち、俺にとっての『王』という肩書の価値なんてその程度だ」
淡々と言った後、ストゥルツは「俺と結婚すれば、オーレリアの肩書は『ヴォーバリア王后』だ。けど、ハイドランドの王后、例えばメリーベルのような力は得られない」と口にした。
「期待外れなら悪い」
率直にそう締めくくる。何の虚飾もないその表情は、やはり幼く見えた。この人の年は自分とさほど変わらないのではないかという思いがまた生じる。
「……王という肩書きをふりかざすしか能のない、馬鹿で卑劣で間抜けな男を間近で見て育った私が、『王』という地位に何か期待するとでも思って?」
潜在的な敵対関係にある相手の息子となれば、彼はハイドランドでも浮いていたはずだ。なのに、ようやく帰った故郷にも馴染めなかった。
(居場所がなかったという意味では私と同じ。でも、この人は自分で居場所を作った……)
嫌いは嫌いだけれど、少しだけ尊敬してもいい気がしてきて、ぶっきらぼうに言いつつ、そっぽを向く。
ストゥルツは眉を跳ね上げて「つくづく口が悪いな」と呆れた後、「けど……ありがとう」と奇妙なことを呟いた。
「礼を言われる理由はありません」
「俺が言いたいだけだ。指図は受けない」
やっぱり気に入らない。
「あの船?」
たくさんの人とすれ違いながら入った港に係留されている船は、オーレリアの知る物とはまったく形が違っていた。
船首と船尾は同じ形状で、反り返っている。船体の中央に帆柱があり、大きな帆らしきものが上部の横木に巻き上げられていた。五十人は乗れるだろうか。想像していたよりずっと大きい。
周囲を白い海鳥が甲高い声で鳴きながら、飛び交っている。その向こうの空は、沖に向かって藍に染まっている。
ガラファは早々にお使いを済ませたらしい。少し離れた場所で、麻布でできた袋を足元に置き、そこに生えているピンク色の花を摘んでいる。
その花びらが風に舞った。ガラファの白とも金ともつかない褪せた髪が、同じ風に踊る。
ハイド城の貴族の少女が、意中の男性を思ってやる行為だが、ヴォーバリアに同じ慣習があるとも、彼女がそういうタイプだとも思えない。
「何をしているの」
「……なんであんたなんかに話さなきゃいけないんだ。海のことなんか、どうせわかんないだろ」
「ガラファ、いい加減にし――」
「海? 砂浜で花を散らしているのに、海……」
至極もっともな言葉だし、相変わらず悪意も感じるが、それこそ今更だ。
ついでに言えば、親切なのかもしれないが、いちいち介入してくるストゥルツも面倒だ。
オーレリアは二人の反応を無視して勝手に話を進める。
そして、返事を待つことなく、「そうか、風を見ているのね」と言えば、ストゥルツが眉を跳ね上げ、ガラファが顔をしかめた。
「嵐になると聞いた。あなたもそう思う? こんなに天気がいいのに?」
「……海面のすぐ上と空、陸地で気流が違うだろ」
「……全然わからない」
上空の雲、船の上の旗、海、海岸の植物なんかを順に見回してみたけれど、さっぱりだ。
「あなた、すごい才能があるのね。私と別方向で、でも同じぐらい考えが足りない人というだけじゃなかった」
「……ヴォーバリアの人間なら誰でもできる。てか、喧嘩、売ってるの?」
「褒めたつもりだったけれど、確かに感じが悪いわね。なら、ついでにもう一つ理解してくださる――私が素で性格が悪いってこと」
食って掛かってきたガラファにくすっと笑えば、彼女は顔の片側だけを器用に引きつらせた。
「その見た目、詐欺もいいとこだ」
そして、ぶつぶつ言って砂を蹴散らし、船へと歩いていってしまった。
その後ろ姿を見送って、今度は本心からの笑いを零した。
「あまりからかうな」
「おもしろくて」
渋面のストゥルツに肩をすくめれば、呆れた目で見られた。
「嫌っているわけじゃないの。むしろ逆。怒っていい場面で怒りを率直に出せるって、すごいことでしょう。まっすぐ生きている証拠だもの」
悲しんだり怒ったりしているのに、笑顔の仮面でそれを全部隠そうとする。その割に隠しきれない。ハイドの城でそんな人間に囲まれて生きてきたオーレリアには、ガラファのような人は新鮮で、気持ちがいい。もっとも彼女の方は、オーレリアの好意など絶対に欲しないだろうが。
「それより、船」
オーレリアは、改めて波止場に係留された木造の船を指さした。周囲に大小様々な船があるが、一際大きく、突出して形が違う。
「前と後が同じ形なのは、両方に進めるようにするため? つまり……ヴォーバリアの辺りは入り江が狭い?」
「……ご名答。ヴォーバリアの島の海岸線は細かく、複雑に入り組んでいる。どこに村があるのか、混乱するぐらいだ」
オーレリアの手を勝手にとり、ストゥルツは「自分のことを馬鹿だと思うの、やめていいと思うぞ」と言いながら、船の甲板へと上がっていった。




