19.アーソニア
「なんかほんとすみません……」
「……もういいから」
オーレリアのもとに戻ってきたミーナが身を縮め、もう何度目かわからない謝罪を繰り返した。
ソファの背もたれにげんなりと寄りかかりながら、オーレリアも同じ返事を返す。
海辺の宿の部屋で、オーレリアに言われた通りしばらく身を隠していたミーナは、あれからずっと寝台の下にいて、一生懸命考えたらしい。
そして、
『オーレリアさまが私を思ってああ仰ってくださったのも理解しましたっ。でもやっぱり気持ちは変わらないですっ』
そう確信して、領主の館に駆け込み、涙ながらにオーレリアに会わせてくれと騒いだそうだ。
その剣幕に驚いた館の人々からこの地の領主リディラに伝わり、困った彼女がオーレリアの部屋にミーナを連れてきて、ミーナはミーナでオーレリアにまた拒絶される前に言いたいことを言ってしまおうと勢い込んで……というのが、先程の事態に至った経緯らしい。
なんだかどっと疲れてしまって、オーレリアはソファでため息を吐く。ミーナはそれでさらにしょんぼりとした。
「でも、せっかくストゥルツさまと良い感じにな――」
「っていません!」
「えー、でも見つめ合ってたような……」
「あなた、必死だったとか言う割に随分冷静じゃない……?」
顔を赤くしつつどす黒い声を出したオーレリアにミーナが目を泳がせる中、彼女を連れてきて事態をずっと見守っていたリディラも、「私の責任です。申し訳ございません」と同じセリフと苦笑を繰り返した。
そのストゥルツは、最初こそオーレリアと一緒に呆気に取られていたくせに、顔をぐしゃぐしゃにして鼻水を垂らしつつ、『諦めて私をヴォーバリアに連れて行ってくださいぃ』と泣くミーナを見、『……だそうだ。あいつもオーレリアのことが好きなんだろう。諦めて望む場所にいさせてやれ』と笑った。
そして、オーレリアの頭をまた気安く、でも今度は柔らかく叩いて、部屋から出ていってしまった。
(あいつもってどういう意味なのかしら……)
その言い方だとミーナだけではなく、ストゥルツもオーレリアに好感を持っているというふうに聞こえる。
『国王の愛娘』で『妖精のような』オーレリアを好く人は多かった。
でも、化けの皮が剥がれた今、オーレリアを好いてくれる物好きがいるだろうか。ストゥルツには特にひどく接している自覚もある。
(ミーナもミーナよ、物好きにもほどがある……)
ふわふわとした癖毛の彼女をじっと見つめた。涙の名残か、目元が赤く、まぶたは腫れている。
本当に変な子だ、と真剣に思う。だが、今までと違ってイラっとした気分にもなれない。
「……お茶を淹れてくれるかしら」
「っ、は、はい! 今すぐ……って、茶器とか茶葉とか、もらってきますっ」
「あなたも食事をとらせてもらいなさい。どうせ食べていないのでしょう」
「はい!」
飛び上がるかのように返事をし、嬉しそうに扉向こうに消えていった。
仕事を言いつけられて喜ぶなんて、やはり変わっている。
室内は途端に静かになった。北の海から吹きつける夜風が、部屋の窓を叩く。
「彼女は本当にあなたを好いているのですね」
「物好きなこと。あの子こそ私の本性をよく知っているのに」
「知っているからこそではないでしょうか」
自虐を含んだオーレリアの返事に、リディラは微笑むと「少しお話しいたしましょう」と言って、オーレリアの座る応接セットの一角に勝手に腰かけた。
王女の自分に許可をとらないその行為は、はっきり無礼と言えるものだが、怒る気にはなれなかった。
オレンジ色を帯びた蝋燭の光に照らされた顔と言い、穏やかでありながら凛とした空気といい、整った所作といい、彼女と姉のメリーベルがそっくりだからかもしれない。
「ヴォーバリア国王陛下とは、かなり馴染まれたようですね。何よりでございます」
「必要に駆られてのことです。お互い直接会話するしかないの――私と一緒に来たハイドランド人はミーナだけで、他のヴォーバリア人にも好かれてはいませんから」
「護衛などは?」
「帰らせました。元々いてもいなくても変わらない人数でしたし、その上途中で賊の襲撃を受けて怪我をしました」
皮肉に笑いつつ、「私はすべて自業自得だけれど、巻き込まれた彼らはいわずもがな、結婚相手としてやってきたハイドランド王女が私だったストゥルツ陛下こそ、お気の毒と言うしかないかもしれません」と付け足せば、リディラは怪訝そうに目を眇めた。
「あら、ひょっとして噂をまだ耳にしていない? かつて雪の妖精と持て囃された第一王女は、いまやハイドランドに巣食う毒虫――追い立てられるようにハイドを出されたの」
オーレリアはくすっと笑って「害虫に親切にしてもいいことなんて何もない。皆そう知っているのでしょう、賢明なこと」と肩をすくめた。
リディラはそのオーレリアに眉をひそめることも嫌悪や同情を見せることもなく、穏やかに口を開いた。
「私は流言、噂に重きを置くなと言われて育って参りました」
「……アーソニア侯爵家の教え?」
「ええ。実際人は皆好き勝手に言いますからね。解釈や偏見が加わった推測がいつの間にか事実にされ、それにまた解釈や偏見が加わって、どんどん事実から離れていく」
「手のひら返しのきっかけは、先の内乱です。そこで私が何もしなかったのは噂ではなく、事実だわ」
「だとしても非難する気には。あなたと同じ状況に置かれた時、誰からも後ろ指差されることなく行動できる人間が一体どれほどいるか」
「……」
静かに、でもはっきりと「後知恵でなら人間は皆賢者です。すべて俯瞰できる状態にある者が、そうでない状態にあった者を非難する行為は好きではありません」と言い足したリディラを、オーレリアは凝視する。
「ちなみに、噂だけでなく、自分の目も疑えと叩き込まれております。私が見ているものが事実のすべてではない、角度や立場を変えれば見えるものが変わってくるとか、私が『見た』と思ったものには必ず私の解釈が含まれていて、事実を歪めている可能性もあるとかなんとか、他にも色々」
「言っていることは正しい気がするけれど……随分ややこしいことを言われて育ったのね」
感心半分、呆れ半分に漏らせば、リディラは「どうやら姉があなたについて言っていたことは正しいようです」と顔全体を綻ばせた。
「メリーベルさま……?」
彼女がオーレリアのことを妹にわざわざ話していた――心臓が鼓動を増した。
「ええ、見た目や周囲の扱いのせいで誤解されやすいけれど、とても賢い子なようだ、と」
「……ご、かいなさっていたのは、メリーベルさまだと……」
呆気に取られて、喘ぐように返した。
「そうでしょうか。昔、私が今申し上げたのと同じ内容を、姉は先王陛下にお話ししたそうです。意味をなさない戯言と笑い捨てられたとのことでしたが、あなたはそうではなかった。目下の立場の私の話に、ちゃんと耳を傾けてくださった」
「……」
これ以上動揺したくなくて、オーレリアは意識を逸らそうと彼女の頬にできたえくぼを見つめる。
「姉はあなたのことを心配しておりました。この国の誰より自由がない、と」
笑った時だけ顔に現れるそれが、メリーベルの顔にもあったことをなぜ鮮明に覚えているのか――彼女がオーレリアにしょっちゅう笑いかけてくれていたからだ、と思い出してしまった。
風が窓を打った。リディラがそちらへと顔を向ける。つられてオーレリアも視線を移した。
月が水平線から顔を出し、真っ黒だった海に光の道が生まれている。その周りが青く輝く。
明日、オーレリアはあの水平線の彼方へと旅立つことになる。




