18.ハズレ王女
(あの宿屋、おもしろそうだったのに……)
ハイドランド最果ての要塞都市ビシキ。その中央に位置する領主の館の一室で、オーレリアはため息を吐き出した。
未練がましく思い出しているのは、賑やかでひたすら楽しそうだった人々と、見たことのない食事や飲み物だ。あそこならマナーや食材を知らなくても、誰も気分を害したり馬鹿にしたりしなさそうだったのに。
あれからオーレリアとヴォーバリア人一行は、「どうか今宵はこちらに。赴任してきたばかりでご満足いただける饗応となるか心許ないのですが、精いっぱい努めます」という領主のリディラの申し出を受けて、この館に滞在することとなった。
ハイド城にはもちろん劣るが、広さも設備もそれなりに上等、先程の宿のように階下の音が漏れ聞こえてくることもない。
食事の様式も簡略版ではあったけれど大陸共通様式で、これまでの道中そうだったように、無知ゆえに相手に嫌な思いをさせたり自分の馬鹿さ加減をさらしたりする羽目にはならなかった。
けれど、この国の王女、しかも曰くつきの第一王女とばれてしまって、腫れ物扱いされている。どうやら第一王女たるオーレリアがろくでもないという噂はこんなところにまで広がっているようだ。
追い出されるようにしてではあったが、鳥籠のようなハイド城から出られた。
(絶対に死なせられない人質となれば、ヴォーバリアに着けば、最悪監禁、ましな場合でもお世話という名目のもとで監視と制約……それまでのほんのわずかな自由だったのに)
オーレリアはソファに身を沈め、再度長々と息を吐き出す。
(ミーナは自由になれたかしら)
宿のあった港の方向へと目を向ける。月が出ていないせいか、海は黒く塗りつぶされたように真っ暗で、岬の上の塔の明かりが目にまばゆい。
夜が更けて街の喧騒が落ち着いたからか、波の音が微かに聞こえてきた。
『自分で自分の場所を選んで、そこで生きていきなさい』
その音に誘われて、先ほどミーナに告げたセリフが蘇った。
(私、居場所のないあの子に自分を重ねていたんだ……)
選んで生まれたわけではないのに見た目や出自で好き勝手に言われ、誰を信じることも頼ることもできない。
今の場所にいたくないのははっきりしているのに、どこにも行くあてがない……。
私なんかと一緒にされたら、あの子は迷惑かもしれないけれど、と自嘲した後、「迷惑」という言葉で、自分の行いへの不安が湧き上がってきた。
(渡した装飾品であの子、やっていけるのかしら。もしかしたら足りないかも……というか、そもそもそれで正しかった? ひょっとして、金や宝石はお金としては使えない可能性もあるんじゃ? ああ、でも売ってお金に換えれば……って、誰に頼むの……?)
今更心配になってくる。
オーレリアは『お金』をよく知らない。物と交換するものだと理解しているが、見たことも使ったこともない。生きていくために必要なお金がどれほどかなど想像もできない。
良かれと思って渡したけれど、まったく役に立たない、それどころか害になる可能性もあるのでは、と思いついたら、体の中心がキリキリ痛み出した。
国の予算だなんだと言っていたソフィーナや兄なら、きっともっとうまく手配してやれただろうに。
「そういえば、ミーナはどうした?」
領主とまだ話があると言って、別室に行っていたストゥルツが戻ってきて、部屋の片隅でオーレリアを監視しているガラファに声をかけた。
「さあ、見てないよ」
頭のうちを見透かされているかのように、今まさに考えていた子の名前が出て、オーレリアは心臓を跳ねさせる。咄嗟に微笑を作った。
「宿で買い物を頼んだの」
「なら、宿にとっくに戻っているだろう。迎えに行ってやれ」
「放っておけば? 宿の奴らに訊けば、この女がここに連れていかれたことはわかるだろ? まだ来てないってことは、この女に尽くしてもいいことはないって、いい加減気づいたんだろ」
「だといいのけれど」
ガラファの言葉には悪意がある。が、流した。それより気にかかるのは、善良で要領の悪いミーナだ。
(お金そのものをあげるべきだったのかも。探し出して追加で渡す? でも、どうやって? そもそも私、お金なんて持ってない……いえ、そういう問題じゃないのかも)
『金って難しいもんなんだぞ。まったくなきゃ幸せになれないけど、あったからって幸せを保証してくれるもんでもない。あったらもっとほしくなって、そのためにいっぱい争う……って』
偉そうな響きの幼い声が、頭の中で響いた。あれは一体誰の言葉だっただろう。
(なんなのかしら、最近そういうことばっかり……)
うまく思い出せない自分の頭の悪さを呪って、こめかみを押さえる。
「……余裕ぶっちゃって。あんたみたいな外皮が綺麗なだけで何もできない女、シャールゴールに行ったら使えないからな」
「ガラファ、オーレリアが気に入らないなら、わざわざ絡みに行――」
「私が使える人間だったことなんて、これまでただの一度もないわ」
剣呑な声のガラファとストゥルツのやり取りに素で割り込めば、二人の目がオーレリアに向いた。
(また……)
薄く青の入った緑の目をみはったストゥルツは、やはり妙に幼く見える。その目がすっと細まる。
「っ」
一拍後、頭頂部にゴンッという衝撃を受けた。
限界まで見開いた目に映るのは、ストゥルツと腕――。
(……げんこつ? を落と、された……)
遅れて生じた痛みと共にそう悟って、オーレリアは顔を真っ赤に染め、眦を吊り上げた。
「何をす――」
「その発言、気に入らない」
頭頂部に手をやり、食ってかかれば、ストゥルツが食い気味に反駁してきた。いつもすましてオーレリアを躱す彼のいつになく子供じみた反応に、苛立ちが増した。
「あなたの機嫌をうかがう必要もその気も私にはない。それ以前に私に触るなという話ですっ。大体殴るなら人を侮辱したあっちでしょうっ」
「オーレリアの方がはるかに気に入らない」
「なら、あなたが言ったように、わざわざ絡まないでくださる?」
「結婚するんだろうが」
「国同士の政略上、結婚という体裁をとる必要があっただけのこと。最低限の接触で十分でしょう」
ストゥルツの眉がピクリと動いた。
「あなたのもとにやってきたのが、ハズレの私だったことには同情しているけれど、」
「……そんなんじゃない」
同様に苛立っていたストゥルツが、急に真顔になった。
空気が一変したことを感じ取って、オーレリアは思わず言葉をのみ込んだ。
ストゥルツが「政略のつもりでも体裁の問題でもないし、ハズレでもない」と繰り返しながら、一歩近づいてくる。
「……」
手が伸びてきて、指が頬にそっと触れた。
触れるな、ともう一度怒鳴ってやろうかとも思って口を開いたけれど、目の前の顔がなんだか悲しそうに見えて、結局閉じた。
眉尻を下げたその顔が、また記憶のどこかにひっかかる。
だが、どう考えてもこの鮮烈な赤髪に記憶はない。これほど目立つのだから、一度でも会っていれば、さすがに覚えていないはずはないと思うのだが……。
「ストゥルツ? どうした?」
ガラファが疑念と不審を露わに呼びかける。だが、彼は反応しない。ひたすら見つめられて居心地が悪くなっていく。
扉が叩かれた。彼の意識が今度こそ逸れることを期待するも、彼の瞳はオーレリアを捉えたまま。
距離が近づいていく――。
「わ、私がいたい場所はオーレリアさまのお側ですっ、というか……い、いますっっ、文句は受け付けません!!」
「「……」」
蝶番の軋む音とほぼ同時に響いた絶叫に、目の前のストゥルツの目が再び皿のようになった。




