16.外柔内邪
案内された宿は騒然としていた。
年季の入った木でできた柱と梁、壁は黒光りし、同じく木製の床は節が目立つ。隙間風が入ってくるのに、たくさんの人で賑わっているせいか、寒さを感じない。
「その、親父は腰をやっちまって今寝込んでまして……ストゥルツさまのお連れ、ですか……」
ストゥルツに案内を任されたヴォーバリア人の若者が、宿の若主人と思しき中年男性と話し始める。
気の進まない顔で、胡乱なものを見る目をよこされるが、オーレリアの目は受付から見える、横の広間に釘付けだった。好奇心に駆られて、被ったフードを指で少し押し上げる。
「喧嘩、じゃないわね……食事?」
「食堂ですね。お城の使用人用のも大きかったけど、こんなに賑やかじゃなかったです」
たくさんのテーブルと椅子が並ぶそこからは、音だけでなく熱気が伝わってくる。
汚れた身なりのたくさんの男女が座ったり立ったりしながら、大口を上げて食事をし、酒らしき物を飲んで、大声で話し、笑って歌い、怒鳴り合い、間を歩き回る給仕の者たちに怒られ、また笑い……。
自分が馴染んできたこれまでの食事風景とつい比べてしまう。ハイド城の自室で侍女が運んでくる食事を黙々ととるか、無駄に広いダイニングルームで、父や母、時に兄と距離を保って座り、愚にもつかない父の自慢話だけが響く中での夕食か、行儀よく振る舞う人々の集う晩餐会などしか知らないオーレリアには衝撃的だった。
人々をじっと見つめる。
(何があんなに楽しいのかしら)
あんなふうに感情をむき出しにする者は、そもそも城にはいなかった。新鮮な気持ちと得体の知れないものへの不可解さが同時に湧き上がってくる。
さっき砦の外で見かけた親子もそうだった。「貧しい」とはあの親子や今目線の先にいる彼らのような者のことを言うはずだ。
オーレリアの周りの者たちは、「貧しい」と形容する人々をあからさまに憐れんでいた。やれ慈善で寄付しただの、やれ慰問に訪れただの話し、彼らに同情して「かわいそうで仕方がない」と口にする。それに周りが「優しい」と賞賛する。
だが、彼らは城にいたその貴族たちよりいきいきとしていて、よほど幸せそうに見えた。
(幸せ、か……私にはわからないことだらけだわ)
目の前にあるのに遠いその光景をぼうっと眺めていたら、ずっと黙って後ろにいた例の女戦士が話しかけてきた。
「あいつら、下品で騒々しい、私にはこんな場所は相応しくないって? 城で大事に大事に傅かれてきたお姫さまには耐えらんないかもね」
(相応しくないも何も、まったく理解できないものの良し悪しなんて判断できるはずないじゃない)
自分はどこまでも世間知らずだ、と内心で自嘲しながら、顔を歪めて笑う彼女へと視線を移した。
「生憎とあんたが結婚しようとしてるストゥルツも、気取っちゃってるけど、本当ならああいう人間だよ。尻尾撒いて帰るなら今のうちだ」
「おい、ガラファ、姫さんに絡むんじゃねえ。ストゥルツにも言われてるだろ」
「なんでさ、親切で言ってやってんのに」
咎めてきた男に、ガラファは引きつった笑顔で応じた。
(悪者になりたくなかったら、そこは悲しそうに言うのが正解なのに、この子はこの子で馬鹿だわ)
内心の白けを隠して、オーレリアは弱々しく微笑を顔に浮かべた。
「ありがとう、心配してくれて」
「っ」
ガラファが心配どころか悪意満々なことには当然気付いている。その証拠に、悪意に気づかないふりをして礼を口にしたオーレリアに、彼女は憎々しげに鼻に皺を寄せた。
善意で言っているなら、オーレリアの返しに余計心配そうな顔をするはずだ、ソフィーナがそうだったように。
そして、人間の多くは他者の悪意に敏感だ。我が身かわいさに見て見ぬふりをすることも多いけれど、ちゃんと嗅ぎ取っていて、自分が次にとるべき態度や行動の判断材料にする――。
オーレリアはガラファへと顔を向けつつ、宿屋との交渉を終えたヴォーバリア人男性の表情を視界の端に入れる。
「でもわたくし、彼らを下品だとも騒々しいともまったく思わないの。楽しそうでいいなあとは思うけれど……誤解されて悲しいわ」
諦めたような顔でそっと視線を伏せた。
猫を被って善人ぶりつつ、ついでに相手を悪者にする――オーレリアの演技に引っかかった善良な男性が、ガラファへの嫌悪を見せた。
ため息とともに「ガラファ、お前、しばらくしゃべるな」と言い、言葉を詰まらせた彼女をおいて、「部屋で休んでください。二階です」とオーレリアの案内に立った。
「オーレリアさまって、いい性格してますよね」
部屋に一緒に入ってきたミーナが、しみじみと呟いた。
顔をしかめたオーレリアに、「しばらく座っててください」とソファを勧め、室内を確認し、かいがいしく寝台を整え直し始める。
腰かけた途端、想像以上に身が沈んだ。ソファの質の問題か、そうでなければ、体重が増えたのか。オーレリアは手のひらで座面を押しつつ悩む。
「殴り合いならともかく、それ以外でオーレリアさまに勝てるわけないんだから、ガラファさんもちょっかいかけなきゃいいのに」
(この子、完全に私の意図を見抜いてる。せっかくか弱い善人ぶってみせたのに……って、この子の前で結構本性出したからか)
じゃあ、もういいか、と開き直ると、オーレリアは「まっすぐで根が善良なんでしょう。だから私にまんまとやられるの」と言いながら、ソファにだらしなく身を投げ出した。ミーナには、気にする様子も意外がる様子もやはりない。
「つまり、私は頭のてっぺんから足の爪先まで、完全無欠の性悪です」
「確かに。誰かから意地悪なこと言われた時、自分が悪者にされないようにしつつ、徹底的にやり返しますもんね。本当はめちゃくちゃ気が強いのに、そのためにそうわからないように隠してるし」
「わかってるなら、そんな私につきまとってないでどこへなりと行きなさい」
追いはらうように手をひらひら動かしたオーレリアに、ミーナは真面目な顔を向けてきた。
「でも自分からはいじめにいかないもん」
「面倒なだけよ。面倒さを上回って意地悪する価値があると思う相手にはやります」
「うーわ、本気で性格悪い……」
「あなた、言うようになったわね」
無礼と咎めるのも億劫で、ソファのクッションを抱えてそこに顎を乗せ、じろりと彼女を睨む。
「私の主人はもうストゥルツさまですから」
「なら、彼に頼んで別の仕事をもらいなさい。世話など私には必要ありません」
「嫌です。だって、オーレリアさま、お一人だとどうしようもなくだらしないじゃないですか」
「だらし……」
「部屋は散らかし放題、お菓子は食べたい放題、着替えもお風呂もめんどくさがるし、朝は寝坊したくて仕方がないし、起きたら起きたで寝癖だらけなのに直そうともしないし、だらだらするの大好きだし……今もそう」
(全部当たってる……)
さらさらと話しながら、ミーナはその間も作業の手を止めない。顔をしかめる一方、本当に器用、と感心を覚えた。オーレリアよりこの子のほうがよほど使い出がある。
「はい、おしまい」
皺ひとつなく整った寝台を見て、ミーナは満足そうに笑う。
オーレリアは、城で下働きをする人たちが時々するこういう顔が好きで、嫌いだった。誰に見せるわけでもなく、誰に向かってというわけでもなく、仕事を終えた自分を誇るかのように笑う――オーレリアが一生することのない顔だ。眩しくて羨ましくて見ていられない。
「湯浴みは無理でしょうけど、清拭できるようにお湯をもらってきますね」
出ていくミーナを見送って、オーレリアはまたソファに身を崩した。
ミーナは真面目で仕事熱心、善良な一方で、オーレリアの上っ面に騙されない冷静さもある。気も弱くない。あの子なら自分で道を切り開けるはずだ。
分厚いガラスの入った小さな窓から、ビシキの港と北海が見えた。明日、オーレリアはあの海に出て、見知らぬ土地に行く。
(先の見えないヴォーバリアに、あの子を連れて行きたくない……)
なぜかはわからないけれど、強烈にそう思う。
「……?」
階下で多数の足音がして、急に静かになった。誰かが命令調で声高に何かを言っているようだ。陶器が壊れる音や物が倒れる音がする。
不穏な気配に、内乱の始まり――父が殺され、どこぞの侯爵が兵を引き連れて城に踏み込んできて兄を捕らえた日を連想して、オーレリアは目を眇めた。
「オーレリアさま、下の階の様子がおかしいんです……」
さっき出ていったミーナが不安そうに戻ってきた。
立てた人差し指を唇に当て、彼女を黙らせると、オーレリアは部屋の入口まで行き、扉を静かに開いた。階下の会話に耳を澄ます。
「妙な因縁つけてくんじゃねえ。港の利用は平和にやる限りは自由、そういうルールのはずだろ? この要塞の内外に出入りする許可もある。おい、そこの兵士、さっき見ただろうが」
「それがおかしいんだ。なぜおまえたちのような蛮族が、国王陛下の勅許状を持っているんだ」
「もらったからだよ、それ以外にねえだろ」
ガラファと案内役のヴォーバリア人男性の声だ。彼女たちのまっすぐな受け答えに、オーレリアは眉間に皺を寄せた。
無駄だ。相手は会話する気などない。相手はそもそもヴォーバリア人を対等な人間とみなしていないのだ。
「どうせ偽物だろう。どうせなら、近場の領主あたりの名にしておけば、ばれずに済んだものを、国王陛下の書状などと大それた真似をしおって」
「偽物じゃねえ……っ」
人を小馬鹿にする態度に限界を迎えたのか、ヴォーバリア人のほうの声音が低くなった。
「お、お役人さま、困ります」
「その役人に逆らったらどうなるか、わかっているだろう。そこをどけ」
「はっ、だからハイドランド人は嫌いなんだっ」
宿屋の者の困惑もガラファの罵りも無視して、たくさんの足音が階段を上がってくる。
オーレリアはすぐ後ろにいたミーナの腕を取り、奥の部屋へと連れ戻した。寝台下へと背を押す。
「隠れなさい」
「え? あ、え、な、なんで……」
「お黙り。騒ぎが治まるまでじっとしていなさい。あげた宝飾品は持っているわね? なら、私を含めた他の者がいなくなり次第、逃げなさい」
「っ、まだそんなこと……」
また食って掛かってこようとするミーナの両肩をつかむ。足音が近づいてくる。
「自由になりなさい」
「……え?」
「自分で自分の場所を選んで、そこで生きていきなさい。私ができないことを叶えて」
「……」
焦燥が本音を引き出した。オーレリア自身驚いたが、すぐに我を取り戻し、目を見開いて固まったミーナをその隙に寝台下に押し込む。
直後、扉が乱暴に押し開かれた。
「……随分と騒がしいこと」
背を正して顎を上げ気味に、オーレリアは振り向く。
(ここの兵士。となると、先頭にいる男がここの役人……)
見覚えのある兵士の服装と、その前に立つ男の、義務は果たさないくせに権力をふりかざすことだけはする者特有の嫌な顔つきにそう判断する。
顔を巡らせて全員を見渡した後、オーレリアは近寄りがたく見えるよう計算して彼らに微笑みかけた。
「……」
さっきまでの威勢はどうしたのか、男たちは目を限界まで開き、口を半開きにしてオーレリアを凝視する。
(馬鹿丸出し)
どうせ用件もくだらないことだと当たりをつけ、内心のまま先頭の男を見下す。
「……あ、こ、こいつです、セダラさま、どうでしょう、ヴォーバリア人にはどう考えても不釣り合いな……」
「っ、そ、そうだな、これほど美しい女だ、ヴォーバリア人にはもったいな……誘拐でもされたのだろう、救ってやらねば」
咳払いした後、男は下卑た笑いを浮かべてオーレリアを見た。猫撫で声を出す。
「なんとも可哀想に……美しいお嬢さん、このセダラが来たからにはもう心配はいらない、私が保護してあげよう」
「不要です。攫われたなどという事実はありません」
「おお、声まで麗しいとは……」
また物扱い――相手を人間だと思っていれば、こっちの発言をまるっと無視するわけがない。
頬を染め、酔ったような目をする男を、内心で唾棄する。
腹立たしいが、「オーレリアの姿を見れば良からぬことを考える者が出かねない」という父の言は当たっているのだろう。
(結果、私は選択的に馬鹿にばかり遭遇することになると……――最悪)
見た目の美しさを羨む人間の気が知れない。
不安に駆られて胸元で両手を組み合わせる……ようなそぶりで、懐に入れてある扇へと手を伸ばした。
完全に侮っているからだろう、警戒するそぶりなく、顔を凝視して近寄ってくる男に微笑を深めると、オーレリアは凄まじい速さで懐から手を引き抜き、顎へと打ち上げた。
ぎゃっという悲鳴を聞いて、唇の両端を吊り上げて笑う。
「……な、何をする」
「この砦の責任者の元に案内なさい」
問いを無視して傲然と命令すれば、顎を抑えつつ、男は気圧されたかのように押し黙った。周囲の者たちも静まり返る。
夢見心地だった目が得体のしれない物を見る目に変わったことに気づいて、楽しくなってくる。
オーレリアは兄やソフィーナのように他人と対等に話し合う術を持っていない。常に上の立場から物申し、命令してきた。一部で『お優しい』などと言われていたのは、そう見えるよう表面上柔らかい物腰をとっていたからであって、本質は傲慢そのものだ。
「その耳は飾り?」
「……っ、な、何をえらそうに――」
「まだわからないの、わたくしはそれが許される人間です」
低く、静かに言い放ったオーレリアに、男は目を見開いた。
猫を被るのをやめただけで、周囲の反応はこうも変わる、と気づいたら、ますます愉快になった。
「おい、勝手な事しないでくれ、ストゥルツがここにいろって……」
「このままここにいたら、面倒なことになるのはわかるでしょう。ストゥルツは少なくとも今ハイドランドと揉めることを望んでいない――であれば、大人しくしていなさい。話をつけてきます」
「っ、そんなこと言って逃げる気だろうっ」
ヴォーバリアの女戦士ガラファの叫びに、オーレリアは「散々私を邪魔扱いしてきたのに」と吹き出した。
「そ、それは……」
「知っているわ、あなたは私を貶められるならなんでもいいのだと」
図星だったのだろう、ガラファの白い頬がかっと赤くなった。
(喧嘩を売っていい相手かどうか見極められないなら、喧嘩なんて手段自体、放棄すべきなのに)
憐れみを込めて彼女を一瞥した後、オーレリアは木っ端役人と思しき男に視線を戻した。
「二度は言いません――命令です」
目を眇めたオーレリアに男は唇を引き結んだ後、呻くように「ご案内、します……」と漏らし、踵を返した。
背後では宿の主人がヴォーバリアの若い男を捕まえて、「親父の縁でずっとお付き合いしてきましたが、こういう面倒事が頻繁に起こる。申し訳ないが、もう……」などと訴えている。




