15.最果ての町
街道沿いの風景がまた変わった。
背の高い、同じ種類の木ばかりの薄暗い森か、白樺などが疎らにある荒れた平地が繰り返されていたところに、湿原が現れる。
板に突起がついたような角を持った大鹿が、水たまりに足をつけ、水草を食んでいる。あれが『となかい』だろうかと思ったら、察したかのように背後のストゥルツが「あれはヘラジカだ。トナカイは水辺を好まない」と口にした。
背の低い草の合間に見えたり消えたりしていた水面が、少しずつ繋がって幅を増していく。浅めながらも『川』と認識できる水の流れになる頃、前方から独特の香りが漂ってきた。
「オーレリアさま、何か臭いませんか」
「潮の香りです。海が近いのでしょう」
離宮を訪れた際に得た経験と知識を引っ張り出せば、懐かしさとほろ苦さが湧き上がってきた。隣の馬に乗るミーナが「海」と目を輝かせる。
(私が誰かに教えられることがあるなんて……)
ほんの少しだけ感慨を覚えた。
道を行き交う人が増えてきた。前方から馬車がやってきてすれ違う。徒歩の商人がその後ろを歩いてくる。右手前方には、東方向に伸びていく別の街道があるようだ。そこにも馬車や旅人がいる。
典型的なハイドランド人もいれば、ストゥルツたちのような身なりの人、古びて汚れてはいるけれど、上質かつ独特な織りの毛織物のコートを纏った人、以前オーセリン海洋国に行った時に見た南国ふうの容貌の人、皆様々な見た目をしていた。言葉が違うことさえある。
(世の中には色んな人がいる……)
オーセリンに行った時も思ったけれど、自分は本当に何も知らないで生きてきたのだと思い知らされる。
「人が増えてきたな」
「……触らないでくださる?」
同じ馬に乗る後ろのストゥルツが、オーレリアの外套のフードを勝手に頭に被せた。
首を巡らしてじろりと睨めば、彼は「目立つからな」と肩をすくめた。
(まあ、ろくでなし王女だって喧伝して歩くこともないか)
フードの内に髪と顔を隠しておけば、素性はばれない。『可憐で華奢な妖精姫』が、馬に乗せられて移動しているとは誰も思わないだろうから。
「あと少しでビシキだ。そこで一泊して、明日そこの港に待たせている船に乗る。まあ、天候次第だけどな」
「……船」
「乗ったことはあるか?」
「以前オーセリン海洋国に行った時に」
危ないだの日に焼けるだの言われて、まともに外に出ることもできなかったけれど、長い航海の最中、船窓から外を眺めるぐらいの自由はあった。その時見た南国の風景を鮮明に覚えている。
遥か高く、遠くまで見通せる澄み切った青空、そこに浮かぶ真っ白な雲は水平線まで列をなしていた。その下に広がる青とも緑ともつかない美しい色の海と白い砂、浜辺を彩る緑鮮やかなヤシという植物――。
「オーセリン……はここから見て大陸の反対側だったな。生憎と南の海と違って、こっちの海は綺麗でも穏やかでもない」
いつも自信満々でポジティブな赤毛の大男が、珍しく苦笑したのを見て、なんとなく口を開く。
「知っています。こっちの空は暗くて雲も海も真っ黒、波がきつくて、全体的にいつも不吉……」
赤い眉の端が下がった。この人、いくつなのだろう、とまた疑問に思いながら、言葉を続ける。
「でも、胡散臭くない」
一転、眉が跳ねあがった。一拍置いた後、吹き出して「なんだそれ。やっぱ変な奴」と笑い出した。
無礼な、しかもやっぱりって何、と彼を睨むも、すぐにどうでもよくなった。
考えてみれば、美しいだのなんだの外見を褒められるよりましだ。貶しているにしても彼はオーレリアの発言、つまり内面を見ているわけだから。
進むにつれ、人がさらに増えていく。
街道の両脇に、木を適当に組み立て、布をかけただけの店が出てきた。ボロボロで不衛生、風が吹けば飛びそうなそこで、人々が平気な顔でやり取りしている。
それらの背後には、同じような趣の家と思しきものがあった。傍目にも隙間だらけで薄汚れたあんなところで人が暮らしているなんて、信じられない。
「……」
おぞましさに身震いした瞬間、塵と凸凹の目立つ路地を、やはり薄汚れた子供が二人走ってきた。そして、繕いの目立つ服を着た男性に満面の笑顔で抱きつく。痩せぎすのその人が同じ顔をして子供たちを抱え、笑い声を上げた。
「……馬鹿みたい」
どうしようもなく貧しいのに、あんなに能天気に笑って――。
だが、なぜか目が離せなかった。
灰色の厚い雲の下、前方に砦が見えた。門は大きく開いているけれど、武装した兵士たちが剣や槍を手に行き交う人々に目を光らせている。
「待て――ヴォーバリア人だな」
オーレリアの乗る馬の前に、門兵が槍を突き出してきた。驚いた馬が小さく悲鳴を上げ、のけぞる。
ふるい落とされそうになったが、後ろのストゥルツに支えられた。
周囲にいた兵士たちが緊張した面持ちで、集まってくる。どの顔にも警戒と微妙な敵意があった。
「この服装を見れば、わかるだろう」
顔に傷のある男が低い声で答えた。
「頭ぁ、俺たち、すっかり悪人扱いっすね」
「お前ら、人相が悪いからなあ」
ストゥルツの様子は変わらない。くつくつと笑う。
「お前っ」
軽くあしらわれていると感じたのだろう、気色ばんだ兵士へと、彼は懐から出した筒を放り投げた。
不審と不快を露わに手元の筒から紙を取り出した責任者と思しき兵士は、文字を目で追ううちに顔色を変えた。
「……失礼、しました。お通りください……」
自分の目を疑うかのように何度も手紙を読み返した後、彼は脇に退いた。そして、猜疑の目を向けつつも敬礼をよこした。
あの筒の中身はおそらく兄からの親書だ、それゆえに彼らは本来好意的でなかったストゥルツたちを受け入れた。そう察して、オーレリアはフードの下で不機嫌に目を細めた。
オーレリアにとっては外道でしかないが、兄はこの国の王として、こんな片田舎にまできっちり影響を及ぼせる人間だと目の当たりにした気がする。
(全部メリーベルさまのおかげのくせに)
鼻を鳴らして砦の内へと入る。だが、すぐにまた馬を止めることとなった。
「待て。なぜシルゲ族が一緒なんだ。ヴォーバリアと一緒になってなんか企んでいるんじゃないだろうな」
慌てて振り返れば、兵士たちがミーナの乗る馬を囲んでいる。
「え、あ、わ、たし、は……」
兵士の一人が、怯えるミーナの頭へ「青みがかった黒毛の巻き髪、間違いない」と無遠慮に手を伸ばす。
「――下がりなさい」
「なんだと?」
ストゥルツや、ミーナと同乗するヴォーバリアの若者より先に、オーレリアは怒りと共に兵士を制した。
居丈高な物言いのせいだろう、兵士たちが眉を逆立ててオーレリアを振り仰ぐ。
「わたくしの侍女への非礼は許しません」
フードを外した。まとめて中に収めていた髪が風にさらされて、顔にかかる。
鬱陶しさに苛つきながらそれを払った後、兵士たちを見渡せば、全員が呆気にとられたようにオーレリアを見つめてきた。
信じられないものを見るようだった目に、陶酔したような色が混ざっていく。
(いつ見ても気持ち悪い)
狙ってのこととはいえ、ひたすら顔だけを凝視されて、嫌悪が湧き上がってきた。
「ミーナ、こちらへ来なさい」
「っ、か、勝手な真似をす――」
「よく見てから仰い――わたくしがお前ごときの指図を受ける人間に見えて?」
「……」
いち早く立ち直って食い下がってきた責任者に、柔らかい微笑を向けた上で、傲慢そのものの言葉を放てば、混乱の極みに陥ったらしい。口を開けた。
背後のストゥルツが「さすが王女さま、尊大な振る舞いが板についていらっしゃる」と小さく笑う。
直後に再びオーレリアにフードを被せた。
「っ、ちょっとっ」
「その子の母親は確かにシルゲ族なようだが、父親はハイドランド人で、育ちもハイド。実質ハイドランド人だ。こちらの気の強いご令嬢の世話でただでさえ苦労しているんだ。見た目で勝手にあれこれ言うの、やめてやってくれるか」
(気が強いだの、私の世話は苦労するだの、失礼極まりない……当たってるけど)
オーレリアは口をへの字に曲げた。普段なら絶対にやれないから、そういう意味でこのフードは存外悪くないけれど、またも勝手に被せられたことは気に喰わない。
「お互い面倒事は避けよう。通行許可もあることだし、このまま行かせてくれ……って、俺たち、行きもここ通ったんだがなあ。この馬を買ったのもこの先のヤルゼンの店だ」
長身で筋肉質でありながら、困ったような顔で頬をかく仕草が妙に幼く見えたせいかもしれない。毒気を退かれたように、兵士たちが再度退いた。
「感謝する」
その彼らにストゥルツはさらりと礼を口にした。
(お礼? 理不尽を受けてそれを退けただけなのに? なんか妙に腰が低い……王?)
自分の父や兄、オーセリンで出会った各国元首と比べて、やっぱり偉そうな感じがしない。不愉快ではないが調子が狂う。
オーレリアは口角に加えて眉尻も下げながら、馬に揺られてビシキの街へと進んでいった。
途中馬を売り払ったり、買い物をしたりしながら、ストゥルツはオーレリアたちを連れて街を抜けていった。
その様子を見る限り、ヴォーバリア人とここのハイドランド人は互いを警戒しつつも、利用できるところは利用するという関係性のようだ。揉めることはないが、親しくする様子も気もない。
(こういう関係は少し突いてやれば、すぐ壊れる……)
ありもしない悪意をちょっと撒くだけでいい。それが本物の悪意を呼び、またさらなる悪意を掘り起こして、等比級数的に憎悪が膨らんでいく。そして、何かをきっかけに一気に爆発して、悪意の有無にかかわらず全員が不幸になる。
何が本当か、自分は何をして何をすべきでないのか、一瞬立ち止まって考えるだけで回避できるのに、それができない人間のなんと多いことか。彼らの多くは悪意を向けられることには敏感でも、内なる悪意とそれを他者に向けることの危険性には鈍感、自制も効きにくい。
(時が来たら利用しよう)
オーレリアは微笑を顔に貼りつけつつ、ストゥルツを含めたすべての人々を観察する。
誰が何を厭い、何に妬み、何を恐れているのか。負の感情は人間を躍らせる好材料だ。
(海……)
そうして行き着いた先は浜辺だった。
塩気を含んだ重い潮風が、髪と外套、そしてドレスの裾を揺らす。足元は黒砂で、一歩歩むごとに微妙に沈み込んだ。
天は真っ黒な冬雲で覆われ、その下でうねる海面も黒い。風のせいで高く上がる波頭の白さが目についた。飛沫が時折体にかかり、時間が経つごとに寒さが増していく。
「お、大きな水たまりですね……なんか動いてるし、騒がしいし、生き物みたい」
ミーナが初めて見る海に、微妙に引き気味になっている。
(ソフィーナも同じことを言ったっけ)
あの子の場合は、楽しそうに波と追いかけっこし始めて、侍女に呆れられていたけれど。
「? あの杭は?」
少し沖に、等間隔に並ぶ人工物を見つけた。頭を巡らせれば、内陸からずっと横を流れていた川の河口にも同じような杭がある。
「『遠見の魔女』こと、メリーベルの仕業だ」
思わぬ名が出て目を瞬かせたオーレリアに、ストゥルツは尊敬と倦怠を混ぜたような複雑な表情を見せた。
「ヴォーバリア人が、氏族どころか村単位でずっと争ってきたのは知っているか。国としてまとまったのはつい最近、ほとんどがヘルギ・シャールゴール、俺の父親の業績だ」
「お父さまは道半ばで亡くなったということ?」
オーレリアの確認に、ストゥルツは「あと一歩というところで。それを引き継いで統一を成し遂げたのは兄だ」と淡々と頷いた。
道中立ち寄った村で、ストゥルツが親兄弟を殺し、その血を飲んだと噂していたことを今更思い出し、知らず身を硬くする。
だが、ストゥルツはひたすら杭……いや、そのさらに向こう、海の彼方を見ていた。物思いに沈んでいるとしか形容できない彼の横顔を見たら、警戒が消えた。
「ヘルギは統一を考え始めた時に、戦費や物資の調達先として大陸に目をつけ、ハイドランド侵略を考えた。だが、その時にはあの杭があった」
「一体何のために……」
「遠見の女神さまは全部お見通しだったんだろう。北の異民族の動きも得手不得手も作戦も。俺たちは海上の戦闘が最得手だが、喫水、あーと、水面から船底までの深さのことだ、喫水の浅い船を使って上陸しての陸戦もやる」
「……つまり、あの杭はそれを防ぐためのもの。河口に念入りに打たれているのは川伝いに内陸に攻め込まれるのを防ぐため……」
ストゥルツは頷いて、肩をすくめた。
「ご丁寧なことに、ハイドランドの沿岸で上陸できそうなところは全部、だ。そのくせこういう港には接岸できる場所がある。あそこに見える通り、監視塔やら投石機やらがある中での『平和な』交易だけは歓迎します、ということだな」
父の正后だった彼女が、国の皆の平和を心から望んでいたことを思い出す。説くだけでも祈るだけでもなく、自らの力で平和を築き上げていく人だったことも。
(何もできない私と違ってカッコ良くて、だから憧れた……)
その彼女に国から出るよう言われたことを思い出して、オーレリアは視線を伏せた。
「結果一族総意で、あの女がいる限りハイドランドへの手出しは避ける、むしろ背後を取られないよう、警戒すべきということになって、めでたくハイドランドと国交を結ぶにいたったわけだ」
「メリーベルさまは亡くなった」
「当然承知だ。旦那の先王のほうは、こう言ったら悪いが、馬鹿丸出しだったから、親父たちはハイドランドに攻め込むつもりで様子をうかがっていたらしい。が、その辺もメリーベルは読んでいたんだろう。セルシウスに知恵を残していた。奴にも抜かりはない」
オーレリアの父と兄をそれぞれ正確に評して、ストゥルツは「俺たちは、戦闘能力は高いが、基本は単純馬鹿ばかりだ。メリーベルやセルシウスみたいなのとやり合うのはきつい」と短く息を吐き出した。
「前も言ったけれど、私はハイドランド、兄への抑えにはならない。私に人質としての価値はない」
「知っている。期待もしていない」
「……にこにことただ微笑んでいればいい?」
期待していないという言葉が突き刺さって、燃えるような赤髪の間からのぞくアイスグリーン色の瞳を睨めば、「そんな目で見てくる奴には、それこそ期待しない」と声を立てて笑われた。
(人質じゃない、お人形王女に用があるわけでもない、元々ソフィーナを望んでいた以上、私個人に興味があるわけでもない……)
困惑しつつ、オーレリアは笑うストゥルツの意図を探る。
オーレリアがハイドランドとヴォーバリアをいがみ合わせ、共倒れさせようとしていることを、以前彼は見抜いた。その上で、そんなオーレリアが必要だと言った。
オーレリアのように破壊願望があるわけではなさそうだから、自国の破滅を望んでいるということはないだろう。
となると、ハイドランドとの関係を悪化させ、戦争したがっている? だが、それこそオーレリアを殺してしまえば済む話だ。
眉間に狭めて考え込むオーレリアに、ストゥルツのほうは表情を緩め、頭をポンと叩いた。
「俺は船を見てくる。お前ら、オーレリアを潮見亭に連れて行ってやれ」
馴れ馴れしい仕草にも呼び捨てにも気分を更に害しながら、ストゥルツが指さした場所を目で追う。
「宿屋……?」
「そう、敬遠されまくりな俺たちヴォーバリア人でも受け入れてくれるところだ。その分少々騒がしいが」
「……」
てっきりこの街の責任者に挨拶し、そこでの宿泊となると思っていたオーレリアは、自嘲を顔に浮かべた。
(人質として、潜在的な敵国にやられる王女に来られたって、相手も困るものね)
実際この前宿を求めた村の長も人々も困惑していた。外面を気にする兄のことだ、道中の領主の反対を見越して、誰にも連絡していなかったのかも、と今さら思い至る。
「オーレリアはそういうところのほうが気楽だろう」
「……」
(気楽、だから……? 私?)
まるでオーレリアのためにそうしたように聞こえて、目を瞬かせた。
この人は何かがズレている気がする。そもそも距離が近いのだ。
「何度も言ったでしょう、名前呼びなさらないでくださる?」
「結婚しようという間柄なのに」
冷たく一瞥したが、案の定堪えた様子はなく、さらっと流された。完全に馬鹿にされている。
(メリーベルさまはお優しかったけれど、お怒りの時は誰もが蒼褪めるような威厳があった……)
父すらも例外ではなかった。あの男がメリーベルさまの前で悪口を言わなかったのはそれが理由だ。
あの男のつまらなさはそのまま自分にも当てはまる、とオーレリアは嫌気に顔をしかめた。




