第14話 “ソフィーナ”
めらめらと赤い炎が揺れる。地べたに敷かれた、正体の分からない生物の毛皮の上に座ったオーレリアは、あちこち痛む体を丸めて膝を抱え、まるで生きているかのように濃淡を変える焚火を見つめる。
盗賊の襲撃を受けた直後に、儀式もまともな挨拶もなく嫁ぎ先のヴォーバリア王国一行に引き渡され、寂しい北の地の寂れた街道を北海に向かって進むこと六日。日中は馬に乗って移動し、夜は地べたで寝ている。
一行は他者と関わることを避けているようで、外套で顔と体を深く覆って、他の旅人と交わることも街などに立ち寄ることもほぼない。食事も外で、行動食と呼ばれるような保存食をめいめいが適当にとって終わり。
ハイドでは秋の終わりだったが、北上したせいだろうか、すっかり冬めき、体の後ろ半分に触れる空気が驚くほど冷たい。
対照的な炎の温かみに誘われて眠気を覚えるが、寝たくない。眠れば、また嫌な夢を見る。
それが何日も続けば、いい加減オーレリアにもわかった。おそらく兄や騎士団長が言っていた魔物の仕業だ。オーレリアの抱える劣等感や暗いものをついて弱らせ、判断力が落ちたところで誘い出して殺して喰らう、狙いはそんなところだろう。
今もその辺でオーレリアを見ているかもしれない。
ふと顔をしかめて、頭に手をやった。痒いのはずっと湯浴みしていないせいだ。それだけじゃない。ほとんど運動したこともないせいか、全身が痛いし、これまでペンやカトラリー以外まともに持ったことのない手はガサガサ、白金そのものと謳われてきた髪もバサバサで薄汚れている。
粗略以外の形容がない扱い――もっとも人質として他国に引き渡される売国奴の扱いなどこんなものかもしれないが。
(……ソフィーナの手もボロボロだった)
炎に照らされて赤く染まった自分の手をしげしげと見ながら、その手を蔑んだことを思い出す。カザックの王太子に望まれてカザックに行ったあの子が、ハイドランドで起こった内乱を鎮めるために帰ってきた時のことだ。
あんな手になるまで、あの子は一体どこで何をしていたのだろう。
(でも私と違って、ソフィーナは自分で選んでそうしたんだろうな……)
あの子はオーレリアと違って賢いから、自分で自分のすべきことを選んで、自分の力で実行できる――。
「……誇ればいいのに。私なんかに手が汚いって言われて恥ずかしがる必要なんかないのに、素直というか馬鹿というか……やり返してきたあの王太子のほうがよっぽど悪意慣れしてる」
ぼそぼそと呟いてオーレリアは抱えた膝の上に顎を乗せた。
『王女』に相応しくない、子どもみたいな仕草だ。普段なら絶対にしない。けれど、ここでは誰もオーレリアを気にかけないのだ、気にするだけ馬鹿馬鹿しい。
人質なのに監視する必要すらないと舐められているわけだから、面白くはないが、いずれそこも逆手に取ってやるとぶすくれる。
薪の一本から白い煙がシュウと音を立てて吹き出した。炎が青みがかり、勢いが増す。顔にほてりが移った。
(こんな近くで火を見たことはなかったかも)
ハイド城のオーレリアの部屋にも暖炉はあった。だが、危ないとか言われて、近づけなかった。
本当にくだらない、とオーレリアは自嘲に唇の端を吊り上げる。
保身のためにオーレリアを父に差し出した兄や、人をお人形扱いするハイドランド人たちに復讐しようにも、生きていくための最低限――馬に乗るどころか、自力で長く歩くことすらできない自分は、確かにお人形と何も変わらないではないか。
焚火の向こうでは、何が楽しいのか、ヴォーバリア人たちが楽しそうに騒いでいる。
その輪の端にオーレリアを地面に引き倒した、褪せた金髪の女戦士ガラファを見つけて、なんとなく見つめた。
視線を感じたのか、その人の目がオーレリアを向き、はっきりと睨んできた。
もう何度目かわからない敵意ある視線の交わりに、会ってすぐよくもここまで嫌われたものだ、とつくづく感心する。
直後、オーレリアは柔らかい微笑を顔に浮かべた。
彼女が息を止めた後、悔しそうな顔をしたのを見て、内心で舌を出した。こんなことをしているから余計嫌われるのだろう。
女性の多くは、オーレリアのこういう部分を敏感に察知する。
ただ、それを表に出すこともしない。オーレリアの身分もだが、彼女たちが警戒するのはオーレリアの持つ圧倒的な美貌だ。そこに『可憐で優しい』外面が加わると、オーレリアの悪口でも言おうものなら、悪役はたちまち自分になると知っているのだ。
互いを褒め合い、一緒に笑い合い、心の中で考えているのはそんなこと――。
それがオーレリアに全部伝わっていることに気付く人間は多くなかったが、それも含めて喜劇そのものだ。
(例外はソフィーナね。鈍い……違うか、あの子は人の善性を無意識に信じていたから)
その無邪気さを含めて大嫌いだった、とオーレリアは眉間を寄せる。
苛立ちにまかせて、手元の小枝を火に投げ込めば、ぱっと勢い良く燃え上がった。
(あとは、ソフィーナについてきたカザックの女性騎士……)
ガラファと違って、言われるまで女性だとまったくわからなかったおかしな騎士だ。
見た目もだが、その中身からも性別がまったくわからず、ひたすら明るくて、言動が呆気にとられるぐらいズレていた。
そのせいだろう、ソフィーナを陥れるために利用しようと隙をうかがっていたのに、話すうちに気が緩んで、つい訊ねてしまったのだ、「なぜ女性の身で騎士などしているのか」と。
答えも人柄と同じく明快だった。「いたいと思う場所にいるだけです」、そして「そのために努力しましたし、この先もします」と言い切った。
「いたいと思う場所にいるための努力……」
整った顔に不釣り合いな、醜い額の傷をさらして堂々と笑った彼女を思い出して、その言葉を口の中で繰り返してみる。
でも……――いたいと思う場所がない場合は、どうすればいいのだろう。
あれは嫌い、これも嫌いばかりで、何が好きなのか、何をどうしたいのか、オーレリアはさっぱりわからない。自分は外皮を整えただけの空っぽな人間だとつくづく思い知らされる。
「今日は一段と賑やかですねえ」
ミーナがヴォーバリアの男と共にやってきて「夕飯です。今日はごちそうなんです。明日には目的の街に着くから、食料を使い切るんですって」と言いながら、オーレリアの横、敷布の上とはいえ地面に食事を並べていく。
食器やカトラリーと共に食事を出されるのは、彼らとの旅で初めてのことだった。
目の前の料理からは湯気が立ち上り、いい匂いがする。が、粗末な木製の器は黒光りしていて、その一つからは何か獣の骨らしきものが飛び出している。
二人の後ろにはストゥルツもいて、オーレリアたちの様子を観察していた。彼らのすぐ向こうでは、同じ料理を前にヴォーバリア人たちが歓声を上げている。
(おなかは空いているけれど……)
騒々しく始まった食事の光景とストゥルツ、目の前の器を順に見て、オーレリアは軽く眉をひそめた。道中の村での失敗を思えば、誰かと一緒の食事は避けたい。
それからミーナに視線を移して、顔を曇らせる。これが「ごちそう」、つまり滅多に食べられないものなら、彼女は……?
「……このような得体の知れない物、私は食べません。ミーナ、あなたが食べなさい」
むっとする若いヴォーバリア人の横で、ミーナが半眼を向けてきた。
「私が食べさせてもらってないんじゃないかと思ってらっしゃるんでしょ。生憎とみんないい人で、お手伝いしながらお腹いっぱい食べさせてもらいました」
どうやらミーナは、ハイドにいた時よりずっとましな扱いを受けているらしい。オーレリアよりよほどヴォーバリア人と仲良くなっていると感じていたが、見えないところでも同じなようだ。
ほっと息を吐いた後、口をへの字に曲げた。なぜ、人の命も聞かず勝手についてきたこんな子を気にかけなくてはならないのか。
「お城にいた時もそうでしたもん。お茶菓子とかサンドイッチとか、私にいっぱいくれました。見つかって甘やかされてるとか不公平とか責められた時は、『残飯だもの。甘やかすも何も、それでいいというのはその子しかいないでしょう』とか言って庇ってくださった」
「はあ?」
思わぬ言葉に声を上げたオーレリアに、ストゥルツが吹き出した。慌てて顔を取り繕う。
「残飯は残飯でしょう。それを有り難がるなんて……」
「くださる物は全部手付かずだったじゃないですか。私が食事をひっくり返されたり捨てられたりしてるのもおやつをもらえないのも、残飯とでも言わなきゃ余計いじめられるのも知ってらしたんでしょ」
「……」
不憫な子を憐れむように言ってみたのに、ミーナは口を尖らせながら、また言い返してきた。
ああ言えばこう言う――妙に偉そうになってきたミーナをついに睨めば、彼女はようやく我に返ったようだ。視線を彷徨わせながら、口を噤んだ。
「とことんめんどくさい奴なんだな」
呆れているのか感心しているのかわからない感想を漏らしたストゥルツの傍ら、食事を運んできた若者が毒気を抜かれたような顔をして、「俺、ハイドランド人ってわかんねえや」と首を振り、ミーナの背を押して去っていった。
「……食べたくないとは本気で思っています」
「腹が減ってないわけじゃなさそうだし、今までは何を出されても食べていた……となると、食べ方、作法がわからない、だから馬鹿にされるのを恐れて……ってタイプじゃないな。なら、人を不快にさせるかも、というあたりか」
(……なんでこんなに察しがいいのよ)
思わず顔をしかめれば、ストゥルツは逆に目元を緩めた。その顔にはやはり既視感があった。
「なら、俺も一緒に食べよう。どうやって食べたらいいか、それでわかるだろ」
「は?」
呆気にとられるオーレリアに、彼は緩んだままの薄い青緑色の目を向けてきた。どこかで見たような感覚がさらに強まって、オーレリアは顔をしかめる。
(え、自分で取るの……? 食事を? 王さま、が……)
一旦離れていった彼が、自らの食事を手に戻ってきた。目を白黒させるオーレリアと食事を挟んで同じ敷物に座り、匙と器を手に取る。
(……あれ、なんだか綺麗)
両膝を左右に開き、ふくらはぎと脛を重ねる形で足を組む、見慣れない座り方だ。その態勢で背筋をまっすぐ伸ばし、静かに匙を動かす。
ハイドの侍女たちが見れば、「野蛮」とでも言って指をさして笑うだろう。でも、大陸と海を隔てた国だ。言葉も似てはいるけれど、ストゥルツはともかく、他のヴォーバリア人の訛りはかなり強い。ならば、文化も異なるはずだから、これは彼らなりの作法に則ったものなのかもしれない。
(蛮族、野蛮、未開……)
彼らについて聞かされてきた言葉を反芻しながら、ストゥルツを眺めたが、やはり彼の動きには無駄も乱れもなく、不快にはならなかった。
「食べろ。慣れない物は食べられないとかいう繊細なタイプじゃないだろう」
「……指図しないでくださる? 食欲がないの」
ムッとしたのを隠して、弱々しく視線を伏せながら言ってみたけれど、通じない。
胡乱なものを見るように、「ただでさえ行き倒れたトナカイみたいな体をしているんだ、食え」と、普段自分の仲間に対して使うような言葉を口にした。
「いきだおれとなかい……?」
が、何かはわからないが、絶対にいい意味じゃない。
顔立ちも体型もこの上なく美しいはず。これまで賞賛しか受けたことのないオーレリアは、屈辱で蒼白になる。
「ああ、そうか、トナカイはハイドのあたりにはいないんだったか。鹿だ。もう少し北に行ったら見られる」
「っ、解説なんか頼んでいません」
「冬はもふもふで可愛いぞ」
「そんな話でもありませんっ」
「そうだったな。そんなひょろひょろの体のままだと時化で吹き飛ばされるから、食事をとれという話だった」
「ひょろひょ……っ」
なんて屈辱だろう。さっき引いた血が今度は上ってくるのを感じた。
もっと悔しいのは彼が口にした「しけ」という言葉がわからないこと、そして、それが訊けないことだ。
(馬鹿だとばれてしまう)
黙り込んだオーレリアに怪訝な顔を見せた後、ストゥルツは「食べさせてやろうか」と匙を差し出してきた。
「……子ども扱いしないで。自分で食べられます」
深呼吸して気を落ち着けると、彼の態勢を真似して座り直し、匙を手にした。そして、彼がしたのとまったく同じように、飛び出している骨を逆の手で握って、齧りつく。
「……嫌がるかと思った」
目を丸くしてそのオーレリアを見ていたストゥルツが、「そういえば、そういうふうだった」と破顔した。
(そういうふうだった……?)
鮮やかな赤毛の合間からのぞく特徴的な色の瞳。それを包む目の尻は、普段は冷たく見えるまでに切れ上がっている。なのに、今は柔らかく弧を描いていた。
記憶の中から、同じような目が呼び起こされた。形もだが色――そっくり同じだ。
「私……あなたと会ったこと、ある?」
けれど、こんな炎そのもののような赤髪の人と出会ったら、いくら人に興味のないオーレリアでも覚えているのではないか。
オーレリアの見た目に執着してきた人のうちの一人だろうか。だが、彼は一度としてオーレリアの容姿に言及しないし、どうでもいいという感じすら受ける。
まじまじと見つめれば、凛々しい顔立ちに一瞬寂しそうな笑いが走った。
偉そうなそぶりもないのに屈強な戦士たちを当然のように従わせ、自身涼しい顔で盗賊を退け、オーレリアを軽々と持ち上げて馬に乗せ、という人だ。なんとなく年上だと思っていたのに、妙に幼く見えた。
(そういえば、いくつなのかしら)
初めて彼、ストゥルツ・シャールゴールを『人』として認識した。
渡されたヴォーバリアに関する資料を読みもせず、そうと察したカザックの性悪眼鏡文官があれこれ説明していたのを「まともに話すこともない相手」「どうせすぐ殺される」などと思って聞き流していたことを、今更悔いる気持ちが湧いてくる。
そして、もう何度目だろう、ソフィーナだったらいくら嫌でも先を見越してちゃんと話を聞いていたんだろうな、と思った。
見つめ合う二人の間に夜風が入り込んだ。焚火の炎を揺らし、火の粉を舞い上がらせる。
(……だから、なんなの)
強い視線に晒され続けて、居心地が悪くなってきた。しかもなぜだろう、頬に血が上ってくる。そわそわした気分を鎮めたくて、オーレリアは問いを繰り返す。
「無視しないでくださる? 前に会ったことがあるかと訊ねているの」
「『ソフィーナ』とはある」
急速に頭が冷えた。
兄の『ストゥルツ陛下は当初ソフィーナの名を出された。面識と思い入れがおありだったようでね』という言葉が蘇る。
(ああ、そうだった、この人は最初ソフィーナに婚姻を申し込んだ……)
そして、兄はそうと知っていながら、ソフィーナを想う彼との縁談をオーレリアに押し付けた――。
「そう」
オーレリアはストゥルツから自らの視線を離すと、食事を再開した。
本当の意味でオーレリアに興味を持つ人間など、この世に一人として存在しない。ここにはさらに『理想のお姫さま』に興味のある人間もいない。
なら、少食に見せかける必要も、太ることを心配する必要もない。
がつがつという形容がぴったりの勢いで食べ始めたオーレリアに、ストゥルツが眉を跳ね上げる。
「いきなりどうした」
「やるべきことを思い出しただけです」
自分はどうしようもなく馬鹿で、性根も腐っていて、たった一つの武器である美貌も歳を重ねるごとに衰えていく。
(でも、ただでは堕ちない)
人を人形扱い、道具扱いしてきた兄とハイドランド国民、そして目の前の男と、彼の愛する人々も道連れだ。その次は、身の程知らずにもソフィーナを手にしたカザックの太子を殺す。
そのために、こんなところで朽ちるわけにはいかない。
「……」
鼻の奥がつんとしてきたのは、食べ慣れない妙な香辛料が入っているせいに違いない。




