11.ストゥルツ・シャールゴール
振り下ろされる白刃を視界の端に入れながら、オーレリアは首領を静かに睨み据える。
(私に触れた以上、どうせ殺されるにしても、この薄汚い髭面にさっきのお返しを入れてやる――あの刃が届く前に)
オーレリアは逆に一歩踏み込み、男の頬めがけて腕を振った。
ヒュッと音を立てて空気が切り裂かれる。男の目が一瞬オーレリアから逸れた。
ドスッという鈍い音が響いた。
(一矢報いた)
手のひらに感じた衝撃に、満足感が湧き上がった。身を貫かれることを覚悟し、そこでようやく目をつむる。
「?」
だが、痛みが生じない。代わりにふごっという妙な音が響いて、オーレリアは恐る恐る薄目を開けた。
「……」
男は血走った目を限界まで見開いている。手にしていた短刀を取り落とし、震えるその手を自らの喉へとやった。
(……なに、これ……)
彼の首から何かが生えていて、その先へと赤い液体が伝いゆく。
硬直するオーレリアの前で、男は口と鼻から血を吹き出した。生臭く温かい液体がオーレリアの全身を染める。
「頭……?」
「っ、おい、やられてるぞっ」
ヒューヒューと奇妙な音を立てながら、男は地に膝を落とした。先ほどまで騎士たちを小馬鹿にしていた盗賊たちの間に動揺が広がる。
「っ」
右前方の緩い丘から雄叫びが上がった。
慌てて顔を向ければ、見たことのない装束に身を包んだ集団が、武器を手に斜面を駆け下りてくる。その背後から矢が盗賊たちへと降り注ぐ。
(危ない)
その一つがガードネルを抑えていた男の肩を貫いた。
呆然としていたオーレリアは我を返るなり、ガードネルに駆け寄った。痛みに動揺する盗賊の男を蹴り飛ばし、彼を解放させる。
口を開けたガードネルの後ろ襟をつかんで強引に立たせ、盗賊たちから遠ざける。途中、足を負傷した騎士を見つけて手を貸そうとするが、やたらと重い。
「ミーナ、こっちに来なさいっ」
「お、オーレリアさま、血、血が出て、」
「私の血じゃありませんっ」
オーレリアの叫びに弾かれるように少女がやってきて、もたつくオーレリア手助けしてくれた。
他の騎士たちが矢の雨を掻い潜りながらやってきて、全員で馬車の陰に身を隠す。
背後では戦闘が始まったようだ。金属のかち合う音の合間に怒号と悲鳴が響いてくる。
「私みたいなのを庇うわ、それで怪我するわ……騎士道精神だかなんだか知らないけど、どうしようもない馬鹿ね」
「っ、馬鹿はあなたですっ、一体何をやっていらっ――」
「おだまり、役立たず」
冷たく悪態を吐き、コーチの陰から殺し合い場をうかがう。
毒混じりの言葉を吐く時であっても、物言いだけはずっと穏やかに、かわいらしく聞こえるよう猫を被ってきたせいだろう、今になってオーレリアの本性を悟った騎士たちが唖然としているが、当然無視した。
「ヒャハハハ、弱えなあ、陸の奴ら」
「足場が揺れねえってのはいいねえ。馬はやり辛えけど」
「無駄口叩いてんじゃねえ」
新手の襲撃者たちは盗賊たちを圧倒しつつあった。
彼らは彫り深い顔立ちをしていて、誰も彼も体格がよい。言葉には強い訛りがあって、少し聞き取りにくい。皆毛織のチュニックとゆとりのあるズボンを身に着けていて、革製の外套を独特の金のブローチで留めている。
その中の長身の男性が一際目を引いた。槍を持ち、それをまるで手足の延長のように軽々と使う。何人もの敵に取り囲まれていながら、向けられる刃を涼しい顔で掻い潜り、次々に相手を屠っていく。そのたびに翻る長い赤髪と、彼を染めていく返り血に目を奪われた。色の少ない荒野の中、鮮烈だった。
「オ、オーレリアさま、逃げましょう」
「この状況で逃げ切れるはずはないでしょう。解決にならないわ」
「こ、怖くないんですか。みんな、みんな殺されてますよ……」
全身を震わせながら、涙声で袖を引いてきたミーナにそっけなく返して、オーレリアは自分の顔にかかった血を袖でざっとぬぐった。
人が殺されたから、死んだからなんだと言うのか。自分を含めて誰が死のうが生きようが、大した問題ではない。
ましてあの盗賊たちは人に害をなした。彼らを襲撃している者たちもまったく見知らぬ相手だ。心底どうでもいい。
(……あの人、馬車の御者)
どこか怪我をしているのか、ただ怯えているだけか、頭を抱えて地に伏して震えている老人を見つけて舌打ちすれば、騎士たちが信じられないものを見る目を向けてきた。
(私の本性なんてこんなものなのに)
生まれも育ちも頭も何もかも残念な、外皮だけ整った女が生んで、その女に躾も教育も何もなくお人形のように扱われたのがオーレリアだ。
周りにいた侍女たちも令嬢たちも上昇志向と自己顕示欲だけ強く、どこまでも意地悪で、生まれにかかわらず人間性は最低。
そんな彼女たちに囲まれ、下品な貶し合いやえげつない蹴落とし合いを散々見せられてきたオーレリアに、品などあるはずがない。
(らしくないとか散々言われていたソフィーナのほうが、遥かに気品があってお姫さまらしかったのに……ほんと馬鹿ばっかり)
死の危険が迫る中、興奮することも怯えることもなく、ただただ冷めていく。
「オーレリアさまっ、おやめくださいっ」
再び叫んだガードネルをやはり無視して馬車の陰から走り出ると、怒号と剣戟の合間を縫って御者に近寄り、尻を蹴り飛ばす。
怯えながら顔を上げた彼に有無を言わせず、「全員載せて馬車を出しなさい」と命令する。
「っ」
髪を引かれ、頭ががくっと傾いだ。首に強い痛みが走る。
「お、お前らの目的はこいつだろ。こいつが欲しけりゃ……」
「下愚が。わたくしに触れるな」
オーレリアの身を抱え込もうとしてくる盗賊の男を、体勢を崩しながらもぎっと睨む。
頭皮に走る痛みを堪えて踏みとどまり、顔面へと平手打ちを食わせようと逆に一歩踏み出した瞬間、
「――大人しくしてろ」
身がふわりと浮き、髪を捉えていた盗賊の腕が宙に舞った。
絶叫を背景に、吹き出した赤い液体がまたオーレリアの全身に降りかかる。
自分を包み込む存在を確かめようと顔を上げれば、飛び散る血より鮮烈な赤が目に入った。曇り空を背にしたその色に目を奪われる。さっきの男だ。
「今仲間を連れて消えるなら、腕一本で見逃してやるが、どうする?」
彼はオーレリアを抱え込んだまま、盗賊たちに通告した。同時に、男性側の戦士たちが戦闘を停止した。
「今の位置から一歩でも俺たちのほうに動けば、皆殺しにする」
低い声には有無を言わせない響きがあった。
盗賊たちが顔を強張らせ、じりじりと後退していく。そして、ある程度の距離をとったところで目線を合わせると、踵を返して一目散に走り去っていった。
「まだ生きてる奴らもいるってのに、薄情だねえ……って、弱え奴ほどそんなもんか」
「ハイドランド人の騎士さんたちは、仲間見捨ててねえだろ。あいつらの性根が腐ってるだけさ」
「それ、褒めてんのか貶してんのか、微妙じゃね?」
「数の話をしてんだ。ハイドランド人は弱ぇとは死んでも言わねえよ。ギャザレンとかマジでバケモンだからな」
げらげら笑いながら盗賊たちを見送った襲撃者たちを横目に、赤毛の男性は視線をオーレリアに移した。アイスグリーン色の瞳にまっすぐ見つめられて、思わず息を止める。
(……って、なんで)
が、それ自体にムカッとした。この自分がなぜ緊張しなくてはならないのか。
「怪我はないか?」
「あなたに話す義務があって?」
動揺を隠して男性の腕を跳ねのければ、彼の赤い眉が上がった。
(怒らせたかも……というか、怒って当たり前だわ)
事情はわからないけれど、助けてくれたのは確かなようだ。それなのにこんな扱いをされたら、気分を害するだろうことぐらいは、オーレリアにもわかる。
『相手が誰だろうと、どんな状況だろうと、ありがとうとごめんなさいが言える人間でいなさいって、お前、教わらなかったのかよ』
唐突に、幼い声が頭の中に響いて瞠目する。一体誰の言葉だっただろう。内容にもお前呼ばわりにも馴染みがない。
「はねっ返りという言葉は、こういう時に使うんだろうな」
けれど、男性はそんなオーレリアに吹き出した。「さっきもあの男を殴ろうとしていただろう」などと言いながらくつくつ笑い続ける。
他の者と違って彼の言葉に訛りはなく、聞き取りやすい。が、だからと言って不快感が減るものでもない。眉尻を上げ、口角を下げた。
「頭ぁ、楽しそうなとこ悪ぃけど、あいつらの持ってる金目のもん、いただいちまうけど、いいかー」
「好きにしろ」
配下と思しき者たちが、地に伏したり蹲って呻いていたりする者たちに近寄り、その体を探り始める中、オーレリアの頭に大きな手のひらがとんと乗った。
一瞬何をされたか、わからなかった。
「っ、気安く触れないでちょうだいっ」
眦を吊り上げるオーレリアを放って、頭と呼ばれた男は馬車へと歩いていく。
「大丈夫か」
「ストゥルツ・シャールゴール陛下、危難を救っていただきましたこと、心よりお礼申し上げます」
「……え?」
(ストゥルツ、シャールゴールって……)
ではこの人がオーレリアの結婚相手、ヴォーバリアの王ということだろうか? 親兄弟を殺し、生き血をすすったという噂の……。
(確かに、髪は赤いけど……でも、王が自分で戦う? 頭とか変な呼び方されていたし……)
驚くオーレリアに、当の本人は目も向けない。
「……」
呆気にとられた後、人生で初めて無視されていることに気づいて、さらに気分を害した。
ちょっと疑問や驚きを顔に乗せれば、誰もがうるさいほど話しかけてくるのが普通なのに。
「確かセルシウスと一緒にいた……ガードネル・セリドルフだったか。久しいな。セルシウスは元気か?」
ストゥルツは穏やかにガードネルに応じた。
「ギャザレン騎士団長は……悪い、怪我の手当てが先だった」
「お二人ともご健在です。即位式にはお会いしたいとの伝言をお預かりしております。お気遣いいただきましたが、怪我は大したことは……」
(大ありのくせに)
ガードネルはガードネルでやっぱり気に入らない。
ひどい怪我を負いつつ頑なに作法を守る彼の傷付近を、半ば実利目的、半ば嫌がらせでトンッと叩けば、案の定彼は呻き声を出した。
ストゥルツがその青みがかった緑の瞳でオーレリアをとらえ、「性格悪いな」と言ってまた笑う。
(なんなの、この人)
自覚はあっても他人に指摘されるとイラっとするものだと初めて知った。
だが、眉を逆立てたオーレリアを、彼はまたも無視する。
「手当てはさせてもらう。君に何かあったら、あの食えないセルシウスがどう出てくるか、想像するだけで面倒だ」
「いや、私は……」
兄に対する悪態とも聞こえかねないセリフを妙な親しみを込めて口にし、ストゥルツは仲間たちとともに、戸惑うガードネルらの手当てにかかった。
「事前のお話では、合流場所はビシキ要塞だったかと」
傷薬を塗られながらのガードネルの指摘に、殺戮の只中にあっても飄々として見えていたストゥルツが一瞬動きを止めた。
「……色々あったと聞いた。道中人手があったほうがいいかと」
彼は去年内乱が起きたこと、その結果オーレリアの周囲から人が消えたことを知っている――輿入れの護衛すらまともにつけられない人間であることを暗に指摘されたと感じて、オーレリアは屈辱に唇を引き結ぶ。
「違うでしょー、そこの姫さんに早く会いたかったってだけでしょー」
「おい」
(……ん?)
襲撃者、いや、ヴォーバリア王国の者たちからの思いもよらぬ言葉に目を瞬かせた。
「まあ、気持ちはわかるけどな、俺たちみたいな賊んとこに大陸からお姫さまが来るとか、正気の話じゃねえし」
「話が決まってからそわそわしてましたもんねー、逃げられるんじゃないかって思ってたんでしょ」
「初恋の相手じゃねえかってもっぱら噂だ、しょうがねえってもんだろ」
「――黙ってろ」
(からかわれている?)
ストゥルツを見れば、冷たい印象のある瞳と目が合った。
刹那、彼は顔を背ける。
(……そうか、彼は元々ソフィーナに結婚を申し込んでいたという話だった……)
彼の配下たちはハイドランド王女という情報だけで、今目の前にいる女がストゥルツの意中の人だと勘違いしているのだろう。
(どんな出会いか知らないけど、望んだのは優しくて聡明なソフィーナ。なのに、宛がわれたのは、自国民にすら蛇蝎のごとく嫌われる屑の私。でも、国のことを考えて断れなかった、と……)
オーレリアのほうは自業自得だが、目の前の彼にとっては災難以外の何物でもないだろう。そう思うと、少し同情が芽生えた。
だが、憐れみを顔に出すのも失礼な気がして、オーレリアは表情を消し、視線を地へと落とした。




