10.襲撃
コーチの座席の間に押し倒された瞬間、頭上で何かが空気を切り裂いた。ほぼ同時にカッという音が立つ。
視界を閉めるのは殺気を帯びた昔馴染みの顔。面白くなってきて、口角を上げれば、馬車の外で喚声と悲鳴が響いた。何か――馬のひづめの音が押し寄せてくる。
目を見開いたオーレリアを尻目に、ガードネルは速やかに体勢を立て直した。コーチの窓から目だけを出し、外の様子をうかがう。
「ここで身を伏せ、隠れていてください」
金属の交わる音と雄叫びが広がる中、コーチの扉を開き、外へ飛び出していく。
その姿を目で追えば、扉が閉じる寸前、駆け出していく彼の背の向こうに、騎士たちと、彼らと交戦する薄汚れた身なりの男たちが垣間見えた。数十名はいる。
起き上がって背後を見て、オーレリアは先ほどの音の正体を知った。コーチの壁から生える、さっきまでなかった棒。その先についているのは、整えられた鳥の羽根……。
(矢……――襲撃だ)
心臓が一気に拍動を増す中、オーレリアは自らの頬を両手で叩いた。動揺している場合じゃない。
(まず考えるべきは……目的。そもそも私だと知って狙ってる? 持参金や輿入れ品目当て? それとも私自身?)
体を窓枠に隠しつつ、慎重に外をのぞけば、圧倒的に少数の騎士たちは、それぞれ複数の男に取り囲まれていた。何名かは既に相手に傷を負わせているが、数に違いがありすぎる。
(ミーナは……いた)
少し離れた木の陰に身を縮め、じっと隠れている。やはり賢い子だ、とオーレリアは息を吐き出した。
「おらっ、いかな騎士さまといえども、多勢に無勢って奴だろ。さっさと姫さんを出せやっ」
「断る」
ガードネルと対峙している一際大柄な男が、野太い声と共に長剣を振り下ろした。それを危なげなく弾くと、ガードネルはその男の心臓を狙う。
「……ただの貴族のボンボンってわけじゃなさそうだな」
辛うじてかわした男の顔つきが変わった。
大音声と共に右上から頭へと振り下ろされる刃を、ガードネルは軽く弾き、軌道を変えた。
躊躇なく相手へと踏み込み、開いた急所へと剣を走らせる。
男は身をのけぞらせながら、剣を引き戻して、その攻撃をなんとか叩き落した。が、体の前面に隙ができる。
ガードネルはよどみなく剣の切っ先を男の喉へと突きつけた。
「戦闘を止めさせろ」
「……」
盗賊の首領と思しき男は顔を歪め、目を周囲に向けた。騎士たちが傷つきながらも次々と盗賊たちを戦闘不能にしているのを見て、鼻に皺を寄せ、歯をむき出しにする。
それから猫撫で声を出して、懐柔を試み始めた。
「なあ、そんな頑張んなよ。ここで俺たちを殺したって、すぐに別の奴らが来るぜ? 裏街道を敢えて選んだって、秘密が漏れたんじゃ、裏目にしか出ねえってもんだ。おとなしく馬車ん中の姫さんと積み荷をよこせって」
ガードネルの目つきが鋭さを増した。
「誰から聞いた」
「さあなあ。ただ、一人二人じゃねえ。俺たちから絞りとった税だのなんだので贅沢三昧、そのくせこないだハイドが乗っ取られた時ゃずっと城で隠れてやがった、ろくでもねえ王女だって、王都の奴らがあっちゃこっちゃで噂してっからな。そんな奴のために命張る必要はねえだろ」
男が下品な笑いを顔いっぱいに浮かべた。
「今彼女は彼女の使命を遂行している。渡すわけにはいかな――」
「ガードネルっ、後ろっ」
首領の斜め後方で何かが光った。馬車の窓から咄嗟に警告を叫ぶも、間に合わない。
うなりを上げてきて飛んできた矢は、ガードネルの腕に当たり、彼は剣を取り落とした。
「ひゃははは、あめぇんだよっ、これだから貴族は使えねえんだっ」
「あばよっ、宝だけじゃねえ、姫さんと逃げた嬢ちゃんは、精々俺たちがかわいがってやるからよっ」
下卑た笑いを見せながら、オーレリアの乗る馬車へと盗賊たちが近づいてくる。
全身の毛を逆立たせながら、狭いコーチの中で可能な限り扉から離れ、体を低めた。心臓の拍動が耳にうるさい。
「ひーめさん、隠れてないで出ておいでー」
品のない笑い声と共に、扉の取手が動いた。
その瞬間、オーレリアはたわめていた足に力を込めて前へ跳び、扉を力いっぱい蹴り飛ばした。
ギャっという声を耳に外にまろび出ると、ガードネルに今まさに剣を振り降ろそうとしている盗賊の首領へと全力で走って、体当たりを食らわす。
(私、案外力あるのかも。いや、体重……太ってたのね、やっぱり)
弾かれて終わりかもしれないと思ったのに、期せずして男が倒れた。
勝手に妖精だのなんだの騒がれていただけで、実際には間食大好きだ。内乱以降人が少なくなったのもあって、好き放題に食べていた。
(ドレスがきつくなったの、気のせいじゃかったんだわ)
妙に冷静なのは、逆に興奮しているせいかもしれない。
「っ、オーレリアさまっ」
「役立たずに私の名を呼ぶ資格はありません」
オーレリアは尻もちをついた男との間に立つと、背筋を正し、ガードネルへと向き直った。
「護衛一つまともにできないとは嘆かわしい。出来損ないもいいところ……あなたたちも同じです」
オーレリアは顎を突き上げ気味に、他の騎士たちを睥睨する。
さっきまでの喧騒が嘘のように、辺りは静まり返った。
「……へ、噂通り、とんでもねえ、姫さんだな」
唖然としていた盗賊の首領が、「この人数差で身を挺してかばおうとした忠義者の騎士さんらを出来損ない呼ばわりかよ」と右頬を引きつらせる。
「事実です」
断言したオーレリアに、騎士たちのみならず盗賊たちも嫌悪を顔に浮かべた。
立ち上がって体のほこりを払うと、首領は首を横に振った。
「おい、あんたら、こいつと馬車をおいて、帰んな。口封じに全滅させようって思ってたけど、やめてやる。気の毒すぎるぜ、こんな奴のために死ぬなんざ」
「断る」
「……なあ、俺たちも無駄な血を流したくはねえんだよ。もう一人の姫さんの時と違って、こいつにゃ、あんたらしか護衛がいない。その程度の価値しかない女だってあんたたちだってわかってるだろ」
「主命だ」
(どこまで馬鹿なの)
断固たる拒絶を示すガードネルに、オーレリアは小さく舌打ちを零す。盗賊たちの注意をこちらに引き付け直さねば。
「随分優しいこと」
背後を振り返り、首領、そして仲間の盗賊たち一人一人と目を合わせて表情を緩め、微笑んでみせる。
盗賊たちが自分の顔に見惚れたのを確認した後、その顔のまま毒を吐き出した。
「獣風情が今さら人間面?」
「……っ」
一拍後、呆然自失状態だった彼らの顔に朱が上った。
「ソフィーナの輿入れの様子を知っているということは、あの子のことも狙っていた――持参品目的でしょう」
「……まあな。あっちの姫さんと違って、あんたは俺たちに何してくれたわけじゃねえ。それどころか贅沢ばっかしてたんだろ? ちょっとぐらいおこぼれもらったって、ばちは当たんねえってもんだ」
「盗賊ごときが正義漢を気取って道理を説くなんて」
唸るように返してきた首領に、オーレリアはころころと鈴を転がすように笑った。枯れ木が疎らに生えているだけの荒れ地に、笑い声が響き渡る。
「ソフィーナを襲えば、たとえその場は成功したとしても、国中の人間から袋叩きにされると察した、だから怖くてできなかった。けれどわたくしなら、というだけのことでしょう」
愛らしい声でくすくすと笑い続けながら、嘲る。
「もっともらしいことを言って、義賊めかしたところで、やっていることはただの強盗――悪さをするならするで、潔くおやり」
そう言って凄みのある笑みを向ければ、首領は顔を憤怒で赤く染めた。
「慰み者にして情けを懇願させてやろうか……っ」
「暴力で人の心を屈従できると思っている――この上なく卑しい発想、あなたにぴったり」
嘲笑を含ませつつ、天使のようと賞賛される声で歌うようにさえずれば、頬に火のような感触が走った。
「っ、オーレリアさまっ」
「引っ込んでいなさい、役立たず」
頬を張られたと悟ると、拘束していた男を振り切って首領と自分の間に入ってきたガードネルを横にやり、穏やかに囁く。
「言われたそばから力に頼る――知性の欠片もないと自ら証明したのだから、いっぱしに人の言葉を使うのはおやめなさい」
暴力への恐怖も初の屈辱的な扱いへの驚きも怒りもなかった。
それどころか、これまで望んでもいないのに皆に大仰に傅かれてきてうんざりしていた身には、面白くさえある。
心情のまま笑えば、首領は顔を大きく歪めた。腰の剣に手をかける。
「っ、調子に乗りやがってっ、今この場で殺してやる……っ」
(望むところだわ)
口角を吊り上げれば、ますます癇に障ったようだ。剣を引き抜き、ちらつかせる。
「今這いつくばって謝れば、許してやるぜ」
「あなた、塵に謝る気になって?」
どこからか「どこが妖精だよ、とんでもねえ毒婦じゃねえか……」と聞こえてきて、ますます愉快になった。
「お、お待ちくださいっ」
剣の切っ先を向けられたオーレリアの前に走り込んできたのは、先ほどまで木の陰に隠れていたミーナだった。
「オーレ、リアさま、は毒婦じゃないです、みんなあれこれ勝手に言うけど、本当は優しい方です……っ」
「……嬢ちゃん、さっきこいつが騎士さんたちに言ったセリフ、聞いてたか?」
呆れと苛立ちを混ぜて、脇に押し退けようとする首領に、ミーナは震えながら叫んだ。
「そ、それだって騎士の皆さまを逃がすためですっ」
「っ、馬鹿な幻想を見ていないで、とっとと消えなさいっ」
焦りのままオーレリアは、ミーナを突き飛ばした。
「自分を庇おうって奴にまでそんなんかよ、ろくでなしが」
「人間もどきがろくでもないですって」
首領の注意を自分に戻そうと、オーレリアは彼の嫌みに皮肉を返す。
「……マジで死にてぇらしいな」
「陳腐なセリフ」
「っ」
脅しを鼻で笑い捨てたオーレリアに、首領は顔の左頬だけを奇妙に痙攣させ、短刀を振り上げた。
再び賊の一人に拘束されたガードネルが、「やめろっ、その方に手を出すなっ」と叫んだ。




