1.唇のキスだけは勘弁して!
高い天井を支える白亜の柱が整然と並び、静寂に包まれた広大な礼拝堂には、色鮮やかなステンドグラスから柔らかな光が差し込んでいた。
胸の前でそっと手を組み、係の女性が祝福の口上を唱える。厳かな空気に包まれた礼拝堂に、澄んだ声だけが静かに響き渡った。
「では、女神様の御名のもとに祝福を捧げます。どうか、その願いが叶いますように」
口上が終わると、隣に立つ係の女性が一歩前へ出る。私はゆっくりと顔を上げた。
長く並べられた木製の長椅子には、多くの女性たちが座り、それぞれ胸元で手を組んで祈りを捧げている。真剣な表情の人もいれば、どこか緊張した様子の人もいる。
これから私が祝福を授ける人たちだ。やがて女性たちが前へ進み出ると、係の女性が私に向かって柔らかく微笑んだ。
「では、聖女様。祝福のキスをお願いいたします」
――――もう、無理ぃぃっ! 嫌だ、嫌だ、嫌だ! なんで、私の祝福が「百合キス」で発動する制限があるのよぉぉっ!
人に近づくのも、人と話すのも、人に触れるのも、人と同じ空気を吸うだけでも寿命が縮むド陰キャなのに、どうして百合キスをしなくちゃいけないんだよぉぉっ!
できることなら礼拝堂の隅っこにあるホコリにでも転生して、人知れず静かに生きていたいのにっ……!
それなのに、女性たちは期待に満ちた目でこちらを見ている。……逃げるか!
ドスッ!
「うっ!」
その時、脇腹に強い衝撃が走った。震えて振り返ると、係の女性が満面の笑みを浮かべている。目だけが笑っていなかった。に、逃げれない!
「……ど、どのような祝福を、お、お望み……ですか?」
「体を使う仕事をしてします。体力や筋力が上がる祝福がいいです」
「わ、分かり、ました……。そ、それで、その……どちらに、祝福のキッ……キスを?」
「手の甲でお願いします」
手の甲って言ったら、手を掴まなきゃいけないし、体温感じて……無理ぃっ! 人の体温を感じるとか無理すぎて、気体になりたい!
――いたっ! すいません、やらせていただきます!
手をそっと持ち上げて、祝福を発動させて、手の甲に軽く――チュッ。はい、終わり! 終わりました! 祝福を授けたので、もう触りません!
手を引っ込めようとすると――がしっと両手で掴まれる。
「聖女様、ありがとうございます」
「ひぃっ! ……だ、大丈夫ですから……」
心臓がキュッてなった、キュッて! 突然、手を握るとか止めて! 寿命が削れちゃうから!
「聖女様……もう少しスピーディに」
ひっ! み、耳元でドスの聞いた声で囁くのも止めて! 意識が失うから!
改めて女性たちを確認すると、数十人はいる。毎日この数に祝福という名の百合キスをするのは、精神が削れる……。
ゴリゴリとすり鉢でゴマを潰すように、私の精神がすり潰される、百合キスの祝福業務が続けられていく。
だけど、そんな私でも……削られる精神が少ない人がいる。それは――。
「リアナ」
現れたのは、白銀の鎧に深い蒼のマントを纏った姫騎士。
陽光を受けて輝く金色の髪を高く結い上げ、宝石のように澄んだエメラルドの瞳が印象的だ。凛々しさと気品を兼ね備えたその端正な顔立ちは、まるで物語から抜け出してきた王子様のよう。
正真正銘、この国の第三王女のフィオナ・フォン・アルシェイド様だ。その人が、私の前で傅く。
「今日もリアナに話せて嬉しいよ。どうか、私にも女神の祝福を授けてはいただけないだろうか? いつも通りで構わない」
そう言って、手を差し出した。その姿は騎士というより、物語に登場する王子様そのものだった。
「きょ、恐縮です……」
手を掴むと、祝福を宿らせて、軽く甲にキスをする。他の人は嫌な気持ちになるけれど、フィオナ様にはその気持ちが弱い。
きっと、いつも優しくしてくれるからだ。前は厳しい方だったけれど、ある日を境に態度が軟化した。だから、陰キャな私でもそんなに緊張しなくてすむ。
すると、フィオナ様が立ち上がる。すると、フィオナ様が自分の手の甲を口元に近づけて――キスをする。
いや、そこ、私がキスしたところなんですけどっ!?
「ふふっ、面白い顔だね。じゃあ、また顔を見せに来るよ。その時を楽しみにしておいて」
柔らかく笑ったフィオナ様はそう言い残して去って行った。その後姿を眺めるだけでも鼓動が速く鳴る。だけど、嫌な感じはしなかった。
祝福を授ける人たちの中で、その限られた人はもう一人いる。
「やぁ、リアナ」
気さくに片手を上げて近寄ってきた、長身の女性。革と金属の鎧をまとった、女傭兵。
燃え上がる炎を思わせる赤い髪をなびかせ、ルビーのように深い紅の瞳を持つ女性。鋭く吊り上がった目元と整った顔立ちは猛獣を連想させるほど獰猛な印象を与えるが、その表情には親しみやすい笑みと優しさが宿っている。まるで牙を隠した赤獅子のようだった。
魔王軍との最前線にある町を守ってくれる傭兵、シグリッドさん。
「今日もしけた顔をしているね。無理そうなら、外そうか?」
「い、いえ……これも職務ですのでっ」
「……だったら、額にお願いするよ」
そういって、シグリッドさんが屈んでくれる。額へのキスは顔が近いから嫌なんだけど、シグリッドさんならなんとか許容範囲だ。
祝福の力を籠め、額にそっとキスをする。そうして祝福を授けると、シグリッドさんが姿勢を正して笑いかけてくれる。
「よしよし、今日も頑張ったね。偉い。残りも頑張って」
大きな手で私の頭を撫でてくれる。本当なら身を引くほどに嫌なんだけど、シグリッドさんなら平気だから驚きだ。
以前のシグリッドさんだったら他人を寄せ付けない威圧があったけれど、突然人当たりが良くなったんだよね。あのことで改心したなら、とても良い変化だ。
手を振って去って行くシグリッドさんを見ると、ちょっと寂しくなる。とても優しい人だから、私でも傍に居たいと思える人だ。
とにかく、私の精神は二人のお陰で支えられている。あとは学業に専念している妹のことも。
両親が亡くなっているから、私が責任を持って妹の将来を支えないといけない。だから、嫌でも高給金の聖女の仕事を続けている。私が妹の将来を絶対に守るんだ!
「あの聖女様、祝福をください!」
「えっ、あっ、ご、ごめんなさいっ!」
いけない、仕事に集中しなくっちゃ。目の前には私よりも年下の少女。うぅ、こんな少女もキスを強請ってくるなんて……。
「えっと、祝福の内容と箇所を……お、教えてください……」
「力と体力が欲しいです! キスの場所はほっぺでお願いします! そこが効果が一番高いって、アイリスさんの記事を見ました!」
……アイリスめっ、いつのまにそんな記事を提供してたのっ!?
「……手の方が良いと思いますけど」
「ほっぺでお願いします!」
「……あの、恥ずか」
「ほっぺでお願いします!」
うっ、この圧……苦手。精神がゴリゴリ削られていく感じ。こうなったら、私が引き下がらなくちゃいけない。
でも、唇じゃないからマシ。絶対にもう、唇にはキスはしない。絶対に、絶対の、絶対にだ。
「で、では……祝福を、授けます」
そういうと、少女がほっぺをこちらに向けてくる。あぁ、嫌だ嫌だ。でも、やらなきゃ。
そっと、唇を寄せた――その時。
チュッ。
少女がこちらを向いて、私の唇が少女の唇に触れた。……へ? 今、何が……。思わず勢いよく身を引く。
すると、少女は悪そびれもなく笑顔を作った。
「やっぱり、キスっていうくらいですから、唇の方が効果が高いと思いまして!」
……ちょっ、まっ、えっ、今……唇にっ……!!
「い、いやあぁぁぁあああっ!!」
そんな馬鹿なぁぁぁぁっ!




