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Bloody Bless  作者: 館長さん
第1章:北方第6前線基地編

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第4話:一人はみんなのために、みんなは一人のために⑩

 覚悟を決め、エドムント少将の背中を見つめる。だがその時、再び認証を知らせる電子音と共に、背後で分厚い防爆扉が左右に開いていった。


「お待ちください」


 現れたのはリルだ。その手にも、紙束が抱えられている。


「中佐。たった今、基地内の者たちからも、嘆願書を集めてきました。」


「“遅かったな”、見せてみろ」


 ガネット中佐の眉が跳ねた。彼が受け取った書類を確認していく度に、ホログラムの数値が音を立てて更新されていく。


 中佐が確認を終えてデスクの上に置いた紙の一枚が、エアコンの風で舞い上がり、俺の足元へ静かに着地した。


  第6司令部シービースト所属、ハミルトン・リュオン少尉

  あいつの機体の修理費を俺の給料から天引きしていい、だから殺すな


「あのアホが」


 思わず、独り言が漏れた。


「さらに、サポートアンドロイド・LittleLady-0675従尉より一通。および、グラスキャット小隊を始めとするライダーの面々、さらには整備班一同。ほか、軍医の方々、調理師の方々など、合計、百八十七枚です」


「悪あがきをしてくれる。全て合わせて、二千九百九十九枚か。惜しかったな、しかし規律は一枚の差であっても規律。たとえ一通足りなくても、三千に届かなければ……」


「ああ、すまん。忘れていたよ」


 それまで沈黙を守っていたエドムント少将が、ゆっくりと振り返った。


 彼はデスクに置かれた万年筆を手に取ると、手元にあった無地の便箋に、サラサラと何かを書き込んでいく。


「私の一筆が、まだだった。遅れてすまなかったな」


 少将は、その紙をガネット中佐の目の前に事も無げに置く。そこには、基地司令の署名と共に、殴り書きでこう記されていた。


 “准尉の現場判断を、私は支持する。以上。”


「少将。あなたまでそんな、非論理的な真似を。データの整合性を重んじる我が国の根幹を揺るがす行為では?」


「中佐。君の言う規律を守るために、私はこの二千九百九十九人の意志をすべて、ゴミ箱へ捨てろと言うのかね? それこそ、この基地にとって最大の損失ではないか?」


 エドムント少将はガネットを冷徹に見据えた後、俺に向き直り、微かに目を細めた。


「准尉。君を救ったのは、君が救おうとした命そのものだ。給料の三ヶ月カット、および一週間の独房入りで、手を打とうじゃないか。不服かね?」


「……いいえ」


 俺は、熱くなりかけた胸の奥を人工心臓のバイパス出力で無理やり抑え込み、最敬礼を送った。


「やれやれ、基地を預かる御方が一時の感情に流されるなど、嘆かわしい。それでは私が悪者のようではありませんか。」


 言葉とは裏腹に、ようやく表情を崩したガネット中佐の口元は、少しだけ上向きになっているようだった。懐から取り出した紙切れを、デスクの上に叩きつける。それは既に署名済みの、三千一枚目の、本来ならば必要のないはずの嘆願書であった。


 中佐が手を離した拍子に、その紙の端に記された日付が、俺の網膜ディスプレイに拡大投影される。


 ――八日前。俺がやらかして、地下独房にぶち込まれたまさにその日の日付だった。


 規律を誰よりも重んじるはずの男が、一週間前、自分が破滅するリスクすら呑み込んで、真っ先に自分の名前を紙に書き連ねていたのだ。お前が電子署名なんかで助かると思うなよと嫌味っぽく宣ったのは、これを自ら集める過酷さを知っていたからというわけか。


 本当に、どこまでも食えない策士だ。俺は中佐の横顔を睨みながら、胸の中でだけ、深く、深く感謝した。


「おめでとう。既に一週間の謹慎期間は過ぎている。今日から現場復帰だ、励みたまえ」


 少将のその言葉に、俺はもう一度、今度は感情の混じらない本気の最敬礼を二人の背中に向けて送った。


 一週間の独房入り、か。俺が地下に隔離されていたのは今日でちょうど八日目。つまり、少将が今言い渡したペナルティは、この部屋に入る前にとっくに払い終えているということだ。


 あらかじめ身柄を拘束し、書類が集まるまでの時間を稼ぎ、その拘留期間をそのまま刑期として相殺する。彼らはこうなる可能性を考慮し、最初から仕組んでいやがったらしい。


「了解。これより現場に復帰します」


 俺は踵を返し、二人の頼れる大物に背を向けた。防爆扉が閉まる直前、散らばった紙の束の端を机に打ち付けて揃える、中佐の機嫌の良さそうな音が微かに聞こえた気がした。



 廊下に出ると、リルが小走りで俺を追いかけて来た。相変わらず、その表情からは何も読み取ることができない――と思ったのだが、心なしか雰囲気が和らいでいるように感じるのは、俺の気のせいだろうか。


「准尉、お疲れ様でした。どうぞ。先日、准尉宛に届いたものを預かっています」


 手渡されたのは、一枚の小さな手紙だった。差出人名は、リンドバーグ・ルチア。幼い子供が書いたような、ヨレて安定しない筆跡だ。


「リンドバーグだって?」


 その名は、政治に疎い俺にも聞き覚えがあるものだった。


 リンドバーグ・アーネスト。御歳すでに百を超えてなお、現役で活動を続ける政治家だ。機化人(サイボーグ)としての義体換装を何度も繰り返し、百年以上の歳月をこの国の舵取りに捧げてきた、まさに知恵の権化である。正真正銘の超大物じゃないか。


 そんな人物が、なぜ一介の兵士に過ぎない俺に? その理由は、手紙の内容を見れば、一目瞭然であった。


『ありがとう、かっこいいきんいろのロボットのおにいちゃん』


 どうやら俺がレールガンの弾丸から守った人質の中に、リンドバーグ議長の孫娘が含まれていたようだ。予算と機化パーツの供給源、そして何より民意を握る人物からの圧力ともなれば、いくらエドムント少将としても、無視するわけにはいかなかったのだろう。


 いや、それだけじゃない。あの百年を生きる老怪物が軍上層部に圧力をかけ、民意の閾値などという特例のゲームを認めさせた背景には、間違いなくガネット中佐の根回しがあったはずだ。


 あの中佐は、議長の孫娘という最大の切り札を盾にして、俺を救うための法的な盤面を最初から構築していたのだ。どこからが彼の仕込みだったのかと考えるだけで、空恐ろしい。


 俺はクレヨンで描かれたイラスト付きの手紙をポケットに突っ込み、鼻を鳴らした。


「一人はみんなのために、みんなは一人のために。ふん、悪くないな」


 誰かに生かされたことへの戸惑い。そして、三千人分の意志という、計り知れない質量。


 軍規という、あまりにも巨大すぎる力。それを打ち破った大勢の暖かい心を感じながら、俺は愛機の待つドックへと続く階段を降りていくのだった。


 古びた騎士たちの誓いを思い出し、俺は独り、苦笑を漏らす。


 ……柄じゃないな、全く。

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