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Bloody Bless  作者: 館長さん
第1章:北方第6前線基地編

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第4話:一人はみんなのために、みんなは一人のために⑨

 北方第6前線基地、地下隔離施設。


 無機質なセラミックの壁に囲まれたその部屋で、俺は自分の右腕を構成する合成筋肉の微かな駆動音だけを数えていた。


 ひしゃげた義肢のフレームを丸ごと交換し、引き千切れた神経端子(コネクタ)を強引にバイパス接合する――そんな面倒臭い外科手術が完了したのは、帰還から二日目のことである。


 だが、独房の重厚な電子ロックが解除される気配は、三日経っても、五日経っても訪れない。


(ガネット中佐、結局じっくりと俺の処刑手順を練り上げてやがるな。いや、そうなって当然のことを、俺はしたわけだが)


 通信は遮断され、外部の情報は一切入ってこない。これまでの営倉入りとは次元の違う厳重さだ。


 無理もない。敵の完全排除という命令を無視した、抗命罪。討伐対象である神官と皇獣(おうじゅう)に対し、軍の攻撃を回避させるための情報を与え、逃走を幇助した、利敵行為。そして、通信傍受の可能性がある中で、砲撃のタイムリミットを敵に教示し、脅迫の体裁で助言した、未遂を含めた軍事機密漏洩。


 数え始めたらキリがない。我ながら、さすがにはしゃぎ過ぎである。


 スワスチムの軍法は通常、すべての決済がデジタルデータで行われる。だが、こと利敵行為や抗命による銃殺刑といった、国民の完全抹殺に関わる重罪の手続きだけは、そうはいかない。


 ネットワーク改ざんによる不正な恩赦を防ぐため、旧世紀の悪法とも言える物理的な紙の書類と、生体インクによる直筆署名の提出が義務付けられているのだ。そのアナログな手続きの煩雑さこそが、皮肉にも俺の首を八日間繋ぎ止めていた。


 クローディアのあの拒絶。施設から這い出していったバジリスクの巨躯。そして、スクラップ同然になった俺のトリオン。長い沈黙の中で思い出すのは、計算の合わない戦場の残骸ばかりだ。


 そして八日目の朝。ついに部屋の赤色灯が消え、扉が重々しい音を立てて開かれた。


「イル・カーン准尉。司令執務室への出頭を命じる」


 現れたのは、憲兵ではなくガネット中佐だった。その腕にはなぜか、時代遅れの紙の束が山のように抱えられている。


「葬式にはまだ早いようだな、中佐」


「冗談を言える余裕があるなら結構だ。さっさと歩け、司令閣下がお待ちだ」


 冷たく言い放つ彼の顔からは、なんの表情も読み取ることはできない。これは年貢の納め時かもしれないな、などと馬鹿なことを考えながら、俺は狭苦しいエレベーターに乗り込んだ。



 基地の最上階。司令執務室の前。


 中佐と共に、扉の横にあるコンソールに、右手の甲をかざす。視界の隅、内蔵ディスプレイに『兵籍IDおよび固有脳波(シンクロビート)照合完了』のログが高速で流れた。パーツ交換のきく義体ではなく、唯一の生身である脳が放つ電気信号こそが、この国における究極の身分証である。


『認証完了。入室を許可します』


 無機質な合成音声と共に防爆扉が左右へ滑り出す。現れたのは、磨き上げられた黒い大理石のような床と、その奥に鎮座する巨大な執務机、そして、逆光の中に浮かび上がるエドムント少将のシルエットだった。


「イル・カーン准尉をお連れしました。なお、“こちら”は二千八百十二件で打ち止めです」


「御苦労」


 中佐は、抱えていた時代遅れの紙束を、少将の机の上へ、重々しく置いた。紙特有の鈍い音が、静まり返った室内に響く。


 その後、彼は俺の横まで下がると、彫像のように動かなくなった。否、“へ”の字に曲がった口だけが動く。


「准尉。自分がここへ呼ばれた理由は、理解しているな?」


 ガネット中佐の声は、相変わらずだ。こちらを見ようともしない。その表情と共に、何の温かみも感じられなかった。


 茶化すような場面でもなし。俺は面倒な挨拶をすっ飛ばし、質問に答えることにする。


「はい。独断専行による作戦の毀損、および機体の大破です」


「ふん、“利敵行為”だ。貴様は友軍の射線を物理的に妨害し、意図的に標的を逃がした。作戦を遅延させ、同胞を危険に晒した。異論はあるか?」


「ありません。死傷者をなるべく出さぬよう、独断で行動しました」


「口を慎め、今の貴様は立派な反逆者なのだからな」


「了解、“軽口”を慎みます」


 ガネット中佐が俺の目の前に歩み寄り、ホログラムウィンドウに完璧に整理された罪状ログを叩きつける。


 よくもまあ、これだけ並べ立てたものだ。これだけあれば、良くて階級の完全剥奪に強制労働。場合によっては人格の剥奪や極刑も有り得る。


 なのに、何故だろう。俺は不思議と恐怖や後悔を感じてはいなかった。自分の意志で動いた結果だ。何が来ようと、ただ受け入れるだけだった。


「本来なら、七日前に貴様の首は胴体から泣き別れしていたはずだ。だが、不運なことに、貴様が救った施設にいた“ある人物”の関係者から、個人的な猶予の要請が届いた。民意を確認する一週間の時間を、とな」


「民意、ですか?」


 俺からの質問に対し、ガネット中佐は相変わらずこちらに視線を合わせようともしない。あらかじめ決められた台本を読み上げるかのような口調は、アンドロイドのリルよりもよほど無機質で、どちらかと言えば作戦中のクローディアを彷彿とさせる。


「規律を、個人の感情で汚す。反吐が出るな。だが、その猶予も今、この瞬間をもって終了だ」


 ガネットはデスクの集計数値を指し示した。


「救出された医療施設の職員、家族、関係者。彼らが送ってきた嘆願書の数は二千八百十二件。残念だったな、准尉。我々が特例として認める民意の閾値、三千には、わずかに届かなかった。三千……それが“ある方”から提示された、お前の命の重み、つまり此度の命令違反を帳消しにするための絶対条件だ」


 中佐は冷酷な笑みをその薄い唇に浮かべ、俺を睨みつける。


「ああ、言い忘れていた。特例措置に適用される嘆願書は、規定の生体インクによる紙の署名が必須でな。電子署名なんかで小賢しく数を稼いで助かると思うなよ、重罪人。この完璧な監視社会において、物理的な紙を三千枚集めることがどれほど不可能なことか、貴様にも理解できるだろう」


 彼の言葉を、背を向けたままのエドムント少将が引き継ぐ。


「規律は数だ。一つ足りなくても、それは否定を意味する。一週間の執行猶予は無意味に終わったようだ、残念だよ」


 静寂が、執務室を支配した。


 嘆願書――俺が守り抜いたあの医療施設の入院患者や医師たち、その関係者たちが、俺のために動いてくれたというのか。積み重なった意志の重み、それが二千八百十二という、膨大な数字になったのだ。


 どうやらその数は俺を救うには至らなかったようだが、十分すぎる量であった。こんな使い捨ての弾丸のために、これほどの数の人間が動いてくれた。その事実だけで、俺の胸はいっぱいになっていく。

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