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時をさかのぼること、二週間前。ローグは感じたことのない不安と絶望にかられていた。
フィンが命を狙われている。森で偶然悪者たちの企みを耳にしてしまったばっかりに、口封じに殺されようとしている。
魔石探しの最中に不穏な会話をしていた男たちに追われたと聞き、急ぎあの森に出入りする男たちの正体を突き止めた。いずれも、あまりいい噂を聞かない連中だ。
フィンが聞いたという話の内容は、いまだ判然としない。けれど間違いなくろくでもない話に決まっていた。でなければフィンを追いかけ回すはずもないんだし。
念のため当面森に近づかないように、と釘を差しておいたのは正解だった。けれど森に限定したのは失敗だった。
フィンは気づいていないが、すでにフィンは危ない目に遭っている。町でフィンに似た若い女性が、あやしい風貌の男たちに声をかけられるという事案が続いていた。最近あの森に近づかなかったか、聞いて回っているらしい。そしてついにフィンにも目をつけたのだ。
一度目は、フィンが町に魔石掘りの道具の修理に行った折に起きた。ゴロツキどもがフィンのあとをつけきたところを、そばにいた野良犬が男たちに猛然と襲いかかり、結果事なきを得た。
二度目は、買い物途中に頭上からフィン目掛けて花瓶が落下してきた。けれどたまたま道端で転んだ子どもをフィンが助けに入ったために、難を逃れた。
さすがは超強運体質なだけある。だがいつまでもそんな強運が続くとも限らない。
ローグは考えに考え抜いた。どうすればフィンを守れるか。かわいいかわいい大切なフィンを無為に怖がらせることなく、あやしい奴らから守り切るにはどうしたらいいのか。
そして考えついたのが、婚約解消だった。今思えば、もっと他にやりようはあった気もする。だがあの時は、婚約解消しかないと思ったのだ。
予想通り、フィンはひどく落ち込み屋敷に引きこもった。悲しませてはしまったが、これでしばらくフィンを奴らの目に届かないところにとどめておける。それが魔石掘りだろうと町歩きだろうと、今はフィンを自由に歩き回らせるわけにはいかないのだ。
婚約解消にまつわる事情は何もかも、フィンの父親にはすべて打ち明けてある。なぜかフィンがアリソンに弟子入り志願をし、挙句マルセルとの婚約をぶち壊そうと画策していることは、リリーに聞いた。
なぜわざわざ遠ざけたはずのマルセルたちに、フィン自らが近づこうとしているのか。これでは何の意味もない。仕方なくマルセルたちを見張るフィンを、見張ることにした。いや、見守るといった方が正しいが。
よってこの日も、ローグはフィンを見守っていたのだ。
(あぁ、フィン。今日もかわいいな。ほっかむり姿も無防備でかわいいが、町娘の恰好もなんとも素朴だ)
ローグにとってフィンは、どんな美しく着飾った令嬢よりもかわいらしく心安らぐ宝物のような存在だった。寝ても覚めても魔石に夢中なひたむきな情熱も、魔石を手にして目をきらきらと輝かせるその顔も、何もかもが愛らしい。
あまりの愛しさと事情が事情だけに声もかけられない切なさから、口から言葉にならない嘆息をこぼした時だった。
『なぁ、兄ちゃん。そこに突っ立っていられると、こっちも商売上がったりなんだがな』
身を隠していた店の主ににらまれ、ローグは慌てて店頭に並んでいたかぼちゃを手に取った。
『なら、これを買うよ。非常事態なんだ。頼むからこのままここにいさせてくれ』
『まったく、変な兄ちゃんだな。お貴族様がかぼちゃを抱えてどうしようってんだ』
やれやれと呆れた様子でかぼちゃを手渡した店主に、小さく頭を下げた。
かぼちゃはなかなか立派なサイズだった。地味に重いし邪魔だ。けれどぱっと目についたのがそれだったのだから、致し方ない。
かぼちゃを抱え直し、再びフィンを見つめ続けた。まさかそんな自分の姿が、フィンにとうに気づかれているなんて思いもせずに――。
あくる日、なぜか奇妙な追いかけっこがはじまった。
(一体何が起きてるんだ! わけがわからないっ)
ローグは必死で町をかけていた。
こんなはずではなかった。フィンをマルセルたちから守るため、自分がフィンを見守っているはずだった。なのにいつしか立場が逆転していた。
そもそもなぜフィンは屋敷を飛び出し、よりにもよって渦中のアリソンのもとへなんて行ったのか。リリーから話を聞いた時には、心臓が止まるかと思った。もしそんなおかしな行動に出なければ、こんな追いかけっこだってせずに済んだのに。
(話がしたいって、一体何の? まさか他に心を移した僕に文句のひとつも言わないと気が済まないってことか? そりゃそうだよな)
猛然とあとを追いかけてくるフィンをちらと振り返り、ローグはぐんと速度を上げた。
正直運動はあまり得意じゃない。今時の貴族なんて皆そんなものかもしれないが、学院時代の同級生の中でもずば抜けて運動が苦手だった。
(いや、運動だけじゃないか。何をやらせても兄さんの足元にも及ばなかったからな)
息を切らせながら、ローグは自嘲した。
『魔石の声が聞けるなんて、君はすごいね』
はじめてフィンに話しかけた日のことを、今も昨日のように思い出せる。ドキドキと胸が壊れそうで、きっと声も震えていたと思う。
怯えと不安に揺れる真ん丸な目がみるみる嬉しそうに輝いて、とてもかわいかった。
最初は不安げだったけれど次第に打ち解けてくれ、魔石のことを色々と教えてくれた。話の半分もよくわからなかったし、正直魔石もただのちょっときれいなだけの石ころにしか見えなかった。それでも、そんなふうに生き生きと情熱を傾けられる大切な何かを持っているその子が、うやらましかった。
それに何より、誰も価値なんて見出さない存在にそんなにも愛情を向けるフィンに、なんだか救われた気がしたのだ。
『今日はとても楽しかった。またそのうち会えるかな』
帰り際、一世一代の勇気を振り絞って問いかけた。
『私もあなたと話すの、とても楽しかったわ。その……馬鹿にしないで話を聞いてくれてありがとう。すごく、すごく嬉しかった!』
『僕こそ! じゃあまた。フィン』
もうこの時、決めていた気がする。この子とこの先の人生を一緒に歩いていくのだ、と。
そのフィンが追いかけてくる。自分と話がしたいと必死な顔で名前を呼びながら。なのになぜ、足を止めないんだろう。今さら逃げたって、自分がフィンのあとをつけ回していたことは完全にばれてしまっているのに。もうごまかしようもないのに。
婚約解消は君の身を守るために仕方なくついた嘘だった、と真実を告げればいい。事が片付いたらまた婚約を結び直して、予定通り婚礼を挙げるつもりだったと何もかもを告白すればいいのだ。
息が切れ、足がもつれる。こんなことならもっと鍛錬を積んでおくんだった。
(何のために走ってるんだ? フィンから逃げるためか? なんで逃げる必要がある。大好きなフィンから、どうして……)
ついに足が止まった。
そっと物陰に隠れ、背後を見やった。いつの間にかフィンの姿は見えなくなっていた。人混みの中で自分を見失ったのだろう。
(フィン、大丈夫かな。もしこんな騒ぎをマルセルたちが目に留めたら、今度こそフィンが見つかってしまうかもしれない。今すぐ戻って安全なところに戻さないと。でも戻ったら……)
そんな不安と焦りが、日に日に増していく。
そして今日も、やっぱり町を駆けていた。追いかけてくるフィンの顔には、日に日に強い感情がにじみはじめている気がする。勘違いでなければあれは、間違いなく怒りだ。苛立ちとか怒りとかそういう強い気持ち。
ひゅるひゅるとフィンに向き合う勇気が、消えていく。
そもそも今日はスタートからおかしかった。フィンが家を出る時間に合わせてランバート家の屋敷へと向かったのに、フィンの姿を見失ってしまった。その後町を散々探し回り、ギュランド商会へと向かった。けれどそこにもフィンの姿はない。一体どこへ行ってしまったのか。
辺りを見渡してみても、それらしき姿は見当たらない。
そうこうしている間に、もしフィンがあいつらに見つかったら――。
ぞくりと背筋を駆けのぼる嫌な予感に、ローグはギュランド商会の裏門へと足を向けた。
やっぱり戻ってよかった。フィンがいた。見れば、まさかのギュランド本人につかまっている。
おそらくギュランドは、マルセルがフィンを追っていることは知らない。もしくは大して興味を抱いていないか。だから声をかけたのは、あくまでただの偶然だろう。だがフィンの怯えた表情を見た瞬間、勝手に体が動いていた。
無事にフィンをギュランドから引き離せたことはよかった。だが、本当のピンチはそのあとだった。
『どうして私から逃げるの? もしかして皆グルなの? 何か理由があって、私のことつけ回してるの? それとも何か、他の理由? ねぇ、なんで!』
フィンにそう詰め寄られて、言葉に詰まった。何もかも打ち明けるしかない。そう思いながらも、どうしても言葉が出ないのだ。
極めつけは、フィンの言い放った決定的な言葉だった。
『私はただローグにありがとうって、私のことは忘れて幸せになってって伝えようと思っただけなのに! なのにどうして私から逃げたりするのっ? ローグなんて、大嫌い!』
その瞬間、自分の世界を形作っていた足元が轟音とともにガラガラと崩れ落ちていく気がした。
フィンに大嫌いだと言われ茫然自失になりながらも、ひとまず場所を移すことにした。人の多い往来でする話ではなかったし、ひとまず混乱する頭と心を落ち着かせたかった。
フィンの両親とリリーも同席の上、フィンにすべてを打ち明けた。
「……と、こういうわけだったんだ。本当に色々とごめん」
ランバート家の屋敷の応接間に、気まずい静寂が落ちた。




