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次の日も、フィンは町へ出た。マルセルの監視を、というよりもはや、ローグを追いかけるために。
意識を背後に集中させ、ローグの気配を探す。
(いた。やっぱり今日もきたわね。逃げるんなら追いかけなきゃいいのに、どうして毎日あとをつけるのかしら。まぁいいわ。捕まえれば何もかもわかるはずだもの)
絶対に今日こそ追いついてみせる、とフィンはぐっと拳を握りしめた。でなければ、マルセルたちの監視だってままならない。婚礼まであまり間がないのだし、アリソンだって心配なのだ。
ローグが、自分をじっと見つめているのがわかる。よく知っているあたたかな穏やかなものとは明らかに違う、鋭い視線だ。自らの心変わりゆえの罪悪感からか、はたまた不安からか。どちらにせよ、いい精神状態ではないのは明らかだ。だからこそこれ以上思い詰める前に、きちんと話をしなければ。
(大丈夫だからね、ローグ。ちゃんと話をすれば、きっと幸せになれるから )
胸に広がるほろ苦い切なさに、ぎゅっと唇を噛み締めた。
くるり!
フィンは今日も駆け出した。真っ直ぐに、ローグの気配へと向かって。
びくんっ!
ローグの気配が驚くくらい、跳ね上がった。
「待って! ローグ」
今日もローグは止まらない。脇目も振らず、人であふれる通りを猛然と走り抜けていく。
以前はあんなにそばにいたはずのローグとの距離は、どんどん遠ざかっていくばかりだ。もう婚約者ではないのだから当たり前だけれど、まるで自分を避けるように逃げられるのはさすがに辛い。
「ちょっと話がしたいだけなの! 止まって。止まってったら」
ヒヒィィンッ!
バルルルルッ!
ある店先につながれていた馬が、猛然と駆けてくる自分たちの姿に驚いたのか大きくいなないた。
「うわっ。す、すみません!」
馬に驚いたローグが積んであった荷を崩し、わたわたと逃げ出していく。
「おい! ちゃんと前を見て歩きやがれ」
怒鳴り声を上げる店主の横を、フィンも駆け抜けた。
けれどぐんと離れてしまった距離は、なかなか埋まらない。
遠ざかる背中によみがえる、これまでの思い出。ローグが与えてくれた優しさや愛情。魔石オタクの自分を笑わずに受け入れ、いつだってあたたかく見守ってくれた平穏な日々。そんなローグの思いに応えることができなかった自分への後悔。
(ローグには、誰よりも幸せになってもらいたい。たとえその相手が私じゃなくても、ローグが幸せならそれでいい。それでいいの。だからお願い。話を聞いて)
けれどそんな思いは届かない。ぐんぐんと距離が空き、気が付けば町の外れ近くまできていた。
「はぁっ、はぁっ……! き、今日も、逃げられた」
ローグの姿は、もうどこにもなかった。奇妙な追いかけっこは、どうやら明日も続くらしい。
疲れた足をさすりながら、フィンは大きなため息を吐き出した。
その翌日も、そのまた翌日も追いかけっこは続いた。町中を走り抜ける、一組の男女。物珍しさからか奇妙さからか、町行く人々や立ち並ぶ店の主たちの視線が集中する。
一体何をしているんだろう。なんのために走っているのか、だんだんわからなくなる。追いかけているのか、追いかけられているのかさえ。
少しずつ、釈然としない気持ちが生まれはじめていた。胸の痛みは次第にもやつきへと、もやつきがじわじわと苛立ちへと変化していく。
「ローグ! 私、あなたに話したいことがあるだけなの。だから止まってちょうだい。話をしましょう!」
「ごめんっ! 本当にごめん、フィン」
一体何がごめんなのか。婚約を解消したことか、それとも心変わりしたことか。そんなのもうどっちでもいいから、とにかく一度立ち止まって話を聞いてほしい。話はそれからだ。まず逃げるのを止めてほしい。
「だからごめんはいいから、止まって!」
「すまないっ。本当にごめんっ」
謎の謝罪の言葉を口にしながら、ローグが町を駆け抜ける。そのあとを全力で髪を振り乱して追いかける元婚約者の自分。
あやまってほしいわけじゃない。心変わりは悲しいことだけれど、罪じゃない。仕方のないことだ。それがこちらに非があることなら、余計に。だから責めたてるつもりなんてない。これっぽっちもない。
だから頼むから、ひとまず止まって。
フィンは今日も全力で追いかけた。どんどん小さくなるローグの背中を見つめながら、懸命に。
けれどやっぱりローグには追い付けなかった。ローグの消えた通りを見つめながら、フィンは思った。
これじゃ埒が明かない。こうなったら強引にでもローグを捕まえて、話をつけなければ。じゃないとあっという間にアリソンの婚礼の日がきてしまう。
フィンは、ローグを捕まえるための計画を頭の中で立てはじめた。
タッタッタッタッタッ……!
聞こえてきた足音に、耳を澄ます。
(きた! やっぱり家を出るところからつけてたんだわ。ってことはもしかして、お父様もグル?)
翌日素知らぬ顔をして家を出たと見せかけ、フィンはこっそりとランバート家の門を見渡せる場所に身を隠した。そこに現れたのは、ローグだった。
きょろきょろと不思議そうに辺りを見渡し、首を傾げている。屋敷を出たはずの自分の姿がどこにも見えないことに、戸惑っているのだろう。
なぜ毎日ローグが自分のあとを正確につけ回せるのか、謎だった。リリーだって行先を知らないのに、なぜ。そして思い至った。もしやローグは、ランバート家の屋敷を出た時点で自分をつけているのではないか、と。
勘は見事に当たった。これはきっと何かある。自分の知らない何か、特別な事情がきっとあるはずだ。
(よくよく考えれば、リリーが素直に送り出してくれるのもおかしい。どこに何しに行くんだとか、いつもなら自分もついていく、とか大騒ぎするのに)
これはやはり自分以外の皆がグルになって、自分の行動を見張っていると考えるのが自然だ。
フィンはその後首を傾げつつも町へと向かったローグのあとを、こっそりとつけた。町に着くなりマルセルの行きつけの店のまわりをうろつくローグの様子に、フィンは確信した。きっとマルセルのいそうな場所に行けば、自分を見つけられるだろうと踏んできたに違いない。
自分の姿を懸命に探すローグを見つめていると、なんだか言いようのない感情に襲われた。まるで迷子が母を探すかのような必死さに、胸がきゅんとなる。
ローグはどこにも自分の姿がないと知ると、大通りへと向かった。行先は多分、ギュランド商会だろう。けれどその途中、姿を見失った。
(いけない。ローグが見えなくなっちゃった。どこに行っちゃったんだろう)
立派なギュランド商会の門構えを横目に、辺りを探し回る。けれどローグの姿はどこにもない。もしやここにも自分がいないと思って、他の場所へと行ってしまったのか。念のため裏口のある細い通りものぞいてみたが、やはりいない。
頃合いを見て声をかけようと思っていたのに、と焦っていると。
「何か御用ですかな? お嬢さん」
かけられた声に、ぎくりと体が強張った。
ギュランドが立っていた。なんとも厭味ったらしい服装に、ぴょんと跳ねた鼻の下の髭。うさん臭さを絵に描いたような男、それがギュランドだった。これまで何度もこっそり偵察したことはあったけれど、本人と顔を合わせるのははじめてだ。
「もしやお買い物で当店を訪れてくださったのかと思ったのですが、勘違いでしたか? 貴族のお嬢様が好まれるような装飾品なども多く取り揃えておりますから、のぞいていかれてはいかがでしょう」
やわらかい物腰ながらなんとも芝居がかったその態度が、フィンの警戒心を駆り立てる。
「いえ、結構です。間に合ってます」
きっぱりと断れば、ギュランドの口元がくっと上がった。
「そうですか。それは残念。では、お茶など一杯ご馳走させてはいただけませんかな? どうやら喉も乾いていそうですし」
肩で息をしているのを見て、ギュランドが微笑んだ。
にこやかな笑みなのに、なぜかぞくりとする。蛇ににらまれた蛙のような気分で、じりと一歩後ずさった。その時だった。
「フィン!」
荒い息をつきながら、ローグが姿を現した。
「大丈夫かっ?」
まるでギュランドとの間に立ちはだかるように、ローグがギュランドの視線から自分を覆い隠した。
久しぶりの距離感に、胸がばくばくと音を立てる。
「おやおや、そんなに怖い顔をなさらないでいただきたい。私はお客様かと思って、このお嬢さんに声をおかけしただけなのですからね」
取ってつけたようなギュランドの言葉に、ローグは答えなかった。ただじっとギュランドを強い眼差しでにらみ返し、立ち尽くしている。
「……行こう」
ローグは自分の肩を抱き、その場を足早に立ち去った。
強く肩に食い込んだ手が痛い。肩をつかまれたままようやく表通りに出た辺りで、フィンはローグの名を呼んだ。
「ローグ!」
ローグの足がぴたり、と止まりはっと肩に触れたままの自分の手を見やった。
「あ、ごめん! つい……」
目にも留まらぬ早さで手を引っ込めたローグに、もやりとする。だがローグのおかげで危ないところを助けられたことを、まず先に感謝すべきだろう。
「その……助けてくれて、ありがとう」
「いや」
目を合わせようともせず、ローグが後ずさった。もしやこの期に及んでまだ逃げる気なのか。
咄嗟にローグの腕をつかんだ。
「ね、どうして私から逃げるの? ここのところずっと、私のあとをつけてたでしょう。なんで? 今日だって屋敷からずっと私をつけ回してたでしょう!」
「え! そ、それは……」
ローグの顔が大きく引きつる。
「もしかして皆グルなの? 何か理由があって、私のことつけ回してるの? それとも何か、他の理由? ねぇ、なんで!」
「あ、それは……だから」
もごもごと言い淀むローグの袖を、ぎゅっと握りしめた。
視線が合わない。そのことにひどくイラッとした。
「そんなに、私が嫌い? 顔も見たくないくらい、向き合いたくないくらい嫌いになっちゃったの? だから追いかけても止まってくれないの?」
ひゅっと息を飲む音が聞こえた気がした。
「私……私は、ローグの恋を応援しようって思ってた。それがローグの幸せなら、仕方ないって。あんなに穏やかな幸せをくれたんだもの。感謝しこそすれ、新しい恋を邪魔してやろうとか恨みに思ってるとか、そんなこと絶対にあり得ない。なのに逃げられて、すごく悲しかった」
「あ、あの、フィン?」
「それに、腹も立ったわ。何のために私のあとをつけてるのか全然わかんないし、なのに全然話も聞いてくれないし!」
ふつふつと止めようもない熱いものが、腹の底で渦を巻く。
熱に突き上げられるように声を上げた。
「私はただローグにありがとうって、私のことは忘れて幸せになってって伝えようと思っただけなのに! なのにどうして私から逃げたりするのっ? ローグなんて、大嫌い!」
自分の口から出たとは到底思えない言葉に、時が止まった。




