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フィンは城下の奥まった角にある、一軒のにぎやかな料理屋の店先を見渡せる道端に身を潜めていた。
視線の先にいるのは、アリソンの婚約者であるマルセル・ガードナーだ。男爵家の嫡男で、年の頃はアリソンよりも三つ年上。
見た目こそそう悪くはないが性格も素行も最悪で、あちらこちらの店で問題を起こし出入り禁止となっていると聞く。しかも悪評高いのはマルセルだけではない。マルセルの父親、ガードナー家の当主もだった。
ここ一、二年、王都で名の知れたギュランド商会という商家と手を組み、貴族相手の商売をはじめたガードナー家は、急に羽振りがよくなった。一時は借金まみれだったのが嘘のように、金を湯水のように使っていると評判だ。が、その商売はいわゆる健康にいいと言われる茶葉を売りつけるだけのもので、それ自体それほど儲けにつながるようなものではない。なのになぜそんなにも羽振りがよくなったのか。
裏で何か後ろ暗いことをしているのではないか。さてはおかしな茶葉でも売りつけているのではないか。そんな噂が流れはじめていた。
まさかアリソンの相手が、よりにもよってそんな男とは。
料理屋の二階でゴロツキたちと待ち合わせをしているらしいマルセルの横顔を、フィンは鋭い視線でにらみつけた。
「お嬢ちゃん。そこにいられるとどうにも商売の邪魔なんだがなぁ。どっかよそでやってくれんか」
腕組みをした雑貨屋の店主が、これ見よがしにはたきで追い出しにかかった。けれどそんなことに怯むフィンではない。
「じゃあこのクッキーをいただくわ。お客ならいいでしょ」
「ぐっ!」
ポケットから硬貨を取り出せば、店主は渋々とクッキーの袋を手渡し引っ込んだ。
ふん、と鼻息を荒く吐き出し、再びマルセルの監視に戻る。
マルセルを見張りはじめて、三日がたった。どうやらあのゴロツキたちは、ギュランド商会に雇われている者たちらしい。どう見てもまともな労働者には見えないが、こうしてマルセルと落ち合っては真面目に仕事に励んでいるようではある。
ガードナー家がギュランド商会とともに貴族に売り込んでいるのは、それほど希少でも高価でもない普通のお茶だ。効能だって、快眠を促すとか落ち込んだ気持ちをすっきりさせる、なんて程度のもので、とりたてておかしな点はない。いくらそれを買ってくれるのが貴族だとは言え、それで一儲けできるはずもなかった。
ならばなぜそんなに羽振りがいいのか。その辺りも実に疑わしくはある。けれど裏であくどいことをしている証拠は、今のところつかめていない。アリソンを本当に殺そうとしているのかどうかも、今のところわからない。
どうすれば、アリソンをマルセルの魔の手から守れるのだろう。どうにかして婚礼を取りやめさせる方法はないのだろうか。
さて、どうしようかと考えながら、買ったばかりのクッキーを口に放り込んだ。なかなかにおいしい。
その時だった。覚えのある気配に、フィンは持っていたクッキーをぽとりと取り落とした。
けれど背後には誰もいない。忙しなく道を行き交う人たちがいるだけだ。
しゅるしゅるとしぼんでいく声と鼓動に、がっくりと肩を落とした。
「ローグの気配がした気がしたんだけどな……。いるわけない、よね」
その気配に気が付いたのは、マルセルの行動を見張りはじめてすぐだった。ローグがすぐそばにいる。そんな気がした。
数少ない自分の取り柄は、魔石の声を聞くこととローグの気配をどこにいてもすぐに感じ取れること。どうしてかローグの気配だけは、どこにいてもすぐにわかる。けれど、心変わりしてしまったローグがいるはずがない。元婚約者となった自分のすぐそばで、自分を見つめているはずなんてないのだ。
きっとローグを失った深い悲しみと絶望で、感覚がおかしくなっているのだろう。魔石の声だっていまだにはっきりと聞こえないし。それか、ローグに会いたいと思うあまりの幻覚か。
あんなに甘かったクッキーが、口の中で急激に苦くなった。
フィンはこぼれ落ちそうになる涙をどうにか引っ込め、その日はすごすごと帰途についた。
翌日もそのまた翌日も、フィンは町に出た。
リリーには教会で子どもたちと一緒に奉仕をしていると言ってある。ずっと屋敷に引きこもって泣き暮らすよりはましだ、とひとりで出かけるのを許してくれたのは幸いだった。
(やっぱり今日もこれといってあやしい動きはないわね。こうなったらいっそ、もっと奴らの懐に入り込むくらいしないとだめかな)
どうやらマルセルも男たちも、森で会った自分の顔はやはり見ていないらしい。二度ほど目が合った気もするけれど、特に何の反応も見られなかった。
自分とよく似通った風貌の女性をゴロツキたちが探し回っているなんて不穏な噂も流れていたが、ここ数日はとんと聞かなくなった。おそらくそれほど気にする必要はない、と探し回るのをやめてしまったのだろう。
おかげでこれという変装もせず、堂々とマルセルの行動を監視し続けているというわけだ。けれど結局何の証拠もつかめないのでは、どうしようもない。
けれどそれより気になるのは――。
フィンは背中にちくちくと刺さり続ける視線に、むう、と口元を引き結んだ。
(やっぱり今日もいる。なんでなの? なんでローグったら、私のことをずっと監視してるの。絶対気のせいじゃないよね。だってばっちり見えてるもの!)
フィンは、店の窓に映り込んだ後ろの景色をそうっとのぞき込んだ。
そこには、ローグがいた。見間違いなんかじゃ絶対にない。以前よりもなぜか妙にやつれて、目の下にも隠し切れない隈ができているけれど、確かにローグ本人だ。
なぜか感じていたローグの気配。あれは幻覚でも気のせいでもなかった。まるで監視するかのようにローグが自分に連日ぴったりと張り付いて、見つめていた。
さっぱり意味がわからない。なぜ他に好きな人ができたと婚約解消を申し出てきたローグが、捨てたはずの元婚約者である自分をつけ回すのか。しかも妙に視線が鋭い。まるで親の仇でも見つめるみたいに、じっとこちらを見つめている気がする。
いくら心変わりして捨てたとは言え、一度は婚約を結んだ相手をこんなに険しい目でにらみつける理由とは、一体なんだろうか。
瞬間、はっとした。
「まさか私が新しい恋路を邪魔すると思ってるんじゃ? そんなこと、私がするはずないのに!」
うっかり声を上げてしまい、慌てて口を覆った。
おそるおそる背後を振り返れば、ローグらしき気配がひゅっと物陰に引っ込んだ。どうやら聞こえてはいないらしい。
ほっと胸をなで下ろし、いや、と思い直した。
もしもローグがそんなあり得ない妄想に憑りつかれているのだとしたら、それは不幸だ。せっかく婚約解消しても、それじゃあ新しい恋に踏み出せない。ならば一刻も早く安心させてあげる必要がある。それがきっと、ローグのためにしてあげられる最後のことだ。
フィンは決意した。
ちゃんとローグと話して、すっきり終わらせよう。まともに話もしないまま婚約を解消してしまったけれど、最後にきちんと話そう。そして安心させてあげよう。
悲愴な決意を胸に、フィンは体を反転させた。瞬間ローグの気配がびくり、と跳ねたのがわかった。
フィンは駆け出した。真っ直ぐに、ローグのもとへと向かって。
「待って! ローグ」
フィンは町をひた走る。
びくぅっ! ガシャアアンッ!
「逃げないでっ。話がしたいだけなの!」
ゴンッ! バキィッ!
ダダダダダダッ!
人であふれるにぎやかな町中を、フィンはローグの背中だけを見つめ走り続けた。ローグはこちらをちらちらと振り返りながら、困惑の表情を浮かべ懸命に逃げ回る。
「ちょっと待ってったら! ローグ」
けれどローグは脇目も振らず、あちこちの店先に積まれた木箱やら商品にぶつかりつまずきながら走り去る。
なぜローグは止まってくれないのか。別に取って食べようというわけじゃない。いくら婚約解消を申し出た側だからと言って、別に剣呑な別れ方をしたわけじゃないのだ。そんなに怖がらなくてもいいじゃないか。
釈然としない気持ちで、けれどどうにかローグに思いを伝えたい一心で、フィンは走り続けた。
「ローグ! お願い。話をしましょ! 怖がらなくっていいから」
けれどふたりの間の距離は、ぐんぐんと遠くなっていく。
小柄な自分と、それなりに背のあるローグでは当然足の長さも違う。魔石掘りで足腰はそれなりに鍛えているつもりだけれど、大の男に本気で逃げられては到底敵わない。
「はぁっ、はぁっ……。はぁっ、はぁっ」
いつのまにかローグの姿は、人込みに紛れ消えていた。
大きく肩で息をつきながら、額を流れる汗を拭った。
もうどこにもローグの気配は感じられない。完全に見失ってしまったらしい。
(なんでこうなるの? これじゃまるで追いかけっこだわ)
なぜローグは、脱兎のごとく自分から逃げ出すのか。そんなに新しい恋路の妨害が怖いのか。それとも何か他に理由があるのか。
ここ数日、自分が見張られ追いかけられていたはずだった。なのに気づけば、自分がローグを追いかけている。なんともヘンテコだ。
突然にはじまった奇妙な追いかけっこに、フィンは呆然としながら首を傾げた。
「本当、何なの。これ?」
フィンの頼りない困惑の声が、ぽつりと落ちた。




