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ルグレイ家の屋敷の門の前を行ったりきたりしている間に、すっかり時が過ぎていた。このままでは一生かかってもアリソンに対面できそうにない。けれど、どうにも足が動かない。
フィンは低くうなった。
さすがは伯爵家。子爵家の中でも底辺に位置する我がランバート家とは、比べ物にならないほど大きなお屋敷だ。その圧に、フィンはすっかり尻込みしていた。アリソンの誕生日パーティで一度きたことはある。けれどあの時は緊張とドキドキとでろくに周囲を見渡す余裕もなかったし。
(もしアリソンに、またあの時みたいな辛辣な言葉を投げつけられたらどうしよう。でも今さら帰るわけにはいかないし)
今にも吹き飛びそうな決意を抱え、仕方なく裏門に回ってみることにした。
「ええええ……。これが、裏門?」
裏門とは言え、実に立派だ。敷地の中には整然と野菜が実った畑だの果樹だのが植えられ、少し奥まった先には馬房も見える。その前で使用人らしき男がふたり、立ち話をしているのが見えた。
(あれ? あの後ろ姿、どこかで)
つい最近よく似た背中とつるりと禿げ上がった頭を見かけた気がする。それに一緒にいるあの男は――。
思わず声を上げそうになって、慌てて口を覆った。
この間森で物騒な会話を交わしていた男たちだ。こちらに背中を向けているのは、あの時いた中で一番ガタイの大きいゴロツキ。そしてその向かいに立っている青年、あれはひとりだけ身なりのいい恰好をしていた男だ。
(なんであの人たちが、ルグレイ家のお屋敷に? まさかルグレイ家のひとり、とか?)
ゴロツキはともかくとして、あの青年はいかにも貴族といった感じだ。けれどルグレイ家にはあんな年頃の青年はいないはず。ならば、一体何者なのだろう。
気にはなる。気にはなるけれど、今はアリソンを訪ねるのが先だ。せっかくここまできたんだし。
ぐっと拳をにぎりしめ、決意が完全に消え去ってしまう前に今度こそ表門へと足を向けた。
「言っておくけど、私にあなたを助ける義理はないわ。そんな暇もないし」
貴族令嬢としての矜持が何たるかを、自分に教えてはくれないか。あなたのような立派な令嬢になりたいのだ。そう頼み込んではみたものの、アリソンの反応は辛辣だった。
「そこをなんとか! あなた以上に貴族令嬢として努力を重ねてきたお手本のように素晴らしい令嬢は、他にいないと思うの。だからどうかお願いしますっ」
深々と頭を下げ、今一度頼み込んだ。
「無理」
「お願いします! 婚約者に愛想を尽かされて、捨てられて、もう後がないんですっ」
「嫌よ。なぜ私が、一度会ったきりのあなたにそんなことをしなくてはならないの。それにあなたが婚約解消されたのは、あなたが私のようじゃなかったからじゃなくて、ただの心変わりで……」
「違います! 私の怠慢に、きっとローグはあきれ果ててがっかりしたに違いないのっ。だから、どうしても生まれ変わりたいの。たとえもう二度と会えないとしても、こんな駄目な自分のままじゃなく、せめてもう少しましな令嬢に変わったって思われたいんだもの!」
涙ながらにそうすがりつけば、アリソンのため息が降ってきた。
「私ね、来月結婚するの。婚礼を控えていて、色々と準備で忙しいのよ。だから無理よ。悪いけど」
「え? 婚、礼?」
瞬間、はっとした。
森で聞いたあの言葉。婚礼、馬車、崖、死、そして憐れな花嫁。そしてさっき馬房の前で見かけた、あのゴロツキと青年。あの時聞いた花嫁というのは、もしかして――。
こちらの様子には気づかず、アリソンは淡々と告げた。
「それに矜持だの令嬢としての努力なんて、いくら積み重ねたって無駄よ。何の役にも立たないわ。あなたも無駄な努力はやめた方がいい。婚約者に振られたのなら、さっさと新しいお相手を見つけるのね」
言い放ったアリソンの声に、引っ掛かるものがあった。
「どうして? そんなの、アリソンらしくない」
「なんですって?」
アリソンの目が、わずかに見開かれた。
「だってアリソン、言ったじゃない。貴族の家に生まれた以上、矜持を持って自分磨きをするのは当然の義務だって。それが貴族令嬢としての務めだってそう教えてくれたでしょう?」
アリソンのように立派な令嬢になれば、貴族の娘としての務めを見事果たし満足のいく結末を迎えられるはず。幸せな結婚だって。
そう思いかけて、口をつぐんだ。
憐れな花嫁、というのはどういう意味なんだろう。それに不穏な崖だのなんだのいう言葉は。
窓の外をじっと見やったまま、アリソンは身じろぎひとつしない。
なんだか胸がざわざわする。もしかして、アリソンは幸せではないのだろうか。あんなに努力を積み重ね社交界でも評判の令嬢になってなお、アリソンは報われていないのか。
「……私は」
アリソンの声が、不安定に揺れた。
「私は、誰にも後ろ指さされないように片時も気を抜くことなく、立ち居振る舞いから心のありようまで気を配って生きてきたわ。でもその結果は」
横顔ににじむあきらめと絶望の色に、はっとした。
「私はお金で買われるの。正確に言えば、爵位目当ての結婚ね。別にそれはいいの。よくあることだし。でもね、婚礼を挙げたあとすぐに私は王都を出て、もう二度と戻らないのよ。誰にも存在を知られずに、ひっそりとひとりでガードナー家の別邸で人生を終えるの。ガードナー家の妻にすら、なれないのよ」
アリソンの口から、乾いた笑い声がもれた。
聞けばルグレイ家は事業の失敗がたたって、このままでは一年ともたないらしい。それを立て直すために、伯爵位目当てのガードナー家嫡男マルセルとの結婚を決めたのだ。けれど一生ひとりで別邸で暮らし、妻にすらなれないとはどういうことか。
「マルセルには、長くお付き合いしている踊り子の恋人がいるのですって。その人を私の代わりに伴侶として屋敷に迎えて、子を生ませるつもりらしいわ。きっと私は結婚してすぐ流行り病か何かで死んだことにでもすれば、どうにか誤魔化せると思っているのでしょ」
「そんな……。そんなことって!」
あんまりなその話に、森で聞いたあの話がぴたりと重なった。
ではやはりあの花嫁というのは、アリソンのことなのか。アリソンを別邸に閉じ込めるだけでは飽き足らず、崖から馬車ごと突き落とし殺そうとでもいうのか。
背筋に冷たいものがつうっと流れた。
「……マルセルって、黒髪のちょっと目の細い感じの人?」
動揺を隠し、たずねた。
「あぁ、もしかしてさっき見かけたの? 婚礼のことで、私にちょっとした話をしにきていたのよ。きっと私が逃げ出さないか心配で、見張っているのでしょうね」
やはりそうだ。間違いない。アリソンは婚礼後すぐに別宅へと移され、ひとり寂しく暮らす運命だと信じ切っている。でももしあの話が本当なら、それも嘘だ。事故に見せかけてアリソンを殺し、別邸で暮らしていると偽装するつもりなのだ。
(そんな……! そんな仕打ち、あんまりよ。ひど過ぎる!)
何としてでも止めなくては、という使命感がぶわりとわき上がった。
もしもあの話が嘘だとしても、とても見過ごせない。こんなにも頑張って誰もが一目置く立派な貴族令嬢になったというのに、そのアリソンがたったひとり誰からも忘れられていく運命だなんて、あっていいことじゃない。そんなのまるで、羽根をもがれたまま籠に閉じ込められ、じわじわと弱って死んでいくのを待つみたいだ。
何より悲しいのは、それをアリソンの家族も知っていて見て見ぬふりをしているかもしれないということだ。幸せな結婚じゃないのは、目に見えている。なのに誰も婚約に反対しないだなんて、あんまりだ。
(そんなことのために、アリソンは頑張ってきたんじゃない。ずっとずっと努力を積み重ねてきたのは、全部家や家族のためだったのに。それなのに!)
腹の底で、ふつふつと熱いものが煮え立った。
「そんな婚約、逃げ出してしまえばいいのよ。だってアリソン、あなたならもっといい縁談だっていくらでも望めるでしょう?」
「逃げる? そんなことしたって、無意味だわ。それに私、疲れてしまったのよ。頑張ることにも、色々思い悩むことにもね」
カーッと熱を帯びる自分とは対照的に、アリソンの態度は冷め切っていた。
「なんで? なんでそんなふうにあきらめちゃうの。悔しくないの?」
気が付いたら叫んでいた。
「これまでずっと皆のために努力を積み重ねてきたアリソンが、そんなひどい目に遭うなんてあんまりだわ。何の努力もしてこなかった私が不幸になるのは仕方ないけど、アリソンは違うのに!」
それまでずっと淑女然とした表情を保っていたアリソンの顔が、崩れた。
「なぜ、あなたが怒るの? 私とあなたは何の関係もないのに」
ぐっと言葉に詰まった。
確かに一度誕生日パーティにお呼ばれしただけで、そのあと何かやり取りがあったわけじゃない。社交だってまるでしていなかったから、顔を合わせたことだってないし。
でもだからってこんなアリソンの姿を見てしまっては、知らぬふりなどできない。それに何と言ってもあの話だ。もしも本当にあの話をマルセルが実行に移すつもりなんだとしたら、アリソンは。
けれどさすがにただの推測に過ぎない話をするのもためらわれて、もごもごと口ごもった。
「……ふふっ」
「アリソン?」
アリソンが笑っていた。ほんの少しだけど、確かにその口角が上がっていた。
驚き見返せば、アリソンがやれやれとばかりに息をつき立ち上がった。
おもむろに本棚からいくつかの本と、引き出しの中にしまわれているあれやこれやを取り出し、すっと差し出した。
「これを持っていきなさい。私のお古だけれど、令嬢としての最低限のたしなみや教養はこれらでどうにかなるはずよ。足りなければ、他にもあなたにあげるわ。私にはもう、必要のないものだから」
これ以上あなたと話すことはない、顔にそう書いてあった。
別れ際、アリソンを振り返った。顔にわずかに浮かんだその微笑みは、とても寂しげで頼りなく見えた。




