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大岩が、ぐんぐん荷台に迫っていた。勢いを止めようにも、なかなかフィンたちの乗った馬車の距離は埋まらない。男たちに気づかれないよう距離を空けて追跡していたのが、裏目に出た。このままでは崖に落ちるより先に、大岩に打ち付けられて荷台が大破してしまう。
「だめです! まだ届きませんっ。もっとスピードを上げないと」
リリーが大声で叫ぶ。
「馬車を横につけろっ! 急げっ」
ローグが自分たちが乗った馬車の御者に向かって、大声で叫ぶ。
「あいよっ! しっかり捕まっててくださいよっ。お嬢様方!」
もうもうとした土埃を上げぐん、と加速しながら、いまだ止まらない荷台へと馬車が近づいていく。
リリーがどうにか近づけないかと、懸命に前方に手を伸ばし続けた。もはや乗り出した体は地面すれすれだ。
「リリー、気をつけて! もうっ! なんで宙に浮かないの? 仕掛けは一体どうなってるのよ!」
風の魔力で浮遊するはずだった。なのに予想に反して何も起きない。失敗してしまったのか。せめて土の魔力だけでも発動してくれれば、地面がやわらかく変化してアリソンへの衝撃を抑えてくれるはずなのだが。
(お願い! 魔石たち、力を貸して。アリソンを守ってちょうだい。私の生まれてはじめての、大事なお友だちなの!)
祈るような気持ちで、ペンダントの魔石を強く握りしめた。
ズガガンッ!
大きな衝撃音が前方から聞こえた。大岩にぶつかった音だろう。
「フィン!」
茶色く煙る向こうに、アリソンの声がした。
「ちょっと、なんで仕掛けが発動しないのっ! これじゃ、舌を噛んじゃうじゃないのっ。何とかしないさいよ!」
アリソンが激しく怒っている。無理もない。魔石の仕掛けで衝撃から身を守られると聞いていたのに、ふたを開けてみればこの有様なのだ。
「アリソン! 無事だったっ。よかった!」
「全然無事じゃないわ! 仕掛けはどうしたのよ」
「ごめんなさい! なんかうまく発動しなかったみたいで」
「はぁっ?」
こんな元気に口が聞けるくらいだ。どうやら大きなけがはないらしい。ひとまず安堵したものの、危機はまだ去ってはいない。
「リリー! どうにか届きそうっ?」
窓から身を半分以上も乗り出し、アリソンへと手を伸ばすリリーに声をかけた。けれど並走する二台の馬車からアリソンを救い出すのは、なかなかの至難の業だ。
「リリー! 僕とフィンで君の体を支えておく。もうちょっとだけ、アリソンに向かって手を伸ばせるかい?」
ローグの声掛けに、リリーは懸命に応えようと踏ん張っている。が、なかなかうまくいかない。地面からの衝撃が大き過ぎて、狙いが定まらないのだ。
「あと少しなのに……! もうちょっとで、アリソンを助け出せるのに!」
思わず口から叫び声がもれた。
その時、耳に覚えのある懐かしい声が聞こえた気がしてはっとした。
「今の声って、まさか」
その声にペンダントの魔石と共鳴し、どんどんと熱を持っていく。
「アリソン!」
焦りから、アリソンの名前を大きな声で呼んだ。
ふわりっ!
瞬間、薄桃色のやわらかな力が荷台から放たれるのが見えた。光はみるみる膨れ上がり、アリソンの乗った荷台全体を包み込んでいく。同時にフィンのペンダントの魔石も光り出し、ふたつの光が溶け合いはじめた。
「あっ! 荷台が浮いてます。フィンお嬢様っ、ついに仕掛けが発動しましたよ!」
荷台ごとふわりと宙に浮いたアリソンの体を、リリーががしり、とつかんだ。
「今だ! フィン。リリーの体をふたりで支えよう。リリー! 絶対にアリソンの体を離さず、踏ん張れっ」
ローグが叫んだ。
渾身の力を込め、リリーの体抱え込み馬車の中へと引っ張る。さっきまであんなに轟音と土埃でいっぱいだった景色は、すっかり穏やかな空間へと変貌していた。あたたかな光に満ちた荷台から、アリソンの体がずるりとこちらの馬車へと移動する。
「やった! やったわっ。アリソン! よかったぁ!」
ぐったりと疲れ果てた様子のアリソンをぎゅううっと抱き留めた瞬間、つんざくような轟音が一帯に響き渡った。
ドオオォォォォンッ!
わずかな間をおいて聞こえてきたのは、水音だ。
バシャァァァァンッ!
その音が何であるのかを察したフィンの体からも、アリソンの細い体からもどっと力が抜けた。
「フィン……お嬢、様? アリソン……様? ローグ様も……皆様、ご無事で?」
リリーの呆然とした心底疲れ切った声に、一同はうなずいた。
「えぇ。おかげ様でピンピンしてるわ。ありがとう、リリー。あなたはやっぱり英雄だわ」
リリーはもしかしたら今でもおしとやかで女らしい淑女に憧れているのかもしれないけれど、ずっと守られてきた自分からすると英雄以外の何者でもない。
リリーがまんざらでもなさそうにはにかんだ。
「アリソン、けがはない? 頭は? 体は?」
アリソンの乗った荷台はとうに崖の下、フィンたちが乗ってきた馬車もすでに止まっていた。慌ててアリソンの体のどこにも異常が見られないことを確かめていると、アリソンがぷっと吹き出した。
「フィン。フィンったら! 私は大丈夫。どこも大したけがはしていないわ。せいぜいかすり傷よ」
「え、本当?」
確かにあんなにきれいだった純白の花嫁衣裳が土埃のせいで薄茶色に、そしてあちこち破れてボロボロになっている以外は特に問題なさそうだ。
「それなら、よかった……。はぁぁぁぁー」
大きく安堵の息を吐き出し、ローグを見やる。
「よく頑張ったね。フィンも、リリーも、そしてアリソン。君も。皆無事でよかった」
ほっとするようなあたたかな顔で、ローグが笑った。
「ローグもありがとう。誰ひとりが欠けても、きっとうまくいかなかったわ。皆のおかげ。本当によかった。よかったぁぁぁぁ!」
緊張と不安から解放され、荷台の中でだらしなく手足を投げ出して声を上げた。
「ふふっ」
聞こえてきた笑い声に、ふと見ればアリソンがおかしそうに笑っていた。
「ふふふふっ! 好きな人の前でだらしないわよ。ちゃんとなさいな。フィン。嫌われちゃっても知らないわよ」
「えっ?」
アリソンの指差す方に目をやり、意味を理解した。なんとも恥ずかしいことに、スカートがはだけて足が露わになっている。
「……!」
慌てて足を閉じ、起き上がった。おそるおそるローグの様子をうかがえば、わざとらしくそっぽを向いた耳の縁が赤くなっている。
思わず口を尖らせれば、リリーが馬車の外を見上げ叫んだ。
「あっ! 見て下さい。あれ、兵士たちからの合図じゃありません?」
ドンッ! ヒューッ。
立て続けに聞こえてきたその音に、一斉に馬車を降り皆で空を見上げた。
王都の方向に二箇所、そして崖とは反対方向に赤い狼煙が打ち上がっているのが確認できた。赤は捕縛完了、の合図だ。
「どうやら万事うまく片付いたみたいね」
空を指さし、フィンはうんうんと大きくうなずいた。
「あぁ。ギュランド商会とガードナー家も、これから本格的に調べが入るはずだ。マルセルの雑な計画からして、きっとすぐにボロは出るだろう。ギュランド商会だって、そうそう簡単に逃げられないはずだ」
「やりましたね! フィンお嬢様」
リリーが得意げに胸を張った。主の成功はお付きのメイドの勲章でもあるのだろう。
「そうね! じゃあ、そろそろ帰りましょうか。お腹もすいたし、皆ボロボロだし」
計画はすべて、うまく運んだ。あとは家に帰るだけ。
「ふふっ! じゃあ私たちも戻ろっか。皆ひどい格好だし」
「本当だわ。あんなにこだわって作った衣装なのに、ひどい有り様よ。ふふっ」
確かに花嫁衣裳はもう見る影もない。けれど聖堂で見たアリソンより、これまでに見てきたアリソンよりもずっとずっと、生き生きと光り輝いてみえる。何と言っても、心の底から楽しそうに笑っているから。
空に打ちあがった狼煙を見上げ、フィンはもう一度満足げにうなずいたのだった。




