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「マルセル。抜かりないんだろうな」
父の問いかけに、マルセルは涼しい顔で答えた。
「もちろんです。明日にはすべての面倒事が片付いて、極上の酒を味わえますよ。父上」
貴族にとって爵位とは、ある意味足枷だ。生まれながらに順列を決められ、上に立つ者たちに見下ろされ続ける。見下ろされる側から見下ろす側に立つには、婚姻により爵位を得るのが一番手っ取り早い。その点自分は幸運だった。あの女のおかげで、爵位も望む人生も容易に手に入れられるのだから。
アリソンの凛と澄ました、けれど自分には決して好意的に向けられることのない眼差しを思い出し、マルセルの口元が忌々しげに歪む。
こんなもやもやとした気持ちを味わうのも、明日までだ。明日になればあの女はこの世界から消える。もう二度とあの心の底から見下したような顔を見ることはないのだ。
マルセルがアリソンの存在を知ったのは、今から三年ほど前のことだった。とある夜会で知り合った自分とそう変わらない家格の令嬢に近づいた折、こう言われたのだ。
『私。憧れている令嬢がいるの。アリソン様という伯爵家のご令嬢よ。あの方のような矜持のある令嬢になるためには、あなたのような自堕落な生き方をしている方と人生をともにするわけにはいきませんわ。他を当たって下さいませ』
思わずぎりっと奥歯を噛み締めたら、口の中に鉄の味が広がった。
見た目は地味で美人でもかわいくもないぱっとしない女だった。ただ家格の釣り合い的には自分とそうかけ離れてもおらず、体つきだけはよかった。結婚し子を成すことを考えれば、まぁこの女でもいいか。そう考えて近づいただけだった。
なのになぜこんな侮辱を受けねばならないのか。腸が煮えくり返った。
時が過ぎ、その名を再び耳にした。金回りのよかった家はすっかり落ちぶれ、娘をどうにかましな家に嫁に出すことでどうにか生き長らえようと必死らしい。
あぁ、これはおもしろいことになった。これまで得意げな顔をして底辺の人間を見下してきた高慢ちきな女を、今度は自分が踏み台にしてやるのだ。伯爵という爵位を利用してさらに高位の貴族を顧客に抱えれば、金回りだってさらによくなる。願ったり叶ったりだった。
もっとも最初は殺すつもりなどなかった。女など、結婚して子を産ませてしまえば大人しくなるものだ。ある意味で子は人質ともなるのだから。
が、決して自分には目も向けない婚約者のどこまでも高慢な態度が、眠っていたさらなる悪意を引きずり出した。
「おとなしく人形のように言うことを聞いていればいいものを、生意気な態度を取るからこんなことになるのだ。いい気味だ」
何もかもあの女が悪いのだ。大人しく言うことも聞かず、生意気な目をこちらに向けるアリソンが、すべて招いたことだ。勝手にあいつが自らの不幸な運命を引き寄せたのだ。
マルセルは手の中のグラスに残っていた液体を、ぐっと一気に喉の奥に流し込んだ。
明日になれば、爵位も望む未来も手に入る。その上あの目障りなギュランドにも、これ以上大きな顔をされずに済む。貧しい平民の出のくせに貴族を食い物にする、あの底の知れない不気味なあの男。爵位さえあれば、あの男だって大きな顔はできないはずだ。
「ここが正念場だ。抜かりなくやれ。マルセル」
「えぇ。美しい花嫁衣裳とともに、夢見心地で何もかも終わらせてやりますよ。お任せを、父上」
ガードナー親子の薄汚く濁った笑い声に、部屋に灯された蝋燭の炎がゆらり、と揺れた。
◆◇◆
一代で王都で一、二の売り上げを誇る商家に成長させたギュランドにとって、この国の貴族は金のなる木そのものだった。もともと恵まれた地形や国を取り巻く状況が自国に味方をしてくれたおかげで、この国は長らく他国との軋轢や戦火に怯えることもなく、安穏に包まれている。
戦争というものは確かに一部に巨大な富を生み出しもするが、一方で国土を疲弊もさせる。となればわざわざ戦争の火種を作ってまで富を築くのは、得策ではない。だがこの国に関して言えば、いい加減中弛みが過ぎる気もしていた。
キュッ! とくとくとくとくっ……。
棚に大事そうにしまってあった瓶を取り出し、ギュランドはとっておきのグラスに琥珀色の液体を注ぎ入れた。
「……ふん。相変わらずよい香りだ。さすがは一級品なだけある」
この酒は、以前この国のとある貴族から頼みごとをされたその礼にと贈られた。この国でおそらく数本しか出回っていない至極希少な酒で、他国と様々な珍しい品を取り引きしている自分でさえお目にかかったことはない代物だった。
椅子の背にもたれかかり、その液体を口に流し込んだ。じっくりとまろやかな味わいと得も言われぬ極上の芳香を堪能し、満足げに息を吐き出す。
ギュランドは、貧しい家の生まれだった。学も力もないくせにいっぱしの者になりたいという欲を捨てきれなかった父親に強いられ、まだ八歳の自分にとある貴族家に奉公に上がった。そこでろくに水も食事も与えられず、骨と皮ばかりになりながらひたすらにしごかれた。
雇い主である当主はでっぷりと腹の突き出たみっともない男で、父親から引き継いだ莫大な資産をくだらない遊びに浪費するだけのろくでもない人間だった。なぜこんな人間に、神は富を与えるのか。富だけじゃない。貴族という身分に生まれついたばかりに、腹立たしいほどの特権も得ている。この不公平さは一体何なのだ。
世界の不公平をまざまざと見せつけられた。
大人に近づいたある日、神がギュランドに味方した。
『旦那様。どうかその役目、どうか私にお与えくださいませんでしょうか。必ずや旦那様の喜ぶ結果を出してごらんに入れます』
虐げられこき使われるだけの暮らしに終わりを告げる好機が、転がり込んできたのだ。
自分がしたことと言えば、ちょっとした機転を利かせ当主の利になるよううまく立ち回っただけだった。もっともそれはこちらには利であっても相手方にしてみれば、家が傾きかねないほどの損害を与える行動ではあったが。しかしそれが商売というものだ。どちらが先に出し抜くか、利を見抜きうまく立ち回るか。ただそれだけだ。
今思えば、生まれ持った天性の商才というものが自分には備わっていたのだろう。
結果主に功績を認められ、そこでの稼ぎを元手に商売を興した。それがこのギュランド商会だった。
「くくくっ! にしてもガーランドの豚め、親子そろって憐れなほどの馬鹿者だな。まさか自分たちにすべての悪事の責任を押し付けられるとも知らず、今頃は祝杯を上げている頃だろう」
ガードナー男爵家当主とその息子マルセルは、明日の婚礼を控えいい気分で夜を過ごしているに違いない。だが、それも婚礼を終えるまでの束の間の夢だ。
もともとギュランドにとってガードナー親子は、雇い入れたゴロツキたち同様ただの使い捨ての駒に過ぎない。欲の皮ばかり突っ張った、ただの低能どもだ。あんな者たちと運命をともにする気など、さらさらなかった。
アリソンとかいう娘と結婚し伯爵位を手に入れたところで、どうせ大した働きは期待できない。しかもその娘を婚礼後すぐに始末するなどと、馬鹿げた計画まで立てているらしい。そんな目立つ動きをすれば、国に目をつけられるのも当然だ。
「本当ならばもう少し時間稼ぎができると踏んでいたのだが、まぁ致し方ない。さっさと蜥蜴の尻尾を切り捨てるとするか」
残りの酒を飲み干し、ギュランドは荷物をまとめはじめた。
きっとアリソンの行方が知れないことは、遅かれ早かれ知れる。そうなればここにも捜査の手が伸びるだろう。すでにここのところ、身辺にきな臭い気配も漂っている。すでに自分に何らかの疑いがかけられている証拠だ。となれば、そろそろこの国での金儲けも終わりにした方がいい頃合いだろう。いずればこんな日がくると考え、すでに隣国で商売をはじめる用意は整えてある。そのためにこの酒をくれたあの貴族と縁を繋いでおいたのだから。
「ま、最後にこの国の貴族どもに置き土産を用意していくとするか」
ギュランドの口元に、狡猾な笑みがにいっと浮かんだ。




