3
指先まで冷え切った両手をぎゅっと握りしめ、ローグが待つ温室へと向かった。
「……や、やぁ。フィン。ごめん、こんな時間に訪ねてきて」
ローグが決まり悪そうな顔で、立っていた。
「それに、話の途中で逃げ出したことも本当に……ごめん」
こくり、と小さくうなずいた。腹が立っていないと言ったら嘘になるけれど、こうして会いにきたということは、ローグの中で何か答えが出たということなのだろう。
不安のあまり、目尻にじわと熱いものがにじむ。今すぐにでもここから逃げ出したい気持ちだった。けれどここにきて自分が逃げ出すわけにはいかない。
弱気になる気持ちをぐっと押し留め、えい、と顔を上げた。
「ローグ、その前に私の気持ちを話してもいい? さっき、ちゃんと伝える途中だったから」
声の震えをどうにか隠し、ローグを真っ直ぐに見据えた。
「あ、あぁ。もちろん」
すぅ、と呼吸を整えた。
「私ね。ローグのこと、このペンダントの魔石みたいだなって思ってた」
日の沈みかけた温室に灯された明かりを反射して、魔石が優しく光る。
「皆は私を生まれついて強運だ、なんていうけど、私はこの子のおかげだと思ってる。いつもそばにいて困った時にはいつでも助けてくれる。この子は私をずっと守ってくれているの」
湖で偶然拾った、ほんの小さな魔石だ。でも自分にとっては特別な石。魔石なんて何の役にも立たないし、ガラスの方がよっぽどきれいで便利だって皆言う。けれど自分にとっては魔石は、ただの屑石なんかじゃない。
「この子は、私を見つけてくれたの。そして力を貸してくれた。どんな時も見守ってくれて、力をくれる。そんなところが、まるでローグみたいだなって思ったの」
アリソンの誕生日パーティで、偶然ローグに出会った。皆が魔石オタクの変わり者令嬢だと馬鹿にして笑う中で、ローグは『魔石の声が聞けるなんて素敵だ』と言ってくれた。
「あの時、ローグは私を見つけてくれた。あの日から、私の世界が変わったの。ローグ、あなたが私の世界をもっともっとあたたかくて素敵な、キラキラ光るものに変えてくれた」
思いひとつひとつを、大切に言葉に乗せていく。どうか歪まずに、真っ直ぐに届きますようにと願って。
ローグの目が、真っ直ぐに自分に注がれていた。こんなにひたむきな目で見つめられるのは、本当に久しぶりだ。その眼差しに支えられるように、続けた。
「あの日、私はあなたに恋をしたの。まるでおもちゃみたいな、うんと甘くて穏やかな恋。今思えばとても未熟で、もっとちゃんと育てなければいけないものだったけれど、それでも私にはとても大切なものだった」
「だった……?」
ローグの眼差しが、不安定に揺れた。
「私は安心してしまったの。あなたがあんまり優しくて穏やかだったから、何も変わらなくてもこのままこの幸せが続くって、この先も何も変わらず過ごしていけるんだって、そう思ってた。でも」
何もかも知っているつもりでいた。長い時間ともに過ごしていたら、自然とわかり合えるものだと思っていた。でもそうじゃない。
「ちゃんと互いの気持ちを話すべきだったし、自分とも向き合うべきだった。成長すべきだったの。自分も、恋心もちゃんと育てなきゃ、いつか限界がきちゃう。そのことに気づかなかった」
だからわからなくなったのだ。自分の気持ちも、ローグとの関係も。不安が不安を呼んで、おかしな追いかけっこがはじまった。声も届かない、振り向いても立ち止まってももらえない。背中だけを見つめて、不安でいっぱいになる追いかけっこ。
「もうこんな悲しい追いかけっこは、終わりにしたいの。ちゃんと向き合いたい。たとえどんな答えが出ても、あなたの気持ちがたとえどうでも、悲しい追いかけっこを続けるのはもう嫌なの」
今にも目尻からこぼれそうな涙を、ぐっと堪えた。
「恋って、本当はとても苦しいものだったのね。甘いばっかりじゃなくて、苦くてドロドロしてて、ひとり占めしたくなったり、自分の中のとんでもなくずるくて弱い気持ちに向き合わされたりして」
恋は、思っていたほど甘くはなかった。甘さの下に、たくさんの未知の感情が隠れていた。こんな気持ちが自分の中にあったなんて、恋をしなければきっと気づかなかっただろう。
「未熟過ぎて自分の気持ちもあなたのことも、何にも見えてなかった。でもやっとわかったの。本当の自分の気持ち。だから……聞かせて。ローグの本当の気持ちも、ちゃんと知りたいの」
ローグの出した答えは、もしかしたら自分が望むものとは違うかもしれない。でなければこんなにも自分を避け続けるなんて、あり得ない。
胸が壊れそうにきしんだ。
この一件が無事終わったら、もう完全にローグとはすれ違ってしまうのかもしれない。町でもし偶然すれ違っても、その気配に気づいても、立ち止まったりしない。もう追いかけっこさえはじまらない。どんなに追いかけ続けたって、恋も追いかけっこも一方通行じゃだめなのだ。
「ローグ。私を見つけてくれて、ずっとそばにいてくれて。あたたかく守ってくれてありがとう。私出会った日からずっと、あなたに恋をしてた。とてもとても夢みたいに甘い恋」
これがローグとふたりきりで話す、最後になるかもしれない。アリソンの婚礼が終わったらもう会う機会だってないかもしれないのだし。だったらせめて、最後に目に映る自分の姿が少しでもきれいで凛としたものであってほしい。
アリソンのように立派な貴族令嬢にはなれなくても、少しでも素敵に映るように。
「大好きよ、ローグ。優しくってあったかくって、陽だまりみたいなローグが大好き」
曇りのない確かな気持ちだった。あとは、ローグの気持ちを聞くだけだ。
リリーが事前に用意してくれていた紅茶は、もうすっかり冷めていた。どちらも手つかずのまま冷え切った薄茶色の液体を見つめながら、じっとローグの答えを待った。
「僕は」
ふいにローグが勢いよく立ち上がった。
「僕が逃げ続けていたのは、僕のせいなんだ! 僕だって、僕だってずっとずっと、君のことが大好きなんだ。その気持ちに嘘はない!」
「えっ……」
ローグの告白に、顎が外れそうなくらいぽかんと口が開いた。




