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「そんなに陰気な顔、しないでくれる? 湿っぽくてキノコでも生えてきそう」
またしてもキノコだ。リリーといいアリソンといい、なぜそんなに自分にキノコを生やしたがるのか。
ぐぅっと、喉の奥から蛙が踏みつぶされたような音がもれた。
「ごめんなさい。昨日のローグの顔を思い出したら、つい……」
紹介状のおかげで潜入作戦が成功したことを伝えに、アリソンのもとを訪ねた。ついでにローグとの出来事についても打ち明けたら、アリソンから辛辣な一言が飛んできた。
「そんなにローグが何を考えているのか気になるなら、聞いてみたらいいじゃない。一体何を考えてるのって。こんなところで私に話したって何にもならないわ。時間の無駄よ」
「うっ」
「婚約だって、別に事が解決するのを待つ必要なんて本当はないでしょう。なのに、なんで何も言ってくれないのかって聞いてみればいいのよ」
事もなげに言ってのけるアリソンに、思わずべそをかいた。
「だって、もし思ってもみない答えが返ってきたら?」
「たとえばって?」
「そりゃあ、だから……」
今さら頑張りを見せられたところでもう君との未来は想像できない、とか。
どう頑張っても君はアリソンみたいな淑女にはなれないよ、とか。
実は本当に他に好きな子ができたんだ、とか。
もやもやとした物思いが、次々に浮かんでは消えていく。
「ね、アリソンは恋ってしたこと、ある? 劇とか小説にあるみたいな、恋」
思い切って聞いてみた。
「……」
返事がない。見ればアリソンが、何とも言えない顔をして固まっていた。
「もしかしてアリソンも、したことないの? 恋」
アリソンの目が泳いだ。図星だったらしい。
「貴族なら別に珍しいことではないでしょう。自分を磨くのに忙しいし、そんなもの知ったところでその相手と結婚できるとは限らないのだし」
そう答えるアリソンは、どこか悔しげだ。でもアリソンの言う通りだった。それが貴族というものだし、結婚したあとだって愛のある関係になれるとは限らない。あくまで家同士の利のために結ぶもの、それが貴族の結婚なのだ。
「私ね、わからなくなってしまったの。ローグと婚約者じゃなくなって、前と同じように向き合えなくなったっていうか、接し方がわからなくなったっていうか。前は何も考えなくてもこういうものだって自然に振る舞えていたはずなのに」
どんな顔をして話せばいいのか。笑えばいいのか。どんな距離感でローグを見つめればいいのか。
町を歩く時は、隣に並んでいいのか。それとも少し後ろを歩くのか。皆と一緒にいる時は、ローグのそばにいていいのか、それとも少し離れて?
婚約という形を失って、ただのローグとフィンになったら何もかもがわからなくなった。これまでどうすればいいのかなんて、誰にも聞かなくても自然にできていたのに。
「以前は何も考えたこと、なかったの。ローグはいつだって優しくてにこにこ笑ってて、魔石の話をしても穏やかな顔で聞いてくれて。私も安心してそばにいられた。でも一度離れてみたら、ローグのことを何にも知らないような気になって……」
婚約してもう何年にもなる。たくさん色んなことを話して、同じ時間を過ごしてきたはず。誰よりもローグのことを知っている気になっていた。なのに、今では――。
「好きって、恋ってどういう気持ちなの? 家族や魔石を好きな気持ちとは、どう違うのかしら。なぜローグは、私を選んでくれたのかな」
大切という意味では、両親だってリリーだって同じだ。魔石だってこの世界からあのかわいらしい声が聞こえなくなったら、泣く自信がある。ローグのことだってもちろん大切だ。婚約を解消されて、あんなに干からびるほど絶望したんだから。
でも生まれた時から一緒にいる家族と、結婚で人生をともにする相手とでは絶対に違うはずだ。同じ好きでも、大切でも。
思わずそんな疑問を口にすれば。
「そんなの、私だってわからないわ。……でも」
「でも?」
アリソンが一瞬言葉に詰まった。窓の外を見つめながら、ぽつりと答えた。
「でも少なくとも、マルセルとローグの婚約者に対する態度はまるで違うわ。態度も笑い方も、かける声も」
「え?」
「今まで黙っていたけれど、実は私もあのお茶を飲んだことがあるのよ」
「ええっ?」
衝撃の事実だった。けれどアリソンは小さく肩をすくめ、事もなげに告げた。
「たったの一度だけよ。婚約を結んで間もなくの頃、茶葉をマルセルにもらったことがあったの。体にいいものだから、しばらく飲み続けるようにって」
アリソンの顔に、暗い影がよぎった。
「今思えばあれは、お茶で私を言いなりにできるかもしれないって考えたのね。もしもお茶で私をおかしくさせられたら、難なく別宅に閉じ込めておけるもの。でも私、あの男の目つきがなんだかすごく嫌な感じだったからすぐに捨ててしまったわ」
多分その後の態度から、お茶を飲んでいないことに気が付いたのだろう。この女は言いなりにはならない。そう考えたマルセルは、ならばと殺すことを思いついたに違いない。
そう言ってアリソンは、寂しそうに笑った。
「だからあなたから森での話を聞いた時、すべてが腑に落ちたの。あぁ、そういうことだったのねって。なんともわかりやすくて、いっそ清々しいくらいだわ。ふふっ」
何だかその他人事のような笑い声に、イラッとした。
「……だから、何もかもあきらめることにしたの? もうどんなにあがいても、運命はきっと変わらないって思ったから?」
真っ直ぐにアリソンを見やった。
おもしろくなかった。マルセルに怒りがわくのは当然だ。マルセルの父親だって、娘の幸せなんて微塵も考えていないアリソンの家族にだって腹が立つ。けれどそれ以上に、アリソンの投げやりな態度が気に入らなかった。
なんでそんなふうに笑って、何もかもあきらめているのか。
どうしてこれまでの頑張りや思いが何もかも踏みつけにされているのに、黙っているのか。
差し伸べられた手を、どうして取ってくれないのか。
アリソンがどんな気持ちであっても、マルセルの魔の手から助けるつもりではいる。でもアリソンはいまだ投げやりな態度のまま。自分たちがガードナー家やギュランド商会について調べ回っていると聞いても、淡々とした態度を崩さない。まるで他人事だ。
このまま変わらないのだろうか。どんな結果になっても、どうせ自分はもう幸せにはなれない。そんな顔と心のまま、婚礼の日を迎えるつもりなんだろうか。
「私は……」
アリソンの口から、小さな声がこぼれ落ちた。
「私は、あなたがうらやましいわ。フィン」
「うらやましい?」
アリソンが窓の向こうを見つめたまま、小さくうなずいた。
「あなたは私のようになりたいというけれど、今の私は空っぽよ。何もないわ。多くのものを積み重ねてきた気がしていたけれど、何もないの。私には、もう何も」
アリソンの口元に、乾いた笑みが浮かんだ。
「少なくとも私の目には、あなたは愛されてる。ローグからも、家族からもまわりからもね。もしかしたら魔石からも、かしら。なら、そのまま信じればいいのではなくて? 今はまだ婚約解消の余波を引きずっているだけで、そのうちうまくいくって。ずっと良好な関係だったのでしょう?」
脳裏にローグの優しい微笑みが浮かんだ。
魔石掘りのたびに、泥だらけの汚れた顔をおかしそうに見て『きれいな魔石が見つかってよかったね』と微笑んでくれたローグ。お日様みたいなやわらかな顔で、そっと頭をなでてくれたローグ。
あの言葉や態度が何もかも幻だったなんて、とても思えない。もちろん婚約を解消したことで、自分でも気づかなかった本当の思いに気づいてしまったという可能性だってなくはない。それでも、欠片ほどの愛情もなかったとは思いたくない。
待っていれば、そのうち元通りの関係に戻れるんだろうか。何もなかったかのように、また以前のようにやわらかく笑い合えるようになれるんだろうか。
「あなたはどうなの? フィン」
「え?」
「あなたはローグのことを、どう思っていたの? これから先の人生、ローグとどうありたいか。ローグの隣でどんな自分でありたいか、どう思っているの? あなたの素直な気持ちを、ローグに伝えてみたらいいのではなくて?」
アリソンの問いかけに、はっとした。心の内をじっと探ってみた。でも答えは出てこなかった。
そんなこと、じっくり考えたこともなかった。もちろんローグと結婚して子を生み育てて年を重ねていく姿を、思い描いてみたことはある。でもそれは誰しも結婚したら当たり前に変わっていく変化であって、心の中までも想像したことはない。
意外だった。結婚したら、何もかもうまく運ぶのだろうと思い込んでいたのかもしれない。でもよくよく考えれば、結婚してからの方が人生長いのだ。何十年と一緒にいれば、時にぶつかることだって心が揺らぐことだって当然あるはずなのに、そんな想像したこともなかった。
結婚は、答えじゃない。はじまりだ。なのにどうして、結婚してさえすれば何もかもきっとうまくいくなんて思い込んでいたんだろう。
(そもそもローグは、どうして私を選んでくれたんだろう。どうしてこんな魔石オタクの変わり者に、わざわざ婚約を申し込んでくれたのかな。どうして私はこんなに、ローグのことで心が揺れてしまうんだろう)
子どもの頃は、魔石さえあればいいと思っていた。魔石が自分のそばにいてくれる。わかってくれる。家族やリリー以外の誰も自分をわかってくれなくても、受け入れてくれなくてもそれでいいって。
でもローグに婚約解消しよう、他に好きな子ができたんだと言われた瞬間に、魔石たちへの情熱も一気にしぼんでしまった。あんなににぎやかだった魔石たちの声も、輝きも失われた。そんなこと、これまでの人生で一度だってなかったのに。
気が付けば、アリソンがこちらを静かに見つめていた。
「一度ゆっくり自分の心を見つめ直してみたら? 案外自分のことって、見えていないものよ。相手がどうのこうのより、まずはあなた自身がどうしたいのかを知ることの方が先だと思うわ」
アリソンの言葉をゆっくりと噛み締め、フィンはこくり、とうなずいた。




