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「そうそう。洗濯は全身を使ってするんですよ。特にシーツなんかの大きなものはね、体力勝負なんですから」
洗濯というものは、思ったよりも重労働だ。フィンは額ににじんだ汗を泡だらけの手の甲で拭い、大きく息をついた。
「暮らすって、大変なのねぇ! なんでもやってみるものだわ」
つきっきりで洗濯だの料理の下ごしらえだの、シーツ交換のやり方なんかを使用人たちに教わりはじめて、五日が過ぎた。
連日の労働で、体中がバキバキだ。これまでこうした雑事を皆やってもらっていたのだと思うと、頭が上がらない。
「これだけできれば、新入りの下働きとしては十分でございましょ! うまくいくといいですねぇ。フィンお嬢様」
長年仕えてくれている使用人の言葉に、こくりとうなずいた。
一応はフィンも、れっきとした貴族令嬢である。料理だのシーツ替えだの洗濯だのをする習慣は、基本的にない。もちろん日常の身支度だのは自分でするけれど、いくら貧乏貴族とは言え一応は使用人やメイドたちがいるのだし。
でも明日からフィンは、町娘リリとしてコルトン侯爵家のお屋敷に下働きとして雇い入れられることが決まっていた。
「早々に粗相をしてその日のうちに追い出されるなんてことのないように、頑張らなくちゃね」
ふんっ、と小鼻をふくらませ、フィンは拳を握りしめた。
「お嬢様ならきっと大丈夫ですよ。筋もいいですしね」
「ふふっ。ありがと!」
皆のお墨付きをもらった翌日、フィンはコルトン侯爵家へと向かった。
大きく立派な門構えに、フィンの喉がごくりと鳴る。いくら紹介状があるとは言っても、働きぶりによってはあっという間に首になる可能性だってある。絶対に失敗は許されない。紹介状を書いてくれたアリソンの顔をつぶさないためにも。
ポケットの中の紹介状をそっと握り締め、フィンはベルを鳴らした。
「こ、こんにちは! 今日からこちらで働かせていただくことになりました、リリと申します」
白髪交じりのいかにも厳しそうな顔つきの家令に見下ろされ、思わず声が上擦る。
「まずは紹介状を」
汗ばんだ手で紹介状を取り出し、手渡した。
「ふむ。ではこちらへ」
「は、はい!」
いよいよはじまった潜入計画に、フィンは服の上から胸のペンダントをぎゅっと握りしめた。
「もしかしてあんた、晴れ女かい? さっきまであんなに曇ってたのに、あんたが洗濯をはじめた途端お日様がのぞいて、いい塩梅に風まで吹いてきたよ。これならシーツも早く乾きそうだ!」
一緒に洗濯係に配置された年配の使用人が、驚きの声を上げながら風にはためく洗濯物を見やった。
「あははは。そう、ですかね?」
滑り出しは、実に上々だった。それもこれも、この超強運体質のおかげだ。
「あんたのこと、奥様がほめてらしたよ。あんたのおかげで、忠実な家令を長く休ませずに済んだってさ。あの人なしじゃ、このお屋敷はこうもうまくは回らないからねぇ」
そう言って使用人は額に浮かんだ汗を、ぐいと拭った。
この家の女主人であるコルトン侯爵夫人は、長年この屋敷に仕え夫を早くに亡くした際にも随分と助けになってくれた家令を、心から頼りにしているらしい。その家令を適切な判断で助けてくれたフィンに、コルトン夫人はいたく感激していたのだという。
「ええと、あれはたまたま父で慣れていただけで。へへへ」
強運体質は、屋敷に入ってすぐに発動した。
屋敷に足を踏み入れ、使用人頭のところに向かう途中、突然家令が立ち止まりその場から一歩も動けなくなったのだ。見れば腰に手を当て、苦悶の表情を浮かべている。
もしやこれは、ぎっくり腰か。
腰に爆弾を抱える父の介抱に慣れていたフィンは、すぐさま動いた。腰は一にも二にも安静が絶対だ。無理に動けば動くほど、治りが遅くなるし癖にもなる。そのことを知っていたフィンは、すぐに人を呼びいつも父がするように腰に湿布を張えい安静にするよう伝えたのだ。
結果、大事には至らずに済んだ。そのことを夫人はいたく感謝しているのだ。
「お役に立ててよかったです。ふふふ」
そして、肝心の仕事ぶりもなかなか悪くなかった。
洗濯をすれば雲が晴れ、いい風が吹く。魔石掘りで鍛えた筋肉のおかげか、軽々とじゃがいもやら人参の入った大袋を担ぎ上げることもできたし、土汚れに慣れているせいか汚れ仕事も難なくこなせる。出入りの八百屋からは、とびきり出来のいいかぼちゃをおまけでもらえたりという幸運も舞い込んだ。
気が付けばすっかり皆に溶け込み、空気に馴染んでいた。
万が一貴族位を失うことになっても、もしかしたら使用人として生きていけるかもしれない。うっかりそんな勘違いをしてしまいそうなくらいには、うまく事が運んでいた。が、ここへきた目的はそれじゃない。
屋敷の空気にも慣れた頃合いを見計らって、フィンはさっそく使用人たちに例の茶葉について聞いてみることにした。
「あぁ、あのお茶ね。奥様がいらないから皆で飲んでいいってくださってね、飲んでみたよ。特においしくもないしまずくもない、まぁ普通の薬湯ってところかね」
「お茶は奥様が飲んでいらっしゃったの? それとも他のご家族が?」
この屋敷の主、コルトン侯爵は早くに亡くなっている。今ここに住んでいるのは、夫人の実の弟だけだったはず。
「飲んでたのは、離れにお暮らしの奥様の弟のレイナルド様だよ」
レイナルドは幼い頃から体が弱く、ほとんど外に出ることもない。お抱えの医師の治療で状態は落ち着いているけれど、さらによくはならないかと夫人が考えガードナー家から購入したらしい。
「途中で飲むのを止めたってことは、レイナルド様のお体にも合わなかったのかしら? それとも他に何か理由が……」
いよいよ核心に迫る質問をしたところで、思わぬ邪魔が入った。
「リリ。奥様がお呼びだよ。急いでお行き」
「はいっ!」
まさかの呼び出しに、フィンの背筋がしゃきんっと伸びた。
コンコンッ!
「奥様。リリでございます。お呼びでしょうか」
コルトン侯爵夫人が、ゆっくりとこちらを振り向いた。やわらかな印象の、けれどどこか鋭さのある目をした感じのいい女性だった。雰囲気がどことなくアリソンに似ている気もする。
「あなた、アリソンから聞いていて? 私、以前アリソンにはとてもよくしていただいたのよ。お若いけれど、とてもしっかりした素敵なご令嬢よね」
ひらひらとアリソンが夫人に宛てた手紙を振りながら、夫人がにっこりと微笑んだ。こくり、と喉が鳴った。
「ええと、アリソン様は奥方様を大層素晴らしい方だから心して働くように、と言ってくださっただけで、詳しいことは」
アリソンが手紙に何と書いたのか、聞いておけばよかった。もしかしたら手紙の中で、今回の事情について何か匂わせているのかもしれない。けれどこちらからそんな話を切り出すわけにもいかない。
じっとこちらに注がれたままの夫人の視線に冷や汗をにじませつつ、反応を待った。
「そう。ふふふふっ。……あぁ、そうそう。はい、これ。これが欲しかったのでしょう。どうぞお持ちになって」
夫人がすっと小さな包みをこちらに差し出した。
「は……?」
「そのために、ここへきたのでしょう?」
「ふぇっ?」
おかしな声が出た。
手渡されたもの、それは紛れもなく例の茶葉だった。ご丁寧に、袋にガードナー家とギュランド商会の紋まで入っている。先ほどの話では、全部使用人たちにくれたと言っていた。けれどいくつかは手元に残してあったのだろう。
そして驚いたのは、もうひとつ。フィンはお茶からあることを感じ取っていた。どうにか平静を装い動揺を隠し、夫人を見やった。
「体の弱い弟にしばらく飲ませてみたのだけれど、なんとなく気が進まなくなって飲むのをやめたのよ。アリソンの婚約者になったっていうあのマルセルという方の話を聞いたら、なんだか信用ができなくなってしまって」
含みのある物言いに、どう答えたらいいものか戸惑う。
「ええっと、あの……」
「あなたも知っているでしょ? あのマルセルという男、随分とアリソンにひどい態度で接しているそうじゃないの。しかも町に踊り子の恋人までいるとか。そのまま愛人として囲う気なのでしょうねぇ。いまだに堂々と町中をふたりで歩いていると聞いたわ」
夫人が、小さく鼻を鳴らした。
夫人にとってアリソンは、年は相当に離れてはいるものの恩のある人間であるらしい。だからこそアリソンを邪険にし、あくまで爵位を得るためだけに冷たくあしらうマルセルに我慢がならなかったのだ。
「そもそもアリソンの婚約者だからという理由で少しなら買ってあげてもいいかしらって思っただけなの。でもそれがアリソンのためにならないのなら、続ける必要もないわ。それに」
夫人の顔にすっと真剣な色がよぎった。
「それに、なんだか気になったのよ。そのお茶をもっと長く飲み続けるようにって妙に熱心に勧めるマルセルの目つきがね」
「目つき、ですか?」
夫人がこくりとうなずいた。
「何かよからぬことを考えているような、このまま弟に飲ませ続けたらよくないことが起きるのじゃないかしらっていう疑いを持ってしまったの。勘、かしらね」
結局大した量を飲まずに終わったために、これといって心身におかしなことも起きなかった。けれど社交界でじわじわとこの茶葉にまつわる不穏な噂が広がり出していたこともあって、念のため手元に少しだけ残していたのだ。そう言って夫人は不敵に微笑んだ。
「だからそれは、持っていっていいわ。煮るなり焼くなり好きにしてちょうだい。ふふふっ。アリソンによろしくね。また落ち着いたらぜひ会いましょうって伝えておいてちょうだいな」
「は、はいっ! ありがとうございます。コルトン侯爵夫人! このご恩は、決して無駄にはいたしませんっ」
これ以上ないほど深々と頭を下げれば、頭上でコロコロと軽やかな笑い声が聞こえた。
その後他の貴族家へも、下働きとして潜入した。その先でもアリソンの紹介状の威力は絶大だった。さすがはアリソンである。アリソンなくしては、この計画は決して成功しなかっただろう。
結果満足のいく情報を手にできたフィンは、鼻息荒く皆のもとへと帰ったのだった。




