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アリソンは、鏡に映った自分の顔にそっと息を吐き出した。
いつからこんなに生気のない、幽霊のような顔になってしまったのだろう。すべての感情をどこかに置き忘れてきたような、ぱっとしない顔。
ようやく仕上がった花嫁衣装は、実にいい出来だった。細部にまでこだわり金をかけることに、両親がいい顔をしていないのは知っている。けれど無視した。今思えば、両親への最後の意趣返しをしたかったのかもしれない。
両親は知っているのだろうか。自分が婚礼を挙げてすぐ、殺される運命にあることを。はじめからこの結婚に幸せなど存在せず、死しか待っていないことを。
そんなはずない、ときっぱり思い切れないことがなんとも切なく虚しかった。
婚礼に向けての準備は、着々と進んでいる。本来こうした準備は、花嫁を迎える側のガードナー家や自身の家族が取り仕切るものだ。けれどそれを、アリソンは自らの手でこなしていた。
もちろん実際準備に当たるのは使用人たちであっても、仕切るのがアリソン自身という意味ではあるけれど。
貴族家において、花嫁自身がそうした準備に忙しなく追われるのはそうあることではない。けれどこの婚約が意味のあるものだと自分に言い聞かせるために、どうしても必要だった。双方の家の存続のために必要なものであり、貴族家の婚姻というものはそういうものだと納得させるために。
それに考え方を変えれば、マルセルのような男の妻として勤めを果たさずに済むことは幸運とも言えるかもしれない。たとえ引き換えにするのが命でも、苦しみは長くは続かないのだし。
「私、もう少しで死ぬんだわ」
他人事のようにつぶやいた。
マルセルが自分を殺そうと計画しているとフィンとローグから聞いた時、衝撃を受けなかったかと言えば嘘になる。なぜそこまでの憂き目に遭わねばならないのか、と運命を呪いたい気持ちにだってなった。けれどようやく腑にも落ちた。
マルセルの、自分へ注がれる視線にちらつく冷酷さ。まるで使い捨てのものを見るかのようなその目に、嫌な予感を感じ取ってはいた。結婚したというのに本邸にも立ち入ることもできず、生涯を孤独に打ち捨てられて過ごす。それだけで十分に残酷な仕打ちだ。でも命があるだけましなのか。それとも――。
「ふふっ。考えるだけ時間の無駄ね」
アリソンの脳裏に、つい先ほどまでいたフィンの顔が浮かんだ。
小動物を思わせる、どこか間の抜けた顔。くりくりとしたつぶらな目が、感情を伴ってコロコロと表情を変える。落ち着きがないとも言えるし、見ていて飽きないとも言える。
思えば出会った時から、風変わりでおかしな子だった。
『これ、私が大切にしている魔石なの。よかったらどうぞ』
誕生日パーティで、あの子と出会った。風変わりで、ちっとも貴族令嬢らしいところのないおかしな子だった。
そんなフィンがくれたのは、無難なプレゼントの中でひと際目立つ小さな石ころだった。ほんのりと薄桃色に輝く。、親指の先より少し大きいくらいの何てことのない魔石だ。
こんなものを私に?
意表を突かれてフィンを魔石とをまじまじと見比べていたら、招待客が騒ぎはじめた。魔石なんてくだらないものを贈るなんて、何かの嫌がらせに違いない。魔石オタクの変わり者なだけでなく、失礼極まりない。そんな言葉を口にしながら、皆がフィンを嘲笑っていた。
でも不思議と、魔石を手にした瞬間心がやわらかくなった気がした。薄桃色に輝くその石が、なんだかとても優しい光を放っているように思えて。
立ち上がり、机の引き出しの奥にしまい込んだ小さな箱を取り出した。中には、薄桃色の魔石がコロリと転がっていた。
思わず笑いがこみ上げる。なぜこんなものを捨てずに大事にしまい込んであるのか、自分でもわからない。けれど捨てる気にはなぜかなれなかった。
指先でちょんと突いてみれば、不思議とフィンの顔が浮かんだ。
「下働きとして貴族家に潜入するなんて、何を考えてるのかしら。あの子。自分も命が狙われてるって自覚、本当にあるのかしらね」
フィンが訪ねてきたのは、昨日の午後のことだ。例の茶葉をガードナー家から購入した貴族家の名が書かれたリストを持ってきて、この中に付き合いのある人はいないかとたずねてきたのだ。
『私、この人たちの屋敷に潜入しようと思ってるの。もちろんフィンとしてじゃなくて、下働きにきた町娘のふりをして、だけど』
実際に茶葉を飲んだ者のその後の様子を知るために、フィン自らが下働きとして潜入するつもりでいるらしい。貴族と言うものは外聞を気にする生き物だ。そう簡単に内情を外の人間に話したりはしない。たとえ相手が同じ貴族であろうとたとえ国の役人相手であろうと、だ。当然いくらフィンが貴族令嬢として乗り込んだところで、何も教えてはもらえないはずだ。
けれど使用人というものは、ある意味仲間意識が非常に強い。一度同じ懐の中に入ってしまえば、信頼を得ることはそう難しくない。仲間だと思えば口だって軽くなる。悪くない発想ではあった。もっともなぜそんなに一生懸命に自分とマルセルの婚約を壊そうと奮闘するのかは、さっぱりわからないけれど。
『この中でアリソンの知っているお屋敷があったら、ぜひ紹介状を書いてほしいの。あなたからの紹介状を持参すれば、間違いなく雇ってもらえるもの!』
自分を真っすぐに信じるフィンが、なんだか眩しいと思った。無邪気というのか、無防備というのか。
周囲から魔石オタクと笑われ相手にもしてもらえず、辛い思いをしたこともあったろう。それでも魔石への真っ直ぐな情熱とひたむきさを失うことなく、真っ直ぐに成長したようだ。両親や周囲からのあたたかな愛情に包まれてのびのびと育ったせいだろう。
自分がついぞ得られなかったもの、それをこの子は持っている。素直にうらやましいと思った。この子とともにいたら、もしかしたら自分がこれまで通り過ぎてきたもっとあたたかなものに出会い直せるのではないか、と夢を見てしまうくらいに。
(馬鹿ね。今さら何を考えているのかしら。私)
気が付いたらフィンのことを考えていることに気づき、アリソンは頭を振った。
まもなく何もかもが終わるのだ。今さら他の人間のことや未来を考えても、時間の無駄だ。人生がこの先交差することなどないのだから。
フィンが置いていったリストに、アリソンはじっと視線を落とした。そのうちのひとつに、目が留まった。
「コルトン侯爵家、あの方もガードナー家からお茶を買っていたのね。特に何か問題が起きているという噂は聞かないけれど」
コルトン侯爵夫人とは、面識があった。病気の夫を抱えなかなか苦労してきたとは聞いているものの、いつもどこか溌溂とした空気をまとわせる賢い女性だ。
「あの方なら、力になってくださるかもしれないわね」
顎に指をかけ、アリソンは考え込んだ。
他にもいくつか見知った名前をリストに見つけた。
数日後、アリソンはフィン宛てに封書を送りつけた。知り合いの娘をそちらで下働きとして短期間雇ってみてはいただけないか、という内容の数通の手紙と、それぞれに出す紹介状を同封して。




