すべての始まり
なんやかんやで、三年が経った。
大学を卒業してから三年。
俺は、相変わらず同じ会社で営業を続けていた。
一年目。
年収は、およそ一千二百万円。
二年目。
一千六百万円。
社内でもトップクラスの成績になった。
入社当初、一緒に研修を受けていた同期は、もうほとんど残っていない。
辞めた奴もいれば、いつの間にか連絡が取れなくなった奴もいる。
俺だけが残っていた。
そして、気づけば俺は、会社の中で「売れる人間」になっていた。
「Aに行かせれば決まる」
「人を見るのが上手い」
「お前は営業向いてるよ」
そんなことを言われるようになった。
昔なら、嬉しかったと思う。
実際、一年目の俺だったら、たぶんかなり喜んでいた。
でも今は。
「そうっすか」
それだけだった。
褒められても、特に何も感じない。
契約が取れても、
「要するに、数字が増えただけだろ」
くらいにしか思わなくなった。
それどころか。
俺は、人と話すこと自体が面倒になっていた。
例えば、誰かが仕事の相談をしてくる。
「昨日さ、ちょっと大変なことがあって……」
そこまで聞いたところで、
「要するに?」
と聞いてしまう。
「え?」
「結局、何があったんですか?」
相手が最初から話してくれればいい。
そう思っていた。
別に怒っているわけじゃない。
相手を嫌っているわけでもない。
ただ。
長い話を聞くのが面倒だった。
「それでさ、最初はこうだったんだけど――」
「要するに、Aさんがミスしたってこと?」
「いや、そうじゃなくて……」
「じゃあ何?」
そんな会話が増えた。
営業を始める前の俺なら、もっと適当に話を聞いていたと思う。
くだらない話でも笑った。
相手が何を言いたいのかわからなくても、とりあえず最後まで聞いた。
でも今の俺は違った。
結論が知りたい。
要点が知りたい。
必要な情報だけ欲しい。
それ以外はいらない。
「めんどくさい」
その一言で、全部片づけるようになっていた。
営業では、それが効率的だった。
相手の話を聞く。
余計な部分を切る。
必要な情報だけ拾う。
相手が何を求めているのか判断する。
そして、その答えを提示する。
俺にとっては、もう当たり前のことだった。
だから。
それが仕事の外でも出ていることに、俺自身は気づいていなかった。
友人と飯を食べていてもそうだった。
「最近、会社でさ――」
「要するに、辞めたいの?」
「いや、そこまでは言ってないけど……」
「じゃあ何?」
「いや……まあいいや」
そんなふうに言われることも増えた。
俺は、そのたびに思う。
「なんで結論から言わないんだろう」
本気でそう思っていた。
相手が悪いと思っていた。
俺のほうが効率的だと思っていた。
でも。
今思えば。
俺はいつの間にか、
人の話を聞くことそのものに価値を感じなくなっていた。
話の中身より。
結論。
目的。
結果。
それだけを見るようになっていた。
そして、それは人間関係にも少しずつ影響していた。
一年目。
俺は、金を稼いだら楽しくなると思っていた。
毎日のようにファミレスに行って。
好きなものを食べて。
休みの日には好きなところへ行って。
欲しいものを買って。
何にも縛られずに生きる。
そんな生活を想像していた。
でも。
三年経った今。
財布には、昔とは比べものにならないくらい金が入っている。
欲しいものは、大体買える。
少しくらい高いものを見ても、
「まあ、買えるか」
で終わる。
旅行に行こうと思えば行ける。
良いホテルに泊まろうと思えば泊まれる。
食べたいものを我慢する必要もない。
なのに。
何もしたくない。
休みの日。
ベッドに横になる。
スマホを見る。
動画を見る。
ゲームをする。
飽きる。
また動画を見る。
飽きる。
時計を見る。
まだ昼。
「……暇だな」
でも、どこかへ行きたいわけじゃない。
何かをしたいわけでもない。
ただ時間だけが過ぎていく。
財布は重くなった。
銀行口座の数字も増えた。
それなのに。
自分の中身だけが、少しずつ減っていくような感覚があった。
「なんだろうな、この気持ち」
欲しかったはずのものを手に入れた俺は、どうしてこんなに空っぽなんだろう。
「……初心に帰って、恋愛とか?」
ふと、そんなことを思った。
恋愛。
大学時代にも、もちろん周りに女の子はいた。
でも、仕事を始めてからは、そんなことを考える余裕もなかった。
今なら。
金もある。
時間もある。
自分の見た目だって、悪くない。
身長は183センチ。
体型は細身。
顔も、別に悪いほうではないと思う。
少なくとも、これまで誰かに容姿を馬鹿にされたことはなかった。
「まあ、彼女くらいできるだろ」
そう思った。
実際。
できた。
*
付き合い始めるまで、それほど時間はかからなかった。
相手も俺に好意を持ってくれた。
周りからは、
「お前、もっと早く恋愛しとけばよかったじゃん」
と言われた。
別の友人からは、
「宝の持ち腐れだろ」
と笑われた。
俺は適当に笑っていた。
「まあ、そうかもな」
彼女ができてから。
俺は今まで使わなかったような金を使った。
食事。
プレゼント。
旅行。
ちょっとした買い物。
彼女が喜びそうなものを見つけると、買った。
高い店にも連れて行った。
理由は、自分でもよくわからなかった。
ただ。
彼女が笑っていると、少し安心した。
「これなら、何か変わるかもしれない」
そう思った。
俺は彼女との時間を増やした。
話した。
笑わせた。
相手が何を好きなのか聞いた。
何を嫌がるのか考えた。
どんな言葉をかければ喜ぶのか。
どうすれば機嫌がよくなるのか。
俺は、それまで営業でやってきたことを、無意識のうちに使っていた。
相手を見る。
反応を見る。
言葉を選ぶ。
空気を読む。
そして。
相手が自分から離れていかないようにする。
俺自身は、それを「大切にしている」つもりだった。
少なくとも、そう思っていた。
だから。
彼女との関係は、うまくいっていると思っていた。
ある日の夜。
俺たちはいつものように話していた。
俺は笑いながら、彼女の話を聞いていた。
そのときだった。
彼女が、突然言った。
「ねえ」
「ん?」
「……Aってさ」
少しだけ間を置いて。
彼女は俺を見た。
「私と話すときも、営業してるみたいだよね」
「……え?」
俺は笑った。
何を言っているのかわからなかった。
でも。
彼女は笑っていなかった。
「なんか、ずっと思ってたんだけど」
そして。
俺の中に、三年前から積み重なってきたものを、一言で言い当てるような言葉を口にした。
「私のこと、何だと思ってるの?」
俺は、何も言えなかった。




