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82 生き延びてしまった村

「それで、勇者とエリスはどうする?留守番するか?」

「そうねぇ。私は留守番しようかしら。私たち人間が魔族の村に入ることは、逆の立場なら撃退されても文句言えないもの」

「……そうだよね。私は仲良くなりたいけど。魔族の皆さんは受け入れる態勢ができてないよね。私もエリスとここに残るよ」

「わかった。半径200メートルに結界を張る。危ないから帰るまで出るなよ」

結界の杭として道中拾った水晶を地面に刺す。

サタンとルシファーは神力と魔力の結界を薄く展開する。

3日ほどなら持続できるだろう。

エリスは安堵する。

魔界の隠れる場所も乏しい開けた地で人間二人、野営をするには危険すぎる。

食料と水は3日間くらいなら十分だ。

「では行ってくる」

空は鉄のような鈍い紫に変わっていた。

サタン、ゾイル、そして肩に乗ったタマは、斜面を越えた先に広がる小さな集落を見下ろしていた。

煙が上がっている。

だが、生活の煙ではない。

焚き火の煙は普通、細く、ゆっくり立ち昇る。

しかし村のあちこちから立つ煙は低く、重く、湿っていた。まるで濡れた布でも燃やしているような、喉に絡みつく色をしている。

ゾイルが低く言った。

「……妙だな」

サタンは答えない。

すでに気づいていた。

山の麓の村は、雷虎の縄張りの中にあるはずだった。

周辺の集落はすべて壊滅していた。

道中で見てきた踏み潰された石壁、焼け焦げた地面、爪で裂かれた死骸。

雷に撃たれた木々は芯まで炭化していた。

だが、この村だけは無傷だった。

「襲われていない……?」

タマの耳が寝る。

「いやニャ、違う。襲われてないんじゃないニャ」

サタンはゆっくり歩き出した。

村の外縁、畑だった場所に足を踏み入れた瞬間。

ヌル。

湿った、極めて小さな音。

サタンの指先が空中で止まる。

目の前の“何もない場所”に触れている。

空気がわずかに歪んでいた。

水面のような、薄い膜。

「……結界か」

ゾイルが近づき、慎重に手を伸ばす。

壁ではない。硬さがない。

何かあるという感覚だけがある。

サタンは横へ歩く。

結界は村をぐるりと囲んでいた。円ではない。

地形に沿って歪に広がり、家屋、井戸、畑を丸ごと包み込んでいる。

「入れますか?」

ゾイルが聞く。

サタンは結界に体重をかける。

「この結界は……妙だな」

(魔獣だけを通さない結界だな)

ルシファーは即座に違和感の正体を言い当てる。

「俺は入ることはできそうだ。だが……」

「それなら入ろうニャ……ぎゃああ」

「魔獣は通れないって言おうとしたのに……」

「は……やく……言え……ニャ」

タマは感電したように伸びている。

魔獣には効果てきめんのようだ。

雷虎の縄張りの中なのに無事な理由はこの結界のおかげだ。

「ちょっと待っていろ」

「もう少ししたら……勇者とエリスの所に戻っている……ニャ」

タマキンはダメージを受け、あおむけに寝転がっている。

まあ幻影魔法があるから大丈夫だろ。

サタンは結界に入る。

まるで水に沈むように、抵抗なく身体が内側へ滑り込んだ。

ゾイルも続く。

村の中へ入った瞬間、空気が変わった。

音が無い。

風は吹いている。

布は揺れている。

扉も軋んでいる。

なのに生活音がない。

子供の声も、家畜の鳴き声も、鍋の音も、咳払いもない。

ただ、匂いだけがあった。

腐臭。

乾いた血。

そして、煮た肉の匂い。

ゾイルの顔が強張る。

「……狩りの匂いじゃない」

村人たちはいた。

だが普通の動きではなかった。

歩き方が遅い。

目が合わない。

会話がない。

皆、同じ方向、鍋のある広場を見ている。

サタンは家畜小屋を覗いた。

空。

骨だけが積まれていた。

皮も脂も残っていない。削り取るように食われている。

骨を割り髄まで吸い尽くしている。

次に倉庫。

穀物袋は裂かれ、床には一粒も残っていない。

さらに畑。

種籾を植えた形跡がある。だが掘り返されていた。

芽が出る前に食われている。

ワイン蔵へ入る。

樽が割られ、葡萄は乾いた皮だけになっていた。

本来なら何年も寝かせるはずの醸造用の葡萄まで食料として消費されている。

ゾイルが呟いた。

「……最終段階だ」

サタンは無言で頷く。

家畜を骨の髄まで喰らい、備蓄穀物を喰らい、来年の耕作用の種籾を喰らい、食用ではないワインの果実・醸造用資源を喰らう。

もはや食えるものは一つしかない。

村の端にある鉱山の入り口。

今は鉱山としては使われていないようだ。

大型の金属軌条

魔力伝導用の導線や試料や鉱石を高圧で射出・加工する設備が置いている横にいくつもの墓が並んでいる。

その墓は比較的新しい物ばかりだ。

1つの墓に目をやる。

真新しく掘り返した跡があり、その穴の中にあるべきものが無い。

墓は虚ろであった。

広場へ戻ると、大鍋の前に人だかりができていた。

中身が見えた瞬間、ゾイルが憤怒の顔で剣に手をかける。

小さな腕の骨が、大鍋から覗いていた。

サタンの手が刀の柄を握る。

だが抜かない。

抜けないのではない。

意味がないと理解したからだ。

村人の一人が虚ろな目で言う。

「すまない……すまない……許しておくれ」

村人は涙を流しながらスープを口にする。

「おい、お前達!!!」

サタンは村人へ怒鳴りつけるように呼び掛けた。

サタンは広場に集まる魔人に近づく。

下級魔人の村人に対して、魔力を全開放する。

周囲に広がる凄まじいほどの魔力の圧。

恐怖の色に染まる村民。

魔法を放っていないのに、周囲の空気は凍てつき、鍋の火が消えた。

「おい、お前達、事情を説明しろ。なぜそんな物を泣きながら食す?なぜ結界から出ない?その子は……お前らが殺したのか?」

サタンは七色に光る眼で村民を見る。

ゾイルはサタンのあまりの怒り様に、自身の怒りが引っ込む。

サタンは心の底から怒っていた。

怒りは血のように体中を巡り、今にも噴き出しそうだった。

だがルシファーの怒りは、その比ではない。

空気すら震えるほどの憤怒が、胸の奥底からマグマのように噴き上がっていた。

怒りの感情とともに全開放した魔力に充てられ気絶する者もいた。

凄まじい……。

ゾイルはサタンの魔力を傍で感じ、全身が粟立つのを感じる。

ゾイル自身、中位魔人ほどの魔力を待つようになり、魔界の瘴気と反応して手の甲に紋様が出た。

中位魔人の自分でさえ、サタンの足元にも及ばない。

以前の天使戦で見たときよりもまた数段魔力量が上がっている。

埋まるどころか、差は開く一方だ。

「サタン様、気をお鎮めください。村人が話せる者がいなくなってしまいます」

ゾイルに諭され、サタンはハッとした。

込み上げていた怒りを、強引に押し込める。

とはいえ、胸の奥で燻る怒りの火までは消えない。

「……すまない」

「いえ、お気持ちは同じです」

「さて、事情を説明してもらおうか」

するとやせこけた青年の魔人が声を発する。

「この子は……この子は、飢えで死んだんだ……」

「結界は出られる……だが、出れない……」

別の村人が続ける。

「食料を探しに出た者も……助けを呼びに行った者も……誰も帰ってこない……」

「雷虎は村を襲わない……でも常に見張っている……」

「ここにいれば死ぬ……」

「外に出ても、帰れない……」

ゾイルが結界を振り向く。

サタンはすでに歩き出していた。

ためらいはない。

結界は、淡い色で空間を歪めている。

空気が水面のように揺れる魔力の膜だ。

一歩。

足先が膜に触れる。

弾かれる気配はない。

二歩目。

靴底がゆっくりと沈み込む。

水を割るような、ぬるりとした感触。

だが拒絶も、痛みも、焼けるような反発もない。

内部からも通れる。

サタンはそのまま体を押し出した。

結界が波打ち、黒い光が弧を描く。

そして彼は、何事もなかったかのように外へ出た。

その瞬間。

空気が裂けた。

ドカアアン――ッ!!

天が割れたかと思うほどの轟音。

視界が白に塗りつぶされる。

サタンの頭上、ほんの指先の距離を違えず、巨大な白雷が垂直に叩き落とされた。

それは自然の稲妻ではない。

意思を持った、処刑の刃。

閃光が地を焼く。

爆ぜた土砂が暴風となって吹き荒れ、焦げた臭いが鼻腔を刺す。

ゾイルが息を呑んだ。

喉の奥がひゅっと鳴る。

何も気配を感じなかった。

声にならない。

鼓動が耳の内側を打ち、視界が揺れる。

雷の残光がまだ空に爪痕のように残っている。

地面には、抉れた黒い裂け目。

ーーサタン様は?

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