80 砂漠の晩餐
「この辺りには雷虎は来るのか?」
「たまにこの地を超え草原地帯に獲物を狩りに行っています。通り道程度ですが、そのたびに甚大な被害が出ています。あの雷虎に唯一抵抗できるのが、この砂漠地帯の主、さっきのサソリだけなのです。もしあの主が死んでしまったら、雷虎が自由に闊歩される支配地になりかねません。なのであなたたちの戦いに水を差しました。危うく私がやられそうになりましたが……」
「なるほどな。毒を持って毒を制すか……」
「ええ、同じ毒なら、抗体を持っている危険性の少ない毒のほうがいささかマシです。もしあなた方が雷虎を倒してくれるというのなら、わたしは協力は惜しみません」
「じゃあ……まずは腹ごしらえだ。サソリのハサミの旨い喰い方教えてくれ。タマ!」おタマキンは背丈以上のハサミをゴトッという音を立て置いた。
「はいにゃ」
「お安い御用で」
ラシードは少し驚き、能面のような顔に少し笑みが見えた
「……これ、どうするの?」
エリスが顔をしかめる。
タマは迷いなく、サソリの巨大なハサミに手をかけた。
「捨てるのが一番もったいない部位だにゃ」
剣を振り下ろすと、殻が割れ、硬い外骨格の内側から白い身が覗いた。
それは虫というより、太い蟹の脚に近い。
「ほんとに食べるの……?」
勇者の声が引きつる。
「砂漠じゃ、こいつはご馳走です。水分と塩分が取れる」
ラシードは焚き火を起こす代わりに、熱を持った砂を掘り返す。
地中はまだじんわりと熱い。
ハサミを殻ごと埋め、上から平たい石を置いた。
「焼くの?」
「砂焼きです。火を起こす薪は貴重ですから。……とはいえ今日の砂の温度は低いので、調理するには火を使わねばなりませんが」
「炎魔法なら任せて。火加減はあなたの自然力で調整してね」
エリスは魔法を出しつつ、ラシードの自然力の扱いを観察することにした。
しばらくすると、殻の隙間からじゅう……と油が滲み、香ばしい匂いが漂い始める。
それは昆虫の匂いではなく、むしろ磯に近い。
エリスが目を瞬かせる。
「……いい匂い。サソリって思わなければだけど」
ラシードは石をどけ、短剣で殻を割る。
中から湯気とともに、真っ白な身が現れた。繊維が太く、ぷりっと弾力がある。
彼はナイフの先で少量の岩塩と、乾燥させた香草を砕いて振りかけた。
「砂漠草だ。臭みを消す」
サタンが一口食べる。
――ぱきっ。
殻を割った瞬間、肉汁が溢れた。
噛むと弾力がありながら、すぐにほぐれる。味は濃く、淡い甘みの後に強い旨味が残る。
蟹と海老の中間、だがもっと野性的で、塩がなくても成立する味だった。
サタンの目がわずかに見開かれる。
「……これは」
タマキンもうまそうにかじりつく。
「最高ニャ!」
勇者が恐る恐る口に入れる。
「え、ちょ、まっ……」
数秒後。
「おいしい……」
エリスはすでに二口目を食べていた。
「普通に高級料理じゃないこれ!?」
ゾイルが小さく笑う。
「何も無い砂漠での数少ない楽しみだな」
サタンは、黙って残った身を見つめた。
腹を満たすための食事ではない。
自身の魔力の上限を取り払うだけでもない。
食事を通し、人間と魔族が笑い合っている。
いがみ合っていた存在だったはずだ。
焚き火の代わりに、夜の砂がゆっくりと熱を逃がしていく。
風が細く砂丘を撫でていた。
「サタン様、どうぞ」
ゾイルが殻を割って差し出す。
サタンは一瞬だけ躊躇し、それを受け取った。
勇者は指についた油を舐め、少し照れたように笑う。
エリスは香草を追加しながら言った。
「こうしてると、旅って感じがするわね」
サタンはその言葉に、ふと顔を上げた。
旅。
確かに、夜風に冷めていく砂の匂い。
粗末な食事。
互いに手渡される器。
どれも特別なものではない。
豪勢な宴でも、魔族の戦勝祝いでもない。
それなのに妙に静かで、妙に落ち着く。
ゾイルは殻をもう一つ割りながら、タマに「おい、横取りするな」と小声で言っている。
勇者はそれを見て笑い、エリスは「ちゃんと皆に回しなさい」とたしなめる。
たわいないやり取りだった。
戦いでも、策でも、力の誇示でもない。
ただ、同じ皿を囲み、同じものを口にしているだけだ。
サタンは手の中の殻を見下ろした。
魔族と人間。
本来なら剣を交えるはずの者たちが、今は油まみれの指で同じ料理をつまんでいる。
妙な光景だ。
だが、なぜか、悪くない。
薬師の爺さんと過ごしていた思い出。
そこから爺さんと別れてから、ゾイルと出会うまで食は“ただの補給”だった。
命を維持するため。
そこに会話はなく、味も意味を持たなかった。
1人で喰う食事と仲間と食う食事。
何が違うのだろう?
ただ同じものを囲んで食っている。
勇者がふとサタンを見る。
「サタンさん、どうしたの?」
「……いや」
言葉が続かない。
何を答えればいいのか、分からなかった。
目の前では、タマがサソリの殻に顔を突っ込み、身を引っ張り出そうとしている。
殻ごと転がり、勇者が慌てて押さえ、エリスが笑い、ゾイルが呆れたように肩をすくめる。
小さな騒ぎ。
だがそれは、戦場の喧騒とはまるで違った。
サタンは静かに口に運ぶ。
噛む。
旨味が広がる。
温かさが、喉を通り、腹へ落ちる。
その瞬間、ふと理解する。
これは力にならない。
魔力も増えない。
身体も強くならない。
それでも、満たされている。
「……妙だな」
ぽつりと呟く。
「何が?」
勇者が首を傾げる。
サタンは曇天の空を見上げた。
「旅の出るまで、食うだけの行為に意味があるとは思っていなかった」
少し間があき、彼は続ける。
「争わぬ者同士が、同じものを分け合う……それだけで、こんなにも静かな、暖かな気分になるものなのか」
エリスは微笑む。
「それ、普通のことよ」
ラシードは小さく首を振った。
「魔族には……闇の世界に住む者は、それは普通のことではないよ」
砂の夜風が、ゆっくりと彼らの間を通り抜けた。
サタンは残った身を、今度は迷わず口にした。




