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77 砂漠地帯の生態系

「ここからは砂地か。足が取られるな」

サタンが靴先で地面を蹴ると、乾いた砂がさらりと崩れた。

踏み固められた土とは違い、力を入れるほど沈む。歩幅を取ろうとした足が、ずるりと半歩分も後ろへ滑った。

砂は白でも黄でもない。

灰に鉄粉を混ぜたような、鈍い黒褐色をしている。

陽を受けてわずかに赤味を帯び、表面は熱を溜め込んでいた。立ち止まっているだけで、靴底越しにじわじわと熱が伝わってくる。

「ここから山までの約20キロは砂地のようだ。砂漠地帯というにはやや狭いが、ここにも独自の生態系があるみたいだな」

ゾイルがしゃがみ、指先で砂をすくう。

粒は粗く、角ばっている。まるで砕いた鉱石だ。

風に舞い上がった砂が、装備の金具を細かく打ち、かすかな音を立てる。

そのとき、サタンの横眼が動いた。

遠くの砂丘の斜面で、何かが弾けるように走っている。

砂漠に棲む細身のトカゲだった。

後脚だけで体を持ち上げ、ほとんど跳ねるように移動している。足が沈む前に次の一歩を踏み出し、砂の表面だけを撫でて進む。尾を舵のように振り、方向を微調整していた。

その後ろを――蛇が追う。

だが、真っ直ぐではない。

蛇は体を大きく横に振り、砂の上を“滑る”ように進んでいた。

くねるのではなく、身体を斜めに立てて、横方向に一気に距離を詰める。

砂を深く掘らず、表面を切るように移動している。砂地に適応した動きだった。

トカゲが岩陰に飛び込むと、蛇は止まり、頭だけをゆっくり持ち上げた。

舌が黒い空気を味わうように出入りする。

やがて獲物を諦めたのか、半分ほど砂に潜り、その姿は跡形もなく消えた。

「……なるほどな。こんな不毛の地のような場所にも喰う者と喰われる者がいる場所なんだな」

サタンが小さく呟く。



数時間歩く。

まだ3キロも歩いていないというのに、砂丘のアップダウンや沈み込む砂に足を取られ、思うように進まない。

「……のど乾いた」

勇者は汗をぬぐいながら、そうつぶやく。

「水筒の水……無くなっちゃったわね」

エリスは空になった水筒を覗く。

「それなら、サボテンの水分を取ったらどうだ?」

サタンが砂漠に生えているサボテンを指さす。

「いや、あのサボテンは毒があります。魔人はともかく、人間は腹壊して、余計に水分失いますね」

ゾイルは横に首を振る。

「干上がった川底があれば、底を掘れば地下水が出てくるかもしれません」

勇者はあたりを見渡すが、水の流れている場所など見つからない。

乾燥した土地がどこまでも続いている。

「川の跡……こんな砂ばかりでどうやって見つけるの?」

「植物が生えている場所は無いか?」

「サボテン一本しか……無いわね」

「サボテンは……信用できないな」

サボテンは地下水が無くても枯れない植物だ。

水の指標にできない。

これも育ててくれた薬師に聞かされた。

「それなら……この地に住む生き物に教えてもらうこととしましょう」

ゾイルは生き物の痕跡をたどる。

すべての生き物は水が無いと生きていけない。

逆を言えば、生き物がいるということは水がある証拠となる。

ゾイルは砂の上にしゃがみこみ、目を細めた。

「……足跡があるな」

指先で砂を払うと、細く続く小さな窪みが現れる。

砂漠の風で半分は消えているが、確かに何かが通った跡だった。

「トカゲか、砂ネズミか……とにかく小動物だ。水を求めて動いているはずだ」

ゾイルはその跡を指でなぞりながら立ち上がる。

「追うぞ。こういう連中は、水場と巣を行き来していることが多い」

「そんなので見つかるの?」

勇者は半信半疑で聞く。

「見つかる確率は高い。少なくとも、ここで立ち止まって干からびるよりはな」

ゾイルはそっけなく答える。

サタンはふっと笑った。

「理にかなっているな。魔界でも同じだ。虫を追えば腐肉に当たる」

「例えが嫌すぎる……」

エリスが顔をしかめる。

一行はゾイルの後ろについて歩き出した。

砂の上には、細い足跡が途切れ途切れに続いている。

やがて足跡は、風に削られた岩の陰へと伸びていた。

「ここで消えている」

ゾイルは岩の根元を調べる。

すると、岩の下の砂に小さな穴がいくつも空いていた。

砂ネズミの巣穴のようだ。

「巣……?」

勇者がしゃがみこむ。

そのときだった。

「……待て」

サタンが低く言った。

全員の動きが止まる。

サタンはゆっくりと視線を上げた。

岩の影の奥を見つめている。

「水の匂いがする」

「えっ!?」

勇者とエリスが同時に声を上げる。

「だが――」

サタンの目が細くなる。

「それだけじゃない」

岩陰の奥、暗がりの中で、

何かがぬるりと動いた。

砂ネズミたちが一斉に巣穴へ逃げ込む。

ゾイルが低くつぶやいた。

「……水場を守る主がいるらしいな」

次の瞬間、岩陰の奥から、巨大な砂色の頭部がゆっくりと持ち上がった。

「なんかいる」

勇者が声を潜めた。

砂丘の影が、ゆっくりと動いた。

いや――影ではない。

砂が盛り上がっている。

半球状の膨らみが、波のようにこちらへ近づいてくる。音はない。ただ、砂の表面だけが静かに流れる。

ゾイルの手が無言で剣の柄に触れる。

次の瞬間、砂が弾けた。

黒い甲殻が露出する。

巨大なサソリだった。

頭からしっぽの先を含めた長さは5メートルを超し、鋏の先も含めれば7メートルはあろうかというほど。

艶のない漆黒の外殻は岩のように硬く、ところどころに擦れた灰色の傷が走っている。

左右の鋏は盾のように厚く、先端は刃物のように鋭い。

そして、尻尾。

節くれだった尾が頭上高くまで持ち上がり、湾曲する。

毒針は短剣ほどの長さがあり、先端からは黒紫の粘液が糸を引いて垂れていた。

砂に落ちた雫が、じゅ、と小さな煙を上げる。

サソリは威嚇の音を出さない。

ただ、八本の脚で砂を沈めずに立っていた。

“踏み込む瞬間”を待っている捕食者の姿勢だった。

サタンが笑う。

「歓迎は手厚いな」

鋏が、ゆっくり開いた。

黒い巨大サソリは、静かに尾を揺らした。

その針先から滴る黒紫の粘液が、砂に落ちるたび、じゅ、と音を立てる。

落ちた砂は溶け、泡立ち、焦げたような臭気を放った。

「腐食……いや、違うな」

サタンが目を細める。

「魔力を侵す毒だ。触れた物の“力”を壊す。鎧も、結界も、神力も、長く浴びれば削られる」

勇者が息を呑む。

「物理だけじゃないってことね……」

サソリの脚が、わずかに震えた。

その瞬間、地面が爆ぜる。

鋏が横薙ぎに振り抜かれ、砂煙が壁のように舞い上がった。

ゾイルが跳ぶ。

半拍遅れて、さきほど立っていた場所が深く抉れた。

「振動で位置を読んでるな」

ゾイルが低く言う。

「足音に反応している」

サソリは視線を向けていない。

だが、八本の脚が微妙に角度を変え、勇者の踏み込みと同時に尾が突き下ろされた。

ドン、と鈍い衝撃音。

勇者の後方の岩に針が刺さる。

ものすごい針の強度だ。だがそれ以上に……

岩が黒ずみ、じわりと光を失っていく。

「っ……!」

岩から毒針を引き抜くと、表面が砂のように崩れ落ちた。

「魔力侵食だ。受けるな!」

サタンが叫ぶ。

鋏が閉じる音が、空気を裂いた。

ドンッ。

勇者が反射的に後ろへ跳ぶ。

だが着地した瞬間、足が沈んだ。

「っ……!」

踏み込めない。

砂が足首まで沈み、踏ん張りが効かない。

地面が“床”ではなく“流体”のように崩れる。

槍の間合いを取るための一歩が、そのまま体勢の崩れに変わる。

巨大サソリが一気に距離を詰めた。

八本の脚が砂を掴まず、滑るように走る。重さを感じさせない速度だった。

「勇者、離れろ!」

ゾイルの声と同時に、鋏が横薙ぎに振り抜かれる。

勇者は槍で受けた。

ガァン!!

衝撃が腕を貫いた。

槍は弾かれ、少女の体が横へ吹き飛ぶ。砂の上を転がり、服に砂が入り込む。

「硬っ……!」

刃ではない。

岩をぶつけられたような衝撃だった。

その上から、影が覆いかぶさる。

尾が持ち上がっている。

「危ない!」

エリスが杖を振り上げた。

「フレイム・ランス!」

紅蓮の火槍が一直線にサソリの尻尾へ突き刺さる。

爆ぜる炎。

熱風が砂を巻き上げ、周囲の空気が歪む。

だが。炎が晴れた先で、サソリは動いていた。

外殻が赤く焼けただけ。

焦げてはいるが、貫けていない。

尾の動きも止まらない。

「……嘘でしょ」

エリスの顔が引きつる。

火は確かに当たっている。だが甲殻は熱を逃がし、内部へ届いていない。

砂漠の生物特有の“熱耐性”だった。

尾が振り下ろされる。

ゾイルが滑り込んだ。

砂を蹴らない。

足を“置く”。

踏み込まず、体重移動だけで横へ流れる。

砂に逆らわず、流れに合わせて動く。

まるで水面を歩くような足運びだった。

毒針が勇者のいた場所を貫く。

砂が爆ぜ、黒い液が染みる。

じゅ、と煙が上がった。

「当たれば終わりだな」

ゾイルの腕に勇者が抱えられていた。

ゾイルは乱暴に勇者を砂の上に放り投げ、サソリに向かう。

ゾイルの剣が閃く。

狙うのは胴体ではない。

最も動き、防御の薄い場所、鋏の関節。

サソリがゾイルを認識し、鋏を振り上げる。

叩き潰す軌道。

ゾイルは退かない。

さらに一歩、サソリへ踏み込む。

「そこだ」

振り下ろされる鋏の“内側”へ潜り込む。

巨大な鋏の死角。閉じる力が働く前の、わずかな空間。

剣が走った。

キィンという甲高い音。

次の瞬間。

鈍い破断音。

鋏が、落ちた。

巨大なハサミの片方が根元から切断され、砂の上に突き刺さる。黒い体液が噴き出し、砂が一瞬で黒く染まった。

サソリが初めて大きく身を反らす。

無音の咆哮。

尾が激しく振れる。

「勇者! 今だ、動きが鈍る!」

勇者は立ち上がる。

足場は悪い。踏み込めない。だが――

槍を握り直す。

(踏み込めないなら……踏み込まなければいい)

彼女は走らなかった。

砂丘を“滑り降りる”。

斜面に体重を預け、落下の勢いを速度に変える。足場を使うのではなく、重力を使う。

槍を脇に抱え、一直線に加速する。

サソリが尾を向ける。

「リツカ、尾に気をつけて!」

エリスが叫ぶと同時に、火球を連続で撃ち込む。

ダメージにはならない。だが視界を遮り、火球の衝撃で勇者の居場所を錯乱させる。

爆炎がサソリの頭部を覆う。

その炎の中へ、少女が飛び込んだ。

「はあぁぁぁっ!!“ルーメンインパクト”」

槍が関節の隙間へ滑り込む。

尾の付け根、甲殻の重なりの無い一点。最も柔らかい部位。

手応え。

次の瞬間、サソリの体が大きく痙攣した。

サソリの巨体が崩れ落ちた。

砂煙がふわりと立ち上がり、やがて静寂が戻る。

勇者は槍を引き抜き、荒い息を吐いた。

「……や、やった?」

エリスも杖を下ろす。

「火が効かない相手は骨が折れるわね……」

ゾイルはまだ剣を下げない。

視線は、倒れたサソリではなく、その後ろの砂丘を見ていた。

風が止む。

次の瞬間、地面が低く唸った。

ゴゴ……と、腹に響く振動。

砂丘の頂が、ゆっくりと盛り上がる。

「……違う」

サタンが呟く。

砂が割れた。

崩れ落ちた砂の中から現れたのは、先ほどの個体をはるかに超える黒い外殻。

鋏は門扉のように巨大で、尾は人の背丈より高く持ち上がる。

倒した個体の、二倍。

成体だった。

勇者の喉が鳴る。

サタンだけが、口元をわずかに歪めた。

「この土地の主か」


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