67 勇者の処女戦
勇者は、先ほどの大魔法に唖然としていた。
「なんなの……あの大魔法……」
巨大なネクロドリュアの数倍はある竜巻が、前触れもなく突如として出現した。
謎の男とエリスを覆っていた黒い霧を吹き飛ばし、地上を覆っていた根や枝葉までも掻き消したのだ。
規模でいえば、国中の魔術師を総動員し、何日もかけて発動させるような上級極大魔法だろう。
おそらく、あの男の仕業に違いない。
あの規模の魔法を、儀式どころか詠唱もなしに出現させたというのか。
しかし、あの男はわざとネクロドリュアにとどめを刺さず、私に役回りを渡してきた。
やるしかない。
この町は、私が生まれ育った町だ。
絶対に、これ以上の被害を出すわけにはいかない。
“光の精霊よ。力を貸して。”
光の精霊は、勇者の願いを聞き入れた。
勇者の体が光をまとい、手にしたミスリル製の槍にも、神力と自然力が余すことなく満ちていく。
ミスリルは、魔力も神力も伝導率が高い。
持ち主の力量次第で、とてつもない攻撃力と防御力を発揮する金属である。
根も葉も奪われたネクロドリュアは、激怒した。
幹に浮かぶ顔が、見る見るうちに消失していく。
自身の生命力と引き換えに、失った全身を再生させているのだ。
枝葉を生成し、根も再生していく。
だが、これ以上の損傷を負えば、もはや復活はできないだろう。
幹は城壁のように太く、ひび割れのひとつひとつが闇の脈動を放っている。
節々から伸びた枝は、まるで獣の顎のように歪み、無数の葉は黒曜石の刃のように光を反射していた。
根が地表を破り、うねる蛇のように勇者へ迫る。
勇者は、光の精霊の加護を宿した槍を握りしめた。
喉の奥で、息を飲む。
光が槍の穂先にかすかに灯り、暗闇の中で唯一の“生の気配”を放っていた。
「来る……!」
地面が破裂した。
太い根が地を砕き、勇者の足元を絡め取ろうと跳ね上がる。
勇者は瞬時に跳躍し、空中で槍を返した。
光の残滓が軌跡となり、闇の根を焼き切る。
切断された根は悲鳴のような音を上げ、腐臭を撒き散らしながら地面に落ちた。
しかし、魔界の大樹は痛みをものともしていない。
今度は上空から、枝が槍のような速度で振り下ろされる。
「――っ!」
風が裂ける音。
勇者は槍を構え、光を一点に凝縮させた。
「ルーメン・スラスト! ――天光穿!」
眩い閃光が走る。
槍は音を置き去りにする速度で放たれた。
突き出された光の直線は、紅の枝に衝突し、貫き、粉砕する。
だが次の瞬間、折れた枝の奥から無数の“葉刃”が飛び散った。
黒い雨のように降り注ぐ鋼の葉。
漆黒の葉は、周囲の瓦礫すら切り裂いていく。
凄まじい切れ味だった。
「ホーリス・ヴェール! ――聖光の帳!」
勇者は転がるように地を蹴り、光の防壁を瞬時に展開した。
金属同士がぶつかるような音が連続し、周囲に火花が散る。
「なんて威力……!」
衝撃がおさまった。
そう安堵したのも、つかの間。
魔界の大樹は吠えるように幹を軋ませ、闇の瘴気を噴き上げた。
足元では根が蠢き、逃がすまいと四方から襲いかかってくる。
勇者は呼吸を整え、槍を水平に構えた。
光の精霊が、そっと肩へ触れるような気配がする。
その瞬間、槍身全体に温かな輝きが流れ込んだ。
「……まだ負けない。行くよ!」
勇者は槍を強く握り直す。
「ルクス・レイ・ジャベリン!」
地を蹴った瞬間、勇者の姿が光の残像へと変わった。
闇の根をすり抜け、黒い霧を裂き、加速する。
光の軌跡を残しながら、ネクロドリュアへと迫った。
一閃。
光の槍が、闇の幹へ深々と突き刺さる。
ネクロドリュアの内部で、何かが爆ぜた。
幹の裂け目から、黒い霧が噴き出す。
魔界の大樹が吠えた。
大地が震える。
最後の抵抗とばかりに、根と枝、葉刃が乱舞した。
勇者は槍を引き抜き、全身を光で包むように力を集中させる。
光のベールが、根や葉、霧からの攻撃を一時的に防いだ。
軽い攻撃なら、光の衣で耐えられる。
だが――。
今度は幹が大きくしなった。
大質量の巨体が、建物の屋根を踏み潰すように振り下ろされる。
轟音が街区を震わせた。
屋根瓦が割れ、粉塵が舞う。
「ぐっ……! ホーリス・ヴェール!」
勇者は槍を掲げ、光の障壁を展開した。
幹がぶつかった瞬間、障壁の表面に火花のような光が走る。
一撃は、なんとか耐えた。
しかし――。
勇者の足元から、突き上げるような地響きが起こる。
衝撃で、勇者の足が石畳の上を滑った。
次の一撃が来る。
体勢を立て直さなければ。
光の精霊が、囁くように力を注いでくる。
呼吸が整う。
視界が澄む。
「ありがとう……行くよ!」
勇者は地面を蹴り、街の狭い通りを使うように加速した。
左右を家屋に挟まれた狭路を縫うように走り、ネクロドリュアの死角へ回り込む。
そして、槍を突き出した。
光の残滓が尾を引く。
槍が、ネクロドリュアの幹を穿った。
幹から紫の瘴気が噴き出し、街路に漂う影がざわりと揺れる。
怒りをあらわにしたネクロドリュアが咆哮した。
周囲の根が、一斉に突き立てられるように跳ね上がる。
石畳が噴水のように割れ、破片が雨のように降った。
町は、もはや滅茶苦茶な有様だった。
地面の近くは危険だ。
勇者は跳躍し、瓦屋根へ飛び移る。
そこから見下ろすネクロドリュアは、まるで街の主のように根を広げていた。
「これ以上、城下町を壊させない!」
勇者が槍を頭上に掲げる。
光が槍身を伝い、槍先へ集まっていく。
やがてそれは、眩い球状の輝きとして凝縮された。
「ルーメン・インパクト! ――光槍の集星!」
勇者は屋根から飛び降りた。
光の槍を、渾身の神力で突き下ろす。
着弾。
その瞬間、爆ぜた光柱が街路を明るく照らした。
ネクロドリュアの幹が、中心から裂ける。
黒い瘴気が、悲鳴のように空へ抜けていった。
幹が崩れる。
枝が落ちる。
最後に残った黒い根が痙攣し――。
ようやく、沈黙した。
街路に静けさが戻る。
勇者は深く息をつき、槍に手を添えて呟いた。
「……守れた。光の精霊……ありがとう」
輝きが優しく揺れた。
そして、城下町に漂う暗い瘴気を、少しずつ浄化していった。




