64 勇者の神力
新たな魔力の波動は、凶悪な気配をはらんでいた。
「一体、何を……?」
「勇者さん。この魔法は、大きな破壊を生む魔法よ。これを避けたら、あなたの後ろにいる観客は、きっと巻き込まれるでしょうね」
「なッ!? あなたは、この町の人を傷つけようっていうの?」
「私は、あなたの実力を試したいだけ。どの選択をするかは、あなた次第よ」
「そんなの……ずるい」
受けるしかないじゃないの。
勇者は覚悟を決め、心の中で願った。
お願い。
光の精霊さん。
まだ冒険にも出たことのない、ひよっこの私では、あの攻撃はきっと受け止められない。
だから、少しだけ力を貸して。
光の精霊から返事はない。
しかし、体の表面が薄く温かな光に包まれていく。
勇者は槍を構え、攻撃に備えた。
「ふふっ。覚悟は決まったようね。喰らいなさい――“クリムゾン・フレア”」
紅蓮の爆炎。
先ほどの炎よりもはるかに高熱の炎が、杖の先に集積していく。
不気味なほど紅く、眩く輝く炎。
空の色が赤く染まり、空気が焦げた。
城下町に植えられた木々の水分が、じりじりと蒸発を始める。
「熱ッツ!! おい、魔法使いがやばい魔法を使っている! 急いでこの場から離れろー!」
観衆の一人が魔法の危険さに気づき、周囲に向かって声を上げた。
観衆も薄々危険を感じていたのだろう。
その声を合図に、一斉に走り出す。
しかし、走りながらも勝敗の行方が気になるのか、振り返りつつ逃げる者。
物陰に身を隠し、目だけを覗かせる者。
反応はさまざまだった。
魔法使いは観衆が距離を取ったことを見計らい、魔法を放つ。
紅の炎が、勇者に向かって飛び出した。
紅炎は勢いよく、まるで大蛇のように勇者の周囲を巻き込み、地面の石畳を焦がしていく。
とてつもない高温だ。
光の精霊の加護がなければ、おそらくこの時点で大やけどを負っていただろう。
しかし、今は熱さをほとんど感じない。
勇者は一歩も引かず、正面を見据えていた。
全身から、淡い光の粒子が舞い上がる。
――今だ。
「“ルクス・レイ・ジャベリン”」
ミスリルの槍が純白に輝き、炎の熱を弾くように空気が震えた。
放たれた突きは音速を超え、閃光の光線となって炎の包囲網を打ち破る。
炎は霧となり、消え失せた。
勇者の槍の矛先は、魔法使いの喉元で止まっていた。
指一本分にも満たない距離。
蒼白の光を帯びた槍先が、かすかに震えている。
クリムゾン・フレアは消え去り、街には静寂が戻った。
「私の負けよ。認めるわ」
魔法使いが勇者に告げる。
その瞬間、周囲の観衆たちは興奮したように歓声を上げた。
「うおおおおお!! 勇者様!!」
「二人ともすごかったぞー!!」
「勇者様、万歳!」
勇者は槍を収める。
しかし、その目にはまだ闘志が満ちていた。
戦い足りない。
興奮冷めやらぬ様子で、観衆は勇者の健闘を褒めたたえている。
「ここでは落ち着いて話せないわね。家に戻ってお話しましょうか。ちょうどいい茶菓子が手に入ったの」
「茶菓子!? 食べる!!」
闘志に満ちていた目が、ぱっと切り替わる。
勇者は目を輝かせ、魔法使いについていくことにした。
魔法使いはその様子を微笑ましく思う一方で、茶菓子への欲求だけで簡単についてきてしまう勇者を、少し心配にも思った。
魔法使いの家に着くと、勇者はソファに腰掛けるよう促された。
柔らかな感触が、体を包み込む。
勇者は家の中を見渡した。
一般の家では見ないような、高級な家財であふれている。
立地もそうだが、家財までこれほど質の良い物で揃えられているところを見るに、この魔法使いはかなりのお金持ちなのだろう。
「……さっきの魔法、私が避けても観衆の方には当たりませんでしたよね?」
杖から放たれた炎は、私の周りを円を描くように取り巻いていた。
つまり、放出系の直線的な魔法ではなく、操作できる魔法なのだろう。
「ええ。私も、さすがに死人が出たら、この町にいられなくなるからね」
「やっぱり」
「でも、あなたが民を盾にして町の中を逃げ回れば、犠牲者は出たかもしれないわ」
「そんなこと、するわけないじゃない」
「ええ、もちろん信じていたわ。そして、予想以上だった」
「どういうこと?」
「あなたは光の精霊の力を使えていた。光の精霊の力は神力と自然力だから、魔力による攻撃には圧倒的な優位性があるの。とてもじゃないけれど、私たちがどれだけ鍛錬を積もうと到達できない領域よ」
エリスは感心したように、リツカを見つめる。
「それを、冒険もしたことのない子が、当たり前のように行使しているんだもの。とんでもない才能よ」
なるほど。
私を覆っていた光の粒子は、光の精霊の力によって守られた結果だったのか。
どうりで、あれほど強烈な炎の魔法なのに、ほとんど熱さを感じなかったわけだ。
返事はなかったけれど、光の精霊にはこちらの意思が伝わるようだ。
「それで、あなたは私の冒険についてきてくれる?」
「もちろんよ。でも、二人だけでこの魔界を探索するのは無理ね。最低でももう一人、近接戦ができる人が欲しいわ」
「そうなの?」
魔法使いは、やれやれといった様子で説明する。
「あなたは城外に出たことがないから知らないかもしれないけど、この魔界は化け物ぞろいなのよ。この城下町で一番強い魔法使いである私でも、魔族で換算すれば下級魔人ほどの力しかないわ」
そこで、魔法使いは紅茶の準備をしながら続けた。
「それに、三人以上の方が夜の見張りが楽なの。ちゃんと寝られるしね」
確かに、夜の見張りは大人数でやった方が睡眠時間を長く取れるだろう。
それに、近接戦で自分が行動不能になった時、あっという間にパーティーが崩壊する可能性も無視できない。
炎の魔法で沸かしたお湯が用意できたようで、魔法使いはキッチンに向かった。
「さて、その前に。約束していた茶菓子と紅茶が用意できたわ」
お湯をポットにゆっくりと注ぐ。
卓上に、湯気の立つ紅茶の香りがふわりと広がった。
「いい香り……」
「ふふ、この茶葉は特別なルートから手に入れたものよ。さて、そろそろ良い頃合いかしら」
ポットの紅茶をカップに注ぐ。
金色のカップに映る光がゆらめく。
その隣には、小皿に並んだ焼き菓子。
ほろりと崩れるクッキーや、果実を閉じ込めたタルトが、整然と並んでいる。
勇者は目を丸くして、その光景を見つめた。
「……すごい。こんなの、初めて見た」
指先でクッキーをつまみ、恐る恐る口に運ぶ。
サクッと軽い音がして、すぐに甘さと香ばしさが口いっぱいに広がった。
思わず、頬が緩む。
「おいしい……!」
その言葉に、向かいの魔法使いが小さく笑った。
「ふふ、気に入ってもらえて嬉しいわ。勇者様にも、甘いひとときくらい必要でしょう?」
魔法使いは優雅にカップを傾けながら、少女が次の一口を急ぐ様子を、どこか微笑ましげに見守っていた。
戦場では見せない無邪気な顔。
その表情に、魔法使いの唇が自然とやわらかくほころぶ。
「それじゃあ、冒険者の集まる宿屋に向かいましょう。最近、腕利きの冒険者が来たって噂だし」
「あ、待って。その前に、お姉さんの名前を聞かせて」
「ああ、そういえば、お互い自己紹介をしていなかったわね。私は魔法使いのエリスよ。あなたは?」
「私はリツカ。よろしくね」
「ええ。よろしく、リツカ」




