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60 地獄への案内役

「サタン様! 本当に……地獄に行かれるのですか?」


声が震えていた。


ゾイルは、サタンの前に立ちはだかるようにして言葉を紡いだ。


地獄がどんな場所なのか、何かしら情報を知っているのだろう。


「ああ。おまえも聞いていただろ? 俺が行かなければ、イルカが呪い殺されちまう。それに、ヨルカの魂は救えたが、死後の肉体も契約の範囲だ」


サタンは短く答え、背を向けようとする。


「ですが……いえ……」


ゾイルは躊躇いながらも一歩前に踏み出し、瞳を強く見開いた。


「サタン様が地獄へ行かれるというのなら、私もお供いたします!」


静寂が流れた。


その次の瞬間――。


「それなら、吾輩も行くニャ」


名乗りを上げたのは、タマ族の黒猫、タマキンだった。


「……どうして、おまえまで来るんだ?」


サタンが眉をひそめて問い返すと、タマキンは尻尾をゆらゆらと揺らしながら胸を張った。


「未開の地、地獄ニャ! 見てみたいに決まってるニャ! それに、どんな食材が眠っているか……ワクワクするニャ!」


なるほど。


さすがは砦の食材倉庫番。


食材集めはインドラのためであり――いや、もはやタマキン自身の生きがいなのだろう。


「では、私もお供しましょう……」


どこからともなく響いた声。


低く、湿り気を帯びた声が、場の空気を一瞬で変えた。


その場にいた者たちは反射的に身を引き、警戒の色を浮かべる。


「お前は……シャドーのアスカント!」


サタンが声を荒げた。


「どうも、お久しぶりで。……それにしても、驚きましたよ。まるで別人のような魔力ですね。ん? 魔力だけじゃないな……魂の質そのものが変わっている」


ぞわり、と空気が震えた。


「サタン様、この声の者は……? 姿が見えぬのですが……」


ゾイルが眉をひそめ、周囲を見回す。


だが、どこにも姿はない。


ただ、重たい気配だけが漂っていた。


他の者たちも同じように困惑し、手を武器にかける者もいる。


「……ああ、そうか。お前らには見えないんだったな」


サタンは眉間に皺を寄せ、声の主に向かって語りかけた。


「おい、姿を見せろ。どうにかできるんだろう?」


「まったく、無茶ばかり言うんだから。……まあ、でも出来るんだよな。これが」


どこか気怠げに、鼻を鳴らすような音が響いた。


次の瞬間、空間の一点が揺らぎ、ぼんやりとした靄が浮かび上がる。


淡く冷たい光を宿したその影は、徐々に輪郭を持ち始め、黒衣の男のような姿を形作った。


「――あまり姿は見せたくないんだがね。だが、こうして魔力を凝縮すれば、その辺の魔人にも見えるようになるんだよ」


黒い影が完全に実体化し、漆黒の仮面のような顔がゆっくりとこちらを向いた。


重苦しい沈黙が場を支配する。


タマキンが小さく「ニャ……」と唸り、無意識にサタンの背中へ身を寄せた。


「さて――私がここに現れた理由、気になりますよね?」


アスカントは、ゆっくりと視線を流すように周囲を見回した。


「私はアスタロト様の命を受けて来た。サタン、おまえたちが“地獄”に向かう様を、正式に見届ける役目を仰せつかったのさ」


その場に沈黙が落ちる。


「アスタロトの……命令?」


ゾイルが目を見開いた。


「ええ。監視でもあり、護衛でもあり、……まあ、そのどちらでもないかもしれないけどね」


にやり、と笑った気配がした。


だが顔は変わらぬまま、不気味な沈黙を保っている。


「……なるほどな」


サタンは鼻で笑った。


だが、その目は一切の笑みを帯びていない。


「アスカント……そうか。お前が選ばれたのも道理か。俺と面識があるもんな」


「その通り。お前のような異質な存在を、アスタロト様が手放しで行かせるとは思えないだろ? 私のような“理解者”が、最適というわけさ」


「理解者ね……」


サタンは、ふっとため息をついた。


「サタン様……この男、本当に連れていくのですか?」


タマキンが声を潜める。


「……連れていく、連れていかないは関係ない。こいつは俺の居場所が分かる術をかけている。否が応でも、俺たちの周りをうろつくだろうさ」


そう言って、サタンはアスカントを一瞥した。


「少なくとも、いまは俺たちと同じ“地獄へ向かう者”ってだけだ」


「まあまあ、仲良くしてくれたまえ。……どうせ地獄じゃ、仲間割れしてる暇もないだろうから」


黒い顔で、アスカントが笑った。


だがその音は、誰の耳にも「笑い」とは感じられぬ、氷のように冷たい響きだった。


「俺は準備をしてくる。一時間後に、砦の入り口に集合だ」


そして、皆は各々の道具をまとめ、砦の入り口に集まった。


サタンは集まった顔ぶれを改めて眺める。


「なあ、ちょっと待て。……料理担当がいないじゃないか」


「あ、そういえば……イルカやヨルカがいないニャ」


タマキンが尻尾をぴんと立てる。


「地獄に行くことに気を取られて、食の計画が完全に抜けていたとは……」


ゾイルが額に手を当てて苦笑する。


「では、誰が料理を?」


沈黙が流れた。


「……そんなに大事ですか? それ?」


アスカントは、呆れたような声を出した。


「……私に任せるニャ」


唐突に、タマキンが名乗りを上げた。


「この体は食材倉庫番ニャ。つまり、何が食えるかを見分けるプロニャ。火の扱いと味の調整くらい、やってやるニャ!」


「おいおい……食材を知っているのと、料理ができるのは別だぞ」


サタンは、最初に見せられたネズミの山盛りを思い出す。


「なら、やりながら覚えるニャ。異界の料理、ワクワクが止まらないニャ!」


一匹がワクワクしているのを横目に、サタンとゾイルは、どんな創作料理が出てくるのか内心ビクビクしていた。


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