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58 ヨルカの禁術 発動

「インドラ様! ご報告です! 敵勢力は二部隊存在します。オーガ率いる本隊は、サタン殿と騎馬隊が抑えてくれています!」


「別動隊は、砦にいるゾイルとヨルカで対応するのだ」


インドラは静かに指示を出した。


リザードマンごとき、インドラが出れば一瞬で片付く。


だが、敵が何らかの策を講じている可能性がある以上、大将が出るのは最後でなければならない。


「インドラ様。ヨルカ、ゾイル、参りました」


「ゾイル、ヨルカ。この砦に侵入しているリザードマンを一掃するのだ」


インドラの勅命である。


「御意!」


「かしこまりました」


二人は最大の敬意をもって答えた。


ゾイルとヨルカはインドラに一礼し、速やかに配置につく。


「ヨルカ、怪我は大丈夫なのか?」


「ええ。サタン様の薬草のおかげで、ずいぶんよくなりました」


「そうか……無理はするなよ」


その時、玉座前の廊下が足音で騒がしくなった。


「私の心配より、目の前の敵を」


玉座前の広い廊下に、怒号と足音が木霊する。


闇の中から、鱗に覆われたリザードマンたちが次々と姿を現した。


爬虫類特有のぬらりとした目が怪しく光り、こちらを見据えてくる。


その数、ざっと二十。


いや、三十はいるか。


「……来たな」


ゾイルが低く呟き、剣の刃をわずかに傾けて光を反射させた。


ヨルカも弓弦を引き絞り、眉一つ動かさず敵陣を睨む。


リザードマンたちは散開しつつも、一糸乱れぬ動きで包囲を狭めてくる。


盾を持つ個体が前列に立ち、鋭い咆哮とともに突進した。


後列の者たちは長い槍を構え、毒を塗った刃先をわずかに揺らしてタイミングを計っている。


リザードマンは、魔界に棲む色鮮やかなカエルの猛毒を使う。


その毒は、刃が掠っただけでも、弱い魔人には致命的な影響を与える。


体の大きな魔獣であっても、複数の槍を打ち込めば昏倒させることができるだろう。


先頭の一匹が、盾ごと体当たりを仕掛けてきた。


「任せろ!」


ゾイルが剣を振り抜く。


リザードマンの鱗を重ね合わせて作られた盾が、鈍い音とともに砕け散った。


盾を砕かれたリザードマンがよろける。


その隙を逃さず、ヨルカが矢を放った。


鋭い矢は、後列で槍を構えていた敵兵の喉元に突き刺さる。


リザードマンは自身の血で気道を塞がれ、咳き込むような声を残して崩れ落ちた。


だが、敵の数は減らない。


むしろ、次の波が押し寄せる。


左右から別のリザードマンが尾を鞭のように振るい、ゾイルとヨルカの脚を絡め取ろうとした。


「ヨルカ、下がれ!」


ゾイルが叫ぶと同時に剣を振り下ろし、尾を切断する。


切られた尾が、暴れ狂うように地面で跳ねた。


だが、ヨルカは引かない。


「援護します!」


再び弓を引き絞り、矢を連射する。


動きを止めた敵を、寸分違わず射抜いていく。


しかし、敵もただやられるだけではなかった。


盾役がゾイルの攻撃を引きつけ、その隙をついて別の個体が槍を突き出してくる。


「くっ……!」


ゾイルは咄嗟に身をよじる。


だが、槍の刃先が肩をかすめ、鎧を貫通した。


「痛ッ……!」


かすり傷だ。


しかし、傷口には強烈な灼熱感が走る。


毒のせいだろう。


だが、今倒れるわけにはいかない。


俺には、この砦を守る使命があるのだ。


「ゾイル!」


ヨルカが叫び、咄嗟に魔力を矢に乗せて放つ。


魔力を帯びた矢は槍兵の頭蓋を貫き、そのまま後方の壁に突き刺さった。


だが、油断はできない。


リザードマンたちはさらに息を合わせ、ゾイルとヨルカの間を裂こうとしてくる。


ゾイルは剣を横薙ぎに振るい、敵を盾ごと吹き飛ばすと、ヨルカに声をかけた。


「背中は任せたぞ!」


「はい、任せてください!」


二人は互いに背を預け、前後を分担する。


ゾイルは接近戦で盾兵や尾を持つ個体を薙ぎ払い、ヨルカは中列・後列の槍兵や弓兵を正確に射抜いていく。


次第に敵の隊列は乱れ、統制が崩れていった。


「あと少し……押し切る!」


ゾイルの声に、ヨルカが静かにうなずき、矢をつがえる。


剣戟と矢の音。


そして、倒れ伏すリザードマンたちの呻き声が廊下に響いた。


「クソッ……! 毒の影響か。めまいが……」


ゾイルの動きが鈍くなる。


その時、地に伏せるリザードマンの中に、わずかに動く者がいた。


ヨルカは違和感に気づく。


だが、その時にはもう遅かった。


「ゾイル!」


矢を番えたリザードマンが、ゾイルに向けて矢を放っていた。


ゾイルもヨルカの呼び声に反応し、矢を認識する。


だが、避けきれず、矢は肩をかすめた。


「……くそっ……!」


痺れるような激痛が、肩から全身へ走る。


リザードマンの矢や槍には、神経を麻痺させる強力な毒が塗られている。


「ゾイル!」


ヨルカが駆け寄ろうとする。


しかし、その隙を突くように敵が押し寄せてきた。


「……私は大丈夫……。ここは、任せる……!」


ゾイルが力なく告げ、膝をつく。


剣を支えにしてなんとか立っているが、もはや自由には動けない。


ヨルカは唇を噛み締めた。


力を温存している場合ではない。


「俺は気にするな。サタン様から防御魔法を教えていただいた。ぶっ放せ!」


ゾイルはヨルカの意図を汲み、叫ぶ。


ヨルカは静かに息を吸い込んだ。


「喰らいなさい――雷哭一閃らいこくいっせん


弓にはめ込まれた雷の魔石に、魔力を注ぐ。


黒と白の光が弦に宿り、空気が震えた。


矢の形をとった雷が現れた瞬間、壁の装飾がぱきぱきと音を立てて割れる。


青白い光の筋が室内を照らし出し、影が数え切れぬほど揺れた。


放たれた矢は音を置き去りにし、空間そのものを切り裂く。


瞬間、耳をつんざく悲鳴とともに、稲妻が枝分かれしながら部屋を奔った。


金属器具が共鳴し、白く発光する。


リザードマンたちの鱗が導体となり、雷は連鎖し、鎖のように絡み合っていく。


誰も逃げられなかった。


次の瞬間、室内は白一色に染まり、静寂が落ちる。


焦げた匂いが漂う中、立っていたのはヨルカただ一人。


床には黒い影が焼きつき、数多の剣が煙を上げて転がっていた。


雷は哭き、そして消えた。


残響だけが、壁の奥にこだまする。


室内に立っている敵はいない。


たった一人を除いて。


その瞬間。


玉座の背後。


インドラの後ろに、異様な気配が立ち上った。


人影が、まるで闇から剥がれるように浮かび上がる。


それは、顔の中心が削がれた異形の存在。


カオナシだった。


鼻も頬もなく、のっぺりとした顔。


だが、目だけがギラリと光り、人ならぬ殺意を湛えている。


カオナシは、いつの間にか玉座の背後に忍び寄り、インドラの首筋へ黒い短剣を振り上げていた。


「死ね」


低く、どこか湿った声が玉座の奥から漏れる。


「インドラ様、後ろ!!」


ヨルカは叫ぶより先に、禁術を起動させた。


命を懸けた禁術の発動。


一瞬、サタンの顔が脳裏に浮かぶ。


(サタン様、申し訳ありません)


ヨルカの姿が光り輝く。


自慢の黒髪は、みるみるうちに白く変色した。


それと同時に、胸の奥から命そのものを灼くような痛みが奔る。


「――解禁。朱雀の紅矢すざくのこうし!」


瞬間、彼女の弓が異様な紅光を放つ。


空気ごと弾け飛ぶような衝撃とともに、紅い矢が放たれた。


矢は高熱の光の線となり、カオナシが振り下ろした黒い短剣を寸前で撃ち払う。


黒い瘴気に覆われていた短剣の刃が、焼け落ちた。


カオナシの口元が歪む。


「……なに!?」


インドラは静かにカオナシから距離を取った。


「……貴様か。裏切り者の末裔」


ヨルカはゾイルを背後に庇い、インドラの前に立つ。


その顔色は青ざめ、額には冷や汗が滲んでいた。


禁術の反動で身体が軋む。


しかし、その気迫は消えていない。


「あなたたちのような闇の存在に、インドラ様の御前は渡さない!」


カオナシは無言のまま、刃がなくなった短剣を捨てる。


そして、どこからともなく新たなナイフを引き抜いていた。


次の瞬間、カオナシの姿が消える。


姿を消したまま、音もなく背後からナイフを振るう。


だが、ヨルカはすでに動いていた。


気配を読む。


空気の流れ。


わずかな殺気。


禁術によって研ぎ澄まされた五感が、不可視の殺気の刃を感じ取っていた。


「遅い! 白虎の雷矢びゃっこのらいし!」


彼女の放った白い雷をまとった高速の矢が、無音の闇を裂く。


闇に紛れたカオナシに、通常の攻撃は当たらないはずだった。


しかし、白雷の閃光が闇を打ち払う。


矢はカオナシの肩口に直撃し、化けの皮が剥がれるように血飛沫が散った。


カオナシは舌打ちし、距離を取る。


「くッ……。なぜ当たる!? いいだろう。俺を本気で怒らせたようだな。観よ。これが俺たち一族の奥義だ」


「夜哭の朧刃やこくのおぼろば


呟きのような詠唱とともに、術者の影が地に滲む。


その瞬間、周囲の闇がざわめいた。


まるで、死者の呻き声が忍び寄るように。


次の瞬間。


四方八方。


空も、地も、壁も、虚空すらも裂けた。


ギィ……ジュュルル……。


複数の裂け目から、粘ついた音とともに、黒く細長い刃の波動が無数に這い出る。


どこから来たのか判別できぬまま、波打つようにうねり、ヨルカへと収束していく。


闇の刃に触れれば、二度と再生することのない傷を受けるだろう。


まるで、最初からそこに組織など存在しなかったかのように。


その刃は、標的の存在を許さぬとでも言うような憎悪そのものだった。


逃げ道はない。


「すごい技ね。禁術を発動していなかったら、ひとたまりもなかったわ……」


ドカン。


波動の刃が一つ、また一つと、標的の周囲の石畳を切り裂き、破壊していく。


土埃が舞った。


残響のように鳴る刃音が、不気味な和音を奏でる。


「玄武の甲陣げんぶのこうじん


砂埃が晴れる。


ヨルカの周囲には、半透明の格子状の半球が展開されていた。


その身は当然のように無傷だった。


「ばかな!!?」


「今度は私の番ね」


ヨルカは再び、矢を引き絞る。


風が鳴いた。


矢筒に手を伸ばすと、空気が震えたような感覚が走る。


「青龍の翔牙せいりゅうのしょうが


構えた弓の先に、蒼き光が宿った。


その光は、ただの矢ではない。


まるで風と雷雲をまとった、東洋の龍の気配そのものだった。


ヨルカが引き絞った弦が、空気を裂く。


蒼白の矢が生気を帯び、瞬く間に龍の姿を模し始めた。


矢が変じたその姿は――。


風を纏い、鱗のような蒼光を煌めかせた龍の幻影。


宙を泳ぐように身をくねらせ、雷鳴のごとく咆哮を上げる。


轟音が空を割った。


龍の形をした蒼い光の矢は、風を纏いながら一直線に突き進む。


その尾を引く軌跡すらも、雲を裂く龍の道筋に見えた。


カオナシが身をかわそうとする。


だが、無意味だった。


矢は意思を持ったかのように軌道を曲げ、空を泳ぐ。


そして、咆哮とともに喰らいついた。


命中と同時に、龍の幻影が炸裂する。


風の刃と雷の衝撃波が、辺り一帯を飲み込んだ。


カオナシの黒衣に施された防御魔法の刺繍が、一瞬だけ輝く。


音もなく、盾のような膜が現れた。


防御魔法と、ヨルカの禁術がぶつかる。


吹き飛ぶ土。


引き裂かれる地面。


残されたのは、風の爪痕と沈黙だった。


禁術で強化されたヨルカの矢は、もはやただの物理攻撃ではない。


空間ごと貫く破壊の光だ。


防御の光が霧散すると同時に、黒衣の紋様も消え失せる。


ヨルカの技が、カオナシの防御魔法を打ち破ったのだ。


「うがっ……ああ……!」


しっかりとダメージは通っていた。


カオナシの衣服は破れ、身体は傷だらけになっている。


そのまま、カオナシはその場に倒れ伏した。

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