41 インドラ誕生と波乱の食卓 ネズミ食は勘弁してくれ
インドラが生まれた直後から、タマ族には怒涛のような仕事が待ち構えていた。
「インドラ様に、とびきりの食料を保管庫から持ってくるのだ! ただし、まずは食べやすいものからだ!」
「インドラ様の眠る寝床を作れ!」
「インドラ様の飲み水を!!」
「インドラ様のおもちゃはどうした?」
「儂にマタタビを! ジュウベイ様からもらってこい!」
首領のタマゴロウは、各隊長へ次々と指示を飛ばしていく。
なにやら、どさくさに紛れて余計なものまで要求していた気もするが、きっと気のせいだろう。
俺たちは特にやることもないので、とりあえず荷物を部屋に置きたいとタマゴロウに伝えた。
「では、まずこの建物を案内しよう。タマキン! サタン殿とジュウベイ様を案内するように!」
タマゴロウは、幹部のタマキンに建物を案内するよう命じる。
「では、ジュウベイ様、サタン、こちらへどうぞ」
なぜジュウベイが様付けで、俺が呼び捨てなのだろう?
どうやらジュウベイは、“ゲキマタタビ”とやらを持っているせいで、香りをまとっており、タマ族から熱烈に慕われているらしい。
ジュウベイが言うには、そのゲキマタタビは、ネコ科の魔獣に強烈な興奮と快感をもたらすものだという。
ネコ科……。
そんなに好きなら、自分たちで採りに行けばいいのに。
「さっき聞いた話では、タマ族はその植物を採りに行こうとするだけでも命がけらしい」
「そうなのか?」
俺が驚いて聞き返すと、前を歩いていたタマキンが振り返って答えた。
「はい。我々はその植物に近づくだけで、意識がもうろうとしてしまうニャ。危険な森の中で酩酊状態になれば、たちまち魔獣たちの餌食ですニャ。今くらいに、ごく少量の乾燥葉をジュウベイ様のポーチに入れてある程度の刺激が、我々にとってはちょうど心地よいのですニャ」
「なるほどな。見つけた途端に意識が飛ぶほどの代物なら、採取どころじゃないな」
「ここでの俺の仕事は、鍛冶職人よりもマタタビ採取係にされそうだぜ」
ジュウベイが苦笑しながら頭をかいた。
しかし、先ほどのルシファーの話を聞く限り、ジュウベイを長時間外に出すのはまずい。
ジュウベイの気配は、この幻影魔法の範囲外へ出れば敵の感知魔法に引っかかり、発見される恐れがある。
採取や食料集めは、できるだけタマ族に頼むべきだ。
「それなら、防毒マスクでも作ってやったらどうだ? 鼻や口、目みたいな粘膜に触れなければ、猫たちだってゲキマタタビを採取できるだろう?」
「おお、それは名案だな。早速開発してみるか」
そんな話をしているうちに、タマキンが立ち止まり、大きな部屋を紹介してくれた。
その部屋に近づくにつれ、なんだか生臭い臭気が強くなる。
そして部屋に入った途端、目の前に不気味な“黒い山”が現れた。
「こちらが食堂になります。好きなネズミと昆虫を選んで、バイキング形式で――」
「ちょっとストーップ!!!」
「おや、ヘビカエル料理のほうがお好みでしたかニャ?」
食堂の机の上には、大きな葉の皿に黒や茶色の物体の山が積み上げられていた。
その光景を見た瞬間、俺の全身に鳥肌が立つ。
さっきから漂っていた異臭の原因は、これか。
これはもしや……。
「……お前たちの食事って、いつもこれなのか?」
「はい。だいたいネズミを主食としていますニャ。焼くのもいいですが、新鮮なものを生で食べるのが一番おいしいですニャ」
うわあああ。
俺は頭を抱えた。
さすがにゲテモノすぎる。
昆虫もネズミも食べたことはある。
しかし、それは食べるものがなかった時に少量だけだ。
生食なんてもってのほかである。
昆虫やネズミも、料理によってはうまいと聞く。
だが、それは料理人の確かな腕があってこそだ。
イルカやヨルカがいなければ、ここの食事はとても食べられたものではない。
よし。
さっきまではここでインドラの世話をすると決めていたが、あきらめよう。
というか、ネコたちとは食の感性がまるで違うことを、たった今理解した。
おいしいものを食べさせてくれるとの約束だったが、ここでいう“おいしいもの”は、きっとこれらに違いない。
俺は心の中で逃げる準備を始めた。
「おや、サタン。どこに行くんだニャ?」
「俺はここでの生活は無理だ。おいしいものを食べさせてくれるって話だったが、食事がこれじゃ到底満足できそうにない。よって約束は破棄する」
「そんな!!! インドラ様の勅命ですニャ!?」
「そんなこと知るか! 俺はな、もともと自由な旅人なんだ。なんで好き好んでネズミを食わなきゃならんのだ!」
「……分かりました。それならサタンには特別な食材を提供しよう。それはインドラ様のための食材。我々幹部でさえ、めったに口にできないものですニャ。それでご容赦いただけませんか?」
そこまで言われると、俺とて矛を収めざるを得ない。
「じゃあまず、ちゃんと食べられる食材か見せてくれるか?」
「了解ニャ」
俺たちは食堂を後にし、保管庫へ向かった。
「旦那ぁ~、さっきは言いすぎじゃないですか? ここから出ていくなんて……」
ジュウベイが俺にこそっとささやいた。
「じゃあジュウベイよ、お前は毎日ネズミやヘビガエルで我慢できるか?」
ルシファーと出会う前の俺なら、この食生活でも耐えられただろう。
しかし今は、文化的な生活にも慣れ、食事によって魔力の上限を押し広げられると知ってしまった。
そうなった以上、ネズミだけの食事に甘んじることはできない。
ルシファーが何も言わないのも、きっと俺の食事の重要性を理解しているからだろう。
「それは……三日で限界だろうな」
「三日も耐えられるのがすげーよ。……いずれにせよ、長い目で見れば限界が来るんだ。なら最初にはっきり言うしかない」
「それもそうか」
地下へ続く階段を下り、やがて保管庫にたどり着いた。
ひんやりとした空気が空間に満ちている。
地上と違って温度変化が少なく、食料の保存には最適だ。
さらに扉の魔法陣を見ると、部屋全体に保管魔法がかかっており、この倉庫に入っている食材は何年経とうが腐ることも変質することもないらしい。
インドラが卵のまま三百年も眠っていられたのも、この魔法がかかっていたからだという。
細胞を傷つけることなく、細菌による腐敗や酸化を防ぐ。
それがこの魔法の本質らしい。
決して時間を止める魔法ではない――その点は留意する必要があるとのことだった。
タマキンが解錠の合言葉を唱える。
「ひらけゴマ……タマゴロウのキン玉、ネズミに噛まれる」
「なんちゅう合言葉だ!?」
ジュウベイが思わずつぶやいた。
俺は吹き出してしまう。
いったい誰が設定した合言葉だ。
ここにきて無駄な情報を知ってしまった。
「タマゴロウさんはここには来ないから、きっと誰かが腹いせに設定したんだニャ」
「誰かって?」
「それは秘密ニャ」
重厚な扉が、ゆっくりと開いていく。
開くと同時に、さまざまな食材の香りが鼻腔をくすぐった。
そして俺たちは、素晴らしい食材の数々を目の当たりにするのだった。
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