39 タマ族の隠れ里 インドラの卵
岩肌に開いた小さく狭い洞窟を、俺とジュウベイは身をかがめてくぐった。
俺はまだ余裕がある。
だが、腹の出ているジュウベイはかなり窮屈そうだった。
どうやら、タマ族専用の通路らしい。
細い洞窟を抜けた先には、思いもよらぬ広大な空間が広がっていた。
森の中に突如として現れた、開けた土地。
周囲を岩壁が円を描くようにぐるりと囲み、高くそびえ立っている。
まるで巨大な卵の上部だけをくり抜いて作ったような、ドーム状の構造だった。
これだけ大きな空間なら、空を飛ぶ者から丸見えなのでは――と一瞬思ったが、よく見ると地面一面に巨大な魔法陣が描かれている。
これが幻覚魔法の術式なのだろう。
これほど大規模な施設全体を覆える幻覚魔法を扱えるとなると、タマ族は油断ならぬ相手だとよくわかる。
(これは見事だな)
頭の中で、ルシファーも感心したように唸った。
魔法に精通したルシファーですら感嘆するほどの術だ。
タマ族の中に、偉大な魔法使いがいるのは間違いない。
「ニャに者だ!?」
俺が感心しながら魔法陣を眺めていると、侵入者に気づいたぶち柄のタマ族が、警戒も露わに問いかけてきた。
先ほどの白ネコとは別個体だ。
槍を構え、今にも飛びかかってきそうな勢いである。
「旦那、ここは私に任せてくれ」
そう言うとジュウベイは、ポーチの中から何やら植物の切れ端を取り出し、周囲へぱらぱらと撒き散らした。
細かくちぎられた植物片は空気中にふわりと舞い、槍を構えたネコの鼻先へ届く。
「フニャ!?」
その匂いを嗅いだ途端、ぶち柄のネコの様子が急におかしくなった。
まるで酒に酔ったかのようにふらつき始め、やがて槍をぽろりと落とし、その場でごろごろと転がり始めた。
「なんだ!?」
俺は思わずジュウベイの顔を見る。
「なあに、道中で見つけた植物さ」
ジュウベイは得意げに鼻を鳴らした。
「あんなところでタマ族が大事な卵を抱えてふらふらしてるのも妙だと思ってたら、ネコ科の魔獣が好む植物が群生してたんでね。ついでに採っておいたのさ。まあ、こんなに早く使うことになるとは思わなかったが……」
どうやらジュウベイは、もっと巨大で凶暴な魔獣をやり過ごすために用意していたらしい。
だが結果としては、見事なファインプレーだった。
先ほどの白ネコも、卵が重いからふらついていたのかと思っていたが、どうやらこの植物の香りにやられていたようだ。
好奇心で入り込んだ集落で、わざわざ揉め事など起こしたくない。
「たまらないニャ……たまらにゃい……もっとくれぇ……」
ぶち柄のネコは、もはや敵意など完全に忘れたかのように、無防備に身をよじっていた。
……これでこの集落、本当に大丈夫なんだろうか?
俺は、先ほどまで抱いていた警戒心を何段階か引き下げた。
すると騒ぎに気づいたのか、猫たちが次々と集まってきた。
色とりどりの毛並みをしたタマ族たちが、警戒と好奇心を入り混ぜた顔で、おそるおそる近づいてくる。
「!? お前たちは何者――ふにゃあ」
「おい、どうしたんだ? にゅあ!? この匂いは!! たまらん!」
「くっ……抗いがたい芳香……ニャ~」
「ずるいぞ! 儂も!」
ある程度まで近づいた猫たちは、植物片の誘惑にあっさり屈し、次々に奇声を上げながら地面に転がり始めた。
中には、自分からその植物片のあるほうへ飛び込んでくる者までいる。
事情を知らぬ者が見れば、俺たちを中心に謎の儀式でも執り行われているような光景だった。
なんとも言えないシュールさだったが、とりあえず成り行きを見守ることにした。
「……ニャ!? いかんいかん」
すると、ごろごろしていたネコの一匹が、ふいに我に返ったらしく、寝転がったままこちらへ問いかけてきた。
「旅の者よ、なぜわれらの集落に来たのじゃ?」
灰色の毛並みに、年老いた威厳ある顔つき。
おそらく、このネコが集落の長なのだろう。
……質問する前に起き上がれよ。
そう思いながらも、俺はなんとか表情を崩さず答えた。
「俺たちは、さっき卵を抱えた白ネコを盗賊団から助けたんだ。その後も気になって、ここまでついてきた」
「なんと!!? それは真か!?」
灰色のネコは目を丸くした。
「誰か! マタスケを呼んでこい!」
「首領!! マタスケならそこに転がってます!!」
なんと、先ほど助けた白ネコは、再び植物の餌食になっていた。
「マタスケ!! お前はちゃんと儂に報告せんか!」
首領はごろごろ転がったまま、同じく転がっているマタスケを叱りつける。
「はっ!! そういえばそうでしたニャ。報告遅れてごめんニャ」
だから、起き上がれよ!
威厳も何もあったものではない。
しかも怒られているほうも、まったく反省しているように見えない。
その妙に締まらないやり取りのあと、場所を移して、改めて互いの話を聞くことになった。
名残惜しそうにその場を離れていくタマ族一行。
だが離れたと思ったら、今度はジュウベイにぴったり寄り添って歩き始める。
どうやらポーチの中に残っている植物の匂いに惹かれているらしい。
ジュウベイはかなり歩きにくそうだ。
一行は、岩壁に掘られた部屋の一つへ入り、円卓を囲んで座った。
席についたのは、俺とジュウベイ、それから先ほど話していた灰色の首領と幹部数名。
そして、俺たちが助けた白ネコ――マタスケである。
俺が席につき、ジュウベイが横に座ろうとすると、首領がなぜかジュウベイに俺の対面へ座るよう勧めた。
ジュウベイが言われるまま向かいに座る。
すると円卓での会議のはずなのに、タマ族たちはジュウベイの周囲へ椅子をぎっちり寄せ、両脇と背後を固めるように着席した。
まるで俺とジュウベイが対談でもするかのような配置だ。
……それでいいのか、タマ族よ?
いちいち突っ込むのも疲れてきた俺は、そのまま話を始めることにした。
「まずは自己紹介からだな。俺はサタン。そして、そっちが囲んでるのがジュウベイだ」
「ほう。このかぐわしきお方は、ジュウベイ様と申されるのですか!? よろしくお願いいたしますニャ」
……俺は完全に無視か、この野郎。
「で、そちらは?」
「名乗り遅れました」
灰色の首領が姿勢を正す。
「私はこの集落の首領、タマゴロウです。この黒猫がタマキン、三毛猫がタマヒエ、茶虎がタマブラ。そして、あなた方に救っていただいた白猫がマタスケです」
幹部たちの名前にかなりのインパクトがあったが、そこはあえて流すことにした。
「マタスケは、なんであんなところに一人でいたんだ?」
「私たちは定期的に拠点を移しておりましてな」
タマゴロウが説明する。
「後発のマタスケには大事な卵を運ばせていたのですが、気づけばふらふらと姿を消していたのです。捜索隊にも探させておりましたが、ジュウベイ様たちに助けていただいた、というわけです。礼を申します」
「面目ないニャ……」
マタスケがしょんぼりとうつむく。
「信じてもらえないかもしれないけど、いつの間にか意識が飛んでたんだニャ」
「いや、ジュウベイ殿の持っている植物――つまり野生の魔タタビの香りを、まともに吸ってしまったのでしょう」
タマゴロウは淡々と言った。
「危ないところではありましたが、インドラ様がご無事なら、それでよいのです」
普通なら責任問題になりそうなものだが、どうやら無罪放免らしい。
いまいち、このタマ族の価値基準が読めない。
「それで、マタスケが抱えていた卵……あれはインドラ様の卵なのか?」
「インドラ様とお呼びください!!」
シャーッ!
と毛を逆立てたタマゴロウに、すごい剣幕で怒られてしまった。
「失礼。それで、あれは本当にインドラ様の?」
「ええ。インドラ様の転生体にございます」
タマゴロウはうやうやしく答えた。
「しかし、転生されてより三百年。いまだ復活の気配はなく、長き時が過ぎてしまいました」
やはり、予想通りの話か。
「復活には何か条件があるのか?」
「いえ。インドラ様の意思ひとつでございます。インドラ様は卵の中から、外界の様子を探っておいでです」
なるほど。
温めないと駄目、という話ではないらしい。
「じゃあ、今はまだ生まれる時ではない、ということか?」
「はい。おそらく、好機をうかがっておられるのでしょう」
「なるほどな。ところで、なんでマタスケはあの紫電をまとった卵を平気で持てるんだ?」
「それは、我らがインドラ様を唯一神として信仰してきた賜物」
タマゴロウが胸を張る。
「インドラ様のお世話をするために、我らは雷無効のスキルと、幻覚魔法のノウハウを授けていただいたのです」
この幻覚魔法も、どうやらインドラが考案したものらしい。
長い生を経て、転生を繰り返す古き個体だからか。
かなりの叡智を持つ存在のようだ。
その時、廊下の向こうが急に騒がしくなった。
ばたばたと、慌てて駆けてくる足音が響く。
「首領!!!」
「ニャにごとじゃ!!」
「インドラ様の卵が!!!」
「ニャに!!??」
どうやら、大事件が起こったらしい。




