35 鍛冶場の急襲 カオナシの正体
ルシファーはマタゾウの家を出ると、そのまま鍛冶屋へ向かって歩き始めた。
騒ぎが大きくなる前に武器を受け取り、そのまま里を出るつもりだった。
ゾイルとヨルカがついてきてくれるなら、それは嬉しい。
だが、そればかりは二人の判断を待つしかない。
あとはイルカたちの待つ村へ戻り、意識を取り戻したサタンが、これからどうするのか決めるのを待つだけだ。
「しかし、やはり自分の意思で動かせる体があるというのは、うれしいものだな。魔界の空気は決してうまくはないが……我は今、非常に気分が良い」
ルシファーは上機嫌に独り言を漏らしながら、鍛冶屋の戸をくぐった。
中には、何やら気配が潜んでいた。
だがルシファーは気にした様子もなく、そのまま建物の中へ足を踏み入れる。
室内に入った、その瞬間だった。
マタゾウのそばに仕えていた黒子が、複数のクナイを一斉に投げ放った。
同時に、手にしたショートソードを構え、ルシファーめがけて一直線に踏み込んでくる。
投げつけられたクナイには、当然のように魔力がまとわされていた。
木の壁に隠れた程度では防げない。
木材ごと貫通するだけの威力がこめられている。
さらに、黒子の握るショートソードは一級品だった。
その刀身は、すべてミスリルで作られている。
鋼とは違う。
ミスリル製の武器は、切れ味も、魔力を通す容量もまるで別格だ。
こんなものを里の中で振るうなど、危険極まりない。
もし魔力をまとわせたまま斬りつければ、鉄など紙のように断ち切れるだろう。
ルシファーは、試行加速によって引き延ばされた思考の中で、その一連の動きをぼんやり眺めていた。
常人ならば、黒子の攻撃は目にも映らぬ速さに見えたはずだ。
ルシファーでなければ、何が起きたのか理解する間もなく命を刈り取られていただろう。
しかしルシファーは、一秒を五分にも感じるほどに思考を引き延ばしている。
それは、彼がもともと持っていた能力の一端だった。
飛来したクナイを難なくかわし、斬りかかってきた黒子の一撃も、まるで体をほぐすストレッチでもするかのような気楽さで避ける。
どれほど強力な攻撃でも、当たらなければ意味はない。
かわされたクナイは鍛冶屋の木壁を突き抜け、破壊した。
空を切ったショートソードは建物の柱を軽々と切断する。
ぎし、と嫌な音がして、建物がわずかに傾き始めた。
「おい、やめろ! こんなところでそんなもん振り回すんじゃねえ! 話をするだけだって言っただろうが!」
ジュウベイが必死になって黒子へ叫ぶ。
だが、黒子の動きは止まらない。
最初はジュウベイも一味かと疑った。
だが様子を見る限り、どうやら黒子が独断で待ち伏せしていたらしい。
「ジュウベイ殿、頼んでおいた武器はできているか?」
ルシファーはなおもクナイや暗器、ショートソードによる連撃を余裕でかわしながら、まるで世間話でもするような口調でジュウベイへ問いかけた。
「お、おう。そこの机の上に……」
目の前で高速の殺し合いが起こっているというのに、サタン――いや、今はルシファーなのだが――があまりにも呑気に話しかけてくるので、ジュウベイは完全に調子を狂わされていた。
そう答えた次の瞬間。
机の上に置かれていた武具が、一瞬で消えた。
――キィン。
涼やかな金属音が、鍛冶場に響き渡る。
気づけば、ルシファーの腕には籠手が装着され、手には新たな刀が握られていた。
「これは見事な出来栄えだ。素晴らしい。礼を言うぞ、ジュウベイ殿」
「お、おう……。俺の最高傑作だ」
ジュウベイは状況に頭が追いつかぬまま、それでも誇らしげに答える。
事実、サタンたちのために作った武具は、なぜかジュウベイの思い描いた通りに、寸分の狂いもなく完成した。
まるでミスリルそのものに意志があり、鍛冶師の意思を汲み取って、自ら形を変えていくかのようだった。
しかも、出来上がったそれは、ただのミスリル製とも思えない。
ミスリル以上の何かへ変質しているように、ジュウベイには思えてならなかった。
ありえない話だ。
だが、まるで物質そのものが進化したとでも言うように。
ルシファーは刀を手にすると、まるで剣技の試し斬りでもするように、途切れなく技を繰り出し始めた。
カオナシは反撃を受け流す。
その型は、ホクサイの扱う流派と同じだった。
だが、振るうたびに微妙に変化していく。
最初は模倣。
しかし、数太刀も交えぬうちに、それはルシファー独自の型へと変貌し始めていた。
ホクサイの剣技を恐るべき速度で吸収し、自分のものとし、さらに改良まで加えているのだ。
黒子は心の中で絶叫した。
これまで自分が十数年をかけて磨き上げてきた技術。
それを、この得体の知れぬ存在は、ほんの一瞬で完全に模倣し、さらには上位互換へと作り替えていく。
信じられない。
現実とは思えない。
しかもルシファーは余裕の表情のまま、その剣技を黒子へ浴びせ続けていた。
自分は、その攻撃を受け流すだけで精一杯だ。
同じ型だからこそ、次の一手は読める。
だが、すでにルシファーはその型に独自の改良を加え始めている。
次に来る斬撃は、もはや自分の知る流派ではない。
一手ごとに、身を切られてもおかしくない。
――ギャリン!
耳障りな金属音が響いたかと思うと、黒子の手からショートソードが弾き飛ばされていた。
腕の力が、ついに限界に達したのだ。
その隙を、ルシファーが見逃すはずもない。
刀が閃く。
斬られる――!
黒子は茫然と、その刃が振り下ろされるのを見つめた。
ルシファーの剣筋は、無駄がなく、あまりにも美しかった。
死を覚悟した、その瞬間。
だが、結末は訪れなかった。
ルシファーの刀は、黒子の顔面一ミリ手前をかすめるように振り抜かれていた。
空振りかと思えたその一刀は、顔と頭を覆っていた頭巾だけを正確に断ち切っていた。
布が裂け落ち、隠されていた顔があらわになる。
里長とホクサイ以外には、ずっと隠し続けてきた顔。
魔人たちから忌み嫌われる種族の顔。
能面のように平坦で、目鼻立ちの起伏が極端に乏しいその貌。
まるで顔の造作そのものを削ぎ落としたかのようなその種族を、魔人たちは蔑称で“カオナシ”と呼んでいた。
「おまえ……カオナシなのか!?」
ジュウベイが驚愕の表情で叫ぶ。
「顔、見たな!!!」
カオナシは憤怒の形相を浮かべ、即座にジュウベイへクナイを投げつけた。
「うわあ!!」
ジュウベイの顔が恐怖に染まる。
反応が間に合わない。
そのまま死を迎える――はずだった。
――キィン!
「この者は死なせない」
ルシファーが、軽々とクナイを弾き飛ばした。
「このような素晴らしい武器を作ってくれるのだ。われの仲間にする」
「くッ……今は引く。次に会ったときは、必ず殺してやる」
「できるのならな」
ルシファーは挑発することを忘れない。
カオナシは煙幕を放つと、その場から姿を消した。
「助かったよ、サタンさん」
「ああ。我はそなたの恩人だ。何なりと命令を聞くがよい」
「……? あんた、そんなキャラだったか?」
ジュウベイは怪訝そうに眉をひそめる。
だが、今はそこを突っ込んでいる場合でもないと判断したのか、すぐに言葉を切り替えた。
「まあいい。さっき黒子に言ってたが……俺もあんたたちの仲間に入れてくれるのか?」
「ああ。お前の身の安全は、我が保証しよう」
「そうか……」
ジュウベイは低く息を吐いた。
「俺も、里長のやり方には前から嫌気が差してたんだ。それに……カオナシが仲間にいるだと? ふざけるのも大概にしろって話だ」
声には、はっきりとした怒りがにじんでいた。
「あいつらのせいで、俺たちの里がどれだけ被害を受けたと思ってる。里長やホクサイがそれを知らないはずがねえ」
ジュウベイは、鍛冶場の中をぐるりと見回した。
煤けた壁。
使い込んだ槌。
火床の赤。
棚に並ぶ未完成の刃。
どれも、何十年と自分が積み重ねてきた時間そのものだった。
この鍛冶場は、ただ鉄を打つ場所ではない。
若い頃から腕を磨き、失敗し、傷を負い、それでもしがみついてきた人生そのものだ。
火の匂いも、焼けた金属の色も、槌を振るったときの手応えも、もう自分の骨の髄まで染みついている。
本来なら、ここで死ぬまで打ち続けるはずだった。
里のために武器を作り、道具を作り、必要とされるまま火の前に立ち続ける。
それが自分の生き方だと、疑ったこともなかった。
だが今、胸の奥で何かが決定的に冷えた。
里長は、カオナシを抱え込んでいた。
しかも、それを隠したまま里を回していた。
里を守るためとでも言うつもりなのだろう。
だが、守るどころか、知らぬうちに毒を飼っていたにすぎない。
自分は、そんな連中のために刃を打っていたのか。
拳を握る。
指先に、鍛冶で積み重ねた分厚い皮がきしむ。
怒りもあった。
失望もあった。
だが、それ以上に強かったのは、ひどく静かな嫌悪だった。
このままここに残ればどうなるか。
見てはいけないものを見た以上、口封じされるか。
よくて、一生この鍛冶場に縛りつけられ、都合のいい職人として使い潰されるだけだ。
そんな生き方は御免だった。
ジュウベイは、火床の赤をじっと見つめる。
揺れる火は、何も言わない。
ただ、ここに残るのか、それとも火ごと捨てるのかを問うているようだった。
――惜しいに決まっている。
この鍛冶場を捨てるのは、腕を一本もがれるようなものだ。
積み上げてきた時間も、道具も、仕事も、全部ここにある。
だが。
ここに残って、腐った連中のために鉄を打つくらいなら。
鍛冶場ごと失ってでも、自分の腕一本で生き直したほうがましだ。
そう思った瞬間、不思議と腹が決まった。
火はまた起こせる。
槌も、床も、炉も、失えばまた作ればいい。
だが、職人としての矜持を曲げたら、それだけは二度と打ち直せない。
ジュウベイは、短く息を吐いた。
「……俺はもう、この村を出る」
その声に、迷いはなかった。
どうやら“カオナシ”という種族は、相当な怨恨を買っているらしい。
「まあ、当然の選択よな」
ルシファーはあっさりと言う。
「ここに残っても、いずれ消されるか、一生幽閉されたまま武器を作らされるかだ」
「違いねえ」
ジュウベイは吐き捨てるように言い、すぐに立ち上がった。
「そうと決まれば、出発の準備だ。……一分だけ待ってくれ」
「ヨルカとゾイルの武器も忘れるでないぞ」




