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34 六翼の正体と迫られる選択

ルシファーは、動けぬ者たちをその場に残し、静かに部屋を出ていった。


扉が閉まったあとも、なお三十秒ほど、沈黙が場を支配していた。


誰も声を発しない。


ただその場に固まったまま、身じろぎひとつできずにいる。


まるで時間そのものが止まってしまったかのように、空気は重く、冷え切っていた。


その沈黙の中で、ふいに誰かの喉が小さく鳴った。


次に、別の誰かがわずかに肩を震わせる。


そうして、凍りついたようだった空間に、ほんの少しずつ熱が戻りはじめた。


固まっていた筋肉に血が巡り、重かった四肢に、ようやく力が宿る。


やがて一人が深く息を吸い込み、もう一人がゆっくりと視線を動かした。


微細な動きが連鎖していく。


まるで氷漬けにされた者たちが解凍されるように、全員が少しずつ身体を動かし始めた。


「……まったく、どうなってんだ、サタン殿は。あんな化け物だとは知らなかった……」


ホクサイが、疲れ切った顔で吐き出すようにつぶやく。


先に手を出したのは、ほかでもない自分だ。


だからこそ、あの場で一瞬にして身動きを封じられたことも、自業自得と言えばその通りなのかもしれない。


相手の気まぐれひとつで、いつ命を奪われてもおかしくなかった。


そんな恐怖の際に、自分は立たされていたのだ。


これまで絶対の自信を持っていた剣の腕前。


その誇りが、何の意味もなくへし折られた。


死の気配と無力感が、ホクサイの顔に濃い影を落としている。


「あの方は、天界から堕ちた高位の存在に違いない」


マタゾウが、皆にも聞こえるよう静かに言った。


「天界から追放された者、ということか?」


ホクサイが眉をひそめる。


疑いと苛立ちが混じった顔つきだった。


「ああ。あの漆黒に染まった三対の翼を見ただろう?」


「翼を生やした奴なんて、珍しくもないだろう?」


「普通の翼ならな……。だが、三対の翼は別だ。そなたらは、アシュリヌ大戦を知っておるか?」


「ああ。大昔にあった、天界と魔界の大戦だろう?」


ホクサイは、なぜ今さらそんな昔話を持ち出すのか理解できず、不満げに顔をしかめた。


「その戦いで、この魔界を支配しておられた魔王様が亡くなられたのだ」


「それは知っている。だから、それがどうしたっていうんだよ!」


短気なホクサイは、ついに我慢の限界に達したようにマタゾウへ食ってかかる。


「師匠。里長の話の続きを聞きましょう」


ゾイルが間に入り、落ち着いた声で制した。


「おそらく、そこにサタン様のルーツを知る手がかりがあります」


もともと気が短く、手も早いホクサイだ。


今の張りつめた状態では、里長相手でも本当に殴りかねない。


ゾイルの判断は的確だった。


「まあ、最後まで聞きなさい」


マタゾウはわずかに息を整え、続ける。


「魔王様を討ったのは、天界の天使であったと伝えられておる。天界の上位存在は三対の翼を持ち、その翼は純白に輝いていたという」


その言葉で、ゾイルはマタゾウの言いたいことを察した。


だが、まだ話についていけていない者もいた。


「しかし、マタゾウさん」


ヨルカが、戸惑いを隠せないまま口を挟む。


「サタン様の体から生えていた翼は、黒曜石みたいに黒く光っていましたよ。天使の純白とは、ほど遠いじゃないですか」


「それについては、確かなことは言えぬ」


マタゾウは慎重に言葉を選ぶ。


「だが、魔王討伐の際、魔界に深く染まり、翼を漆黒へ変えた者がいたという伝承が残っているのだ。その者は結局、天界へ帰ることもできず、魔界で死んでいったとな」


「つまり、魔界に長くいた天界人は、魔界に染まり、やがて命を落とすということか?」


ゾイルが低く問い返す。


「そうだ。だから、サタン殿……あるいはサタン殿の中にいる、もう一つの人格は、もともと天界に属する存在だったのだろう」


マタゾウは目を細めた。


「しかし、天界に住むような者が、そう簡単に魔界門と天界門の二つを開けるとも思えん。ならば、天界で何かが起きたのだろう」


「天界で……まさか!?」


ゾイルが思わず声を上げた。


「どうした、ゾイル?」


マタゾウが促す。


この中で最も長くサタンと行動を共にしてきたのはゾイルだ。


ならば、何か有益な情報を思い当たっていても不思議ではない。


「私がサタン様と出会う少し前のことです」


ゾイルは、記憶を辿るようにゆっくりと言った。


「天から、光り輝く何かが落ちてきたのを見ました。しかも、落ちた先はサタン様と出会った場所の近くでした。もしや……それが、サタン様の中に?」


その一言を聞いただけで、マタゾウの中でいくつもの点がつながった。


以前、里の者から“天より光り輝く物体が落下した”という報告を受けていたのだ。


「その可能性は高い」


マタゾウは静かに断言した。


「きっと、その光こそが、あの者の正体だ」


「なるほど……」


ゾイルもうなずいた。


「それなら、サタン様が短期間で急激に力をつけていったことにも説明がつきます」


「うーん……そうだったのか……」


ヨルカもようやく腑に落ちたように、小さくうなった。


少しの間ではあったが、サタンと旅をする中で、その成長ぶりは目を見張るものがあった。


もはや“成長”というより、“進化”と呼ぶほうがふさわしいほどだ。


ヨルカが知覚できる範囲だけでも、少なくとも三度は、サタンが目に見えて変わっていくのを見ている。


それでも、それを口にしなかった。


言葉にしてしまえば、サタンが自分の知らない遠いところへ行ってしまう気がしたからだ。


ヨルカは、それが嫌だった。


それはイルカのいる村のためでもある。


けれど、それだけではない。


サタンのそばにいると、不思議と心が落ち着いた。


まるで、もういないはずの両親のそばにいるような、あたたかな安心感があったのだ。


「つまり、まとめると――」


ホクサイが、苦い顔のまま口を開く。


「天界から追放されたか、あるいは逃亡してきた何者かが、サタン殿に憑りつき、先ほど表に出てきた……そういうことか」


「サタン殿と共存していると言っていたのは、そういう意味だったのだろうな」


マタゾウは重くうなずいた。


「となると、里としても、サタン殿をどう扱うか話し合わねばならん」


その声には、里長としての責任がにじんでいた。


「我らはベルゼブブ様に仕える身だ。お前たちも、そのことを踏まえて考えるがよい」


部屋の空気が、また少しだけ重くなる。


「お前たちに残された選択は二つだ。サタン殿と手を切り、ベルゼブブ様に忠誠を誓うか。あるいは武器を受け取り、この里を出てサタン殿と行くか」


マタゾウはそこで、わずかに言葉を詰まらせた。


「その場合……ベルゼブブ様のお考え次第では、最悪、我らは争わねばならなくなる。……だが、私としては、それは避けたい」


それは本音だろう。


先ほどの光景を見ていれば、争ったところで勝ち目がないことくらい、誰にでもわかる。


いや、勝てないだけではない。


利益すらない。


それにマタゾウ自身、サタンの人柄が自分たちに害をもたらすものではないと知っている。


むしろ個人的には、かなり好意的に見ていた。


「ゾイル……どうする?」


ヨルカが不安げにたずねる。


ゾイルはすぐには答えなかった。


俯き、しばらく黙り込む。


その横顔には迷いと、考えの深さが浮かんでいた。


やがて、彼は低く言った。


「……少し、頭を整理したい」


そして短く息を吐く。


「悪いが、俺も少し外を歩いてくる」

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