32 地獄の剣術修行 祠に満ちる堕ちた星の気配
「さて、武器が出来上がるまで待っているのも暇だし、ゾイルの師匠のところで剣術を教えてもらうか」
「そうですね……ただ、サタン様。お気をつけください。師匠の訓練は……地獄ですよ」
「なに、俺はこの旅で肉体も魔力もかなり強くなった。問題ないだろ」
「……それならいいのですが」
ゾイルは、どこか含みのある言い方で答えた。
「それ、私もやらないとだめですか?」
ヨルカが露骨に嫌そうな顔で、俺に聞いてくる。
俺が答えようとした、その瞬間だった。
口が勝手に動き始める。
「もちろんだ。これからも旅を続けたいのなら、そなたも強くならねばならぬ。また捕まるのは嫌であろう?」
またルシファーだ。
勝手に俺の口を使ってしゃべりやがった。
「なんですか、その口調?」
ヨルカは驚いたように目を見開き、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
……こいつ、最近ますます遠慮がなくなってきてないか。
勝手に俺の体を使う頻度が増えているし、少しずつ支配権を広げられているような気すらする。
このまま、俺の体を乗っ取られたりしないだろうな……。
「サタン様?」
ゾイルが心配そうに、俺の顔をのぞき込んだ。
どうやら少し顔色が悪くなっていたらしい。
「ああ、大丈夫だ。それよりゾイル、師匠にちゃんと挨拶してこいよ。まだろくに話してないんだろ? マントの礼も言わないとな」
「そうですね。師匠には、詫びと礼、それに訓練の願いを伝えてきます」
ゾイルは静かにうなずいた。
「それと、私も一つ気になっていたことがあります。なぜ師匠が、洞窟の魔虫たちの相手をしなかったのか……その理由も探ってみます」
やはりゾイルは優秀だ。
身内相手でも感情だけで動かず、きちんと疑問を持ち、確かめようとする。
頭も切れるし、冷静でもある。
……味方でいてくれて本当によかった。
*
それから数日、俺たちはホクサイの剣術訓練を受けた。
使うのは真剣ではなく木刀。
だが、その木刀もホクサイの手にかかれば話は別だ。
岩すら平然と切断し、粉砕してしまう。
粉砕するのはまだわかる。
だが、木刀で岩を“切る”って、どういう理屈だ?
肉体硬化の能力を得た今でも、木刀だからといってまったく油断できない。
俺は木刀を構える。
「では、参る」
その言葉と同時に、目の前のホクサイが消えた。
「おうッ!?」
かろうじて左側面から殺気を感じ取り、木刀で左半身をかばうように受ける。
甲高い音が響き、手が痺れた。
ほとんど勘だったが、なんとか初撃は防げた。
だが、安心する暇などない。
次の瞬間には、上下左右から容赦のない連撃が襲いかかってきたからだ。
防御が追いつかず、少しずつ打撃が体に入る。
致命傷ではない。
だが、このままでは確実に削り殺される。
激しい連撃を受け止め続けるうちに、腕が棒のように重くなってきた。
「くそ……これじゃ、あの時と同じだ」
脳裏をよぎるのは、オーガ戦の記憶。
攻撃を受け続け、腕が痺れ、武器を握れなくなりかけたあの時の感覚だ。
攻撃の圧に押され、息が乱れる。
視界の端が揺れ、汗がぽたぽたと地面へ落ちる。
(クソ、速すぎる。……いや、それだけじゃない。滑らかすぎる)
一太刀ごとの動きに、まるで無駄がない。
しかも木刀が、意思を持っているかのように防御の隙間を突いてくる。
激流のような激しさと、流水のような滑らかさ。
そんな連撃を前に、俺にできるのは次の一手を必死に防ぐことだけだった。
反撃の隙など、一瞬たりとも訪れない。
直線的な速さだけなら、まだ動体視力で追える。
だが、相手は防御の綻びを縫って打ち込んでくる。
こうなると、もうお手上げだ。
「ぐふッ!」
ついに一撃をまともにもらった。
脇腹に鈍い衝撃が走り、息が詰まる。
やはりホクサイの剣術は別格だ。
俺はあっという間に、コテンパンに叩きのめされてしまった。
「痛てて……容赦ないな」
「さて、サタン殿。今度は私に打ち込んできてください」
ホクサイは正面に木刀を構え、俺に攻撃を促す。
その構えには、まるで隙がない。
俺は木刀を上段に構えた。
肉体強化、視覚強化、身体能力の底上げ――今の自分に使えるものをすべて乗せて、全力の一撃を振り下ろす。
木刀が音を裂き、音速すら超えた速度でホクサイへ叩きつけられる。
だが。
ホクサイは、その全力の一撃をいとも容易く受け流した。
流された俺の一撃は地面に落ち、爆ぜるように土を吹き飛ばす。
「すごい威力ですな。ですが……当たらなければ、攻撃に意味はありません」
次の瞬間、反撃の一撃が俺の頭を小気味よく叩いた。
「いってぇ!?」
その後、しばらく休憩となった。
「サタン殿の攻撃は、少々身体能力に頼りすぎですな」
ホクサイは落ち着いた口調で言う。
「ゆえに、動き出しが読まれれば、いかに剣を振るう速さがあろうとも、先ほどのように簡単にいなされてしまう。打ち込む際は、腕だけでなく体全体の筋肉を連動させるとよいでしょう。あと、足運びですが……」
ホクサイは、たった一度の手合わせだけで、驚くほど細かく俺の癖と欠点を見抜いていた。
その後、言われた通りに改善しながら何度も打ち込んでみた。
だが、身体能力をいくら強化しても、俺の斬撃はホクサイの髪一本すらかすめることができない。
それどころか、ホクサイの体運びと斬撃が速すぎて、目で追うだけでも精一杯だった。
ゾイルの剣術もすごい。
だが、その師匠であるホクサイは、やはり格が違う。
そう思い知らされた。
意外にも筋がよかったのは、ヨルカだった。
ヨルカは近接戦では、短い木刀の二刀流で戦う型に決めたらしい。
もともと身のこなしが軽く、速度は申し分ない。
だが、やはり力が足りないのか、決定打に欠ける印象があった。
「ヨルカは双剣使いか。身のこなしはよいし、武器の選び方も間違っておらぬ。接近戦では双剣を使うとよいだろう」
ホクサイは顎に手を当てながら言った。
「ただし、相手の服しか斬れぬようでは武器として役に立たん。打ち込みの練習が必要だな」
「うっ……それ、地味にへこみます」
ヨルカがしょんぼりしていた。
そして、ゾイルとホクサイの手合わせは、本当に凄まじかった。
斬撃が縦横無尽に飛び交い、木刀がぶつかり合う甲高い音が、一秒の間に何度も響く。
打ち込まれた斬撃を受け止め、あるいは受け流し、すぐさま反撃。
その反撃をまた受け止め、さらなる斬撃へつなげる。
斬撃だけではない。
ところどころに刺突も交じる。
変則的な攻めに対しても、二人とも迷いなく対応していた。
おそらく、どちらもまだ全力ではないのだろう。
それでも、その応酬は十分すぎるほど異常だった。
そんな激しい手合わせが、十分近くも続いた。
「ゾイル。お前、剣術の修行は怠っていなかったようだな」
「はい。実戦で剣を振るうことは封じておりましたが、素振りだけは欠かさず続けておりました」
「ふん。それだけ振れておれば上等だ」
ホクサイは鼻を鳴らしつつも、どこか満足そうだった。
「今後、サタン殿にはお前からも指導してやれ」
「はい。師匠の名に恥じぬよう、精進いたします」
ホクサイがゾイルを認めた。
そのことが、俺にはなんだか少しうれしかった。
その後、俺はゾイルに連れられて祠の前まで来ていた。
入口には魔獣の骨や藁人形がいくつも飾られ、なんとも仰々しい。
近づくだけで、妙に湿った空気が肌にまとわりつく。
「さあ、サタン様。こちらが除霊の祠です。中にシャーマンがいますので、声をかけてください。話は通してあります」
「お、おう……ちょっくら行ってくるわ」
俺は狭い入口をくぐり、中をのぞいた。
湿った薬草の匂いが、薄暗い祠の中に満ちている。
シャーマンの女は古びた面を顔にかけ、黒い煙を焚きながら、唄のような呪を低く口にしていた。
俺は、言われた通り静かに正座する。
(まさか……バレないよな……)
心臓がやけにうるさい。
もし俺の中に堕天使がいると知られたら、里どころか大陸規模の騒ぎになるかもしれない。
それでも顔には出さず、俺はただ目を伏せた。
その時、内側から声が響く。
(ふん、小娘ごときのまじないで、我が揺らぐとでも? 我とそなたとの融合は、その程度で崩れるほど生易しいものではないわ)
それは、俺の内に棲む“堕天の王”――ルシファーの声だ。
堂々としすぎていて、逆にこっちは不安になる。
……いや、本当に大丈夫なんだろうな?
だが、いつもよりルシファーが苛立っていることだけは、はっきり伝わってきた。
儀式が進む。
シャーマンは額に刻んだ朱の印を指先でなぞり、それを宙へ掲げると、低くうなるように叫んだ。
「──来たれ、穢れしものよ! その在処、我に示せ!」
“穢れ”。
その言葉に、ルシファーの怒りが一気に噴き出した。
次の瞬間、風もないはずの祠の中で、どくろ蝋燭の火が一斉に揺れた。
空気がひりつき、見えない圧力が部屋いっぱいに満ちる。
空気そのものが、焼けるような殺気と重圧を帯びていた。
女の手が、目に見えて震え始める。
「……っ!? な……なに、これは……!」
がたり、と音を立てて仮面が落ちた。
あらわになった顔は蒼白で、額には脂汗がにじんでいる。
「この力……この気配……いや、そんなはずが……“堕ちた星”……!?」
その瞳は、底知れぬ闇をのぞき込んだ者のように震えていた。
やがて、驚愕に満ちた声が絞り出される。
「この器……まさか……“あれ”を……宿しているのか……?」
俺は黙ったまま、何も答えなかった。
内側で、ルシファーが嘲るようにささやく。
(愚か者め。私の名を知ることすら、あの程度のシャーマンには毒なのだ)
祠の空気が重く沈む。
沈黙が、息苦しいほど長く続いた。
シャーマンの顔は、もはや青白いを通り越していた。
血の気が抜け、今にも崩れそうだった。
そして次の瞬間。
どさり。
女は何の前触れもなく、その場に崩れ落ちた。
「……!」
俺は思わず立ち上がり、駆け寄ろうとする。
だが、その肩に冷たい声が落ちた。
(やめておけ。下手に触れれば、その娘は狂うぞ)
「何かしたのか?」
(ああ。少しばかり、“私の片鱗”を見せてやった。“ほんの少しの情報”だが、そこいらの脳には耐えられん)
俺は女の呼吸を確かめる。
浅いが、命に別状はなさそうだった。
「……とりあえず、このままにしとくか」
俺は家主を残し、そのまま祠をあとにした。
「おや、サタン様。もう終わったんですか?」
外で待っていたゾイルが、あまりに早い俺の帰還に目を丸くする。
「ああ。なんか、特に何も憑かれてないらしい」
「そうですか……」
ゾイルは少し首をひねったが、それ以上は追及しなかった。
翌日。
シャーマンは目を覚ました。
だが、俺を見ても何の反応も示さなかった。
「……あなた、誰?」
その言葉に、俺は悟る。
「何も覚えていないのか?」
「……? あの祠で、何かしたんですか?」
首をかしげる彼女は、まるでただの村娘に戻ったようだった。
俺は静かに息を吐く。
ルシファーは“少し”と言っていた。
だが実際には、大量の情報を脳へ押し込まれ、記憶の一部が焼き切れたのだろう。
……助かったのか。
それとも、見逃されたのか。
(ふふ、哀れなものだな。大量の情報で“真実の記憶”は消える。もはや、あの娘は日常生活以上のことはできぬであろう)
内側から、愉快そうなささやきが響く。
ルシファーは術も魔力も使わず、ただ“情報”だけで相手を無力化してしまったのだ。




