30 ミスリルをもって帰還 魔王候補の名
「サタン様、ゾイル、遅いです!」
鉱山の出口に、人影が立っていた。
薄暗い外光の中でも、その小柄な姿には見覚えがある。
近づいてみると、やはりヨルカだった。
「あれ? ヨルカ、お前、待ってたんじゃないのか?」
「待ってたんですよ! ちゃんと待ってたんです!」
ヨルカは、むっとした顔で言い返す。
「でも途中で、鉱山の周りにいた虫たちが急に騒ぎ始めて、見つかっちゃったんです。私、近くで虫なんて見たくないから、目も開けられなくて……ほんと、人生終わったと思いました」
肩を抱くように身震いしながら、ヨルカは続けた。
「なのに、気がついたら虫たちが私を捕まえるのをやめて、どこかへ行っちゃったんですよ。何が起きたのか、全然わからなくて……」
「ああ、そのことか。それはだな……」
そこでゾイルが口を開き、坑道の中で起きた出来事を簡潔に話して聞かせた。
パスカルレオンの待ち伏せ。
姿を消す能力。
魔虫たちとの乱戦になりかけたこと。
そして最後には、なぜ周囲の虫たちが騒ぎ出したのかまで。
話を聞き終えたヨルカは、なるほどとうなずいたあと、じっと俺を見た。
「なるほど、そういうことだったんですか……。でもサタン様って、何かと巻き込まれますよね」
「言われてみれば……」
ゾイルまで顎に手を当てて、考え込み始める。
俺にも思い当たる節はあった。
昔の俺は、魔界を一人でうろついていても、そうそう魔人や厄介ごとに遭遇することはなかった。
だが、ルシファーをこの身に宿してからというもの、妙に騒動の中心へ放り込まれることが増えている。
……まさか、本当にこいつが疫病神なんじゃないだろうな。
「……聞いたことがあります。身の内に悪しき霊体を取り込むと、思わぬ災いを呼び寄せると……」
ゾイルが、妙に真剣な顔で言った。
「まさかサタン様……」
ぎくり、とした。
「お祓いをした方がいいかもしれません。ちょうど私の里にシャーマンがいますので」
「いや、俺はそういうの信じてないから大丈夫だ」
俺は慌てて首を振る。
「いや、大丈夫ではありません」
ゾイルはきっぱりと言い切った。
「サタン様の身に何かあれば、私たちの旅に支障が出ます」
「そうですよ!」
ヨルカまで勢いよく乗ってくる。
「何もなければ、それで安心できるじゃないですか!」
「でも……」
「いいじゃないですか。もし何もなかったら、『やっぱり気のせいでしたね』で終わる話ですし」
ヨルカにそこまで言われると、なかなか言い返せない。
……ルシファーのやつ、シャーマン相手に本当に大丈夫なんだろうな。
「案ずることはない」
頭の中で、ふんと鼻を鳴らすような声が響いた。
「我がシャーマンごときに後れを取るわけがなかろう。そなたは安心して見ておればよい」
ずいぶん自信満々だ。
逆に少し不安になる。
「……まあ、どうしてもって言うなら、受けてみようじゃないか」
変に拒み続けても怪しい。
俺は観念して、その提案を受け入れた。
その方がゾイルたちも安心して、旅を続けられるだろう。
「おーい、帰ったぞ!」
里の門前まで戻った俺は、門番へ声をかけた。
山あいにひっそり築かれた木柵の向こうでは、見張り台の火が夕暮れの中で揺れている。
「おおっ!! そなたたち、待っておったぞ!」
門番は目を見開き、すぐさま里の中へ振り返った。
「皆の者ー! サタン殿一行と、ゾイルが帰ってきたぞー!」
その声が、里の中へ響いていく。
木造の家々の間を抜け、鍛冶場のほうへまで届いたのか、あちこちから人の気配がざわめきとなって広がった。
しばらくして、ようやく重い門が軋みながら開く。
中へ足を踏み入れた俺たちは、思わず足を止めた。
里の者たちが、道の両脇にずらりと並んでいたのだ。
年寄りも、若い者も、子どもまでいる。
皆、こちらを食い入るように見つめている。
その目に浮かんでいるのは、警戒ではない。
はっきりとした期待と高揚だった。
「……なんだこれ」
俺が思わずつぶやく。
不思議そうに里の者たちの顔を見回していると、奥から里長と師匠――マタゾウとホクサイが歩み出てきた。
「お疲れさまでした。サタン殿、ヨルカ殿、そしてゾイルよ」
マタゾウは穏やかに言い、すぐに本題へ入った。
「……して、ミスリルは取れたのか?」
「ええ、ここに」
ゾイルは背負っていた大袋を下ろし、その中からミスリルの塊を取り出した。
ずしりと重いそれを、あらかじめ用意されていた台の上へ置く。
ゴトッ――。
鈍い音が響いた、その次の瞬間だった。
「うおおおおおっ!!」
里の者たちの歓声が一斉に上がった。
あまりの熱気に、俺たちはそろって目を瞬かせる。
まるで戦勝でも祝うかのような盛り上がりだ。
「これは、いったい……」
ゾイルが戸惑いながら、ホクサイに尋ねる。
「いや、失礼失礼」
ホクサイは苦笑しつつ答えた。
「実は今、どうしてもミスリルが必要でな。もちろん、お前たちの武器は約束どおり作ってやる。だが、余った分はこちらで使わせてもらってもいいか?」
「それはご自由に。俺は武器が作れればそれでいい」
俺はそう答えながら、なおも沸き立つ里人たちを見渡した。
「でも、なんでみんなこんなに喜んでるんだ?」
マタゾウが静かに口を開く。
「それはな……今年、献上せねばならぬ品の中に、ミスリルが含まれておったのだ。つい先ほど通達が来たばかりでな。そこへ、ちょうどおぬしたちが持ち帰ったというわけよ」
「献上? いつの間にそんな仕組みができたんだ?」
ゾイルが驚いたように、ホクサイへ向く。
どうやら、里を離れていた間に新しいしきたりができていたらしい。
「お前が里を出て六年ほど経った頃か」
ホクサイは腕を組み、遠い目をした。
「この一帯を、あるお方が治めるという話になってな。わしらもその方を支援しておった。そして時が経ち――ついに、あのお方は自らを魔王と名乗るようになったのだ」
「魔王様……ですと?」
ゾイルの声がわずかに強ばる。
この魔界に、魔王はいない。
少なくともここ数百年、その座に至った者は一人もいなかったはずだ。
「いや、正確には、まだ正式に魔王と認められたわけではない」
マタゾウが補足する。
「だが、わしらは必ずや、あのお方が魔王になられると思っておる。正式にその座につかれた暁には、わしらもその庇護を受けることになるだろう。だからこそ、献上の品を欠かすわけにはいかんのだ」
そこで、マタゾウの目がふとやわらいだ。
普段のこの老人は、感情をあまり顔に出さない。
何を考えているのか読みにくい男だ。
だが、今だけは違った。
言葉を慎重に選んではいるものの、その奥では感情が先に立っている。
誇りと、敬意と、どこか信仰にも似た熱がにじんでいた。
「なるほど」
俺は腕を組み、少しだけ興味を持つ。
「ちなみに、その魔王様とやらの名前は?」
正直、気になっていた。
なんたって、頭の中ではルシファーがものすごい勢いで憤っていたからだ。
先を越された、とでも言いたげに。
マタゾウは一呼吸置き、まっすぐこちらを見た。
「そのお方の名は――ベルゼブブ様だ」




