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27 解放の刃

俺は第三の目で周囲を見渡した。

だが、奴の姿は第三の目をもってしても、ぼんやりとしか映らない。


背景の色や形はそのまま見えているのに、そこだけがわずかに歪み、違和感として浮いている程度だった。

姿を隠すことに特化した、厄介な相手だ。


ぼんやり見える輪郭からすると、横に四メートル、縦に二メートルほどの巨体に見える。

言語を操り、罠まで仕掛けるところを見るに、高い知性を持った六足歩行の生き物なのだろう。


どう攻めてくるか、警戒しなければならない。

今は、居場所がわかるだけでもよしとするしかなかった。


相手の形状がはっきりしない以上、どんな攻撃が来るのかもわからない。

攻撃前の動作も読めない。


だが、先ほどの一撃を見る限り、少なくとも攻撃速度そのものはそこまで速くないのかもしれない。


「キュロロロロ、これでもくらえ」


ぼんやりと歪んだ空間から、再び強酸の液が飛び出した。

液体は緩やかな弧を描き、俺たちの頭上へ落ちてくる。


避けるだけなら簡単だ。

しかし――


「サタン様、この液体は地面に触れた瞬間、はじけ飛びます!」


ゾイルが鋭く警告を飛ばした。


次の瞬間、液体は地面に着弾し、四方へ飛び散る。

散弾のようにばら撒かれた酸が、周囲一帯を容赦なく襲った。


「熾天の火壁!!」


ルシファーが、とっさに詠唱破棄で呪文を放つ。

すると、俺の体幅ほどしかない小ぶりな炎の壁が眼前に立ち上がった。


先日、アントスパイダーから逃げる際に出した炎の壁より、ずっと小さい。

だが、それでも十分だった。


強酸の液は炎の壁に触れた瞬間、じゅっと音を立てて蒸発する。

ゾイルの忠告がなければ危なかった。


てか、呪文って詠唱いらないのか?


(詠唱は絶対ではない。願いを明確にするためにあるのだ。つまり、明確なイメージを持ち、魔力を練り、属性へ変換する工程を省略できれば問題はない。……もっとも、威力は格段に落ちるがな)


ルシファーが頭の中で淡々と教えてくれる。


「フローズン・ファングフィールド」


無数の細い氷槍が地面を這い、一面へと広がった。

透明な生物にも、地面から氷の槍が襲いかかる。


「キュロロロロ、いてーな」


少しは効いたようだ。

だが、やはり詠唱破棄した術は威力が弱い。


氷槍は一メートルにも満たず、強度も足りない。

それでも、今の一撃には見逃せない効果があったらしい。


「キュロロロロ、うっとうしい奴らだ」


敵の声は坑道内で反響し、位置を惑わせる。

常に移動しているのか、発声地点を特定するのは困難だった。


動いているはずなのに足音はまるでしない。

隠密能力は相当なものだ。


(後ろだ!)


ルシファーの警告が頭の中で弾けた瞬間、俺は反射で防御魔法を唱えていた。


「フロストウォール!」


「グエ」


バスバスバスッ!!


背後から何かが叩きつけられた。

とっさに出した氷の壁が、一瞬で粉砕される。


だが、俺の体までは届いていない。

怪我はない。


……いや、問題はそこじゃない。

どうやって攻撃されたのか、まるでわからなかった。


「どうなってるんだ!?」


(よく見ろ。氷に紛れて見えにくいが、透明な鱗が飛んできたのだ)


「まじかよ……攻撃すら見えにくいとか、反則だろ」


「よく……今のを防いだな。だが、俺は早く虫たちを喰いたいんだ。さっさと失せろ。――“幻域歪界”」


次の瞬間、目の前の風景がぐにゃりと歪み始めた。


「うわっ!? なんだこれ……気持ち悪っ!」


「うっ……これは強烈ですね!」


自分は動いていない。

そのはずなのに、景色だけが波打ち、ねじれ、傾き続ける。


立っているのかどうかさえ曖昧になり、平衡感覚がめちゃくちゃになる。


「キュロロ。ぼんやりしてたら、食べちゃうぞ。まずそうだけど」


再び攻撃の気配が走った。


「この魔法が何かはわからんが、とりあえず……フロストウォール!! フロストウォール!! フロストウォール!!」


俺は自分とゾイルの間へ、幾重にも氷の壁を築いた。

多少なりとも時間は稼げるはずだ。


「キュロロ。ほんと、うっとうしい奴らだ」


(おいルシファー! どうにかしてくれ! このままじゃ……うぷっ、吐く……!)


(幻覚魔法だな。自身の身を隠す魔法の応用なのだろう)


ルシファーは律儀に解説を始める。

だが、今の俺にはそんな余裕はない。


(説明はいいから早く……うっ、気持ち悪い……!)


(やれやれ。おぬしの口を借りるぞ)


「セイクリッドリムーバー――聖幻剥離」


「キュロロ!? もう解いたのか!? ホント嫌な奴だ」


「よし!! 復活!! ていうか、お前は何者だ! 姿を現せ!!」


「キュロロ、バカめ。わざわざ姿を見せてやる理由がどこにある? 俺様はここに鉱石を求めて魔虫たちが集まっていると聞いたから、食事をしに来ただけだ」


ここの魔虫を食べに来た――つまり侵入者か。

しかし、この坑道の魔虫たちはかなり強いはずだ。


「食事だと?」


「このあたりにいる虫は最高なんだ。魔力も強い。あいつらの目に俺の姿は見えない。だから狩り放題なのさ」


なるほど。

不意打ち前提なら、相手が多少強くても仕留められるというわけか。


だが、困った。

こいつの話だけ聞けば、俺たちと争う理由はない。

そもそも先に仕掛けてきたのは向こうだ。


「もう一度聞く。お前は何者だ?」


「お前に言う名などない。それに、何も知らぬほうが幸せだぞ。私の正体を知った者は生きて返さないのだから」


「フン。おおかた、パスカルレオンってところだろう?」


第三の目でも欺くほどの隠蔽。

そこまで徹底して見えないとなると、逆に推測はしやすい。


「貴様ァァァァァ!! 殺す!!」


図星だったらしい。


こいつらが見つからないと言われるのは、単に姿が見えにくいからだけではない。

見つけた者を、片っ端から殺してきたのだろう。


怒気をはらんだ声が、坑道全体に響き渡った。

その声は、坑道内に潜んでいた魔虫たちの耳にも届いたらしい。


「貴様ら誰だ!? 侵入者は二人か?」


先ほどやり過ごしたカマキリ型の人型魔虫、ハチ型の人型魔虫、さらに普通の魔人に見える者――三名がその場へ現れる。


「くそっ。無駄話をしている間に邪魔が入った」


「サタン様、いかがいたしますか? このまま魔虫とも戦闘になれば乱戦になります」


隠密で動いていたのに、最悪の流れだ。


「あいつら、結構強そうだよな……」


「ここは、逃げるしかないのでは……」


「でも逃げたら、絶対に警備が厳しくなって、ミスリルどころじゃなくなるしな……」


パスカルレオンは、魔虫たちに気づかれていないことをいいことに、隅でじっと潜んでいる。

俺たちと魔虫たちをぶつけ、疲弊したところで両方を食うつもりか。

そして、自分の正体を知る俺たちも始末する。


いわゆる漁夫の利だ。

……めちゃくちゃ癪に障る。


パスカルレオンの思いどおりにしてたまるか。


「おい、虫たち! お前ら第三の目を使えるか? 使えるなら、あそこの隅をよーく見てみろ! 侵入者はあいつだ!!」


「何を言うか。あそこに何があるというのだ。……そう言って俺たちがよそ見した瞬間に襲いかかるつもりなのだろう?」


カマキリ型の魔虫が冷ややかに言った。


「そんなせこい真似、誰がするか!?」


俺は即座に言い返す。


「いや、待て。何かいる」


魔人らしき男が、カマキリ型へ警告した。

なんと、こいつは第三の目を持っているのか。


「キュロロ。まさか見える奴が虫にもいたとはな! ゲロ!」


その直後だった。

パスカルレオンの潜む空間から、ピンク色の槍のようなものが勢いよく飛び出した。


空を裂き、音すら置き去りにする速度。

奴は方針を切り替え、魔虫たちへ直接攻撃を仕掛けたのだ。


いや――あれは槍ではない。

舌だ。


目にも留まらぬ速さで、舌が射出されたのだ。


本体は見えない。

だが、飛び出した舌だけは可視化されるらしい。


おそらくあれは、パスカルレオンにとって必殺の一撃であり、同時に自分の存在を知らしめる代償でもあるのだろう。

もっとも、俺がそれを舌だと理解したのは、すべてが終わった後だった。


パスカルレオンは一瞬でハチ型の魔虫を絡め取り、そのまま口の中へ吸い込んだ。


「ロイビー!!」


カマキリ型の魔虫と魔人が叫ぶ。


ハチ型の魔虫が消えたあたりから、バキバキと骨ごと砕くような嫌な音が響いた。


「ああ、なんてことだ……」


カマキリ型の魔虫は、仲間の喪失を本気で悲しんでいるようだった。

虫にも、そういう感情があるのかと、妙に冷静な頭で考えてしまう。


だが次の瞬間、身体が軋むような音が不意に止んだ。


「うっ、グエッ! こいつ、針で刺しやがった!」


透明な空間がうごめき、そこからハチ型のロイビーが吐き出される。


「くッ……ざまあみろ。ハチ型の魔虫は食べたことなかったか?」


唾液まみれで、身体の節々があらぬ方向に折れ曲がったまま、ロイビーは地面に転がった。


「大丈夫か?」


カマキリ型の魔虫が駆け寄り、すぐさまロイビーを抱えて距離を取る。


「一応はな……。しかし、しばらくは動けそうにない」


体のあちこちに、見ているだけで痛むような傷を負っていた。


――お。


これはある意味、好機じゃないか?

俺の頭に、一つの作戦がひらめく。


「ここは俺たちに任せておけ!!」


俺は堂々と、謎の敵の排除を名乗り出た。

二人の魔虫は、驚いたようにこちらを見る。


「しかしサタン様。私は姿が見えないのですが……」


「それは俺に考えがある」


そう言ってから、俺はゾイルへ向き直った。


ゾイルの腰には、長らく抜かれることのなかった剣が下がっている。

鞘には幾重にも黒ずんだ鎖が巻きつき、柄にまで食い込むように絡みついていた。


ただ携えているだけの剣ではない。

過去を閉じ込めるための、戒めそのものだった。


しかも、つい先ほど。

その原因を作った魔虫本人に、剣を封じたままでいることを嘲笑われたばかりだ。


――まだそんなものをぶら下げているのか。どうせ抜けもしないくせに。


その言葉は、傷口を抉るようにゾイルの胸に残っているはずだった。


「……ゾイル」


俺が呼ぶと、ゾイルはわずかに肩を震わせた。


「もう、その鎖を外していいんじゃないか?」


「ですが……これは、私自身が決めた封印です」


「わかってる」


俺はうなずいた。


「けどな、それを決めたのは、剣から逃げるためのお前だ。今ここにいるお前まで、ずっと同じ気持ちでいる必要はない」


ゾイルは黙ったまま、腰の剣を見下ろす。

鎖は鈍く軋み、まるでまだお前に握る資格はないとでも言うように、剣を縛りつけていた。


「さっきの魔虫に、笑われたままで終わるのか?」


「……っ」


「剣を封じた原因の相手が目の前にいて、それでもなお逃げるのか? お前は、そんなところで止まる剣士だったか?」


ゾイルは唇を引き結ぶ。

返事はない。

だが、その目の奥で何かが揺れた。


「その鎖は、罰かもしれない。けじめかもしれない。だが、今のお前を縛るものじゃないはずだ」


俺は一歩、近づく。


「ホクサイは言ってたぞ。『剣を抜く理由を己で選べるようになったら、それが真の剣士だ』ってな」


ゾイルの指が、ゆっくりと鎖へ伸びる。

だが、触れた瞬間、その手は止まった。


迷いが、恐れが、過去の記憶が、その動きを引き留めているのがわかった。


「……私は」


低い声が漏れる。


「私は、剣を持つ資格など、もうないのではないかと……そう思っておりました」


「なら今決めろ」


俺はまっすぐゾイルを見た。


「そのまま縛られて終わるのか。自分で封印を解いて、もう一度立つのか」


沈黙が落ちた。


やがてゾイルは、深く息を吸う。

そして、鎖に触れた手へ静かに魔力を流し込んだ。


「――解けよ」


低い呟きとともに、鎖に刻まれていた封印の紋様が淡く光る。


次の瞬間、絡みついていた黒い鎖が、ぴしりと音を立ててひび割れた。


一本。

また一本。


張り詰めていた呪縛が、少しずつほどけていく。


やがて最後の鎖が砕け、金属片となって足元へ乾いた音を立てて散った。


ゾイルは、しばらく無言でその剣を見つめていた。

まるで、長い歳月を隔てて、ようやくそこにいる相棒と向き合い直すように。


そして、柄を握る。


今度は止まらない。


鞘走る音が、坑道の空気を鋭く切り裂いた。

封じられていた刀身が、ついに姿を現す。


曇りのない刃だった。

長く眠っていたとは思えぬほど、静かで、鋭く、まっすぐな光を宿している。


ゾイルは剣を抜き放ち、両手で構えた。

その姿には、先ほどまでの迷いはもうなかった。


「……私は、これ以上逃げるのをやめます」


その声は静かだった。

だが、はっきりと強かった。


「このゾイル、再び剣を執り、ここに戦います」


刀身は静かな光を宿して美しい。

両手で扱うロングソード。

切っ先は鋭く、斬撃にも刺突にも対応できる、癖のない万能な剣だ。


「よく言った。では、行くぞ」


「はい、サタン様」


俺はゾイルが剣を手にしたのを見届けると、深く息を吸い、呪文を唱えた。


「この世の熱を奪い、その青く透明な槍で敵を貫け――ギガ・フローズン・ファングフィールド」


詠唱が終わった瞬間、周囲の気温が急激に落ちた。


ゴルド族の族長を仕留めた魔法の強化版。

だが、今の俺の魔力量はあのときとは比べものにならない。

威力は、文字どおり別物だ。


「なんだ、この大規模な魔法は!? この圧倒的な冷気……お前は一体……!?」


カマキリ型の魔虫が驚愕の声を上げる。

その身が震えているのは、吐く息さえ凍る冷気のせいか。

それとも、目の前にいる魔人への恐れか。


魔虫たちは、もはや事の成り行きを見守ることしかできなかった。


地面だけではない。

鉱山の壁からも、天井からも、無数の氷槍が生え、パスカルレオンがいるはずの空間めがけて一斉に殺到する。


いくら相手の姿が見えなくとも、これだけの面制圧なら逃げ場はない。

ゾイルも、そう思ったはずだ。


「キュロロ。大した術だが、詠唱するとは余裕だな。二度も同じ手は食らわない!!」

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