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22-4 毒狸に鉄拳制裁

丸っこい体。

ふてぶてしい顔。

だがただの狸ではない。

人の子どもほどの大きさがあり、二本足で立っている。

しかも頭には歪んだ葉っぱを乗せ、腹にはよくわからない紐を巻きつけ、両手で大事そうに壺を抱えていた。


その壺の中から、どろりとした紫色の液体が揺れている。


どう見ても、あれだ。


「犯人、あいつじゃねえか」


ゾイルが低く言う。


毒狸はこちらに気づくと、ぴくりと耳を立てた。

次の瞬間、慌てて壺を抱え直し、こちらを威嚇するように牙をむく。


「な、なんだお前ら! ここはオレ様の縄張りだぞ!」


「縄張り?」


俺は濁った泉を見た。


「お前がそれをぶち込んだのか」


「そうだけど! なにが悪い!」


開き直りやがった。


ヨルカが一歩前に出て、責めるように言う。


「このせいで森の木々も、周囲の生き物たちも苦しんでいます。どうしてこんなことをしたんですか?」


毒狸は鼻を鳴らした。


「うるさいうるさい! だってこの辺、うっとうしいやつばっかりなんだよ! 狼だの鳥だの虫だの、みんなオレ様の寝床の近くをうろうろしやがって! だから毒を流して、みーんな追い払ってやったんだ!」


あまりにも身勝手な答えだった。


一瞬、空気が静まる。


「……は?」


ゾイルの声が、低く落ちた。


毒狸は気づかない。

いや、気づいていても気にしていないのかもしれない。

得意げに胸を張って続ける。


「でもオレ様は困らないもんね! 飲み水は上流から汲んでるし! ここがどうなろうと知ったこっちゃ――」


最後まで言わせてもらえなかった。


「てめえ……」


ゾイルのこめかみに、ぴしりと青筋が浮いた。


「その程度の理由で、森まるごと腐らせたってのか?」


毒狸がようやく危機感を覚えたのか、一歩後ずさる。


「な、なんだよ……」

「なんだよ、じゃねえ」

ゾイルは剣の柄に手をかけた。

だが――次の瞬間、その手を離す。

「獲物をほどでもねえな」


そう吐き捨てると、すっと前に出た。

「ゾ、ゾイル?」

ヨルカが目を見開く。

俺も少し驚いた。

こいつ、素手でいく気か。


毒狸は怒鳴りながら壺を振った。


「なめるなよ! オレ様の毒は痛いぞ!」


壺の口から紫色の液が飛び散る。

いや、液体だけじゃない。

空中で霧のように拡散し、細かな毒の粒となって一帯を覆った。


だが、ゾイルは止まらない。


ひゅ、と身体を沈める。

一歩。

二歩。

最小限の動きで毒霧をすり抜ける。


右に首を傾け、

左に肩をひねり、

足運びだけで飛沫をかわす。


まるで最初から軌道が見えているかのような身のこなしだった。


「おお……」


思わず声が漏れる。


ヨルカも感嘆したように息をのんだ。


「すごい……あの距離で、全部見切って……」


毒狸が慌ててさらに毒を撒く。

壺をぶんぶん振り回し、でたらめに飛ばしているはずなのに、ゾイルにはかすりもしない。

「遅ぇ」

距離が詰まる。

さらに一歩。

懐に潜り込んだ瞬間、毒狸の顔が引きつった。


「ひっ――」


どごっ。

ゾイルの拳が狸の腹にめり込んだ。


「ぶべっ!?」


身体がくの字に折れ、毒狸が地面を跳ねる。

だがゾイルは容赦しない。


持ち上がった頭に拳。

転がったところへ蹴り。

起き上がろうとした顔面に、追い打ちの平手。

ぼこっ。

どすっ。

ばしんっ。

見事なくらい、素手でぼこぼこだった。


「ぎゃっ! いだっ! やめっ! しっ!死ぬ! 死ぬ死ぬ 死……じゃい……ます!」


「森を腐らせたやつが、その程度で済むと思ってんのか」


「ごべんなざいっ!」


最後にゾイルが拳を振り上げると、毒狸は頭を抱えて地面にうずくまった。

耳はぺたんと寝て、尻尾も完全にしおれている。


「も、もうしません……! 許してぇ……!」


鼻水混じりの泣き声でそう叫ぶ。


ゾイルはしばらく睨みつけていたが、やがて「ちっ」と舌打ちして拳を下ろした。

「……最初からそう言え」


俺は苦笑しながら近づいた。

「いや、見事だったな」


「ですね……。あそこまで圧倒できるなんて」

ヨルカも素直に感心している。


ゾイルは鼻を鳴らした。

「こんな奴、武器を使うまでもねえよ」


そう言いつつも、少しだけ毒狸から距離を取っているあたり、毒そのものへの警戒は怠っていない。

さすがにその辺は抜け目ない。


俺はしゃがみ込み、泣いている毒狸に目線を合わせた。


「さて。なんでそんなに周りを追い払いたかった?」


「う、うぅ……」


毒狸はしばらくもごもごしていたが、観念したのか、ぽつぽつと話し始めた。


「……いじめられてたんだよ」


「いじめ?」


「周りの魔物に、弱いくせに生意気だって……寝床を取られて、木の実を隠しても盗まれて、見つかったら笑われて……」


さっきまでのふてぶてしさはどこへやら、毒狸は鼻をすすりながら続ける。


「だから……誰も来れないようにすれば、オレ様だけは安心して眠れると思ったんだ……」


ヨルカの表情が少しだけやわらぐ。


「それで毒を……」


「でも、こんな大ごとになるとは思ってなかったんだよぉ……。ちょっと追い払うだけのつもりで……」


「ちょっとで済んでねえだろ」


ゾイルがぴしゃりと言う。

毒狸はびくっと肩を震わせた。


俺は濁った泉を見た。

たしかに事情が皆無というわけじゃない。

だが、やったことがひどいのも事実だ。


「二度としないか?」


毒狸はぶんぶんと首を縦に振る。


「しない! 本当にしない! ちゃんと元に戻す! 壺の毒ももう使わない! だから許してぇ……!」


「約束できるんだな?」


「できる! オレ様、やる! ちゃんとやるからぁ!」


泣きじゃくりながら必死にうなずく姿に、ヨルカが小さく息をついた。


「反省はしているみたいですね……」


ゾイルは腕を組み、しばらく黙っていたが、やがて不機嫌そうに言った。


「次やったら、今度は拳じゃ済まさねえ」


「ひぃっ、はいぃっ!」


それで決着だった。


毒狸は慌てて壺を開け、解毒用らしい液体を泉へ流し込んだ。

さらに周囲に埋めていた毒の塊も掘り返し、半泣きで片づけていく。


しばらくすると、水面の濁りが少しずつ薄れていった。

黒ずんでいた草も、すぐにではないが、わずかに生気を取り戻していく。


「完全に元通りとはいかなくても、これならトレントも手を入れられるだろうな」


俺がそう言うと、ヨルカもうなずいた。


「はい。森の回復も早まると思います」


依頼達成だ。


森の入口近くまで戻ると、あの巨大なトレントはすでにこちらを待っていた。

緑の眼差しが、俺たちと、その後ろで小さくなっている毒狸を順に見やる。


『……穢れの気配が薄れた。成したか』


「ああ。元凶も見つけた」


俺が親指で後ろを示すと、毒狸は「ひぇっ」と情けない声を漏らして縮こまった。


ゾイルが吐き捨てるように言う。


「殴っておいた。しばらくは懲りるだろ」


『そうか』


トレントの枝葉が、ざわりと鳴る。

怒っているのかと思ったが、違った。

どこか安堵したような響きだった。


『森を滅ぼさず、原因のみを断ったか。よい』


ヨルカがほっとしたように微笑む。


「約束どおり、報酬もらえる?」


トレントはゆっくりとうなずいた。

太い枝の一本がしなり、その先から細く白い小枝がするりと伸びてくる。


見た目は何の変哲もない枝だ。

だが近づいた瞬間、そこに静かな魔力の流れがあるのがわかった。

強く放つのではなく、逆に包み込むような、沈めるような力だ。


『これは“隠れ枝”だ。身につけておれば、漏れ出る魔力を穏やかに抑える』


「魔力を抑える……?」


俺が受け取ると、小枝は手の中でひんやりとしていた。


トレントが続ける。


『完全に消すことはできぬ。だが、相手の魔力感知には引っかかりにくくなる。強き者ほど、己の力を隠す術もまた必要であろう』


それは、かなりありがたかった。


俺は自分の魔力が人より目立つ自覚がある。

その反面、魔力の抑え方などはまだまだ修行中だ。

今後、厄介な相手とやり合うことを考えれば、こういう品は助かる。


「いいもんだな」


ゾイルも枝を受け取り、軽く振って感触を確かめる。


「奇襲や潜伏に使えそうですね」


ヨルカは目を輝かせた。

たしかにこいつが一番うまく使いこなしそうだ。


『森を救った礼だ。持っていくがよい』


俺は枝を腰に差し、トレントを見上げた。


「助かった。こっちも報酬には満足だ」


トレントの巨体が、わずかに揺れる。


『また森を訪れることがあれば、今度は敵として迎えはせぬ』


「そりゃありがたい」


俺がそう返すと、ヨルカが小さく笑い、ゾイルは「最初からそうしてくれ」とぼやいた。


その後ろで、毒狸が恐る恐る顔を上げる。


「あ、あの……オレ様も、もう悪さしないから……」


ゾイルがじろりと睨むと、毒狸はまた縮こまった。


「本当に頼むぞ」


俺がそう言うと、毒狸は今度こそ何度も何度も頭を下げた。


こうして森の依頼は終わった。


誤解から始まった面倒事だったが、得たものは思ったより大きい。

森の主とのつながり。

魔力を隠す小枝。

そして――


「それにしても、さっきの動きは本当にすごかったな」


俺が言うと、ゾイルは少しだけ呆れた顔をした。


「もう、やめませんか。その話……。」


「だって本当にすごかったですから」


ヨルカまでうなずくものだから、ゾイルは面倒くさそうに頭をかいた。


「……毒まみれのポンコツ狸を相手したことを褒められても、いまいち嬉しくないな」


そう言いながらも、ほんの少しだけ口元がゆるんでいた。


森を抜ける風は、来た時よりもずっと澄んでいた。


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